未知の病
二葉が螺旋階段を上る間、これといった妨害は存在しなかった。しかし周囲を警戒しつつ、一歩一歩慎重に進む。階段を登り終えると、濃紺のボブショートヘアーのメイド服を着た女が現れた。
「こんにちは、どちら様でしょうか」
「少なくとも、戦いに来たわけではないわ。バーバリー・シーボルディさんに会いに来たんだけど」
二葉の言葉にメイドは困惑する。バーバリーの存在は魔王軍の中でもごく一部にしか知られていない。それを目の前の人族の少女が知っている事に、疑問を抱かざるを得なかった。
「何故バーバリー様の存在を……? それに、バーバリー様は不治の病により床に臥せています。来客を受け入れるわけにはいきません、お引き取り下さい」
「訂正させてもらうわ。バーバリーさんは不治の病じゃない。何故なら、コレで治す事が出来るから」
二葉は手荷物の中から、青色の液体の入った透明の小瓶を取り出す。
「バーバリー様の容体を回復させる特効薬だとでも申すのですか? だとして、それを証明する手段はございますか?」
「あなた達の中には、相手の考えを読み取ることができる能力者がいたと思うけど? サンパギータさん」
当たり前の様に自分の名前を呼ばれたことにメイド――サンパギータは驚かない。バーバリーの事が知られていた時点で、自分の事も知られている事は予測済みだった。魔王軍に百を超える個体が存在するサンパギータは、妖精族のように意識を共有する事が出来る。それでいて、各が別の特殊能力を有している。例えば現在二葉の目の前にいる個体は、風を操る能力を持っている。
「分かりました。ならば呼ぶとしましょう。しかし、あなたはどのような経緯でその薬を?」
「知っていると思うけど、私は異世界からこの世界に来たの。私の世界ではこの世界の全てが観察されていて、今この会話も、この世界の観察者――つまり神様の様な存在に聞かれているのね。神様なら不治の病を治す方法くらい知っていてもおかしくないと思わない? そして私は差し詰め、神様からの使いといったところかしら」
「神の使い――ですか。いささか胡散臭いですね」
「それはそうよね。でも、事実」
二人が会話をしていると、先程呼び出されたサンパギータが現れた。事情はサンパギータ全員で共有しているので、サンパギータ同士で会話をすることは無い。
「なるほど、そちらが特効薬ですか。嘘もついている様子は無さそうです。この方が騙されて毒薬か何かを渡されたという懸念もございますが」
「それを言われたら私もどうしようもないわね。かといって、健常な人にとっては本当に毒薬だから私が味見する訳にもいかないし」
「ならば、パッシフローラ様を……いえ、一度ヴァーグリッド様に指示を仰ぎましょう。これは重要な案件です。もっとも、既に報告済みですが」
ヴァーグリッドの傍には常にサンパギータのいずれかの個体がいて、彼女達は交互に話す。そして、サンパギータ達が手に入れた情報は随時ヴァーグリッドの耳に入れている。ヴァーグリッドの名に、二葉はわずかに体が震えるのを感じる。二人のサンパギータはニヤニヤという笑みを彼女に向ける。自分の心の中が透かされるのは気分の良い物ではないと、流石の彼女も思う。
「それで、そちらの魔王様は何と仰せられているの?」
「光栄にお思い下さい。ヴァーグリッド様自らがあなたの御前に現れてお話しなさるとの事です」
「そう」
「それにしても、あなたのお仲間は妖精王オーベロン様によって瀕死状態だというのに、それを無視してここまでおいでになるとは、中々性根が腐った方のようですね」
「大きなお世話。心を読まれるっていうのはやりにくいわね」
二葉は余裕を取り繕うが、サンパギータからすれば心を読まずとも不快感はむき出しだった。だが、サンパギータは決して表情を変えない。
「申し訳ありません。心を読む事こそが私の存在意義でございますので」
「私の知る読心能力者は紳士的ないい子よ。あなたには爪の垢を煎じて飲ませたいわ」
「爪の垢……ですか?」
サンパギータは二葉の言い回しに首を捻る。なお普通の魔族であれば、見下している対象である人族の爪の垢を飲むなど言語道断であるのだが、彼女達の場合は特に不快感を覚えた様子は無い。
「ああ、私の世界にあるとある国で使われる慣用句で――」
「失礼。あなたの心の中は筒抜けですので、説明なされなくても仰りたい旨は理解しております」
「つくづく腹立たしいわね、あなたは。私をからかっているの?」
「遂に苛立ちを直接口に出されましたか。私の勝ちです」
「何の勝負よ!」
「そして声をお荒げになりました。二連勝です」
無表情なサンパギータの口から発せられた言葉に、二葉は思わず叫ぶ。年上故にクラスメート達には上から余裕の態度で接してきた彼女だが、所詮は十七歳の少女。サンパギータにはいいように遊ばれている。
「鉄仮面のくせに、随分とお茶目なのね」
「そろそろヴァーグリッド様がご到着なられます。姿勢をお整えください」
二葉の指摘を受け流し、二人のサンパギータはピシリと馬鹿丁寧と言えるほどに綺麗な姿勢で直立する。つられて二葉も思わず姿勢を整える。やがて、二人のサンパギータを従えたヴァーグリッドが上の階段から降りてきた。二葉はサンパギータを鉄仮面と揶揄したが、ヴァーグリッドは黄金の仮面を頭に被っている。そして、それと同色の鎧を身に纏い、マントをなびかせていた。その仮面の中からは、気品に満ち溢れた声が発せられる。
「話は聞いたぞ、フルハタ・フタバ。バーバリーの為の薬を持参しているそうだな」
「はっ……」
名乗った覚えが無いにもかかわらず名前を呼ばれたことに二葉は戸惑う。しかし、それもサンパギータに知られたのだろうと考える。彼女の中途半端な返事に、ヴァーグリッドの右にいるサンパギータが口を開く。
「ヴァーグリッド様の御前です。明瞭に答えなさい」
「はい、ヴァーグリッド様の言う通り……仰る通りです」
サンパギータと話していた時の様にタメ口で話そうとしたが、そのサンパギータに、否サンパギータ達に睨まれ、敬語で言い直す二葉。今まで無表情だったのはこのギャップを演出するためなのだろうかと彼女は思ったが、よく見れば表情自体は変わっていなかった。全く同じ顔が四つあるというのは改めてみると不気味だな、などと考えていると、ヴァーグリッドの左のサンパギータが鋭く告げる。
「ヴァーグリッド様を目の前にして他のものに意識を移すとは、如何なるつもりでしょうか?」
「構わぬ、サンパギータ。さて、フルハタよ。そなたは余を欺こうとしているわけでもあらぬようだ。見せて貰おう、その特効薬とやらを」
「どうぞ」
サンパギータを嗜めるヴァーグリッドが無意識に放つオーラは二葉を威圧する。しかしそれに動じず、二葉は小瓶を渡した。
「なるほどな……これは、どうしたものか」
小瓶をまじまじと見るヴァーグリッドに二葉は疑問を持ちつつも、口を挟まない。四人のサンパギータ達は彼の言葉の意味を把握しているようだった。それを察したのか、ヴァーグリッドは二葉に声を掛ける。
「すまぬな、客人への配慮が足りなかったようだ。ましてや、バーバリーの恩人となり得る者相手に」
「いえ、お気遣い感謝致します」
「良い。……そうだな、実際に見せるとしよう。その方が話が早い」
頭を下げる二葉を制したヴァーグリッドの言葉にサンパギータ達が疑問を抱くことは無い。彼女達は決して主の言葉に対して自分の意見を持たない、イエスマンである。他の魔族であれば、初対面の人族である二葉をバーバリーに近付けるなどという言葉に少なからずの反応を見せたであろう。ヴァーグリッドが踵を返し、その両脇に二人ずつサンパギータを従えて歩く。二葉もその後をついていく。やがて幾重にも鍵が掛けられた部屋の目の前にたどり着く。
「フルハタよ。これよりバーバリーの姿をそなたに見せる。だが、決して驚くな。反応するな。そうだな、念の為に諸手で口を押さえておけ」
「わかり……ました」
釈然としないまま、二葉は言われた通りにする。それを確認したヴァーグリッドが鍵を開錠し、サンパギータが四人がかりで鈍重な引き戸を開いていく。その先に広がる光景に、二葉は絶句する。
「……」
静寂に包まれたこの部屋は、城内でも高部に存在するにも拘らず、一面に水が溜まっており、それはさながらプールのようだった。四方を無機質な壁に囲まれた、無機質な印象を与えるプールである。この水は特殊な液体で、バーバリーの体を維持しているのだろう、と二葉は考える。
「いいえ、違います」
例によって心を読んだサンパギータに、二葉はドキリとする。口を押さえていろと言われたがいつまで続けるべきなのだろうか、と思いつつ、しかしよく考えれば声に出さずとも質問は出来る事に気付き、実行する。
(どういう事でしょう?)
「こちらが、バーバリー様です」
その答えに二葉は、頭上に疑問符を浮かべる。バーバリー・シーボルディは神代怜悧と瓜二つの姿だと聞いているが、その姿は見当たらない。そんな彼女の反応を楽しむように、別のサンパギータが答える。
「この水溜りこそがバーバリー様でございます。そして、これが原因不明の病による症状です」
二葉は理解を放棄した。