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夏の日  作者: 柳岸カモ
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第四話


庭の緑が美しい。

私は拾った洗濯物を抱えて、また縁側に戻った。

そっと腰掛ける。そして洗濯物の山にどさっと倒れた。硬く乾いた洗濯物が、音なく潰れるのを感じる。うにゃうにゃと動いてみる。まるで、海の中みたいだ。


海。

潮。

魚。


ああ、消えたい、消えたい。

でも、生きていたい。


縁側は涼しい。こうしているだけで、時が止まったみたいだ。

私はきっと幸せだ。明日のことを考えるのはやめようか。そうだな、今のことも全て幻にしよう。過去のことは、もう捨ててみようかしら。私は、もう私ではないことにしたらどうだろう。全部できたら、このままぐっすり眠れそうだ。



「こら、そんなところで寝てちゃ、洗濯物しわしわになっちゃうよ。」

 腰の曲がった祖母が近付いてきたので、そこで幻想が途絶えた。

「うーん…」

薄目で、祖母を見上げた。影と皺が交じり合った顔を見ると、なんだかやるせなくなる。

「ほぉら。おきな。たたむから。」

 祖母の手が、私の頭を撫でる。


「うん」

私は体を起こす。山盛りだった洗濯物はすっかり潰れてしまっていた。祖母は手際よくそれらをたたんでゆく。

ジーワジーワとセミが鳴きはじめる。風がやんだせいだろうか。


「今日はあっついなあ」

「うん」

とんとん、と足をならして、首に巻いたタオルで汗を拭きながら母がやってくる。

「なにしてんの?」

「うん」

 にやにやしながら私は洗濯物を一枚つかんだ。

「うん、じゃわかんないでしょ」

 祖母が、洗濯物、と言った。

「たたむんでしょ。手伝うよ」

母も縁側に来て座った。洗濯ものを見て一言、「ひどい皺になってるね」。

それを聞いて、くく、と祖母が笑い出す。

「何、気持ち悪い」

母が祖母を訝しげに見る。

「あたし。上に寝てたの、さっきまで。」

 と、それに答えたのは私だった。もちろん私も笑っている。それを聞いて、母がこちらをくるっと見た。

「うそ」

「ほんと」

また、にやっとして母をみる。

「もぅ、皺になるじゃない。」

 露骨に嫌な顔をする母をみて、わたしは「いいじゃんか」と少し拗ねた真似をした。

母は神経質だ。おおらかに物事を運べない。

でも、そういう人も時には必要なのだ、と祖母がいっていた。


「お母さん、手、動かして」

 祖母が粛清した。もう、といって母は手を動かし始める。

「母さん」

「何」

まだ少し怒っているようでそうでもない母は、もくもくと手を動かしている。

「なんか、海に行きたくなった」

「海?」

手を止めずに首をかたげた母の顔が、ひどく老いてみえる。「海ねー懐かしいねぇ」母は、昔を思い出したのか、優しく笑った。




 

今になって思えば…父の残したものはまるでなかった。お金もなければ、希望もない。ただ、そこには絶望と疑問、おまけに未来への不安まであった。

これが現実――ぐるぐると頭がまわった。これでいいのか。私は生きていていいのか。いやまて、私はなぜこんなに苦しんでいるのだろう。私は一体、どうしたいんだろう。



 二階から降りてきて、さて居間で休もうかと中をのぞいた。薄暗い中、母が足を投げ出して座っているのが目に入った。三回忌を終えたことで安心したのだろうか、ずいぶんと落ち着いて座っているように見える。テレビの前に陣取って、扇風機を回しながら煎餅をかじっている。母からテレビへと一瞬視線が動いて、また母へと戻す。


「お母さん」

母はテレビの画面から目を離さず「なあに」と答えた。その後私が何も言わずにいたので、黙ったままの時間がしばらく流れた。ただ、母が煎餅をかじる音が居間に響いている。その脇で、私は立ち尽くしている。

「煎餅、まだある?」

「あるよ」

母は素っ気なく答えたけれど、実は泣いていることが私にはわかっていた。私も、すこし泣いていたから。

テレビの画面には吉田拓郎が映っている。「旅の宿」を歌う拓郎。父の好きだった歌。くっきりと父を思い出させた。今日一日考えても考えても浮かばなかった父の姿が、今になって鮮明に大きく動き出す。


「もらうね」

菓子器から煎餅を取りだす。それから扇風機の設定を「弱」から「強」に変える。そして煎餅を齧る。がしゃがしゃと、できるだけ大きな音をたてて食べる。母ははらはら泣いて、私は煎餅を噛んだ。噛めば噛むほど味が出るはずなのに、カンパンでも食べているのかと思うほど味がしなかった。

しばらくたって母が扇風機をブチンととめた。そして両の手で顔を覆いながら、おいおい泣きだした。

私はたまらずにテレビを消した。半分食べた煎餅を菓子器に戻し、居間を出た。


 

 †


洗濯物をたたみ終え、私はすることがなくなった。もう今日は洗濯をしないらしい。


庭を踊るように歩く。

洗濯物をたたんで、日が沈んだらまた干そう。くりかえしているうちに、まるで違う世界にいける気がしてならない。どれもこれも叶えられそうにないから、呑気に考えていけることばかりだ。


また明日、洗濯物を干して取り込んで、たたんで、また干そう。

きっとわたしは、こうしていてもいいはずだ。

消えてしまいたい。でも、やっぱりまだ、こうしていたいから。


                 



<終>


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