第4.5話 真実と約束
第4.5話 真実と約束
「いやあ、死ぬかと思いったわね~。何とかすれば何とかなるもんね~」
死闘を繰り広げた彼の地より数キロ遠く。その当事者たるエリシルは逃げおおせていた。とはいえ、エーテルはほぼ枯渇し、消し炭になった肉体は外見を装っているだけでマトモに動かす事もできない。つまりは死に体である。
「まさか、あんたがこんな小細工をするとわなァ。ガッカリだぜェ」
獣のように獰猛な響きの籠った青年の声がして彼女はそちらに視線を向けた。そこには行方不明になっていたレオの姿があった。彼はあの戦いを見守っていたのだ。そして今、彼は憤怒の形相を浮かべている。エリシルが戦いを汚し、彼はそれが許せなかったからだ。
「やっぱり生きてたのね。お互い無事で何より。ところで見逃してくれないかしら?」
「ハッ! テメェは俺の敵だぜ? しかも即殺しレベルのなァ」
「あら、昔はもっと仲良しだったじゃない?」
悪びれもせずに命乞いをするエリシルにレオは心から失望した。だから、彼は自分が何者かを示す事で、エリシルの無駄口を黙らせる事にした。
「ああ。成程ね。そりゃ私を一刻も早く処分しときたいわよね」
彼が呼び出したのは一対の車輪。それは白い炎を纏っている。今し方ソレに消滅させられかけたエリシルは、ソレを見ただけで彼の正体を理解した。
「じゃあな。あんたの事、嫌いじゃなかったよ」
レオが煩わしそうに腕を一振りすると、車輪は白い炎を引き、彼女を消し去るために駆け抜ける。動くこともままならない彼女は、ただソレが迫るのを見届ける事しかできなかった。己の運命を悟ったエリシルは残念そうに笑って終わりを受け入れた。
「待ちたまえ」
だが、その終わりは一振りの刃の煌きによって断ち斬られた。彼女を庇ったのは黒いロングコートをはためかせて現れたコジロウだった。
「あん? なんであんたが邪魔すんだ? 酒飲み友達の方が大事だってのかァ?」
「そういう訳ではない。だが、ここは私に任せてもらう。いいだろう? レオ君。いや、無価値な者ベリアルと呼ぼうか? どうしてもというなら相手になるが?」
およそ人間の物とは思えない強大なエーテルを放って威嚇するコジロウ。そんな彼にレオは肩を竦めて応えた。
「やめとくよ。魔王とはいえ、こちとら瓶に閉じ込められてからコッチ本調子じゃないんでね。だがな、落とし前はつけるんだよなァ?」
「勿論だ。その為に、彼女は逃げ、私が来たのだからな」
そう言ってコジロウはエリシルに向かってワインの瓶を投げた。彼女もまた難なくソレを掴んでラベルを見、大層嬉しそうにニヤケた。
「最高級のアンヌースじゃない? この年のが一番おいしいのよね~」
「これが最後だからな。つまらない味では終われんだろ?」
コジロウはもう一本取り出してニヤリと笑い、瓶を掲げた。
「直飲みなんて品が無いわね。でもソレがまたいいのよね」
彼女も瓶を掲げた。二人はコルクを瓶の口ごと斬り落とし、この煉獄で最高級のワインをラッパ飲みで煽った。レオは大酒飲み二人には付き合ってられないと、その場に腰を落として胡坐をかいた。焼け付くように暑い陽光がジリジリと差込み、蒼穹を一羽の鳥が大きく輪を描いて飛んでいる。雲はない。天は麗らか、地には飲んだくれが二人。少なくともこの場は太平であった。幸せはココにあった。
そして最後の酌は終わりの時を迎え、エリシルは晴れやかに笑った。
「いや~、未練ないわ。ねぇ、コジロウちゃん、二人に伝えておいてくれる。私は何の後悔もしていないから、自分を責めずにひたすら前に進みなさいって。それが私への追悼になるってさ」
「ああ、よく伝えておく。最後は私と酒を煽ってさぞ幸せそうに逝ったとな」
「意地悪ねぇ」とはにかんで天を仰いだ。輪を描いていた鳥は何かを見つけたのか、彼方を目指して飛んでいった。それを彼女は眩しげに見送った。
「じゃ、さよなら」
「ああ、さらば」長年の友人は短い言葉を最後に交わすものとして選んだ。
「介錯つかまつる」
二人がエリシルとの死闘を制したその夜。コナタの姿は喫茶店EAST RNDにあった。カウンター以外の照明が落ちた店内は、そこだけしか存在しないように浮き上がり、店内に静かに流れるピアノの音色は柔らかい倦怠感をもたらす。
「コナタさん。どうやら今回も悪巧みを成功させたようですね」
「あら、マスター。悪巧みなんて人聞きの悪い言い方しないで頂戴。私はただ、あの二人に成長するための試練を与えただけで、そうなるように少し細工をしただけだわ」
「よく言いますよ。その為に私の同胞が犠牲になったんですよ」
いつも通りの温和な表情を湛えるゼラだが、彼から流れ出る空気がコナタの皮膚を泡立たせた。しかし、そんな場にいながらも彼女は平然と紅茶を口にした。
「そうね。実際に様子を見に来るなんて、余程ユキミの事が気に入ってたのね」
「やはり計算の内ですか」
「可能性の問題だわ。私としては赤龍だけでもよかったのだけれどね。お陰で、二人には素晴らしい力となったわ」
「恐ろしい方ですね、あなたは。イグニートとお二人の対話に都合よく現れた彼、塔で仕掛けられた探知創術、あなたの差し金ですね」
「ええ。そろそろ二人を鍛えようと考えていた所に手頃な相手がいたから使う事にしたの。丁度、あの赤龍の子供を捕まえた上級悪魔が顔見知りだったから、呼び出して場をかき回してもらったのよ。お陰でいい塩梅になったわ」
「下手をすればあなたごと死んでいたでしょうに。そうまでしてお二人、いや、ユキミさんの力を高めたいのですか?」
「ええ当然よ。今の私たちは魔神としての能力は無いに等しいわ。呼び出せる悪魔だって直接接触できた者だけで、魔王は力の封印されたベリアルだけ。それでも、いずれは完全に目覚める日が来る。それまでにあの子の持つ聖性を魔性で掻き消さないと、物質界と同じ末路を辿る事になるわ」
コナタはユキミの悲惨な結末をいつか訪れるであろう未来に重ね合わせて唇を噛んだ。
「皮肉なものですね。主神との闘争を約束された悪魔の神サタン。その再誕者たるユキミさんの体が魔性を反発する聖性を持っているなんて。黙示録の刻まで時間がないというのに……困ったものです」
「そうよ。だから“力”たる私はその主たるユキミを守り、そして、全てを知り全てを能う者へと導かなくてはならないのよ」
「微力ながら力をお貸ししますよ。愚かな同胞たちが主神の蒔いた可能性の種を根絶やしにするのを防ぐために」
「勿論よ。だから、私はこうして、事のあらましを語りに来ているのよ。いつまでも信頼できるパートナーであるためにね。でも必要ないのかしら? 知識を与える者である熾天使のサリエル様には」
「その名と階級は既に捨てました。今はお客様とお話する事が生きがいのどこにでもいる喫茶店のマスターですよ」
「ただし、どんな物事もお見通しだけれどね」
二人は鼻で笑うと、芳醇な香り立つ紅茶を静かに味わった。
「ここはエデンの東。誰もが幸福を約束された楽園。ならば、これより東はないでしょう」
この日、ハルカは久方振りに自由とういう名の空気を肺一杯に吸い込んでいた。あの日、エリシルを己の決意で殺すと決めた日。彼がユキミの代わりに使った魔神の力は、魔性の副作用と重度の肉体損傷をもたらした。つまり、肉体のダメージの直りが生前と同じ程になり、その回復の為に一ヶ月のベッド暮らしを余儀なくされ、更に一週間のリハビリを必要としたのだ。そして今日、病人生活からようやくカムバックを果たしたのである。
久しぶりの外。空は高く青く澄み、熱波は地上の有象無象の温度を高で維持する。もう9月だというのに茹だるような猛暑日であった。遠くでは相変わらずの怒号と爆音が轟き、SFな効果音を出しながら近未来的な飛行機がレトロな戦闘機とドラゴンライダーに追いかけられ、終には撃墜墜落、ハルカの直ぐ前で爆発炎上した。
「まったく、相も変わらずのカオスワールドだな~……まったく」
すでに骨身に染み込んだ現実とはいえ、清々しい気分を一瞬で害されると悪態の一つも吐きたくなるのは仕方がない。
「で、今日の仕事は何だって、ユキミ?」
「……聖城からの依頼です。内容は天使襲撃事件の犯人捕縛」
「天使襲撃って、それはマズくねえか?」
「……はい。大事になる前に収拾させたいようですね」
「なら、さっさと行きますか」
ユキミはコクリと頷くと歩き出した。その横にハルカが並ぶ。時間は無いが、聖城に着くまでの時間ならある。ハルカはユキミに他愛も無い話をしようと思っている。
世は闘争と狂乱を繰り広げ、誰かが何かしらの理由で消えていく。そればかりか世界は理由も無く命を摘み取っていく。頼みもしないのに不運の輪に組み込まれる。
地獄か天国かと聞かれれば、どちらかと言えば地獄だと答えられるようなロクでもない世界ではあるが、それでも人々は適応し、もがき生き続ける。
ハルカもそうだ。直ぐ隣にある終わりの実感に脅えながらも日々を生きている。
なぜならば、彼にもなりたいモノや、なしたい事が少しは見えたからだ。
それを胸に歩き続ける。その命が再び終わりを向かえ、夢幻のように消え去るまで。
ただ、願わくば、彼女と共に歩み続けたいと想っている。
「なあ、ユキミ」
「……はい? 何ですか?」
「いつかこの世界の空の向こうでも見に行くか?」
「……なんでですか?」
「理由は無いさ。ただ、とても出来そうにない事を目標に掲げたくてさ」
「……そうですね。いつか行ってみましょうか」
「おう、約束だぜ」
「はい」