第三話
3
洗濯物が飛んでしまうのに…
けたたましい黒電話の音に、苦虫を噛みつぶした顔をして居間をのぞきこむ。しばらくなったが鳴り止まない。しぶしぶ土間に上って電話に出ると、間違いだったのかブツリと向こうから切られた。
間違いか…なんだよ、と忌々しい気持ちでまた庭に出る。洗濯物が飛ばされてしまうという思いが、足にサンダルをつっかけさせる。そのまま走って庭に出る。
乾いた洗濯物たちは、まるで生きているように踊って、飛んでいた。それを追いかけながら夏の庭を走る。暑いが、今日はいい風が吹いている。
どうして悲しいはずなのに嬉しいのだろう?
なぜ涙が出ないのだろう?
洗濯物を掴んで、母のことを思った。
母は、私を憐れに思ったに違いなかった。そして自分が一番みじめだとも思ったに違いないだろう。母は憐れな女だ。そして、そんな風にしか思えない自分が最も憐れだとも思う。
硬いタオルをつかまえた。
「あとはあんたの好きにしていいからね」
母の言葉が脳裏をかすめた。でも、またすぐに消すことができた。
洗濯物はこれで全部か、と庭を見渡した。他にはないようだ。今日は風がある。もしかしたら夕立が来ないかもしれない。夜、また洗濯できる。
足元にあった小石を、思い切り蹴飛ばした。
†
一時間ほどで焼きあがった父は、立派な骨になっていた。白い台の上に乗った骨は、絵に描いたように骨らしくあった。ところどころに白ではないところもあるけれど、ちっとも気にならない。背骨、頭蓋骨、それに骨盤。大きな骨たちは石膏のようだ。
箸渡しで骨を拾う。長い箸で拾ったのに、台に顔を近付けたせいで熱くて焼けるように感じた。
「これ、目ですよ」坊さんがそう言って、白い玉をころんと箸で突いた。「拾って、その小さい方の壷に入れてください。」
そっと箸でつまんで持ち上げるのが、食べ残しの魚の目の玉をつまんだ時のような感覚であった。父は、もう完全に肉体を失った。それに対しては別段怖いとも思わず、また悲しいとも思えなかった。物質的に父は消えてなくなっていただけのことだ。
骨とか別にいらんわ…と呟いた。一人言のつもりが、めざとく聞いた祖父の視線がすこし痛かった。
やがて箸が順にまわって、骨壷が完成した。姉と受け取って持ち帰り、自宅の仏前に供えた。また何もかも、今までのことが嘘に思えて泣けた。
†
石は思ったほど飛ばず、ころころと土の上を転がって緑の草の中に消えた。どこにいったかと草むらをのぞくと、探していた靴下の片方があった。つかもうと腰を曲げる。
全部幻かもしれない。しばらくはそう思っていた。それを確かめようと父の部屋のある二階へ上がったりしていた時期もあった。当たり前だが、父はいなかった。骨揚げの日は、確か、父が最後に着て脱いでいった服が、無造作に床に散らばっていたっけ。本当に死んだ時着た服は、病院で死亡が確認された時に受け取って処分していたはずだった。だから目に入った服をみて、「これも処分せねば」と咄嗟に思った。でも、同時に「できないな」と思った。汚らしく思ったからだろうか。あの時の感情をどう表現したらいいのか、いまだにわからないでいる。
腰を伸ばして、そのまま天を仰ぎみる。白い太陽は四方八方に光線を出している。立ちくらみ…頭と目がジーンとした。