世界の片隅でmineと叫ぶ
世界の片隅でmineと叫びましょう。
mineはクッキンアイドルではないです。『わたしのもの』だ! です。
あなたがある作品の作者である場合。
例えばそれが、アニメ化(あるいはドラマ化)して大成功した場合。
あれは、俺が考えた! 俺の作品だ!! と声高に叫ぶでしょう。
もし、その作品がアニメ化(実写化)したからこそ成功していたら?
アニメ化(実写化)によって、変更された設定やストーリーが成功の理由だったら?
アニメ(ドラマ)経由で沢山の人が原作を読んで、
「なんだ! アニメ(ドラマ)はあんなに面白かったのに、原作はちっとも面白くない!」
とか言う意見が沢山聞こえてきたら?
まあ、普通はまったく受けなかった作品(小説とか漫画とか)ってメディアミックスされませんよね。
仮にです。チラシの裏にあなた(わたし)は物語を書きました。誰に見せるつもりもありませんでした。
突風が吹いてチラシを大空高く舞い上げます。チラシはぐんぐんと遠ざかり、とある監督(アニメでも映画でもなんでもいいですが)の元へと届きます。偶然にも。
さて、その物語はその監督さんが見ても面白いものではありませんでした。
ですが、そこからアイデアが広がりました。
ごく一部の設定やキャラクターの名前ぐらいを残して別の物語にして制作することになりました。
さて、この監督さんはごく一部の設定だけを残して、それ以外は一から自分で考えても良かったのですが、奥ゆかしい人で、探偵を雇ってチラシの書き主を探しました。
一応、チラシの持ち主は見つかって原作者として扱ってくれることになりました。
ここで問題提起です。
原作とはなんでしょう?
一体、原作とその派生作品と何%が一致していたら同一作品と呼べるのでしょうか?
『あかずきんチャチャ』や『セーラームーン』は、よく原作とアニメは別物だと言われています。
エヴァンゲリオンのように、一旦最終回を迎えてから、やっぱりやり直し! と改めて作り直される作品もあります。
物語が同一であるかどうか? それは誰にもわからない。言い方を変えると人それぞれでの解釈がある。
であれば、原作と派生作品にも同じことが言えるでしょう。
奥ゆかしい監督が、原作を尊重すればその原作は原作となり、いやいや、ほんのごく一部の設定は流用したけど、他はオリジナルだから、原作なんてないよ! と言い切れば、それは原作ではなくなるということ。
ということで、視点を変えます。『物語』と『作品』は違うということ。
そんなこと言われなくても、わかってる! という声も聞こえてきそうですが。
相手に伝えられる形になった『物語』は『作品』になったと定義します。
さて、ビデオ(今でいうとブルーレイディスク)などに収まったものは明らかに作品ですね。これは、基本的に変更されません。
毎週連載される週刊誌に掲載された漫画も作品です。これも基本的には変わりません。 新聞連載や雑誌連載の小説もそうです。
ですが、映画やドラマでも、ディレクターズカット版などと言うのもありますし、連載漫画でも連載小説でも、単行本として纏められる時などに修正が加わることも多々あります。
一旦、本としてまとまっても、時代の変化に合わせて改稿されたり、文語調から口語調へと変換されたり翻訳されたりします。
作品にはバージョンがあります。書籍の場合は『第×版』とかの版数で表されたりしますね。
話を桃太郎に戻します。
あるお父さんが、子供に桃太郎を語り聞かせます。
1月1日に語られた桃太郎と、1月2日に語られた桃太郎は、ほとんど同じですが、少し異なります。
そりゃあそうでしょう。一言一句同じ話を繰り返すことの出来る人は限られてますし、時には間違うことだってあるでしょう。
桃太郎という物語は、毎晩毎晩少しずつ違ったバージョンとして、『作品化』されます。
本や、ブルーレイディスクのように、形として残る『作品』バージョンではないですが、これだって立派な『作品』でありバージョンです。
元々物語は、石版に残されたり、文字として書き残されたものではなく口承されるものなのですから。
お父さんはちょっと変わった性格をしていて、毎晩毎晩、桃太郎のお話にアレンジを加えていきました。
最終的に、桃太郎は宇宙コロニーに住んでいて、たまたまジオン軍が攻めてきて白いモビルスーツに乗って戦うことになった話に変わっていました。
桃太郎は何時から桃太郎ではなくなったのでしょう?
そんなことはどうだっていいです。
話を桃太郎から、あなた(わたし)の紡ぐ物語に変えます。
いえ、やっぱり例としてあなた(わたし)が桃太郎を文字にするところから始めましょうか?
桃太郎を連載しましょう。昔は、文芸部でもない限り、あるいは筋金入りのオタク? ではない限り、自身の『作品』を公開するなんてことはありませんでした。
学校の宿題で出た作文だって物語のひとつですし、作品だとは言えますが、あえて無視します。いや、どっちでもいいです。
なんかコネがあって、雑誌で連載できることになりました。
さらに、この世界には桃太郎というお話が存在しないことにします。存在はするのですが、誰にも知られていない。
例えばあなたが、田舎に帰って、押し入れを見たら、古文書があった。そこに書かれていたのが桃太郎というお話だという設定。
1話で、おじいさんとおばあさんが桃を拾うところを書きました。
2話で、桃から桃太郎が生まれるところを書きました。
3話で、桃太郎が成長するところ。
4話ぐらいで、犬と出会うところ。
そこで、担当編集者から指摘が入ります。その指摘はこうです。
「犬が喋るのはおかしい! あと、萌え要素が足りない」
そこで、仕方なく、犬をツンデレ美少女に変えました。
猿をクーデレ美少女に変えました。
雉はヤンデレです。
どうしてこうなった?