賢巨人
ともあれ目的の巨人を購入した聖騎は店を出る。檻から出され、店内の風呂場で体を改めて清潔にした童顔の巨人は、金の首輪と腰に布を巻いただけというほぼ全裸の格好で、ちょくちょく首輪に手を当てながら外を歩く。およそ五メートルの巨体は巨人族の中でも標準的なものであり、街を歩いていたところでそれほど注目は集まらない。市街地から外れた、森林地帯に入ったところで聖騎は聞く。
「ところで巨人さん、あなたに名前はありますか?」
聖騎はゆっくりとした口調で巨人に質問した。巨人は戸惑いながら反芻する。
「な、まえ……?」
「はい、今の私はあなたを巨人さん、としか呼ぶことが出来ません。それでは他の巨人族の名を呼ぶ必要が出てきたときに、紛らわしくなります」
言ってから、聖騎は自分の言葉が長文だったと思う。この世界に来てからは増えたとはいえ、元々人と話す事が少なかった彼は、短い言葉で最低限の情報を伝えることが苦手である。
「名前、無い」
自分の言葉が通じたのかは聖騎には分からないが、取り合えず質問への答えは得られたのでよしとする。
「ミーミル」
「……?」
聖騎が口にした単語の意味が巨人には分からない。
「あなたの名前です。ミーミル」
「ミーミル……」
「いい名前だと思います! 何か意味はあるんですか?」
巨人――ミーミルは反芻し、彼の隣のミオンは称賛しつつ質問する。
「私の故郷の伝承に登場する巨人の名から拝借しました。賢者の神とも呼ばれています」
聖騎の答えにミーミルはピクリと反応する。聖騎はそれを見逃さない。しかし気付かなかったミオンは質問を重ねた。
「へぇ……そういえばパラディンさんの故郷って、どちらなんです?」
「その内、お教えしましょう」
「そう、ですか……」
聖騎のスルーにミオンは申し訳なさそうな顔になる。
「ところで、ミーミルを購入した時に聞きましたが、奴隷の首輪には主が認めた者以外に危害を加える事が出来ないんでしたね」
「はい、そうです。私の場合はマニーラ様が危害を加えても良い対象を決めました。それ以外の方に暴力を振るおうとすれば、首輪が発熱します」
「私もミーミルの首輪に自分の血を垂らし、術者の方によって私がミーミルの主人という事になりました。たとえ私がどれだけ危害を与えようとも、ミーミルは反撃が出来ない」
「はい……」
聖騎の確認にミオンは複雑な表情を浮かべて俯く。彼女が奴隷商店の店主や前の主人から理不尽な仕打ちを受け、それに反撃出来なかった屈辱を思い出したのだ。そして彼女は、聖騎の奴隷に対するスタンスがどうなのか予想も付かない。彼女の知る限りでは穏やかな話し方をする聖騎だが、先程の奴隷商店でのゲームにおいて迷い無く少女を痛め付けていた様子は、ミオンに少なからず衝撃を与えた。
「ではミーミルに質問です。あなたは私をどう思っていますか?」
聖騎の突然の質問に、ミーミルは何も言えない。
「えっ……」
「正直に答えてくれて構いません。あなたやあなた以外の巨人族を捕らえては奴隷にした人族で、あなたの主人となった私を、どう思いますか?」
仮面の中から、聖騎はミーミルを見据える。ミーミルの大きな目も聖騎をしっかりと捉える。すると徐々に、首が熱くなるのを感じた。
「うっ、ううっ……! うぅぅぅぅうっ!」
「なるほど、それが答えですね」
ミーミルが自分に抱く敵意が増したのを感じた聖騎は納得するように頷く。ミオンはミーミルの急変に驚く。
「ミ、ミーミルさん!? 落ち着いてください」
「うううううっ!」
ミオンはミーミルを宥める。しかしそれによる効果はない。そこで聖騎は呟く。
「ならば『許可』しましょう。全ての生物に対して、あなたの怒りをぶつける事を許します」
その瞬間、ミーミルの首輪の発熱が止まる。それでもミーミルは苦しそうに首を押さえている。そしてミオンは血相を変えて聖騎に詰め寄る。
「な、何やってるんですか!? そんな命令を出しちゃって――」
「心配ありません」
聖騎は背中の大鎌イマギニスを取り出して、構えた。
「何をするつもりなんですか……?」
ミオンが疑問を呟くが、聖騎がそれに答える前にミーミルの右手が聖騎へと伸びる。
「リート・ゴド・レシー・ハンドレ・ト・ワヌ・ファニール」
聖騎が唱えたのは、ラフトティヴ皇家に伝わる奥義・光幻術を使うための呪文だ。シュレイナーによる手解きを受けた聖騎は、『ファニール』というキーワードが持つ『魔術によって生み出したエネルギーを自在に操る』という能力の基本はマスターした。魔術のエネルギーは粒子状の物体であり、その粒子ひとつひとつが動くイメージをしなければならない。能力発動には尋常ではない集中力が必要とされ、慣れないうちは攻撃を受けない安全地帯で発動するのがセオリーである。
(実戦で使うのは初めてだけれど……)
聖騎が魔術のエネルギー――便宜的に『魔粒子』と聖騎は呼んでいる――を操作している最中に、ミーミルの右手は同年代の男子に比べて小さい聖騎の体をすっぽりと握る。それにより苦痛を受けている事も、ミオンが悲鳴を上げるのも意識の外に置いて、ミーミルの脳に入れた魔粒子を操作する。
(首輪なんていう物には頼らない。僕自身の力で屈服させてこそ意味がある。僕のステータスも何者かに与えられたものだ、っていうのは棚に上げさせて貰うけれどね)
ミーミルの親指は聖騎の仮面を砕き、右目を潰す。激痛が走るのにも気付かずに、聖騎が創るのは龍のイメージ。彼は『騙し』を修得していた頃は小さな虫が体を這いずり回るような、搦め手の幻覚を見せるのを好んでいた。しかし、巨人故に自分の力を圧倒的なものだと思っているミーミルには、より大きな力のイメージを見せる方が効果があると判断した。
(さぁ……跪きなよ)
聖騎が生み出した幻の巨龍は顋を開き、ミーミルの巨体を呑み込まんとする。
「うっ、うぅぅぅぅ……があぁぁぁぁぁぁぁっ!」
幻覚の中のミーミルは迫り来る脅威に抗えない。彼を恐怖が支配する。目の前の存在にはどうあっても敵わない。戦おうと思うなど愚かしい事だ。そんな思いが彼の中で渦巻く。
「あぁぁぁぁ………………」
やがてミーミルは体の力が抜けていくのを感じる。ドシンと大きな音を立てて尻餅をつき、人族には到底出せない量の失禁をする。掴み、持ち上げようとしていた聖騎の体も解放される。
「うっ……」
集中を解いた聖騎は右目の激痛に呻き、顔をしかめる。軽く頑丈な金属で作られていた仮面には穴が開き、潰れた右目を覗かせていた。視界が狭まっている事に気付くが、慌てずに回復魔術の呪文を唱える。イマギニスから放出された光は聖騎の右目の穴に注ぎ込まれる。
(……ん? 痛みは引いたけれど視界は戻らない? 魔力が足りないのかな……?)
違和感を覚えた聖騎は魔術を継続する。しかし、視界が回復する様子は無い。
(もしかして、失われた体のパーツを取り戻す事は出来ないのかな? 魔力さえ注ぎ込めば何とかなるという訳でも無いということか。『隻眼の魔術師』なんていう称号を手に入れる日も近いかな?)
右目を失った割には呑気にそんなことを考える聖騎は、その張本人であるミーミルが恐怖に震えている様子を見る。その顔には涙が滲み、己の無力さに打ちひしがれていた。彼の中の魔粒子は徐々に消えていっているが、その影響は逆に増大しているようである。聖騎は目の前の出来事に唖然としているミオンにチラリと目を向け、質問した。
「眼帯を売っている店に心当たりはありますか?」