異端者誕生(5)
本来咲哉も夏威斗も、喧嘩は強い。だが、多勢に無勢という状況に加えて人質に意識が行ってしまう今はどうしても苦戦を強いられる。何人かは倒して地面に転がっているが、残っている敵の方が圧倒的に多い。その上二人とも全身に怪我をしており、小学生でなくともまともな人間なら立つことは困難なレベルである。だが、二人は立っている。
また、咲希は既に涙も枯れて、気絶する寸前まで来ていた。聖騎や鈴を攻撃するよりも、咲希を攻撃した方が咲哉にとって効果的だったからだ。それに気付いた鈴はわざと大きな悲鳴を上げて、狙いが咲希から自分に向くようにした。
一方で聖騎は叩かれても特に反応を示さない。咲哉達への効果も一番薄いという事もあって、他の二人よりも被害は少ない。
(そろそろ……かな?)
公園の時計を見て、聖騎は内心で言った。この作戦において教師には知られないように児童達は振る舞っていたが、実際のところごく普通の小学生がそれを実行するのはほぼ不可能である。しかも、これによって動く児童の数は大規模である。よって、教師達に今ここで行われている事は全て発覚すると聖騎は考えている。その上でこの作戦を立案したのだ。
(こんな事をしたことが発覚すれば、退学とまでは行かなくても出席停止は確実だね。まあ、学校にいる人達も全て正直に話すとは思えないけれど、ここにこうして怪我をしている、僕達という証人がいる。何しろ僕は先生達から好かれている優等生だし、僕のいう事は信じて貰えるだろうね)
そんなことを考えながら、聖騎は下卑た視線で自分を見る少年にチラリと目を向けた。クラスメートであり、何度も自分に絡み、その都度報復もしてきた過去がある。自分を苛立たせてきた聖騎を好きにできる今の状況を楽しんでいるようだった。聖騎は一瞬で視線を逸らして、咲希の方に目をやった。未だに暴力の被害にあっていた。それでもなお、少年たちによって袋叩きになっている兄を見ては叫んでいる。
「やめて……! やめてよぉ……」
「黙れ、うぜぇから」
一人の少年が咲希の声に不快感を示す。そして殴る。咲哉と夏威斗は今すぐにでもそこに行こうとするが、どうしても阻まれる。
「うぅっ……」
咲希は呻く。何故自分がこんな目に……という何度目か分からない思いが彼女の頭を過る。この理不尽に何一つ太刀打ちできない自分の無力さが許せなかった。彼女は思う。このまま何もしなくていいのかと。せめて自分に何かできる事があるのではないかと。
「こっ……」
声が震える。咲希はせめてもの反抗として、思いをぶつけてみようと思った。だが、実際にやるとなるとかなりの勇気が必要となる。これを言ってしまえば取り返しの無い事になるかも知れない。だが……今もこうして兄やその友人が苦しんでいるのを見て、決意を固める。
「こ、この……卑怯者ぉぉぉぉぉ!」
その叫びは公園中に響いた。突然の事態にその場の全員の動きが止まる。咲希は気にせずに言葉を続ける。
「あなた達は、こうして卑怯な事しか出来ない……ゴミみたいな人よ! 誰が最初にこんなことやろうなんて言ったのか知らないけど、お兄ちゃんに何か言いたいことがあるなら言葉で言えばいいじゃない! 仮に言葉だけじゃ納得出来なかったとしても、こんなに人を集めるのは間違ってる! ケンカがしたいならせめて一対一でやればいいじゃない! それが出来ないあなた達はとても弱い人よ!」
咲希は早口で一気に捲し立てる。その言葉が言い終わると同時に、咲哉を殴っていた田中がそこへと向かい、バットを振り下ろす。
「黙れえええええええええええ!」
咲希の言葉は田中にかなりの精神的ダメージを与えた。今、咲哉を一方的に痛めつけている側であるにも拘らず、弱いと言われた事により感情を揺さぶられた。頭に血が完全に上った田中は、口ではなく手でやり返す。
「黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れええええええええええええええええええええええ!」
感情の赴くままに、バットが振り下ろされる。その様子は彼の仲間でさえ過剰だと思えた。
「おい、いくらなんでもやり過ぎじゃねぇか!?」
「黙れ、黙れ、黙れ……!」
迂闊に近寄れば自分も危ない為、言葉は発せても手は出せない。そして、我を失い。狂乱状態に陥った田中にはその言葉も届かない。咲哉や夏威斗、鈴……そして他の田中の仲間の声も届かない。無茶な動きをしていた彼には疲労感が訪れ、動きを止める。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
荒い息をしながら、田中は咲希の顔を見る。生気を失ったかのように、血まみれでぐったりと倒れている。そこで彼はある可能性に思い至り、血の気が引く。
「ちょ」
殺してしまったかもしれない。そんな予感が彼を襲う。こんな時どうすればいいのか、何も思いつかない。生きているかどうかを確認するにはどうすれば良いのか、頭が真っ白になった彼には思いつかない。
「ち、違う……俺は、違う……」
狼狽する彼に一同は、全員が同じ可能性に思い至る。咲希は死んだのではないか、と。
「咲希ぃぃぃ!」
咲哉は咲希の下へ走る。それを止める者は誰もいなかった。田中が呆然としている中で彼の仲間達はその場から逃げだした。田中の他に咲哉達にやられて動けない者達を置き去りにして。
「咲希! 咲希! 咲希! 咲希! 咲希ぃぃぃぃぃぃっ!」
咲哉は咲希の体を揺すりながら叫ぶ。だが、咲希は動かない。
「生きてるんだろ!? なぁ、今はちょっと寝てるだけなんだろ? なぁ……なぁ!」
必死に声を掛け続ける咲哉を、夏威斗はどう声をかけようか分からず、ただ黙って見ているだけしか出来なかった。
「国見……」
鈴も何も出来ず、ボロボロの体を何とか動かそうとしている。そのタイミングで、教師達が自動車によって現れた。聖騎達の学年の担任達である。
「どうした! 何があった!」
「先生、救急車をお願いします」
学年主任の男が声を掛ける。それに聖騎が冷静に答えた。主任は咲哉に声を掛けられ続けている咲希の様子に気付く。
「大変だ! 今すぐ心臓マッサージと人工呼吸を! 俺は救急車を呼ぶ」
主任は携帯電話と取り出し、救急車を呼ぶ。そして聖騎の担任の教師が咲希の心臓に耳を当てる。鼓動は聞こえない。
「どいて! 心臓マッサージするから!」
彼女は咲哉に厳しい口調で言い、応急手当を実行する。それを尻目に他の教師が、持参した救急箱で聖騎達の傷の手当をしつつ、今の状況についての説明を求める。聖騎はこの公園で起きた事をすべて話した。やがて連絡を聞き付けた咲哉の母親が現れ、救急車が到着する。咲希の意識はまだ戻らない。救急車には母親と咲哉が付き添いとして同乗し、病院へと向かった。田中は呼び出された親や教師と共に警察署に向かい、それ以外の者は解散となった。
「……」
聖騎は、何があろうと自分は安全な場所にいると思っていた。だが現実として、死と隣り合わせの状態にあった。もしも仮に田中を刺激して逆上させていたら、自分が危険だった。それを改めて思うと、体が震える。
「聖騎様……?」
自宅にて、聖騎の様子に気付いた茉莉が声を掛けた。
「何でもないよ、茉莉さん」
「左様ですか」
聖騎が取り繕うと、茉莉はそれ以上の追及をしない。だが少しして、聖騎は言う。
「ねぇ、茉莉さん」
「何でしょう?」
「僕は多数派の人と違う感覚を持ってると思ってた。でも、僕は死ぬことを怖いと思った。普通の人と同じように……」
無表情に、聖騎は思いを告げた。茉莉も無表情のまま答える。
「そうですね、多数派の人に限らず、全ての生物は死から遠ざかり、生き続ける事を行動原理とします。例え今生きている世界に絶望して、死にたいと思ってそれを実行、脳はそれを絶対に拒み、どうにか生き永らえさせようとします。首を絞めようとすれば想像以上の苦しみが……すみません、話が逸れましたね。とにかく、聖騎様の御感覚は生物として自然なものです」
「そうかぁ……僕は普通なんだね」
聖騎はこれまでの人生の中で、自分の感覚が他人とずれていて、故にクラスメート等からは変わり者扱いされていじめの対象になってきた。最初の聖騎はどうにか周囲に合わせようと努力してきたが、それは困難で、いつしか諦める様になった。だがそれでも、自分とこの世界の多数派にとって、共通した感覚があることに少なからずの安堵があった。
「あのね茉莉さん。僕はあの時、初めての感覚を覚えたんだ。あの時……咲哉君や咲哉君のお母さんが意識を取り戻さない妹さんを見て泣きながら必死に声を掛けている時、心が震えるような感覚があったんだ」
安堵の感情のまま、聖騎は言葉を紡ぐ。
「命が失われようとしていて、もしかしたら自分もこんな風になっていたかもしれないなんて思いながら、僕は……僕は、心が熱くなる感じがしたんだ」
その言葉に茉莉は違和感を覚えた。
「心が熱く……ですか」
「うん、何ていうのかな。何だかとても、良い気分になった。絶望に歪む咲哉君の顔を見て、とても楽しくなったんだ。これが多数派の人には無い感覚だっていうのは、理屈の上では分かってる。でもね、これはどうしても抑えきれないんだよ。人の絶望した顔を見ると、良い気分になっちゃうっていうのは、僕の意思ではどうにも出来ないんだ……。そんな僕でも、多数派の人と同じように、死ぬことを怖がることができる……。僕はね、それが嬉しいんだ」
聖騎は笑みを浮かべている。だがそれは作られたものである様に茉莉は感じた。そして気付く。聖騎は感覚こそ常人とはズレている事があるとは言えごく普通の少年のように、時には怯えるということに。
「僕は絡んでくるのの仕返しをしていくうちに気付いたんだ。嫌な気分をする人を見るのが楽しいって事に。それはクラスメートだけじゃなくて、茉莉さんですらそうなんだよ。茉莉さんはどんな時に、どんなことをしたら嫌な気分になるんだろうって。その時はどんな顔をするんだろうって。……でも、僕はそれが嫌なんだよ。僕は普通の、多数派の人になりたいって思ってた。だから……だからね、僕は――――」
聖騎の言葉は、茉莉に抱き締められた事によって止まった。
「茉莉……さん?」
「聖騎様は、お辛い思いをされていたのですね。私はそれに気付くことが出来ませんでした」
予想外の茉莉の行動に、聖騎は呆気に取られた。茉莉は淡々と言葉を口にしていく。
「ですが、そんな聖騎様にせめてもの助言をお与えします。私の言う事が絶対に正しいという保証はありません」
「助言……?」
「はい」
自分を抱いたままの茉莉の言葉に、聖騎は聞き返す。茉莉は頷き、『助言』を口にした。
「人に興味を持つことをお止めください」
その助言に聖騎は戸惑う。
「どういう……事?」
「聖騎様は人を見て、その人が不幸になることを望んでしまうのでしょう? ならば一番の対処法は、人から興味を失うことだと私は思います。人に何の感情も抱かなければ、不幸を望むことも、他人と自分との価値観の差に苦しむ事も無いでしょう」
「そんなこと、どうやって……」
「一日二日で出来る事では無いでしょう。ですが時間をかけて、感情を押し殺す練習をすれば、いつかは必ず出来るようになります。それに伴う問題も出るでしょう。しかし、あなたなら必ず乗り越えられます。あの怜悧様の血を受け継いでおられるのですから」
怜悧の名前を出されて、聖騎は表情を固める。
「お母様……」
「あの方は自分の興味のあるもの以外の全てを切り捨てて生きておられます。ただひたすら、自分の好きなことだけを求めて……」
「お母様は……一体どんなお仕事をしているの?」
「それは秘密です」
聖騎の質問に茉莉は答えない。聖騎にとって怜悧とは、たまに家に顔を見せてくるだけの、他人とほぼ変わらない人間である。一応この、そこそこ大きい家の家主ではあるのだが、訪れるのは一年に一回有るか無いかといった頻度である。
「お母様の事も、興味を持たないようにするの?」
「その辺りはご自由にどうぞ。しかしそうですね……。怜悧様の興味がただ一つにのみ向けられているように、聖騎様も何か夢中になれるものに集中した方が良いかもしれません」
この後、茉莉は様々な本を聖騎に買い与える事になる。その中から神話に興味を持つことになるのだが、それはまた別のお話。