店主の本音
元奴隷の少女、ミオンは聖騎が連れていかれた部屋で何が行われようとしているのかを知っている。何せここは、彼女が売られていた店だ。『商品』の中にはかつて一緒に檻の中で傷を舐め合っていた者もいたが、彼らは今ミオンをあからさまに敵視している。
「……」
ミオンは居心地の悪さを覚えつつも表には出さない。国が一番贔屓にしている奴隷商店とはいえここに行くように指示したマニーラに言いたい事は有るが、彼女にも彼女の立場やら事情があるのだろうと考え、忠実に命令を守る。居心地の悪さは覚悟していたが、ここの店主考案の悪趣味な『ゲーム』だけは分かっていても許せない。これにより無駄な死を迎えた顔馴染みの奴隷を何人も知っている。
「顔色が悪いようですが」
「いえ……大丈夫です」
女店員の気遣いの言葉に、ミオンは笑顔で横に首を振る。奴隷時代はものとして自分を扱っていた彼女に人として対応されるのは違和感があり、ミオンは内心で皮肉げに笑う。
「それにしても、随分と長く入っているようですね」
女は無表情ながらもわずかに困惑の色を滲ませて言った。ミオンは自身が『おもちゃ』になった経験こそ無いものの、ゲームの時間は毎回長く感じていた。故に今回が特別長いようには思えなかった。すると、部屋からは声が漏れる。
「もうやめ…………! ……が何をしたって言う……………!? もうこれ以上…………」
女とミオンはその声に顔を見合わせる。
「何が起きてるの……?」
疑問に思ったミオンは思わず扉を開けた。
◇
時は少しだけ戻る。聖騎が元王女の少女へナイフを刺した回数は四百――金貨四枚を貰える数を超えていた。それでも少女は依然として生きている。――依然としてという表現は不適切かもしれない。少女は一度眠るように椅子から転げ落ちた。彼女が息をしていない事を店主が確認した瞬間、少女は息を引き返した。目は虚ろで表情も無いままであるが、死んではいない。
「422……423…………」
聖騎は無言のまま、少女の体を刻み続ける。淡々と、淡々と、淡々と……。線を引くように、薄くナイフで切り込みを入れていく。
「457……458……459…………」
着々と、購入予定の巨人奴隷の値段である金貨五枚を貰える回数である五百に近付いている。それに伴い様子が変わったのは聖騎でも少女でもなく、店主だった。
「もうそろそろ……終わりにしません?」
店主はおずおずと言う。聖騎は手を止めて言葉を返す。
「何故でしょう。これ以上お金が払えないと?」
「いや、そうではなくてですね…………あっ、いや、そうです。これ以上払えるお金が無いのです」
歯切れの悪い店主の言葉を聖騎は一瞬で嘘だと見抜く。聖騎個人ですら金貨は百枚近く持っているのだ。国で最大規模の奴隷商店が金貨五枚も出せないはずがないと聖騎は思う。
(ならば、顔を青くしてこんなことを言う理由は……? まさか、この奴隷を憐れんだなんて事はないよね? これをやらせた本人なのに。まあ、このままだと店のお金を全て絞りとられると危惧して慌てて止めたといったところかな?)
そう結論した聖騎は言う。
「参考までにお聞きしますが、最大でどれだけのお金をお出しになれるのでしょうか」
「いや……それは……」
「私の予定としては、巨人を買える金貨五枚を貰えれば、そこで終わりにするつもりだったのですが」
「わ、分かりました! ……では、その分はこちらで負担します。しますから、これ以上……!」
店主の狼狽に聖騎は戸惑う。「まさか本当にこの奴隷を憐れんでいるのか?」と思った彼は奴隷にもう一度ナイフを近付けてみる。すると店主は血相を変えて聖騎にすがりつく。
「もうやめてください! 彼女が何をしたって言うんですか!? もうこれ以上彼女が傷付くのは見たくありません!」
その反応に聖騎は混乱する。だが、そもそもこのゲームを自分にやらせた張本人である目の前で大声で泣き喚き出した男に対してこう思う。「お前が言うな」と。次の瞬間、部屋の扉が開く。そこからはミオンが現れた。
「えっと……どういう状況ですか、これは?」
「私も知りたいです」
聖騎とミオン、そしてミオンに続いて入室した女店員は床に伏せて泣く店主を見ていた。
◇
「以上が、私の経緯です……」
落ち着きを取り戻した店主は聖騎達に、自分がこの奴隷商店を経営するまでの経緯について語った。要約すると、先代店主である彼の両親は幼い彼を残して死去した。彼は家の当主となり、自動的に商店の経営者となった。しかし奴隷商人としての教育が十分では無かった彼は、人を売買する事に抵抗があった。とはいえ、彼は自分を育てた両親を尊敬しており、両親が残したこの店を終わりにするのは躊躇われた為、父の部下達に手伝ってもらって店を経営した。その為に『非道な奴隷商人』を演じていけば頭のネジが外れて、平気で奴隷を売買出来ると考えた。それからおよそ二十年、事実として人の売買に抵抗は無くなり、父親譲りの商才によって商店を大きくしていった現店主だが、聖騎のあまりの非道さと残虐さに、思わず子供の頃の感覚が蘇り、酷い目にあう奴隷少女を見ていられなくなって聖騎を止めたのだ。
「そんな……だからって…………!」
この店の元商品だったミオンとしてはたまったものではない。彼女が店主から受けた痛みや屈辱は忘れない。忘れられない。そんな彼女に店主は謝罪しようとして、やめた。自分に許しを請う権利など無く、更には自分が謝罪する事で彼女が自分に持つ感情が行き場を失ってしまうのではないかと考えたからだ。勢いに任せて自分語りをしてしまったが、これ以上は下手すればミオンに同情させてしまうと思った。
「……」
反省を示さないことを決めた店主だが、彼が後悔していることは何も言わずとも態度に現れており、ミオンにはそれを察させた。そして彼の危惧通り、ミオンは彼を責められなくなってしまった。
「随分とお優しい事ですね。異常とも言えますが」
ミオンの内心を察した女店員が言う。ミオンは彼女を睨む。
「……そんなことはありません。私は……私はここで友達を何人も……!」
ミオンは視線をナイフで切られていた少女に移す。その虚ろな目を見て泣きたくなるのをこらえる。
「それはともかくとして、あなたはこの店を今後やっていける……そもそもやっていく気があるのでしょうか?」
聖騎はそんな質問を店主に投げ掛ける。店主は彼の予想の範疇の答えを言う。
「私は……やりたくないです! パパとママが遺した店を閉じるのは申し訳ないと思うけど……でも……!」
「この店を閉じるとすると、この帝都、あるいは国全体に決して小さくない影響を与えます。私も専門ではないので深くは申せませんが経済的な影響はかなりあるでしょう。それに、この店の奴隷達もどうなさるのでしょうか」
聖騎は淡々と言う。
「それは……解放します」
「しかし、生まれた時から奴隷として育った方々はどうするのです? 彼らには奴隷以外の生き方などすぐには出来ませんよ」
「……」
「まあ、正直なところ勝手にしてくださいとしか言えませんね。取り合えず先程指名した巨人だけは私が貰います。よろしいですか?」
「……はい」
気乗りしないながらも、店主は頷いた。