異端者誕生(6)
病院に運ばれた国見咲希は結局意識が戻らず、やがて死亡が確認された。葬儀は親族のみにより行われた。咲希を殺した当人である田中や、その仲間達は児童自立支援施設に送られることとなった。その後しばらく、咲哉は家に閉じ籠るようになった。時折夏威斗が様子を見に家に向かうのだが、咲哉は誰にも会いたくないと母親に言って帰らせた。しかしこの日は、児童では初めて夏威斗以外の者が来た。
「はーい」
「あのー、国見……じゃなくて、咲哉君いますか?」
インターフォンによる咲哉の母親の声に児童――桐岡鈴が緊張しながら答える。インターフォンから見えるその顔を見て、先日の公園にいた少女であることを思い出した。
「咲哉は部屋にいるわ。ささっ、入って入って」
母親はそう言い、自宅のドアの鍵を開けて開く。
「あ、あの、私……咲哉君に謝りたい事があって……ああっ、私は桐岡鈴って言います」
「そう、桐岡さん。それじゃあ、咲哉の部屋まで行きましょ」
母親は鈴に微笑み、彼女を連れて階段を上がっていく。鈴は、初めての咲哉の家の階段を緊張しながら歩く。
「咲哉ー、お客さんよ。桐岡鈴さんだって」
母親の声がドアを隔てた咲哉の部屋へとかけられる。だが、それに答える声はない。
「さーくーやー、聞いてるー?」
「……帰らせろ」
母親の続いての呼び掛けに、咲哉はボソリと返す。
「ちょっと、そういう言い方は無いでしょ! せっかく来てくれたんだから! 謝りなさい!」
「……うるさい」
「咲哉!」
気の無い態度の咲哉に母親は怒鳴る。だが、部屋を無理矢理開けるという事はしない。あくまで、咲哉が自分の意思で出てくる事を望んでいる。だが咲哉は姿を現そうとしない。
「ゴメンねー、失礼な事言っちゃった上に出てこなくて」
「いえ……ここを紹介してくれた西崎君にもあまり期待はしない方が良いって言われたから、大丈夫です」
階段を降りて居間に二人は入る。鈴に菓子とジュースを差し出しながら、母親は口を開いた。
「夏威斗君にも迷惑かけちゃって……。こういう事を言うのも何だけど、咲哉も本当は良い子なのよ? だから、嫌いにならないでくれるかしら」
ほんわかとした雰囲気を醸し出しながら、真剣な表情で母親は言う。娘を失って辛いにも拘わらず、落ち込んだ様子を出さない彼女を強いと思いながら、鈴は答える。
「はい! 私は咲哉……君の味方ですから!」
「ありがとうね……。本当にありがとう……」
迷わずに告げられた咲哉の答えに、心から感謝の言葉が述べられた。 しかし、鈴の表情は曇っている。
「どうしたの?」
「……私は、感謝されるような資格なんて無いんです」
「どういうこと?」
「あの時咲希さんが言ったことと似たようなことを私は思っていたんです。でも、私はそれを言っちゃったら大変な事になると思って言えなかったんです……。私があの時、ちゃんと言う事が出来たら、咲希さんは……! 咲希さんは…………」
感極まった鈴の双眸からは涙が流れ出した。
「桐岡さん……」
母親は何も言わずに鈴を見つめる。
「本当は私が言うべきだった……なのに出来なかった。私が咲希さんを殺したみたいな……いや、殺したんです」
「それは違うわ。あなたは悪くない」
「でも……」
「そんなことを言わないで。あの子は天国できっと、あなたを守れて満足してるわ。だから……だからね……」
そこまで言ったところで、母親の声が上擦る。
「何でもないわ……。とにかくね、自分を責めないで。あなたはとても優しい子なのね。だから、責任感もそんなに強い。でもね、あなたが背負う必要は無いの」
母親は鈴を強く抱擁する。その胸の中で、鈴は涙をこぼした。
「うっ……ううぅ…………」
「大丈夫よ。私はあなたの味方だからね。それに咲哉だってあなたを守ってくれる。……そうよね?」
母親が振り向くと、居間の外からこっそりと様子を見ていた咲哉が気まずそうな表情になる。
「気付いてたのかよ」
「女の子が泣いてるのをこっそり見てるのは感心しないわよ」
「チッ」
咲哉は舌打ちする。
「さて、邪魔物の私は席を外した方が良いかしら」
「必要ねーよ。……俺の部屋に来い」
気を使おうとする母親の言葉を否定して、咲哉はぶっきらぼうに鈴へと言った。
「えっ……」
「良いから来い」
戸惑う鈴に有無を言わせず言葉を畳み掛ける咲哉は階段を上っていく。鈴は慌ててそれを追いかけた。母親はそれを安心したような笑みを浮かべて見ていた。
「入れ」
自室の前に辿り着いた咲哉は短く告げる。同世代の男子の部屋に入るのは初めてで、しかもそれが自分が好意を持っている相手の部屋であることも有って、鈴は極度に緊張していた。部屋は咲哉の粗野な印象とは裏腹に綺麗に整頓してあり、鈴をわずかに驚かせた。
「まー、座れ」
「う、うん……」
咲哉は勉強机の椅子を鈴に指し示し、自分はベッドに腰掛ける。すると鈴は躊躇いがちに話を切り出す。
「えっと、国見? 私がアンタに会いに来たのは、咲希ちゃんの事を謝りたかったからなの。アンタのお母さんは気にしなくて良いって言ってたけど、これだけは言わせて。……ごめんなさい」
鈴は椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。
「やめろ、そう頭を下げんな」
「でも……」
「あの時のお前のどこに謝る理由があんだよ? むしろ、謝んのは俺の方だ」
俯く鈴に、咲哉が言う。
「どういう事……?」
「理由はわかんねーが、お前があの時捕まったのは俺のせいだ。俺への人質の為にお前は捕まったはずだ」
咲哉にとって鈴とは、過去に一度だけクラスメートになっただけという仲で、それほど関わった覚えが無い。よって、自分の人質として選ばれた理由が分からない。
「いや、国見のせいじゃないと思うよ。多分」
「なあ、お前が捕まった理由に心当たり、あるか?」
「それは……」
鈴としても理由は分からない。自分は咲哉に好意を抱いている。だがそれを誰かに話した覚えは無い。
「……いや」
「どうした?」
何かを思い出したような鈴の呟きを咲哉は聞き逃さない。
「その……何ていうかね」
鈴は言い辛そうにモゴモゴと口を動かす。
「何だ? 分かったことがあんなら言ってくれ」
「いや……それは……」
言えない。言えるはずがない。想いを伝えるにしても、もっと別のタイミングで伝えたいと思っていた。だが同時に、そうも言っている場合ではないと思った鈴は意を決して言う。
「その……私、私ね……」
「あー、やっぱ良いわ」
告白しようとしたところで、咲哉は言葉を遮る。思いもよらぬその行為に、鈴は驚く。
「えっ……」
「お前が何を言おうとしてんのかは知らねーが、やっぱ言い辛いなら無理して言わなくて良い」
「……」
鈴は押し黙る。だがその直後に言う。
「じゃあ、ちょっとフワフワした感じになっちゃうけど、言える限りで言う。私にはちょっと人に知られたくないことがあるんだけど、今思うとそれがある人にバレちゃってたの。その秘密が、私と国見を繋いでいるんだけど」
「そのある人ってのも言いたくねーか?」
咲哉は指摘する。
「いや、大丈夫。……その人っていうのは、アンタも良く知る神代よ」
「神代だぁ?」
「ええ」
咲哉は首を捻る。聖騎は先日の事件では鈴と一緒につかまっていた。あの事件に一枚噛んでいるのだとすれば、聖騎は自ら痛い目に遭おうとしたことになる。
「いや、確かにアイツなら、自分が傷付こうと気にしない」
「どういうことよ?」
「アイツは元々、田中とかにわざと絡まれて、その分の仕返しをしてたんだよ。だから俺は、神代に余計な事はしないほうが良いって釘を刺したんだよ。だが、アイツはそれで俺にムカついたらしく、それが今回の事件に繋がった。でもだ、これは全部神代が仕組んだことだと考えれば、納得できなくもない」
咲哉は一旦そこで言葉を区切る。
「神代も神代で、田中をかばおうとしてた俺を面白く思っては無いんだろうよ。だから、自分に逆らったらどうなるかってのを知らしめるために俺を攻撃させた。同時に、ムカつく田中を処分した。その上自分は被害者扱いだ。絶対とは言い切れねーが、何となくそんな気がする」
「そんな……じゃあやっぱり、神代にあんなこと言った私が悪いんじゃ……」
「それ以上言うな」
悔しそうな表情で言う鈴の言葉を咲哉は遮る。
「でも……」
「お前は悪くない。ただの被害者だ。お袋の言葉を聞いてなかったのか。自分を責めんな」
「……」
鈴は俯く。悪くないと言われても、そう簡単には割り切れない。
「まあいい。……とにかく明日、神代に話を聞く必要がありそうだ」
「じゃあ、学校に来るの?」
鈴はやや表情を明るくして尋ねる。咲哉はそれに頷いた。
「あの」
「何だ?」
「……何でもない」
「そうか」
鈴は何かを言おうと口を開きかけたが、すぐに止めた。それに対する咲哉の追及にはごまかす。咲哉は納得したように頷いた。鈴が言おうとした事、それは――――
(あの時、咲希さんが死んだ時……神代は笑ってた)
今それを言うのは簡単である。だが言ってしまえば、咲哉がどのような事をしようとするのか予想がついて、それを怖れた結果、何も言えなかった。