サリエル・レシルーニアの暗躍
聖騎達がラフトティヴ帝国にいる一方で、サリエルも自分の仕事に務めていた。メルン・ラクノンの直属の臣下となっている彼女の仕事は、リノルーヴァ帝国内でのメルンの地位を確立させるための工作活動である。そして彼女はその身一つで、もはや数少ない、ラクノン家の配下にない勢力であるシノード家の領地に赴いていた。元々この辺りの地域では目撃例が無く、しかもそれが美しい容姿であることから、老若男女問わず虜にしていた。
「妖精さん、ダイバン様のお屋敷はあっちだよ!」
「あら、ありがと」
領民である幼い少女が、領主の屋敷の案内をする。それにサリエルが礼を言うと、声を掛けられたあまりの嬉しさに少女はうっとりと呆けていた。サリエルはウインクを残して屋敷へと飛んでいく。
「こんにちは、あなたのご主人様に用があって来たんだけど」
「は、はい。少々お待ちを」
やがてサリエルは屋敷内の客間に案内される。そこには既に領主の、ダイバン・シノードが待っていた。
「初めまして。お招き感謝するわ。私はラクノン家に仕える、サリエル・レシルーニア。よろしくね」
「よろしく、サリエルさん。私は妖精族を見るのが初めてなんだが、想像以上に美しい……おっと失礼。私はダイバン・シノード。この辺りの領主をさせて貰っている者だ。とは言っても、君はそれを知った上で私の所に来たんだったな」
ダイバンは人の良さそうな笑みを浮かべて挨拶する。サリエルも妖艶に微笑みながら口を開く。
「ええ、単刀直入に言うけど、ラクノン家への無条件降伏をお願いしたいの」
その言葉に、ダイバンの眼がスッと細められる。
「ああ、やはりそう来たか」
「別に悪いようにする気は無いわ。あなたも、あなたの民も、私の主の名の下に守るつもりよ」
「フン、あのギザ・ラクノンの悪名は有名だ。私の妻や娘を寝取るのであろう?」
ダイバンは皮肉気に笑う。だが、その眼は笑っていない。サリエルもその反応は予想の範疇だったのか、特に態度は変えない。
「私の主はギザじゃないわ。その娘のメルン・ラクノンよ。そして――」
サリエルは声を潜め、ダイバンに顔を近づけ、小声で言う。
「私達はいずれ、クーデターを起こそうと考えている」
自分の心臓が高鳴るのをダイバンは感じる。ギザはリノルーヴァ内では圧倒的な権力者にして、絶大な武芸の達人である。そんなギザを倒して自らが王座に立とうするなど、困難を極めているだろうと彼は思う。
「正気で言っているのか……?」
「ええ。メルンちゃんは心身ともに強くて、可愛くて、カリスマが有って、今の戦争に勝利する事では無くその先を見据えている、統治者として相応しい人物よ。私はそんな彼女の為に動いている。あのパラディンも、メルン派の一人よ」
パラディンの名と武勇伝は彼の耳にも届いている。恐ろしく強い魔術師でありながら、敵を回復させるという慈悲も持つ神の様な人物であると聞いている。
「パラディン……」
「でも、一つ問題があるの。メルンちゃんは確かに民からの人気が急上昇してる。でもね、精々小さな領地をちょっと治めてたことが有るくらいで、政治の経験が圧倒的に少ない。そして私もパラディンも同じく政治なんて出来ない。そこで、あなたに頼みたいことが有るの。まあ、これが本題なんだけどね。ダイバン・シノード、あなたには、女帝メルンを象徴とする新帝国の宰相をやって欲しいの」
「象徴……新帝国……どういう事だ?」
耳慣れない言葉にダイバンは戸惑う。現在のリノルーヴァの実質的支配者であるギザ・ラクノンの配下が来たと思いきや降伏しろと言ってきて、そのギザを倒し新たに生まれるであろう国の宰相になれなどと言われても、戸惑うほかない。そもそも話が上手すぎる。
「象徴って言うのは文字通りよ。国の顔になって、民を引っ張るの。それを支えるのがあなたの役目よ。新帝国っていうのも大したことじゃないわ。メルンちゃんがこの国を手に入れた暁には、別の名前を新たにつけようとしている。ただそれだけのこと」
「ふむ……、だが、私に宰相など務まらない。他に相応しい者がおるのではないか?」
「いいえ、私達はこの国各地の領主達を徹底的に調べた。その結果としてあなたが最も相応しいと結論したの。ここの領民たちもみんなあなたを慕っている。税制も上手く行っているようだし、兵士の訓練もそこそこ行き届いてる。あなたの能力はこの狭い領土だけに留めておくにはもったいない。あなたは大国を治める器よ」
「買いかぶり過ぎだ。私は君が思っているほど有能ではない」
「まあ、すぐに結論を出す必要は無いわ。そうね……五日後にまたここに来る。その時までに良い返事を用意してくれると嬉しいわ」
それだけ言ったサリエルは部屋の窓を勝手に開けて、そこから飛び立っていく。ダイバンはそれをぼーっとしながら眺める。漆黒の翼をはためかせ、銀の髪を揺らして空を舞い上がるその光景は幻想的であった。サリエルの姿が見えなくなるのを確認すると、ダイバンは深くため息をつく。
「ふぅ……。随分と過大評価されたものだ」
彼には元々、リノルーヴァを統一しようなどという野心は無かった。ただ自分の領地内で、他国とそれなりに関わりつつ、平和に暮らしていければ良いと考えていた。彼は自分の子供達からの尊敬も集めており、特に長男は度々、彼にこの国の戦争に参加して、統治者となって、リノルーヴァ全土の民達を導いてほしいと進言していた。だが、戦争を好まない彼はその意見をやんわりと退けた。しかし、長男の中にくすぶるダイバンへの思いは消えることが無かった。
「メルン・ラクノン、パラディン、そして……サリエル・レシルーニアと言ったか? 誰も彼も謎が多すぎる。そもそもにしてメルンという人物が女帝になるに相応しい人物なのか、そこが疑問だ」
ダイバンは椅子にどっしりと腰を下ろす。でっぷりと太ったその体型は、彼が戦場に立っていない事を想わせた。軍事に関しては、彼の次男がそれなりに才能を持っている。この国の兵士をまとめているのも基本は次男だ。長男は内政、長女はその補佐、他には農業の知識に秀でていたり、民からの人気があったり、料理が得意な者などもいる。とりあえずは彼らを集めて意見を聞くのが最優先事項だと考える。サリエルとの会話で気疲れした老体に鞭打って、彼は歩き出す。