豹変
オーベロンはその場から消え、そして現れると同時に煉達の中の誰かに攻撃を加えるという行為を繰り返していた。
(まずい……奴はかなり厄介だ。こちらに攻撃が許されず、しかし向こうは攻撃し放題。ここは撤退すべきか)
そこまで思考して、煉は歯噛みする。
(だが、ここで俺達が逃げれば、奴は追ってくる。そして、その先にいるあの魔族――コーラムバインを巻き込んでしまう。流石にそれは目覚めが悪い)
最初の扱いの悪さはどこへやらと、煉はコーラムバインを気遣う。
(そもそも、瞬間移動――では無いにしてもそれに近い何かを使うアイツに背中を向けるのは愚行だ。ならばどうする? 仕方ない。少々危険だが――)
決意した煉は仲間達に向けて言う。
「お前達、今すぐに洞窟に逃げろ」
「お前はどうすんだよ」
「すぐに行く。少しだけ待て」
言葉を返してきた創平に煉は言う。どこか不思議そうな表情をしていたが、煉の決意を感じ取った小雪に言われて、創平達は洞窟へと向かう。その最中にも、オーベロンの攻撃は幾度となく襲う。その攻撃力は中々のもので、体力をごっそりと奪う。それでいて、反撃の機会は得られない。創平の『返し』は自動的には発動せず、相手の攻撃するタイミングが分からなければ使えない。小雪や二葉の能力も、効果適応範囲から相手が逃げ出せば意味が無い上に、適応範囲を広めてしまえば味方にも被害が及んでしまう。フレッドはオーベロンの嫌がる音の周波数を探っているが、なかなか見つからない。
そんな状況の中、煉は皮肉気にニヤリと笑う。
「どうした、劣等種族。そうやってコソコソするしか能が無いのか」
それは挑発だった。オーベロンが人族を見下している事は誰が見ても明らかだった。だからこそ、その対象からの挑発は効果てきめんだった。次に彼が現れたのは、煉の正面。
「黙れえええええええええええええええええ!」
怒り狂ったオーベロンを、待ち構えていた煉の二本の剣が迎撃する。
「ふん、単純な奴だ」
煉は眼にも止まらぬスピードで、剣を自在に振り回しオーベロンを斬り刻まんとする。だが彼には違和感があった。
(おかしい……手ごたえが無い)
剣がオーベロンに触れている感覚は彼にもある。だが、ダメージを与えらている様子が無い。しかし手を緩める訳にも行かず、剣は動かし続ける。
「ぬるいなああああああ、劣等種族ぅぅぅぅぅぅぅ!」
オーベロンは興奮した様子で告げる。そして、高速で動いていた剣が砕け散った。
「なっ……!」
「お前のようなふざけた存在が舐めた口を利くなぁ!」
怒りの叫びと共に放たれる鉄拳は、煉の体を大きく突き飛ばす。
「ぐうぅ……!」
激痛に吐血しながら、煉は呻く。未だ宙を飛ぶ彼の頭上に現れたオーベロンは、そこにかかとを落とす。
「がはっ」
「どうしたぁ! もうくたばるか!」
かなりの勢いで石の床に激突する煉に気を緩めず、オーベロンは罵る。そして両手の拳を握り、ラッシュする。
「ぐっ……、ぐぁっ……!」
「煉!」
煉の様子を見るために戻った創平が、その惨劇に思わず叫ぶ。煉は彼に、自分に構わず逃げるよう叫びたかったが、そんな余裕はない。
「オイ、そこのクソ妖精! そんな奴ほっといて俺のところに来やがれ!」
創平は叫びながら走る。他の者達も同じく走る。だが、先程の煉の言葉に我を失っているのか、彼らの事など眼中にない。
「さあ、詫びろよ! 卑しき種族の分際で俺に言った言葉について詫びろよ!」
殴り続けながら、オーベロンは怒鳴り付ける。煉はなすすべもなく殴られるだけである。身体もまったく動けない。
「このおおおおおお!」
その叫びは、翼を必死に動かしてオーベロンに突っ込むマリアのものだった。彼女の体当たりはオーベロンに多少のダメージを与え、興味は逸らされた。
「スクルアンか。お前はこの人族の肩を持つと言うのか?」
「レンは特別だ! 絶対に殺させない!」
「スクルアンにしては中々強いようだ。まさか、人族と契約を結んだか?」
オーベロンはどこか軽蔑するような表情でマリアを睨む。契約を結んだ妖精族は、契約者のステータスを自分のものに掛け合わせた数値がステータスとなる。それによりマリアのステータスはかなりのものであるのだが、にも拘らずオーベロンにダメージを与えられていない。そこでマリアは有る考えに至り、混乱する。
「まさか……あなたも!?」
その言葉にオーベロンは笑う。
「ふはははははは! 情けない、実に情けないぞ! このような劣等種族にすがるなど恥さらしも良いところだ」
「でも……それならあなたは!」
「ああ、お前が何に戸惑っているのかは分かるぞ。契約を結んだ自分と比べて、俺はあまりにも強すぎる。俺が妖精王だという事を差し引いてもな。自分と張り合うには契約を結ぶ以外にはありえない。しかし、契約を結べるのは人族だけだと言われている。そして、俺が人族などと契約を結ぶはずがない……それを踏まえた上で、お前の仮説を言ってみろ」
あからさまに見下した態度で、オーベロンは質問する。マリアは戸惑いながら答える。
「人族以外の種族と契約を結んだ……?」
「御名答。人族のような劣等種族ではなく魔族とな、契約を結んだんだよ」
オーベロンはマリアに蹴りを入れる。その重さにマリアは尋常でないほどの衝撃を受ける。
「があぁ!」
「この、恥さらしが! よりによって人族と契約を結ぶなど……奴らがどれほどまでに卑しく、浅ましく、恐ろしい存在なのか知らないはずもないだろう! ふざけるな……ふざけるな、ふざけるな!!」
「やめ……ろ」
何度もマリアを殴るオーベロンを見て、満身創痍の煉がやっとの思いで声を出す。だが、その声は届かない。このままでは、マリアが死ぬ可能性もある。それだけは、阻止したいと思った。
(動……け、俺の体……)
朦朧とする意識の中で、煉は自分の体に鞭打つ。だが、異に反して体は動かない。
(くっ……動、け…………!)
彼の視界には、オーベロンの圧倒的な強さの前に何も出来ないマリアの姿がある。彼の仲間達が魔術を撃とうとして、しかしマリアを巻き込んでしまうと逡巡しているのが見える。他にも走っている仲間がいる。
(ま、ずい……)
焦燥が煉を襲う。自分が何も出来ないまま、仲間が危険な目に遭う事が許せない。彼が自分に怒りをぶつけようとしたその時――――
「ぐっ、ぐああああああああ!」
その叫びはオーベロンのものだった。彼は突然自分の耳を押さえ、地面を転がる。マリアも耳にわずかな不快感を覚える。そして彼女は仲間達――フレッドに視線を向けた。
「何とか、上手くいったネ……。ソーリー、マリア。本当は彼だけに影響を与える音を出したかったんだケド」
フレッドはマリアに近付こうとして、しかしそれをやめつつ謝罪する。妖精族でも種族によって苦手な音は違うのだが、それでもオーベロン達ノレボとマリア達スクルアンの苦手な音の周波数は近かったようだ。マリアにはフレッドの謝罪に答える元気がなかったが、心の中ではフレッドに感謝していた。
「煉!」
「煉君!」
創平と小雪が、煉の元へと駆け寄る。視界が霞みながらも、二人の顔が見えた。特に小雪が泣きかけているのが分かる。
「二人とも……」
「何も言うな。ったく、無茶なことしやがって。帰るぞ」
創平は問答無用で煉を背中に背負う。彼自身もオーベロンの攻撃をある程度受けていたが、それはおくびにも出さない。
「ヘイ、フェアリーキング。ここは撤退することをオススメするネ!」
未だ悶え苦しむオーベロンに、フレッドは勧告する。オーベロンはそれを睨み付ける。
「くっ……黙れ、卑劣な種族が! ぐぁっ!」
オーベロンが叫ぶと、フレッドは音量を上げた。
「もう一度言う。撤退することをオススメする」
フレッドはいつもの陽気な話し方をやめて、冷たく告げる。そして、地べたで苦しむオーベロンを見下す視線を投げ掛ける。
「くっ……あぁっ!」
「そうか、悔しいか。見下してる種族を目の前にして無様にバタバタするしか出来ない自分が情けないか。安心しろ。今回だけは、キミを見逃してやる」
「フ、フレディ……?」
豹変したフレッドの様子に、静香は戸惑いながら声をかける。するとフレッドはハッとする。
「オー、ソーリー。ミス・ナミキ。怖がらせちゃったかナ?」
「う、ううん。そんなことないよ!」
静香は慌てて取り繕う。そんなやり取りの裏で雑音を聞いているオーベロンはフラフラと立ち上がる。
「この……!」
「安心してくれて良いヨ。キミがボク達に何もしなければ、ボク達も何もしない」
フレッドは語調を明るく戻して言った。オーベロンは彼を睨み付ける。
「覚えて……いろ。この屈辱は必ず……!」
オーベロンは地下牢の外へと向かっていった。それを見送って能力を解除し、創平が煉を、小雪がマリアを背負っているのを確認し、フレッドは言う。
「じゃあ、帰ろウ! ここはとてもデンジャラスネ! 今のボク達にはまだまだ早かったみたいだネ」
その言葉に一同は頷く。この場では煉とマリアが重傷で、それ以外のメンバーは軽傷といったところだ。ロウンも外傷は煉達に比べればそれほどない。全員の様子を確認していた静香はあることに気付く。
「あれ、振旗さんは?」
振旗二葉の姿がそこにはなかった。