物語ってなんだ?
さて、物語を定義しましょう。
すごく面倒くさい作業です。
前回書いた、『ピークを過ぎた作品と如何に向き合っていくか』を考えるために必要なことです。
『作品』と表現しましたが、一旦『物語』と変換します。
ざっくり言うと、物語とは第三者へ向けて発信される登場人物の動きの流れとします。
極端な例で言うと、第三者の存在は無くても構いませんし、登場人物も存在しなくてもいいです。
小説でもアニメでも漫画でも普通は、多数の目に触れ、中では多数の人物が動き回っています。
ですが、誰も読まない(あるいは見ない)、誰も登場しないでも構いません。
時間の流れを記述すればそれは物語です。
時計が12時を指していた。
その後、時計が12時半を指した。
上記の二行でも物語です。あるいは時間の流れすら必要ないのかも知れません。
坊さんが屁をこいた。
一方そのころだるまさんが転んでいた。
これでも物語だと思います。
わたしは物語が物語であるためには、興味を惹く必要があると考えます。
『時計が12時を指していた』では面白くもなんともありません。
その後、12時半を指したことで一部の人の興味を惹きます。
時計の例では、ほとんどの人は興味を示さないでしょう。
ですが、仮に……、
時計の針は12時を指していた。
三十分が経った時、時計の針は11時半を指していた。
とすれば、『なんかおかしいぞ?』となるでしょう。
これに、物理現象などの説明を加えればSF的な物語になるでしょうし、殺人事件のアリバイに使えばミステリーになるでしょう。
さて、興味を惹く必要があると書きましたが、誰が何に興味を持つかなど到底わかりはしないです。
だから、とりあえず何でも物語だという乱暴な定義をしてしまいます。
人によっては、電車の時刻表を見て感動するでしょうし、九九の表を見てうっとりする人もいるでしょう。
ならば、それらも物語です。
辞書だって、教科書だって物語です。
情報はすべて物語足りえます。
『1+1=2』も物語であれば、『E = mc^2』も物語です。
ただ、そこに修飾がなされていないため、多くの人の興味を惹きません。
事実として見た時に意味があるために、『E = mc^2』などは多くの人に感動を与え、科学技術を進歩させてきました。
昔の人は『1+1=2』でも感動したと思いますよ。
最近の人は目が肥えているんです。
さて、次回は物語の同一性について語ります。ちょっと哲学的になってきました。
少し前のわたしのももクロの一押しの曲は『LOST CHILD』でした。