執筆のモチベーション
今後はいろいろなテーマに挑戦していこうと思っていますが、基本物書き(正確には物書き風)でありますし、折角小説家になろうというこの場所で綴るエッセイです。
書きたいこと、伝えたいこと、伝えるべきではないよな? と思うことが沢山ある執筆関連について、筆を進めて行こうと思います。
今回のテーマは執筆のモチベーションです。
はい。サブタイトルのとおりです。
さて、みなさんは執筆のモチベーションはどこに置いているでしょうか?
どうやって生み出しているでしょうか?
ちなみに小説を書いたことのない人は執筆をブログでもツイッターでもフェースブックでもなんらかの創作、文字を書くという作業に置き換えてくださいな。
それすらしたことのない人は、もうこの先読まないか、あるいは作者の人はこんな風に考えているんだなと思ったり、別の何かに置き換えて考えてみてくださいな。
何故書くのか?
大きなテーマです。
職業作家さんであれば、お金のため。
商業作家さんを目指す人であれば、デビューするため。
甘っちょろいことを言うと、人を感動させるため。
人の心を動かすため。
書くのが楽しい。
読まれるのが楽しい。
お気に入りに入れて貰えるのが楽しい。
わざわざ感想を書いてもらえるのが楽しい。
評価ポイントまで付けてもらえるのが楽しい。
出版社から出版の打診をして貰えるのが楽しい。
さまざまな楽しいがそこにはあります。
フラットな考え方に立つと、アクセスがあろうがなかろうが、高評価だろうが低評価だろうが。
書くのが楽しいから書き続ける。それが理想ではあります。
ただ人は言います。それならチラシの裏に書いとけよと。
ひとりよがりな小説なんて検索除外にしておけよと。
そうでしょうか? そりゃそうです。いやそうじゃない。
フラットな立場というのは穏やかで平穏ですが、それはまさに悟りの境地。
中には居るでしょう。なんの目的もなく、目標も無く、向上心すらなく。実験要素も無く。
ただただ、思いつくままに筆を走らせられる人。
ですが、多くの人はそうじゃない。燃料が必要なのです。
目的や目標、書き続けるためには気合が必要。
読まれた! お気に入りに入れてもらえた! 感想貰った!
人は一人では生きてゆけないものです。
一人でも生きて行ける万能な人間、多くの人に支えられて初めて生きていける人間。
どちらがより優れているかの議論はここでは置いておきます。
答えはありません。
謙虚、堅実をモットーに生きようが、傲慢、奔放をmottoに生きようが。
人間社会は多数決の世界です。
法や倫理は多数決で決められました。より多くの人間が、無事に無難に平穏に。
不幸を最小に、幸福を最大限に。
その時代時代の人たちが、その時代の常識に照らしあわせて正義を作ってきました。
法も倫理も正義も、時代とともに変わります。
今正しいと思われていることの全ては――あえて、全てと言い切りますが――、この時代、あるいはこの国においては、多数決で正しいとされていますが、ほんとうに正しいのかどうなのかは本来誰にもわかりません。わかるはずはないのです。
話が大きくなりました。大きくそれました。
次回は話を元に戻して、わたし自身のモチベーションについて綴りたいと思います。
ちなみに、明日はももクロちゃんのツアーの最終日です。