表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

第2話「灼熱と涙と覚悟」

第2話「灼熱と涙と覚悟」

 時は西暦201X年7月。風雲急を告げるは今この時。アマナシ・ハルカにとって大勝負が始まらんとしていた。

 時間は午前8時、麗らかな陽光が差し込む朝、ハルカとユキミの姿はビルに囲まれた空き地、訓練場にあった。

「今日もやってきました処刑場。今日はどんな地獄を見るのだろうな……」

 処刑場、それはハルカがここにつけた通称である。

 ハルカはここに来てからの二ヶ月間、砂漠のゲリラでもこれ程のスパルタではないだろうと吐き捨てたくなる様な訓練を受けてきた。一日12時間、そのほぼ全てがユキミとの一対一による模擬戦闘。サンドバックの如くタコ殴りにされるのは当然として、あらゆる属性の創術を叩き込まれ、描写するのも憚れるようなグロな状態になった事もあった。

 だが、今の彼にしてみれば、それは彼方遠い思い出のようなものである。昨日もボコられたが過去の話である。

なぜなら、今までと今日では意気込みが違うのだ。まったく違う! とは本人の談である。この二ヶ月間、食事、コジロウとの会話、ユキミの顔を眺める事、たまに出てくるコナタとの会話、これだけしか楽しみが無かった。あとは訓練漬だったのだ。

(だが、今日は違う。今日こそはユキミから一本とって外出許可を貰うんだよ)

 そう意気込みはしたが、それを誓ってから早1週間、そもそも、そのクリア条件で訓練を行っているのだから負けた回数はまさに星の数である。

(それでも今日こそは違うんだよっ!)

 最近のハルカの一番の心の潤いは食事であり、最早餌付けされているのではないかと思い到ったのが昨晩の事だった。このままでは番犬になること間違いなし。一刻も早く自由を手に入れ、そんな家畜根性から脱却しホモサピエンスとしての威厳を取り戻すために、本日の意気込みはマックスボルテージ、シャトル発射5秒前であった。

「……始めます」

 その一言が日常的虐殺ショーの始まりの合図であった。開幕早々にユキミは魔方陣を前面に展開。大技でハルカの一発KOを狙う。

(そうはさせねーぜっ!)

 もはや数えられぬ程叩き込まれた創術“龍吼”。魔方陣を形成し、大気中のエーテルを吸収、及び、術の発動の安定を行い、圧縮と反応によって高まったエーテルを現象に変換し照射する術である。ハルカはそれが最大威力で放たれた所を見た事が無いため、相殺を狙うのは難しい。それを承知している彼は、術の発動を阻止の為に駆け出した。

 旋風となりて地面を駆けるハルカ。龍吼にエーテルが収束され青白い圧縮光が昂ぶっていく。駆け抜けるハルカ、眩さを増す魔方陣。そして判断を下した。

(ムリッ! 絶対ムリッ! 避けるが勝ち!)

 ハルカは経験から術の発動の妨害を無理だと読むと、全身の力を込めて大跳躍をした。その高さは5メートルを優に越える。だが、ユキミの視線は決してハルカを逃さすに捉え、魔方陣に向けていた左手を空中にいるハルカへと向けた。するとその動きに従って魔方陣もハルカを捉えた。そう、あの魔方陣は空中に固定されているのではなく、彼女の意思で自在に向きを修正できるのだ。

「響け絶唱 轟け龍吼 “憤炎”」

 術の完成を告げる言霊と共に、彼女は握った拳を魔方陣へと叩き付けた。

 彼女の龍吼は異なる属性を発射のタイミングで選択できる。雷光が高速で直線に延びる“叫雷”に対して“憤炎”は射程距離こそ短いが、広範囲に超高熱をばら撒くという中距離一掃型の術である。つまり、逃げ場が制限されているここでは絶大な効果を発揮するのである。

 そして、魔方陣がエーテルを解放し地獄の炎が解き放たれた。吐き出された轟火は龍の吐息か。呪詛のように怖気の走る音を纏いながら大気を焼き尽くす。

 だが、それに安々と飲まれてゲームセットとなる訳にはいかない。ハルカはエーテルを足裏に溜めると、それを推進力に変化させ、そこから一気に飛び退く。

 矢のように打ち出されるハルカ。だが、それよりも早く、灼熱の大波が彼を飲み込んだ。あとは炭化した物体が残るだけか、と思えたが、ハルカは紅蓮の波から辛くも脱出してきたのである。飲まれたのが数秒ほどであったのが幸いし、防御壁を張って防ぎきれたのだ。

 とは言え無傷ではない。全身の所々が痛む。だが、今彼にとって重要なのは反撃である。

 彼は具現化した双銃“ヘンゼル&グレーテル”(ササキ・コジロウ命名)の銃口をユキミへと向けると連射。12.7mmの弾丸が得物を穿たんと空を駆ける。ハルカが一ヶ月に及ぶ訓練で得たことは死にたくなければ手を抜くなという事である。故に、最早ただ銃を撃つ事なぞシャーペンをノックするぐらいの気軽さである。

 ユキミは発砲されるや、即座に回避行動をとった。エーテルで強化された弾丸は、今の彼女でも風穴を開けるに足る威力を持っているのだ。

「ひゅー。流石だね」

無数に放たれた弾丸、その全てを走って避けきった。ハルカも命中するとは思っていない。あくまで安全に着地するための牽制に過ぎない。だが、その瞬間を待っていたのは彼だけではない。ユキミは彼の足が地面に着く直前、進行方向を彼へと向けると加速した。

「当然、そうきますよね!」

 ユキミの速度なら、彼に到達するのは刹那。だが、行動可能性をある程度絞っていたハルカは慌てることなく、次の一手を撃つ。それは彼の創術。彼はユキミの進行上の地面に銃弾を打ち込んだ。その上を彼女が駆け抜ける。すると、打ち込まれた弾丸の場所を中心に爆発が巻き起こり、地面が間欠泉のように吹き上がった。それこそがハルカの編み出した創術“陣破”、その効果は、地面に打ち込んだ弾丸を任意または特定条件で爆発させるもの。今、ユキミがそれを踏んだため、爆発が巻き起こったのだ。

 威力には自信が在り実践に使うのも初めてであった。故に切り札。そして、それが彼の油断の元でもあった。

 爆発によって巻き起こった土ぼこり。その中からユキミが飛び出してきたのだ。慌てて銃を連射するも、既に懐に入られた。ハルカは腹部を強化、次いでそこで爆発が起こったような衝撃が爆ぜ、一瞬にして彼の体は宙を飛び、反対側の壁へと叩きつけられた。

「いってーよっ!」

 視界が荒れた海原の上の船のように揺れているが、それでも構わず、されど狙って銃を連射、追撃を妨げる。だが、そんな状態で足止めできる程ユキミは温くない。その銃撃を容易く掻い潜るとハルカに迫っていた。

 踏み込みと同時に唸りを上げて放たれる蹴り、ハルカはそれをギリギリの所で左半身を引いて避けると、密着状態のまま左手の銃を彼女の頭に押し付けて撃つ。

 だが、弾丸が放たれる直前、彼女の姿が視界から消え去った。と同時に、ハルカは背中から地面に叩きつけられた。ユキミは一種にしてしゃがむと、彼の足を払い、倒したのだ。

 次いで、ハルカは自分の頭目掛けて迫り来る靴底を見た。頭がトマトのように無残な姿を晒すか、良くて気絶。それではまずい。彼は一か八かの賭けに出た。彼は地面に銃口を押し付けると引き金を引いた。直後、軽い爆発がハルカごとユキミを吹き飛ばした。まさに捨て身戦法。しかし、功を奏し、詰んだ状態から盤返しを行ったかのような状況リセットに成功した。

「……驚きました」

 お互いに構えを解かずに対峙する二人。その間には緊張感が張り詰め、はち切れる瞬間を静かに待つ。そしてどこか遠くで爆発音が響いた。それを合図に二人は地面を蹴り、駆け抜ける。ユキミは右腕にエーテルを溜め、ハルカは弾丸をショットシェルに変換しエーテルを込める。互いに次の一撃で仕留めるが必定。

 空縮によって加速された二人が交錯するまで一秒も満たない。遠距離武器の強みがある分ハルカが有利。彼は勝利への日射しを見た気分だった。あるいはその甘さが致命的だったのか。地面を一蹴りする瞬間にエーテルを加速に変える空縮において、跳躍中はその体を空中で留めておかなくてはならない。もしも足を地面につけようものなら、情けない末路が待っている。ハルカはそんな基本的ミスを犯したのだった。

 とたんバランスを大きく崩して体がこんがらがるハルカ。割を食ったのはユキミだった。彼女も止まろうにも既にどうにもならない距離。前方から錐揉みしながら吹き飛んでくる肉の塊。小柄な彼女はいとも簡単にそれに飲み込まれた。

「いててて……。俺としたことが、何て初歩的なミスを――」

 七転八倒それ以上に転げまわったハルカは全身の到る所で上がる激痛で意識を覚醒させた。ところが、彼は体の痛み以上に不可思議な感触が気になった。

 それはマシュマロのように柔らかいナニカが体の下敷きになっており、シャンプーの良い香りが彼の鼻腔をくすぐった。何ともいえない気持ちよさに飼い慣らされ、そのまま眠りにつくのもいいかもしれない。そんな脳内の甘言が囁きかけたが、その一方で本能が危険を叫んでいる。彼はとりあえず地面に手を着いて、起き上がろうとし目を開けた。

 そして彼の鼻先にはユキミのフランス人形のように整った顔がドアップであり。彼の右腕は彼女の薄くも多少の柔らか物体をおもくそ握っていた。所謂お約束である。

「あ……はは。すまんね。今どくよ」

 眼を大きく開けて、頬を染めている彼女を出来るだけ刺激しないように離れようとする。だが、彼の体は思いのほかガタがきており、それが再びのラッキートラブルを生み出した。

 ハルカの体が崩れ、となると勿論ユキミの上に倒れこむ事になる。そして運命の女神は悪戯に微笑んだ。彼の顔と彼女の顔の距離が零距離になった。そう、口付けを交わしたのだった。

『…………』

 その沈黙は刹那という名の永遠だったというのはハルカ本人の談。

「す、すまねえっ!」

 全身が軋みを上げるを無視して早急に跳び退った。

唐突だが、人の器の話をしよう。人の器の大きさとは己の過ちを認め受け入れたり、誇りある人間になる為に必要不可欠である。そして、その器の大きさは心に余裕がなくなるといとも容易く縮んでいくのである。そう、一ヶ月間事務所と訓練場を往復し虐待されるだけの日々を送っていたハルカの器はアリンコ大に縮小していたのだ。

 だからか、彼は想像できうる限り最悪の行動を、想像でうる限り最悪の瞬間に行ったのである。史上最低な男、ここに誕生。

「えっと、ほんとすまん。これで終了……な?」

 未だ地面に倒れているユキミに差し出したのは手でなく銃口だった。もしも観客がいれば非難轟々ブーイングのあらしどころか、審判から退場を言い渡される位に非道の極みであった。ハルカとて悪魔に魂を売り渡す思いでの行動ではあった。今の彼は自由が欲しかったのだ。無心に願ったのはそれだけだ。

「……まだです。それでは反撃できます」

 しかし、彼の耳を打った言葉はまったく予期せぬ物だった。彼女はそれでは生ぬるいと止めを差せと言ってきているのだ。

「おい待てよ! 訓練なんだからここまででいいだろ?」

 コチラの世界では急所を潰した所でそれが直接死に結びつくわけではない。どんな負傷を負っても猶予させあれば再生することが可能である。彼女は、殺せと言っている訳ではなく、確実に行動不能まで追い込めと言っているに過ぎない。それでも、ハルカは撃てなかった。

「……なんでですか?」

「確かに最悪の行動をとったけどよ、無抵抗の女の子の頭を打ちぬけるほど俺は意志が強くないんだよ」

 溜息交じりでそう零した。それは甘さである。ハルカ自身も自覚していたがこればかりはどうにも出来ない性であった。

「……いいですよ。合格です」

「えっ? まじで!」

 ハルカは思いがけぬ言葉に一瞬気を抜いた。それを見逃さなかったユキミは頭部に向けられている銃を払い飛ばすと同時に跳び起きた。

「なっ!」

 手酷い一撃を叩き込まれると悟ったハルカは眼をきつく瞑った。そして、乾いた音が訓練場の空に虚しく響いた。ユキミは彼の頬を一発はたいたのだった。

 思わぬ一撃に目を見開いたハルカ。ユキミが振り返ったのとほぼ同時だったが、彼は彼女の瞳から一滴の涙が流れたのを見逃さなかった。その清い雫とジリジリと痛む頬が今までで一番彼の心を苛んだ(さいなんだ)。

「つっと……、待って――」

 もっと誠意を込めて侘びようと、歩き出した彼女の肩に手を掛けた。瞬間、凄まじい陣風が彼の体を木葉のように吹き飛ばし、彼は全身を強く壁に打ち付けた。

「くっ……いてええええええええ!」

 全身を苛む痛みに地面を転がり悶えていると、ふと影が彼を覆った。ユキミが絶対零度の視線を伴って見下ろしているのだ。その表情に見覚えが合った。

「コナタか?」

「ええ、そうよ。まったく、やってくれるわね。あの子、驚いて奥に引っ込んじゃったじゃない? どうしてくれるのよ? 女の子のファーストキスは安くないのよ?」

 砂漠なら丁度いいんじゃないかと思える凍える微笑を浮かべて、イモ虫のように転がっているハルカを踏みつける。

「やっぱりそう思うか? はあああ……」

 踏みつけられている事に気も止めず、神妙な顔をして溜息をつくハルカを、ユキミは面白くなさげに鼻で笑った。

「その内機嫌をなおすでしょうから、その時に全身全霊、誠意を込めて謝罪をする事ね。心が伝わればあの子も許してくれるわよ。さっ、立ち上がりなさい。あの子からあなたを連れて行くように頼まれたのだからね」

 ハルカはどこに連れて行かれるのか一抹の不安を拭えないながらも、差し出されたコナタの手を取って立ち上がった。

「どこにいくんだ?」

「あなたの合格を祝して、お茶を奢ってあげるわ。私たちの行き着けの店があるのよ」

 

 相も変わらず良くも悪くも騒がしい街を歩き、辿り着いたのは事務所から程近い場所にある喫茶店であった。店の外観は知る人ぞ知るといった老舗の佇まいであり、派手さは無く、しかし、シックさで洒落た雰囲気を出している落ち着いた感じの店であった。中も同様に、アンティーク品で統一された店内の雰囲気と、慎ましい音量で流されているジャズのレコードが何とも心落ち着く空間に完成させている。

「いらっしゃいませ、お客様。おや、コナタさんではございませんか」

 カウンターに立っているのはこの店の主に相応しい、穏やかな空気を纏った壮年の男性だった。目はサングラスで隠されているが、柔和な口元と、聞くだけで穏やかになれる丁寧な口調、纏っている雰囲気からマスターの温和な人格が透けて見えた気がした。

「マスター、今日も寄らせ貰ったわ。ダージリンを二つ。今日はホットで貰おうかしら」

「畏まりました。少々お待ちください」

 カウンターに座ったコナタに習い、ハルカは彼女の隣の席に座った。先ほどまでの苛烈な時間が嘘のように弛緩し、ただまったりとした優雅な時間が流れる。

「今日はお早いのですね。それにまだ午前中だというのにコナタさんの方とは珍しい」

「まったくよ。いい迷惑だわ。私は昼間までたっぷりと寝ないと思考が冴えないというのに。この破廉恥がユキミを襲ったせいで、あの子が引きこもっちゃったのよ」

「それはいけませんな。朝から女性を襲うのは関心しませんよ」

「おいそこかよ! っていうか勝手に事実を捏造するなよ!」

「あら、開き直れるの? あなたのした事は、紳士としては論外、男性としてはクズ、人としては縁切りに値する見下げた行為だと思うのだけれど。違う?」

 ぐうの音も出ないとはこの事である。自己弁護の仕様が無く、仮にあれは真剣勝負と説こうものならば絶対零度の微笑の元、一笑に付され、今後一切、同じ人間としての尊厳は認められないのは確実だろう。

「まあまあ、彼も反省しているようなのでそれ以上責るのはおよしなさい。おっと、私とした事が自己紹介がまだでしたな。私はこの喫茶店“EAST END”の経営をしておりますザレと申します。以後お見知りおきを」

「こちらこそ、よろしくお願いします。俺の名前はアマナシ・ハルカと言います。いた!」

 恭しく一礼したザレに釣られてハルカも深々と頭を下げ、結果、カウンターに頭を強打し盛大に音を響かせた。その様子に周りの客も何事かと視線を送ってきたが、大した事ではないと知ると僅かに笑って各々の談笑に戻っていった。

「恥ずかしいわね。あなたはもっと紳士としての挙措を学ぶべきね」

「こちらとら、一人前のバウンティハンターになる方で忙しいんでね」

 ハルカのだらしなさを鼻で笑うユキミと、それに対してそっぽを向くハルカ。そんな二人の前に湯気から芳ばしい香りを立たせた紅茶が置かれ、それが二人の間の少し強張った空気を立ち昇る湯気のように四散させた。

「ハルカさんの言い分も尤もですよ。人間同時にできる事は多くありません。まずはかの有名なストーンフロウ事務所の立派な社員になる事から始めませんと」

「あら、甘やかすのは関心しないわね。刀は叩かないと名刀にならないのよ」

「叩きすぎると折れるけどな。にしてもマスター。うちの事務所ってそんなに有名なんすか?」

 ザレの言葉から、ハルカは街中で時たま投げ掛けられる視線を思い出した。殺気、憧憬、恐怖、単色から複合色まで実に様々な視線を経験してきたハルカは若干の視線恐怖症になっていた。

「それは当然ですよ。何といっても数多の武勇を持ち、かの対天使戦争でも生き残り、約400年近くも存在を保ち続ける人類最強と目されるお二人が名を連ねている事務所ですからね。しかもそこの社員は全員が一騎当千の兵で、凄腕のハンター、そして良くも悪くも歴史に名を残した人物が複数人もいる。つまり名門中の名門というわけですよ」

 そこでハルカは疑問に思った。それ程の事務所ならば何故、今の社員はコジロウとムサシを除いて3名しかいないのだろうかと。

(といっても残りの1名には会ったこと無いけど……)

「ハルカさん、今なんで社員が少ないかと思いましたね? それはあなたの事務所は少数精鋭がモットーだからですよ」

 そこでザレはコナタへと目配せをした。それに応えるかの様に彼女は軽く溜息を吐いた。

「さらに言うと私たちが入った頃にいざこざがあってね、その時に2名がコジロウさんの手によって処罰され、残り1名は目下逃亡中ってわけよ」

 処罰と婉曲的な言い方をしたがそれが処刑であった事は察しが着いた。事有る毎に殺すと言われているが、その言葉がひょっとすると実現される可能性があると思うと肝が冷える心地がした。

「しかし、1名ってよく逃げおおせたんだな」

「そうね。おそらくだけど、所長は自分から見事逃げおおせた彼の実力を認めて追うのをやめたんだと思うわね。おそらく、逃がした方が後々面白くなると思ったのよ」

困ったものね、と呟いてコナタはどこか遠い眼をした。そのゴタゴタが、彼女たちが入った頃と言っていたから、接触はあっただろうし、何かしらの思うところがあるのだろう。

 だが、ハルカはそんな彼女の様子がどこか気に入らなかった。

(何だろうなこの気持ち。嫉妬? あった事無い奴にか? わかんね)

 内に抱えるモヤモヤを最後に少し残った紅茶ごと飲み込んだ。そんな事で消える訳ではないと思いながらも、それで感情に蓋をした。


 話も途切れ、流れるBGMに耳を澄ませながらチビチビと二杯目の紅茶を飲んで過ごした。この世界に来てから始めての穏やかな時間にハルカは心洗われる思いだった。

 もっとも、その平穏は長くは続かなかったのだが。背後でベルが鳴り誰かが入店してきた。それは普通であるからハルカはまだ気にも留めなかった。

「よう、久しぶりだな。元気にしてたか?」

 ハルカは急に話しかけられ、振り返った。そこには自分と同い年位の少年が立っていた。鮮やかに染め上げられた紅髪。両耳には大小様々な銀のピアス。素肌に着たジャケットの大きく開けられた胸元にはシルバーアクセの逆十字。更にそこにはイレズミが見えた。

 ハルカはその少年を脊髄反射的に危険人物と断定した。不良っぽいという理由以上に、彼がハルカではなく隣に座っているコナタへと話しかけたからだ。

「あら、お久しぶりね、レオ。珍しいじゃない、あなたがこの店に来るなんて」

「今日はお嬢の方か。ついてないぜ。オレだって、たまにはこういう店でコーヒーぐらい飲むぜ。マスターいつもの頼む」

 レオは遠慮なくコナタの隣へと腰掛けた。ハルカはそれが気にいらなかったが、カウンター席なのだから別段おかしくは無い。しかも、彼はコナタの知人であるから、ハルカが口出しできる筋合いもない。

(っていうか誰だよあの紅髪)

 それはレオも思ったようだった。細い眉毛で眉間に皺を寄せると強面レベルが急上昇し、その面でハルカを睨み付けた。正に柄が悪いとはこの事である。

「そいや、お嬢。隣に座ってるヤサ男はどこの馬の骨だ。言い寄ってきたクソ野郎なら俺が焼き払ってやろぉか?」

「ああ? あんたこそ誰だよ? どう見てもチンピラみたいだけどな」

(ぎょえええええ! ちょーこええええええ)

 内心超絶にビビリながらも何故か舐められたくないという虚栄心が膨張し、おもわず虚勢を張りに張ってしまった。表情こそ取り繕ったが、隣に座っているコナタにはそれが見栄だという事は一目瞭然であった。

「そうね。ユキミの初物を強引に奪った畜生だから、焼いてもらった方がいいかもね」

「ええええ! あんた何て事いうんですかっ!」

 ふと、強烈な殺気を感じてハルカはその発生源へと顔を向けた。怒りなんて生優しい感情ではなかった。レオの顔に浮かんでいたのは、家族を傷つけられた復讐者さながらの憎しみだった。

「おい、テメェ。クソなんて可愛らしいもんじゃなかったようだな。表に出ろよ。オレがテメェを消し炭にしてやるからよォ」

 これ程までに強烈な感情を叩きつけられたことの無いハルカは虚勢を張るのも忘れてただ顔を強張らせた。今まで散々味わった純粋な殺気とは違う。それはコールタールのようにドロドロと心に纏わりつく負の感情。実に気持ち悪い感覚だった。

「何とか言ったらどうだぁ? なぁ?」

「フフフ、そこまでよ、レオ。ごめんなさいね。冗談よ、彼はハルカ、私の新しい同僚よ。そして、きっとユキミのいい相棒になってくれるわ」

「っち、こいつが例の奴か。消し炭にしてやりてぇが、お姫が悲しむなら仕方ねぇ、今回は我慢してやるよ」

 放っていた念が消え、ハルカもようやく生きた心地がした。しかし、彼の中でも確実に芽吹いたモノがあった。それは彼とは根本的に反りが合わないだろうという確信だった。

「結局、こいつは誰なんだ?」

「オレか? テメェ見てぇなチャラ男から、お嬢たちを守る守護者ってところだよ」

「そうね、ストーカーかしら」

「それはねぇよ、お嬢ぉぉぉぉ」

 コナタの評が余程ショックだったのか、あからさまに落ちこむレオ。ハルカはレオに対して敵愾心を持ちながらも彼女に弄られるという点で思わず同情してしまった。

「それにしても、(てい)のいいパシリが二人も居て羨ましいわねユキミは」

「オレはお嬢も守るぜェ!」「何で俺がパシリなんだよ!」

 二人同時に逆ベクトルの言葉を吐き、互いに(ガン)を飛ばしあう。しかし、男の顔を真正面、近距離で眺め続けるのに耐えられなかった二人は実に嫌な物を見たと顔を(しか)めながら、どちらともなく離れ互いの飲み物に口をつけた。

「そもそも、俺はあいつの事が少し苦手なんだよ。話が続かないし」

「ハッ。それはテメェの会話能力が低いだけだよ。カカッ、なさけねぇなァ」

「あら、あなたたち。ユキミに一生懸命話しかけては、虚しい沈黙が続いて撃沈してるじゃない? 私に言わせればどっちもどっちよ」

 弁慶の泣き所を突かれた二人は口元を引き攣らせて視線を宙に躍らせた。ハルカはこの一ヶ月間、何もしなかった訳ではない。元来の女好きな性格だが、それ以上に同じ屋根の下で暮らし、年も近い同僚と親しくなりたいと想うのは人間嫌いで無い限り当然の感情である。生前、ノリが軽いと言われながらも過度に嫌われた経験のないハルカは培ったトーク能力をいかして対話を試みた。しかし、その悉くは敗戦を喫し、戦略的撤退という名の敗走を繰り返した。その数は数え切れない。結果、現在の苦手意識が形成されたのである。

「女性の気持ちが簡単に分りましたら男女の仲という物は実に詰まらない物になってしまいますよ」

 それまで食器を磨いていたザレが徐に会話に加わった。多くの逢瀬を過ごしていそうな紳士の言葉には確かな重みがあった。しかし、ハルカに必要だったのはそんな模範解答ではなかった。だが、それもザレは承知していた。

「ハルカさん。ここだけの話ですが、あなたが来てからのユキミさんは大変生き生きとしておられましたよ。私も気になって尋ねた事があったのです。そうしたら、彼女は話し相手が出来て嬉しいと仰ったのです。ですから、ご自分の行いに自信を持ってください。どんな人も、気に掛けられて悪い気がしない人はおりません」

 ザレの言葉にハルカは救われたのだった。ハルカはユキミが本質的に嫌な人間でない事は理解していた。だが、人は言葉を交わせないと心がすれ違っていく。それはどんなに以心伝心で通じ合っている二人でもそうである。言の葉が降り積もらなければ、関係という大地は富まないのである。

「マスター。オレにはそういうのないのか?」

 コナタの話題ばかりが出る話に焦りを覚えたレオは、それが如何に情けない行為と分りながらも聞いてしまった。マスターは微妙な表情で沈黙。それが何よりも雄弁に答えを物語っている。

「まったく、レオ。言ったでしょ? あなたの認識は時たま現れて、よく分らない物をプレンゼントしていく、よく分らない人間だって。つまりストーカよ」

「クソガァァァァァァァァァァッ!」

 見た目と違い、意外に純な男レオ・クリムゾンはその場に居た者にしか理解できない壮絶なる悲しみを秘めた雄叫びを上げながら店の外へと走り去っていった。残りのコーヒーを一瞬のうちに飲み干し、御代をちゃんと置いていく辺り律儀な奴である。

「なんつーか……哀れだな……」

「レオさんは、ユキミさんの心象はさほど良くはないのですが、私としては、彼は実に頼もしい方だと思っていますがね。彼は、知人のためなら助力を惜しまない方なので」

「そうね、あんなナリであんな性格なのに、義理人情に篤いのよね」

「へえ」

ハルカは自身の想いが強いのでその評価を素直に受け入れがたい一方、僅かの時間であるが、彼とコナタの会話から自分と良く似た立ち位置である事への同情と、本人のアホさから憎みきれなかった。

(似てるからこそ、受け入れがたいのかもな)

 と空かした顔でハルカが分析をしていると、ジッと見詰められている事に気がついた。トロンとしたネムタイ眼、先ほどまでの無駄に他者を萎縮させる鋭い眼光からは程遠いユキミのものだった。

「どわぁぁぁ!」

 いきなりの人格変化かつ、別れ際のバツの悪さが彼のオーバーリアクションを引き出した。イスが勢い良く倒れてけたたましい音が店内に響き、勢い良くテーブルに着いた手はつい先程頼んだばかりの3杯目のお茶の満たされたカップをひっくり返し、そのまだ熱い液体が手に降り注ぐや彼の口から絶叫が吐き出され、その拍子に吹き飛ばしたコップは床に自由落下し木っ端微塵と粉砕された。これぞ阿鼻叫喚、乱痴気の巷。他の客がいなかったのがせめての救いである。

「……大丈夫ですか?」

 勃発したウルトラブルを前にしても眉一つを動かさないユキミは少し首をかしげながらハルカを気遣った。しかし、ラッキーハプニングの興奮と、その後にしでかした罪への後悔、先程ザレによって語られた言葉がこんがらがって混沌を成しているハルカは言葉が紡げずに沈黙。そして彼にとって気まずい沈黙が二人の間に落ちた。

「おはよう御座いますユキミさん。今は一先ず、ハルカさんの方を。大丈夫でしたか」

 ザレは手に持ったホウキとチトリで割れたコップを手際よく掃除する。ハルカは手伝おうかとできる事を探したが、それを見つけるよりも早くサレは掃除し終えていた。

「すんません。弁償は如何程で?」

「気にしないで下さい。ただ、ウチの店を贔屓にしていただければ、それだけで結構です」

 敵わないなと思いながらハルカはイスに腰掛け、ユキミも紅茶に口をつけた。

「……コナタが頑張れと言ってました。何のことですか?」

「それは……だな……」

 急な展開に正直、ハルカは覚悟を決めていなかった。そんな苦虫を噛み潰したような彼の表情にユキミは小首を傾げると、猫舌な彼女はまだ熱い紅茶に息を吹きかける戦いを再会した。ハルカはその微笑ましい動作に自分の悩みも忘れて眺めてしまった。

「……なんですか?」

「あの……よ。さっきは本当に悪かった。ごめんなさい。許してくれとは言わない。むしろ何か償いをさせてくれ、頼む。」

 イスから立ち上がり深々と頭を下げたハルカ。そんな彼の肩を柔らかい手が数度叩いた。

「……別に気にしてません。だから頭を上げて下さい」

 促され顔をあげたハルカはその瞬間、信じられないモノを見た。常にボンヤリとした表情をしているユキミがはにかんでいたのだ。怒りをぶつけられるのも止む無しと腹を括っていた彼はその不可解な表情の持つ感情を読み解けなかった。

「なにがおかしいんだ?」

「……いえ、人間っておもしろいなと思いまして」

 彼女の答えは、どんな謎よりも難解だった。あんな事をされ、あんな仕打ちを受け、何故そのような答えや表情に到るのか、ハルカは推し量る事ができなかった。

「……私はアマナシさんに感謝しています」

「え?」突然の謝辞に困惑するハルカ。それに気付きながらもユキミは話を進める。

「……私は、人と喋るのが苦手です。それでも話しかけくれました」

 不意にゼラの話を思い出した。ユキミは確かにハルカの行動に心を動かしていたのだ。彼女の反応が表に現れにくい事など、本当の所はハルカにも分っていた。それでも、何かしらの手応えがないと不安になるのも仕方がない。それでもこの瞬間、彼女の想いを聞いた事によって、ハルカは自身の浅はかさに腹を立ててた。彼女の反応の薄さに腐り、彼女に対して苦手を意識を持っていた自身に対してである。そして、大きく息を吐くと再び深々と頭を下げた。

「すまなかった」

 その一言しか出てこなかったが、そこに込められている感情をユキミも読み取ったのだろう。彼女は優しい声で彼を許した。

「いいですよ」

 それは彼が始めて聞いた躊躇の無い言葉だった。それで彼は許された気がした。

「一つ頼みがあるんだが、いいか?」

 そう切り出したハルカをユキミは不思議そうに見詰めた。

「オレのことはハルカと呼んでくれ、な?」

 本当のところ、それは彼女に勝って一人前になった時に頼もうと心に決めていた事だった。だが、悪魔に魂を売り渡した結果、結末はなんともお粗末な物になってしまった。その為、今この時と恥を忍んで願ったのだ。

 内に秘めたる彼の決意なぞ露知らず、ユキミは首を小さく縦に振って肯定を示した。

 それは二人の相棒としての関係を一歩進めた、何気ない遣り取りであった。


 ハルカはボロ雑巾のようになっていた。

「いや、あれがユキミの全力じゃないってのは分ってたけどよ、甘すぎたわ……」

 あの後、EAST ENDを出た二人は訓練場に戻って訓練を再開した。運命の女神の気まぐれとはいえ、ユキミから一本を取ったハルカは多少はやれるようになったのではないかと、淡い期待を持っていた。そこに彼女の一言。

「……少し本気出します」

 確かに前よりも戦えるようになってはいたが、彼女に並び立つほどではなかった。結果、その戦闘内容は1ヶ月ほど前に戻ったかのようで、凄惨な叩きのめされっプリであった。

ハルカが歩ける程度に回復した頃には、既に橙に暖かく染まった夕空の下。二人は多くがそうであるように、彼らの居場所である事務所へと帰り道を歩んでいた。

「いやあ、まいったぜ。ユキミは本当に強いな」

 当の彼女はフルフルと首を横に振り謙遜する。ハルカはこの自分よりも小さな少女が自分を遥に凌ぐ強さを持っている事に尊敬の念を抱く一方、いつか必ず「守ってやる」と大言が吐ける様になってみせると心に決めていた。

 二人が雑談、といってもハルカの一方的な話にユキミが相槌を打っているのだが、をしていると不意に、地面を影が走り周囲が薄暗くなった。夕陽が雲に隠れたにしては濃い影の色。ハルカは空を見上げた。頭上には荘厳を具現化したような巨大な城が浮かんでいた。そしてそれに何度か見覚えがあった。

「なあ、前から気になってたんだが、アレは一体何なんだ?」

「……聖城、天使の住まう城です」

「天使?」

ハルカは煉獄は天国でも地獄でもないと言われた事を思い出していた。仮に天国や地獄もあるならば、そこに住むべき住人たちも当然はいるだろう。

(つまり、清純天使ちゃんとか、セクシー悪魔ちゃんとかー)

「……そういう方もいるかもしれませんが、お近づきにはなれないと思いますよ」

「うおっ! さては貴様、読心術の使い手っすか!」

 己の妄想を口頭で垂れ流し、ダラダラと鼻の下を伸ばしていた事に気付きはせず、おそらくはないであろう少女の超能力に慌てふためく男が一人。

「……この煉獄にいる天使の大半は人間を卑下しています。そんな彼らを人間も疎ましく思い、空を泳ぐあの監視塔を多くの人間は“天使の巣”と呼びます」

 天使と人間の間に徒ならぬ禍根がある事を読み取ったハルカは、彼女のように悠々と天を行く巨大な城を見上げた。それまで世界を覆っていた影は遠くへと過ぎ去っていった。しかし、ソレは良からぬ置き土産を残していった。

「天使の巣とは無礼な言い方だな、地を這う猿の分際で」

 羽ばたきから生じる風を纏い、天から舞い降りてきたのはその名の通り天使だった。

 宗教画から果ては日本の漫画に描かれている天使の姿そのもので彼らの周りに降りたったのである。その数は10人ほど。皆一様にファンタジー映画に出てくる魔術師が着ていそうな純白のローブを纏い、背からはそのローブよりも眩い清廉なる白き羽が生えている。

「久しいな、小娘。我らが大敵は存命か? 我らが貴様を千切り殺すまで、せいぜい身でも清めておけと伝えておけ」

 どの天使も高慢そうな顔をしているが、一際そうである男が見下した眼でユキミを捉える。オールバックの黒髪に色白の細顔、蛇のような眼つき。ハルカはその話し振りとその眼鏡の奥で陰鬱と光る瞳から、気に入らない人物だと決め付けた。

どうやらユキミと顔見知りのようだが、剣呑な空気がよろしくない関係だとまざまざと伝えている。彼らは神聖さよりも、その辺にいるチンピラのような低俗な威圧感を放っていたが、その俗物的な威圧感がハルカをビビらせる。だが、彼にも古くから流れる日本男子的な価値観が存在しているため、己の恐怖を律してユキミを庇う形で前に出た。

「なんだ、貴様は?」

「えーっと、俺は最近ストーンフロウ事務所に入った新人っす。すんません。伝えておきますんで、俺たちもう行ってもいいですかね?」

「ほー……、猿の親玉にまた新しい子分が増えたか」

「ハルカっ!」

 ユキミの手がハルカに届くよりも早く、彼の体は吹き飛ばされ露天の雑貨屋に叩きつけられると、砕けた店の破片ごと地面に落ちた。ハルカは地面に叩きつけられた衝撃よりも、その天使から受けた衝撃波によって意識が朦朧としていた。

 ハルカが攻撃されたという事実がユキミの瞳に怒りの感情を映し出させた。それでも彼女は唇を噛み、手を出さなかった。その反応が気に入らなかった眼鏡の天使は更なる暴挙に出た。

「ふっ。良く訓練された猿ですね。ならこれならどうですか?」

 その天使はユキミの服のボタンに手を掛けると引き千切り、中に着けていた下着も破り捨てた。彼女の白い胸が衆目に晒されるや、周りの天使たちは下卑な笑みを浮かべた。

「どうだ、屈辱だろう? 私たちに襲いかかってきたらどうだ? そうしたら、私たちは貴様を思う存分痛めつけ、下賎な猿を躾ける事ができる。貴様は猿の中でも、そこそこ毛並みが言い様だかからな、傷つけないように躾けてやるぞ?」

 周りの天使が分りやすい欲求を顔に出している中、その眼鏡の天使だけは暗い愉悦に浸った嗜虐的な笑みを浮かべていた。

 受けたダメージを回復させたハルカはゆらりと立ち上がりユキミのもとまで歩み寄ると、上半身が晒された彼女に上着を掛けた。そして、周囲の天使に睨みつけながら見回すと圧倒的不利な状況であることも忘れて言い放った。

「てめぇら、ユキミに手を出したら俺がゆるさねぇ」

彼の放つ鬼気が周りの天使を僅かに引き下がらせた。平常、臆病な彼だが、不思議とユキミの為なら心を奮い立たせることが出来た。それはあの青年の力によるものかもしれない。仮にそうでも彼は感謝した。誰かを守るために動くことが出来るのだから。

だが、戦力を熟知している眼鏡の天使は、ハルカを脅威とは認識せず、むしろそうなるように仕向けるために動いた。

「汚い猿よ、これなら私の手を噛み付くか?」

 彼の手に光が生まれ、それは瞬時に短剣へと形を成した。彼はそれを振りかぶるとユキミの顔目掛けて振り下ろした。

「はーい、ストップ。そこまでだよん」

 天使の刃はユキミの前に割り込んだハルカに辿り着く寸前で止まっていた。正確には止められていた。天使の腕を留めているのは涼やかな蒼海の色をした長髪の女天使だった。

 周りの天使たちは彼女を見るや否や、すぐさまその場に跪いた。それは眼鏡の天使も同様で腕を放されると即座に頭を垂れた。先ほどまでの高慢さが嘘の様である。

「エリシル様、申し訳御座いません」

「だめだよそれは。よくないよ。女の子の服を脱がせたり、男の子を苛めたり。それでもあなたは大神に使えし、清らかなる者ですか?」

「お言葉ですがエリシル様、やつらは私たちの聖城を言うによって巣などと」

 エリシルはモデルのように整った形の良い顎を擦ると何かを考えているようだった。そして明るい笑みを浮かべるとポンと手を打った。

「巣じゃん。私たちあそこで寝泊りしてるし」

「エリシル様っ!」

 プライドの高い眼鏡の天使は彼女の気楽な物言いに憤慨し、立場も忘れて食って掛かろうとする。彼女はその烈火を微風かと受け流した。

「トゥリ君。君がこのオウカの街の第4治安維持部隊隊長として苦労しているのは知ってる。だからといって、保護対象である人間でストレスを発散するのは本末転倒だよ。彼らは私たちと同じ生まれ。いわば同胞だ。かつて、不幸なすれ違いがあったけど、それも血で流した。君はまた、あの災厄を招くつもりなのかい?」

 微笑を湛えた表情。その澄んだ目はあの眼鏡の天使トゥリを射抜く。彼は目の前にいる女性が大天使という天使の中でも僅かしかいない階級持ちである事を、今何よりも深く認識させられた。その清らかな眼は彼の不純な質を見透かしたばかりか、眼力だけで彼を軽く退けようとしている。

「……申し訳御座いません。直ちに撤収します」

「遊んで帰ってもいいよん。人間に迷惑かけないならね」

 天使たちは立ち上がると深く一礼してから、天空の城目指して飛び去っていった。それを「まじめね~」と呟いて見送ったエリシリは改めて、二人へと向き直った。

「ごめんなさい。ウチの部下たちがトンデモない非礼を! この私、償えるならばやれる事をします」

 と、ミスをしたサラリーマンの鑑の如く素早くそして深々と頭を下げるエリシル。ハルカが飄々としかし毅然としていた女性が急にそのような平身低頭な態度に出たため、どうしていいか分らずに呆然としてしまった。

「……いいですから、頭を上げて下さい、エリシル様。どうせそんな事言って酒飲みに巻き込む気でしょう?」

「あっ? ばれた?」

 服を修復したユキミが溜息交じりにそう言うと、エリシルは頭を上げペロリと舌を出して戯けて見せたユキミを思い切り抱きしめた。

「もう、いつ見てもキュートね、ユキミちゃん。抱きしめちゃう! まったく、こんな美少女の柔肌を衆目に晒さすなんて、帰ったらお灸を添えてやるんだから。そうだ、今度またお姉さんたちとパジャマパーティをしましょう」

 ふくよかな胸に顔が埋まり苦しそうにジタバタと暴れるユキミ。そんな事を気にせずに抱きしめ続けるエリシル。二人の友人のような気安さから、親しい間柄だとハルカは判断した。当然、エロスな彼は二人の絡みを大層羨ましそうに眺めている。

「なあ、ユキミ。その巨乳で爽やかな美人は誰なんだ?」

「…………………この方は、このオウカの街を中心に広域を監視している天使の城の主、大天使エリシル様です」

 ようやく胸の圧迫地獄(ハルカにとっては物凄く羨ましい状況)から脱したユキミは第二陣の攻撃を牽制しながら答えた。

「あら、あなたがコジロウちゃんの言ってた新入りの子ね? 確か名前はハルカちゃん。私の名前はエリシル。何か偉そうな役職に就いてるけど、気にせずエリシルさんと呼んでチョウダイ!」

 あっけらかんと笑い飛ばす彼女を見て、先ほどの天使たちを跪かせた人物と同一とはとても思えなかった。彼女からは親しみやすさが溢れ出しているのだ。

「えっと……、名前はもう知ってるようですけど、アマナシ・ハルカです。よろしくお願いします」

 エリシルは彼の手を勝手に掴むとブンブンと勢い良く握手をした。

「私ね、コジロウちゃんと酒飲み友達なの。その縁でこの子たちとも仲良しなのよ」

「はあ」と相槌を打つハルカ。途端彼女の眼が雷光のように眩く光った、ような気がした。

「君、いまから酒飲まない? いい店知ってんだよね~。私が迷惑両として奢るからさ」

「いや、俺、未成年っすから」

「何を言いますお兄さん。ここは君たちにとって死後の世界。肉体的な年齢なんて彼方へとポイッポーイよ! ここは真なる自由が宿る世界なんだから」

 天真爛漫な笑みを浮かべてハルカの袖を引っ張っていく。だが、ユキミは反対側からハルカの袖を引っ張る事によってそれを妨げた。今、ハルカはやじろべぇか綱引きの状態であった。

「……だめです。今日は帰ります」

「あらあら、ヤキモチ? ……う~ん、これはまだ違うわね。頑張れ少年」

「ってなんでこっちに火の粉が飛んできてるんすか!」

「……いいから帰りますよ」

 エリシルから引き剥がされたハルカは腕に当たるマシュマロのように柔らかい感触が無くなり実に残念だった。それを察したのか、ユキミはハルカをジッと見詰め、途端彼はバツが悪くなり視線を宙に泳がせた。

「もう仕方ないわね。ユキミちゃん、コジロウちゃんにヨロシクね! あと、近々夜這いしちゃうから~」

「……窓を壊すのは止めて下さいね」

 前にも同じ事があったのか、ユキミは辟易とした顔をしていた。ハルカは夜這いというシチェーションからあんなこんなな花園を想像し勝手に盛り上がっていたが、ユキミの突き刺さるような視線を感じてニヤケ面を質した。

「そんじゃ、ま~たね~! 私と一緒に飲み行きたいい人~?」

「はぁぁぁぁぁい!」

 と幼子が友達を集めるような溌剌とした声で周りに呼びかけると、天使たちが舞い降りてきた時に蜘蛛の子を散らすように失せていた周りの人間、特に男集がそれはムサイ声で応えた。エリシルは二人にそれは小粋なウインクを飛ばすと、そのオトコ共を引き連れてオレンジに染まる街へと消えていった。

「……あれだけ人間に好かれている天使も珍しいですよ」

「あの人は他人に好かれそうだからな」

「……そうですね」と呟いた夕日に染められたユキミの顔は、優しく微笑んでいた。そこから二人の関係性を透けて見たハルカは少しばかり嫉妬したのだった。


「おっ、遅かったじゃなねぇか? 早く飯作りな」

 二人が何とか無事に事務所に辿り着いた時、彼らを出迎えたのはメイドだった。しかもただのメイドではない。無駄に居丈高な態度でメイドとしての矜持を欠片も持ち合わせていない、むしろお嬢様のようなメイドだった。

「えっと、どなた? ツンツンした態度も見た目もえらく可愛らしいけど」

「はあ? いきなり何くどいてんのさ! このエロ顔が」

 確かに見た目はこれまた美少女だった。ユキミとは違う元気系。赤毛のショートツインがチャーミング。しかし、猫のようなキリっとした眼とそこに宝石のように煌く碧の瞳が彼女のプライドの高さを表しているようなそんな少女だった。しかし、ハルカにとって残念だったのは彼女の服装だった。彼女が着ているのはメイド服だったどうも彼女の気質とあっておらず、コスプレをしているように見えて仕方なかった。

「おい、アンタ。今あたしの服が似合ってないとか思っただろ?」

「いや、そんな事は……」

「あたしだって、こんな長くてヒラヒラしたモンなんか着たくねぇんだよ。それをアイツがムリヤリ……」

 哀愁を漂わせながら舌打ちをすると、何かを思い出したように忌々しげに天井を睨み付けた。何かノッピキならない事情がある様だと察したハルカはそれ以上のやぶ蛇を突かなかった。突っついたのは他の者だった。

「フッ。マーガレット君のギャップ萌えが分らないとは、まだまだだなハルカ君」

 奥から事務所に入ってきたのは、ここの主にして色々と曰くがある伝説の剣豪、ササキ・コジロウだった。そして彼の手には服が抱えられていた。

「長い仕事ご苦労だったな、マーガレット君。そして、試験合格おめでとう、ハルカ君」

「どうも」「はあ、ありがとうございます」

 二人からの心の籠ってない返礼にニヒルな笑みを返すと、彼はハルカに手に抱えていた服を差し出した。そして、ハルカはソレを受け取り困惑した。

「えっと、執事服? 俺に執事にでもなれと?」

 それは紛れもない高級感あふれる漆黒の執事服だった。上着はコートになっておりえらく上質な生地が使われているのが感触で分った。

「君が合格したら渡そうと思って、一流の職人に仕立ててもらった。明日から着るがいい。この事務所で働く以上は相応な格好で励んでもらわないとな。君の制服は流石にみすぼらしい」

「それで何で執事服なんですか?」

「面白いからだ。ユキミ君は令嬢、マーガレット君はメイド、そして君は執事。面白いじゃないか」

(っていうか、ユキミの服まで一々指示を出したんすか……)

 コジロウの発想にはついていけなかったが、ユキミにフェミニンな服を着せ、おまけにワキ見せ等という高度なチラチズムを選んだことは良い仕事だと内心賞賛を送ったのだった。

「っていうか、コイツ誰よ?」

 彼が信心である事を知らなかったマーガレットは胡散臭い人間を見るような目で無遠慮に嘗め回した。

「いや、俺に言わせればあんたこそ誰だよ?」

「ああん? この事務所の敷居を跨いで置きながら、このあたしの名前を知らないとは良い度胸じゃねーか!」

(何こいつ、凄く怖ぇ! まるでかつて存在していたとされるスケバンみたいだ) 

 なまじ綺麗に整った顔立ちだけに、険しい剣幕で睨みつけられるとそれは相当な凄みが発せられ、チキンハートの持ち主であるハルカは例に洩れずビビったのだった。

 そんな彼を庇うように前に出たのはユキミだった。

「よう、ユキミ。元気にしてたかい? アンタのそのトロイ顔を見ると帰ってきたって気になるよ。そういや、あたしの転位具は役に立ったかい?」

 実に性格の悪そうな笑みを浮かべ、鼻で笑ったマーガレット。そんな彼女を無視して、ユキミは口に輪を作った指を当てた。そして、響く清涼なる音色。それは、ハルカが出会ったあの日、散々苦労して響かせた音色よりも格段に澄んだ口笛の音だった。

「……ふん。あたしはアンタの事が好きじゃないけど、アンタのそういう負けず嫌いな所は嫌いじゃないよ」

 マーガレットはしかめ面だったが、彼女の口元が僅かに綻んでいたのをハルカは見逃さなかった。そして、彼は強く確信した。

(間違いない。こいつはツンデレだ!)

「で、このなんもかんもが軽そうな男は何なんだ所長?」

「そうか、君は知らなかったな。ハルカ君、その無駄なキメ顔を止めて自己紹介でもしたらどうだ?」

イケてると自信を持っていた必殺の表情が評価を落としていることに愕然としたハルカだったが、とりあえず咳払いをして空気を繕った。

「えー。俺の名前はアマナシ・ハルカ。ここの新入社員だ。ここに来てから一ヶ月、今日やっと正式な社員になった。えっと、よろしくな」

 ハルカは恐る恐る握手を求めた。マーガレットはニカリと笑うとそれに応じたが、そこに込められた握力は握手に必要な力をどう考えても凌駕していた。

「いったいんですけど」

「よろしくな、新人。あたしの名前はマーガレット。マギって呼びな。嬉しいよ。あたしは今まで一番の下っ端だったけど、これでようやくあたしにもコマ使いが出来るからね!」

「言っとくが俺は簡単にいう事を聞くタマじゃないぞ」

「あたしは生意気な男を屈服させるのが大好きだから、心配いらないよ」

 両者とも顔にはスマイル、握手には剛力、そして印象は生意気。とりあえず二人の初顔合わせは成功と呼べるだろう。いがみ合うのは、互いを認識しているという事であるからである。良くも悪くも。

「さて、君たち、夕餉にしよう。ユキミ君は料理を、マーガレット君はその補助、ハルカ君は風呂掃除を、さあ動け」

 いかにドングリが背を比べようと、それを弄ぶ人間には逆らえない。ユキミは気にも留めず、二人は面倒くさいというオーラを発散しながら、各々の持ち場へと向かっていった。


「それで、謎のエーテル分解現象の原因がその魔方陣であることを突き止めたあたしは、そこを守ってるビースト共を傭兵と共に殲滅して、ようやく仕事を完遂したってわけさ」

 夕食の席は一ヶ月に及ぶマーガレットの活躍譚の披露会だった。謎の集団からの強襲、謎の人間失踪、謎の遺跡、謎の兵器、そして仲間との出会い、対立、別れ、そして謎の解明とそれは確かに映画を一本作れそうな壮大なスペクタクルだった。

「ところで、あんたも腕が立つのか?」

「そりゃ当然さ。この世界で生き残る為に必要なのは唯一、力だけだからね、と言っても、あたしは本職が“秘技師”。どっちかというと、創具の研究のほうが好きだけどね」

 ハルカは“創具”という言葉自体はここ一ヶ月の生活の中で何度か耳にした単語だったが、それが何を指し示すかまでは知らなかった。

「創具ってなんだ?」

「あんた……創具も知らないでやってきたってーの? いいかい、創具ってのはね」

「……創具は創術の補助に使用したり、創術自体を封じ込めて使用する道具の事です」

「ッチ。相変わらず説明のときだけは良く喋るね。そんなに知識人っぽく振舞いたいのかね? ああ、うざったい」

 説明に割り込まれて腹を立てている辺り、彼女の言葉は自身にも当てはまるだろう。

「そもそも、創術ってのは自分の感覚に頼っている部分が多い。けどね、そんな出鱈目な現象でも世界に存在している以上法則ってのが存在する。それを研究し、そこから“式”を編み、更に術を普遍化したのが創具って訳さ」

 普遍化、つまり大衆化、創術は文字通り個人の想像によって創造される。しかし、彼女たち秘技師はそれらが世界へ影響をもたらすプロセスを解読し、個人の創造を普遍的な式へと編み直すのだ。それはつまり、個人の技術であったモノが共有されるという事になる。

「それで式ってなんなんだ?」

「そうだね、世界の現象は30の天音文字と図形によって表す事ができる、つまり式ってのは魔方陣のことさ。これを物体のエーテル構造に書き込んだのが創具ってわけさ」

「その創具にエーテルを注ぎ込むと創術が発動するって訳か? つまりゲームで言うところの魔法のアイテムって事だな」

「そうだね。だけどね、創具を介したからといって、それは楽譜を読むようなものさ。音を出すのはあたしたち。きちんとソレを演奏できなければ発動しないし、下手に騒音を出すと、ソレはあたしたちの魂を傷つける。まあ、身の丈に合わない創具を使わない事が賢明ってわけさ」

 エーテルを込めるだけで超人になれるのではと少しばかり期待していたハルカは、世の中上手い話はないかと苦笑いをした。そこで一つ疑問が浮かんだ。

「なあ、なら魔方陣を人間に書き込んだらどうなるんだ? 創術が容易く発動できるようになるのか?」

「いい質問だね。ここに再誕した人間は説明を聞いたらそう考えるし、実際にそれを試そうとする奴もいる。そいつら(おおよ)の末路は魂に変調をきたして近い内に消滅さ。いいかい、魔方陣ってのはソレ自体に世界に干渉する力が宿ってる。そんなモンをあたしたち、剥き出しの魂に書き込んでみろ、互いが干渉を起こしてどこかしらが悪くなるってわけよ。けどね、ソレを克服すれば確かに便利ではある。それでも、意味はあんまり無いね」

「どうしてだ?」

「そもそも創術ってのは自身によって幾らでも創造することができる。結局のところそんな事をするぐらいなら努力しろって話さ。リスクが大きすぎる。それなら、物に書き込むか、自分で出来るようになった方が無難だろ?」

 だが、ハルカの疑問はまだ残っていた。それは自身が初日に必需品として与えられた心象武器だった。あれはどちらというと人間に魔方陣を書き込むのと同義な気がしてならないからだ。

「鋭いね。そうさ、心象武器ってのは、様は魂の内に魔方陣を取り込んでるのさ。けどね、魂と同期しやすいような媒介を選択し、術によって個人のエーテル振動を解析かつより強力な創術を導き出す、などなど、これら一連の流れをいかに完璧に行えるかというのがあたしたち秘技師の力の見せ所で、そういう意味でも、あたしは超一流ってわけよ」

 彼女は誇りに満ち溢れた輝かしい笑顔を浮かべた。その溢れんばかりの才の自負にハルカは憧れすら抱いた。彼女は自身の力をひたすらに信じているのだ。

「そりゃ凄いな。……ところで、今の話だと心象武器ってのはただの武器じゃなくて創術みたいな力が宿ってるのか?」

 地獄のような特訓の中、一度もそんな特殊能力を発揮したことがない事に気付き、思わず身を乗り出してしまった。それを隣に座っているユキミは肩を引いて席に着かせる。

「ああ? 当然だろ? ただの武器なら自分で創造すりゃいいだけのはなしだろ? いいかい、心象武器ってのはそれ自体に創術が宿ってる。それは個人を解析し、最も適した力を式に変えた力だ。まあ、引き出せないってなら、それはアンタがまだまだって話さ」

 少しはヤレるようになったと自負していただけに、その事実はハルカを落ち込ませた。

「くそー。ユキミもそんなのがあるなら早く言ってくれりゃ助かるのに……」

「……自分で見出さなければ意味がありません」

 恨みがましい視線を向けられたユキミはそ知らぬ顔で厳しくも合理的な言を投げ掛けた。正しさを盾に取られればハルカはぐうの音も出ない。

「ユキミはその能力を使った事があるのか? 俺との修行で」

「……ありません」

 それは正に断頭台から滑り落ちるギロチンの如き一言だった。彼女と死力を尽くして戦う事ができるのはいったいいつになる事か。それを想い彼は途方にくれるのだった。

(って、俺もすっかりこのバイオレンスワールドの一員に溶け込んだな……)

 しみじみと人間の持つ適合能力の高さについて考えていると、それまで沈黙を保ち黙々と食事を摂っていたコジロウが厳かに呟いた。

「さっさと飯を食え」

 話に夢中になっていた二人は食事そっちのけであった。食卓の上には僅かしか手をつけておらずに冷めてしまった料理が哀愁を漂わせている、ように見えた。その作り手であるユキミは表情こそいつもと変わらないが、不機嫌そうな空気がどことなく渦巻いている。

空気を呼んだハルカとマーガレットは早食い王者のような速度で食事を口に掻き込み始めたのだった。


 その夜、ハルカが風呂から上がると携帯にメールが入っていたため、それに従って屋上へと上がってきた。昼間こそ茹で上がるような暑さだが、ここを吹き抜ける夜風は程よく冷たく体から熱を奪い心地よくさせる。

「よ、まったか?」

「エエ、待ったわ。淑女を待たせるなんて紳士とはいえないわね」

「そりゃ悪かったよ。ならこれで機嫌をとるとしようか」

 そう言ってハルカが投げた缶コーヒーをコナタは上手くキャッチした。

「しかし、なんでこの事務所は自販機が設置してあるんだ? コーヒーなら自分で入れた方が上手いだろ?」

「確か炭酸飲料を外に買いに行くのが面倒くさいから導入したって話よ」

「まあ、便利でいいけど」

 ハルカは買ってきた缶コーヒーに口をつけたが、真っ先に浮かんだ感想がやはりユキミの入れたほうが上手いなという事だった。

「一日に2回も顔見せるなんて珍しいな。さては俺の顔が恋しくなったか?」

「そうよ。私はあなたに会いたかったの」

「ヘっ?」穏やかな微笑がハルカの心臓を鷲掴みにした。こんなしおらしいコナタを見るは始めてであったからだ。予想外の返答と展開が彼の頭を沸騰状態にした。

「冗談に決まってるでしょ。ホントあなたって軟派を気取ってるくせに純よね」

「……だと思ったよ。ヘッ!」

 軽口の叩きあいだが、ハルカは嫌いではなかった。二人は時たまこうして夜に屋上で駄弁るのが習慣となっていた。

「それよりも、店でいきなり変わるのはヒデェじねぇか?」

「あら? 本音を引き出すには建前を用意できないように意表を突く事が大切よ。おかげで素直になれたでしょう? それにその点では、あの子にも同じ事をしたのだから、それで許して頂戴」

「結局、焦ったのは俺とユキミだけじゃねぇか……」

 二人の感情を思い通りに操ったコナタの優雅な笑みにハルカは深く嘆息した。しかし同時に、彼は感謝もしていた。彼女の行いは確かに功を奏し、お陰でユキミとの信頼関係が一歩前進したのだから。

「あの子はね、人に自分の事を話すのが苦手なの。だから、あなたみたいにしつこい男がいてくれてよかったわ。ありがとう」

「しつこいって……そうかもな、ハハ」

 この一ヶ月でユキミに行ったアプローチの数々を思い出し、そう言われても仕方がないと自覚したハルカはとりあえず苦笑いでお茶を濁した。

「一つだけ聞きたいんだけどよ、あいつ、あの時何で笑ったんだ?」

 思い出していたのはハルカが己の過ちを謝罪していた時の謎の微笑みだった。あの時の笑みと言葉の意味が彼の中でずっと引っかかっていたのだ。

「本人に聞きなさい、と言いたい所だけど今日は教えてあげるわ。あの子はね、生まれてから死ぬまで、人と殆ど接したことがないのよ。私と対話できるようになったのもあの子が10歳ぐらいからね。だから、あの子は人間の持つ行動の不可解さが新鮮なのよ。特にあなたみたいにしつこい男の子はね」

「……ありえねーだろ、そんな状況」

 ハルカには想像ができなかった。人とは生きていれば誰かと触れ合うことが必ずある。親や友達、近所の住人、果ては完全な他人。世界には人が溢れかえっているのだから。

「精神的な病気か何かでもあったのか?」

「違うわ。原因は幾つか在るわ。一つはあの子は生まれた時から体が弱く病院と自分の部屋を行ったりきたりだった事。二つは親が親でなかった事。三つはあの子の家がとてつもない金持ちで話しかけるのも憚れる程だった事。そして四つ目は、いつしかあの子自体も人を求める事をやめてしまったからなの……」

 屋上の柵に背中を預け夜空を仰ぐコナタ。自分の片方であるユキミの孤独を誰よりも知っているの彼女だろう。ただ月を仰ぐ彼女が何を想っているのか、ハルカには心を読む事は出来なかったが、その姿はどこか淋しそうに見えた。

「なあ、ユキミの事として話してるが、あんただって体を共有してるんだから、あんたも淋しかったのか?」

 だが、それはハルカの思い違いである事を思い知った。コナタは彼に笑みを浮かべていた。それはまるで、慈悲の女神が救いを求め縋る人間に浮かべるような完璧な優しさと美しさを兼ね備えた微笑(ほほえみ)。それゆえに、ハルカは恐ろしくて堪らなかった。

「私はね、ハルカ君。ユキミがいるだけでいいの。あの子が笑うだけで幸せ、あの子が悲しむと私も悲しい、あの子の幸せが私の幸せ、あの子の不幸が私の不幸、それだけよ」

 それは透明に透通っているが故に不自然で恐ろしい。ハルカは彼女の在り方に慄いいた。

「わかんねぇな。どうして、そんなに自分よりもユキミを優先できるんだ?」

「あら、別に私は自分を蔑にしたわけじゃないわよ。ただ、私の望みがそうだったというだけの事よ。あなたはさっき、私が淋しいのかと聞いたわね? そうね、あの子が一番必要な時に助けて上げられなかった事が悔しいのかもね、今も」

 コナタの表情が悔恨に歪む。それに引き摺られたかのように、一際強い風が吹き抜けた。

「なあ。あんたみたいなのがいて、なんでユキミはああなんだ?」

「あれでも、私と対話が出来るようになってからだいぶマトモになった方なのよ。むかしはそれこそ、本物の人形かと思える程だったわ。……まあ、そうね。確かにあの子は無意識に私を恐れているのかもしれないわね」

 それまで向かい合っていた彼女は不意にフワリと回りハルカに背を向けた。それは彼に何かを悟らせまいとする動きだったのだろうか。ハルカは想像した。もう一人を感じる事の出来る二重人格者は何を想うのか。それは圧迫される自我からの恐怖か、それとも誰よりも近しい存在を感じ取れる安心感か。ユキミと過ごした二ヶ月間、すれ違いはあったが、同じ屋根の下で寝食や訓練を共にしてきた。それだけの時間を共有した上でハルカが言える事があった。

「いやさ、一番近くにいるのはあんただから意味無いかもしれないけどよ。ユキミはあんたの事を恐れてるなんて無いと思うぜ。確かにあいつはあんたを頼りにしてるよ」

「ホント、意味ない事ね。あの子の事は私が一番よく知ってるわ。あなたの言った事が的を射ている事もね」

 月に照らされた彼女の横顔。その口が三日月のような笑みを造っていた。そこには確かに淋しさが見て取れた。

「人間には本能があるわ。それに、この世界には死のトラウマもある。だから、あの子は決して私への恐怖から逃れられない。だって……、あの子を殺したのは私だから」

 再び彼に向き直った彼女は悪戯がばれた悪童のように、おどけた表情をしていた。それはピエロの存在のように世界からずれた歪んだ表情。ハルカは空寒くなった。

「……いったいどういう事だよ?」

「近い内に分るわ。あの子が背負った地獄と、あなたが背負った地獄がね」

 ハルカの困惑を他所に、彼の隣をすり抜けてドアへと向かう。彼女とのすれ違い様にシャンプーの芳香がし、それが彼の感覚を現実へと引き戻した。

「そうそう、不思議な事を言ってかき回したけど、私の精神は普通の人間と同じよ。誰かを愛し、何かに笑い、不条理に怒る。ただの人間。それと、私とユキミは完全に独立した存在だから互いの心の奥底は分らない。結局のところ、他人でしかないのかもね」

「おやすみ」という言葉を残して階段を降りていったコナタ。ハルカは全身にどっと疲れが押し寄せ、ベンチに座り込んだ。嫌な汗が滴り落ちる

「ったく、今日は次から次へとイベント起こりすぎだろ……。って、ギヤァァァァァァ」

 突如、頬に非常に冷たい感触が触れ、ハルカは大声を出して立ちあがった。振り返ってみるとそこには先ほど立ち去ったコナタの姿があった。

「あんた、ああいう退場の仕方をした後に平然と戻ってくるのかよ……」

「……何の事ですか?」

 よく分らないと眉を潜め首をかしげる彼女。その愛くるしい小動物的行動とトロンとした眼からユキミだと判別できた。

(つーか、俺とコナタが話をしてた記憶はないのか。主はユキミだってのは嘘なのか?)

 真実と嘘の狭間でマーブル状に思考が渦を巻いていると、ユキミがハルカの好きな飲み物であるコーラを差し出してきた。

「なんだこれ?」

「……コナタが屋上にいるハルカに飲み物を持っていけと言ってましたので」

 礼を言ってソレを受け取るとプルタブを開けて一気に煽った。爽やかな喉越しと炭酸のハジケ感が、ハルカの困惑を流し去った気分だった。

 役目を終えたユキミは自分の部屋に戻るとしていた。ハルカはその背中に質問を投げ掛けた。だが、彼にはそれに帰ってくる答えは既に想像できていた。

「なあ、コナタが好きか?」

「はい。あの子は私の大切な、双子の姉みたいなものですから」

 常に入る思考時間が僅かもない返事。それが答えだ。それを聞いてハルカはこれ以上小難しく考えるのを止めにした。悩むのはその時でいい。掴めもしない霧で頭を悩ませるよりはと結論付けたハルカは、腰を上げ質問の意味を図りかねているユキミの横に立った。

「ありがとよ。一緒に戻ろうぜ」

 小さく頷いたユキミと建物の中へと入っていく。ハルカはユキミの中でコナタが彼女の答えを聞いていてくれればと少し願った。


 時間は正午過ぎ。場所はオウカの街を少し離れた場所にある廃工場。真昼の太陽はサンサンと輝き、お肌の大敵である紫外線を放射し人類の皮膚を攻撃する事に余念がない。日本でいうところの7月だが、ここ数日は猛暑日続きである。先日拝受した長くて黒い執事服がさらに追い討ちをかけていた。

 何故ハルカが一人でこのような場所にいるのか。その答えは実にシンプルである。一人前になった彼のもとに初めて仕事が回されたのだ。しかも単独任務である。ユキミと組まされると聞いていたので、今現在の状況は彼にとって不本意ではあった。

「にしても、あちーな。つーか、依頼人はまだかよ!」

 ここでこうして突っ立てから早一時間。いい加減待つ事に飽き飽きしてきたハルカは、屈むと砂を掬い上げた。手からこぼれ、風に乗って舞っていく砂塵。彼は再び掬い上げると、エーテルをそれにこめた。その感覚は熱。体の細胞から熱エネルギーを生み出し、手に収束させるイメージ。そして脳内で描くのは漉き取った大海の宝石サファイア。想像し創造する。そして、手を開いた時、やはり風に砂塵が舞っていくだけだった。

「あー、やっぱ無理か。改変も出来ないなんて俺って才能ねーな……」

 期待していなかったとはいえ、いざ失敗してみると欠片は期待していた自分がいた。創術には得手不得手があるとはユキミの言だったが、それでもハルカは何かしらの進歩が欲しく、再び挑戦してみることにした。

「テメェ、なにやってんだ? その年で砂遊びはねぇよな? ハっ!」

 小馬鹿にした響きが頭上から投げ掛けられ、ハルカが仰ぐとそこには彼の天敵レオが仁王立っていた。顔に張り付いた嫌味な笑みを見て、ハルカはウンザリとした気分になった。

「チッ。うっせーな。俺が何してようと勝手だろ? それよりもあんたはこんな辺鄙(へんぴ)な所で何してんだよ? ……まさか」

「そのまさかだよ。テメェを呼び出したのはオレだよ」

 彼の笑みがエサを前にした野生の獣のような獰猛なモノに変わり、ハルカは屈んだ姿勢からそのまま後方へと跳躍し、隙無く臨戦態勢に入ると相手の動作を警戒した。

 ハルカはこの場所に来るようにとだけ伝えられており、誰がどんな依頼をしたのか聞いていなかった。ここに現れたのが彼である以上、雑用を頼まれるといった平和的な依頼でない事は想像に難くなかった。血を見る、その緊張感が彼の体をより堅くした。

「いいね。いいね。テメェも分ってんじゃねぇかよ。そうだよ、オレとテメェが仲好し小好しなんて、ルシファーとミカエルが杯を交わすぐらいありえねぇ」

 ピリピリとした殺気が迸り、思わず後ずさるハルカ。不倶戴天の仲とはいえ、すぐさま果し合いになる事を想定していなかった彼は心の準備が万全でなかった。

(こんな事を言うと、ユキミが実に冷え冷えとした視線で死にたいのですかって聞いてきそうだけどな)

「取り合えず落ち着け。話し合おう。俺は別に戦いをしにここに来たつもりはないぞ。うん。文明人通し、舌鋒で鋭い戦いをしようじゃないか!」

 冷や汗をタラタラと流してこの場を口八丁で切り抜けられないか試みる。だが、彼とてそれが成功するとは信じていない。故に、レオが放つ殺気が濃くなったとしても然程驚きはしなかった。

「テメェ、馬鹿か? オレとテメェで話す事があるか? お譲とお姫の事で語り合うのか? アホか! オレたちは気の抜けた学生かァ?!」

(イヤ、俺はついこないだまで学生でしたヨッ!)

「違うよな? じゃあ、オレたちは何だ? 闘争者だろ?」

 彼が両手を開いた刹那、紅の炎がそこに現れ荒ぶり纏わりついた。そして炎が止んだ時、それはその炎が結晶化したような鮮やかな紅の篭手と化していた。

「これがオレの心象武器“双頭の焔”だ! ホラ、いくぜ! 形成:炎の翼」

「ちょ、ま――」

 ハルカが言葉を言い切るよりも疾く、レオの姿は掻き消えた。そして、何が起きたかも理解できないまま、ハルカは上空に打ち上げられていた。

(クソがっ! 反応できなかった)

 彼はその状態になって初めて思考が動きだした。レオが行ったのは原理不明の高速移動、そして接近して何かしらの打撃。ハルカの激痛を叫ぶ腹部が攻撃された事を物語っている。

 一先ず体勢を立て直そうと結論付けた直後、彼の眼前に炎を背に負ったレオが現れた。

「よお! 頭の回転が鈍いんじゃねぇかっ!」

 彼の背中で燃えさかっている炎、それは翼であった。同時にハルカは彼の行った高速移動の正体を理解した。だが、それを解明したところで現状では無意味。レオは炎の翼を大きく広げると、ハルカ目掛けて大きく羽ばたいた。それによって吹き荒れたのは灼熱の嵐。

 ハルカはエーテル力を高め防御を固めると、その爆風に身を任せた。方向は直下。

 唸る炎熱、叩きつけられる風圧、加速されていく落下エネルギー、そして衝撃。

「グ……オ……」

 まるで流星のように地面に叩きつけられたハルカは満身創痍ながら立ち上がった。全身からは炎で焙られた火傷の痛み、衝撃によって掻きまわされた内臓の痛み。それらが彼の精神を蝕む。だが、彼とてユキミの訓練を伊達で耐え抜いた訳ではない。即座に鎮痛化と行動に支障をきたしそうな部位の修復を行った。同時に心象武器の具現化を行い。戦闘状態へと精神をシフトさせた。

「ようやくその気かよ? オレが本気なら死んでたぜ?」

「やられ役はそうやって好機を逃すよな!」

 炎の翼をはためかせ空中を飛びまわるレオに対して牽制射撃を行う。

「オイオイ、まさかにオレに勝つ気かよ? ギャハハハ。そりゃ、おもしろい冗談だぜェ」

「知ってるかい、漫画で最初に出てくるかませ犬は炎使いが多いんだぜ」

 レオも両手をハルカへと向けるとそこから炎弾が撃ち出し応戦する。軽口を叩きあいながらも彼らは自分に勝ちを手繰り寄せるために手を緩めない。

 その軽口の叩き合いに先に飽きたのはレオだった。ただ、ハルカの周囲を旋回していただけの飛行を、炎弾の牽制射と同時に変更。最大加速でハルカ目掛けて突っ込んできた。

「それはもう見えてんだよ!」

 集中力を増したハルカにとってそれは待っていた行動だった。レオの移動速度は速い。しかし、高速になればなるほど動きが単調になる。ハルカはレオと交錯する僅か直前、地面を蹴って跳躍。彼の上を取るとその無防備な背中に弾丸を叩き込んだ、はずだった。

「アメェよっ!」

 ハルカの放った弾丸が命中する直前。レオは背中の炎翼を一際大きく火を吹かし加速したのであった。弾丸は地面を穿ち、敵は遠ざかる。今の弾丸では届かないと踏んだハルカはこんな時の為にと製作しておいた新たな創術を使う事にした。

彼の銃は実弾を放っているが、それは創術によって生み出されているに過ぎない。心象武器の機能を使いこなせれば、多種多様な攻撃が可能となる。そう、何も実弾を放つだけがこの銃の在り方ではない。

「切り裂け “光刃”」

 狙った右手の銃から放たれたのは光線、まさに光の刃だった。それは光速で宙を駆けると飛翔するレオの背中を切り裂いた。途端、体勢を大きく崩し地面へと墜落し、砂ボコリを上げて地面を転げていく。それはまるで水切りのような光景だった。

 ハルカが放ったのは銃口から光線を照射する創術“光刃”。速度と射程に秀で、持続力もある。故に光の刃。だが、エーテルの消費量は大きく、威力もさほどない。

 ハルカは追撃の為に未だ砂煙に隠れるレオに対して掃射を加えた。だが、煙の奥で紅の揺らめき。

「形成:炎の壁」

 その名の通り、レオの前面に張られて炎の壁が、あらゆる攻撃を防ぎきっていた。

「なあ、一つ聞きたいんだが、あんたの依頼って結局何なんだ?」

「ハッ、ここまでやってわかんねぇか? オレが出した依頼はお前との勝負だよ。コジロウさんは許可したぜ。モチロン、殺してもイイってよ」

 ゲラゲラと下品な笑いを上げるレオ。一方のハルカは陰鬱としていた。何が悲しくて初仕事が戦闘狂の相手なのか。我が身の不幸に溜息が出るばかりで、何とかしてこの場からトンズラできないかと周囲を見渡すも、転位陣まで遠く、廃工場に逃れたところでそこごと吹き飛ばされるのが眼に見えていた。

 結局戦わないといけないのかと思うと肩が重くなった気がした。

「なあ、これでお開きにしないか? 考えても見ろよ、あんたが俺と戦ってなんの得があるんだよ? 自分で言うのも何だけど、あんま強くないよ、俺」

 ハルカの腑抜けた言葉を聞いたレオはようやく狂人のような笑い声を止めた。彼の双眸は憤怒と妬みの入り混じったドロドロとした負の感情で汚泥と化していた。

「理由ならあるよ。テメェは選ばれた」

「選ばれた? 誰に? 何を?」

 実の所心当たりはあった。だが、レオが青年との約束を知るはずはない。ならば、その感情はただの嫉妬からくるものだとハルカは判断した。彼の言葉を聞くまでは。

「テメェは選ばれたのさ、我らが主の傍らに立つ者としてな。あのスカシ野郎め。いくらタイミングがいいからって、こんなヘタレた奴に任せるとはな。炎を運ぶ者が聞いてきれるぜ。運んできたのは燃えカスじゃねぇか」

「……何の話だよ?」

 個人の感情とはかけ離れた何かを読み取ったハルカは困惑するしかなかった。そんな彼にレオは小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「知る必要はねぇよ。テメェはここで終わりだ。言ってやるよ。そうだ、期待はずれだぜ、テメェ! ここで死んどけ、ほらよォ!」

 レオが両手を突き出すと、炎の弾が放たれた。ハルカはそれを迎撃するとその球が炸裂し周囲に炎を撒き散らし、紅が彼の視界を奪った。それは眼晦ましだったのだ。

「形成:炎の鎖球」

 ハルカが炎から身を庇った僅かの瞬間をついてソレは彼に迫っていた。ソレは人の大きさはあろうかという炎の塊。レオはソレに繋がっている鎖を操り、炎塊を自在に投げつける。隙を突かれたハルカは避けられるべくもなく直撃を受け、熱と爆風を叩きつけられ弾き飛ばされた。受身も取れず地面に投げ出されたハルカ。立ち上がるよりも先に頭上から炎塊が叩き下ろされる。

「クソがっ!」間一髪で地面を転がり避けたが、その炎塊が地面を抉った瞬間、爆発を起こし周囲を衝撃で消し飛ばした。当然ながらハルカは避けきれず、炎風に弄ばれた後に地に伏した。

「……あ、くあ……全身がいてぇ……」

 体を回復させながら立ちあがったハルカ。既に半死半生。しかし、それでも彼は諦める訳にはいかなかった。ギシギシと鈍い音を立てるのは体ではなく精神。深層からわき上がってくるのは単純に恐怖だった。死に対する忌避、死にたくないという衝動。その感情の津波は彼のあらゆる感情を飲み込み、ただ足掻けと命ずる。

 ハルカは知った。これがコジロウの語った死のトラウマであると。

「ハッ、まだ立つか。頑丈さだけは十分だな。オレの炎の鎖球は下位の竜すら叩き殺すのによ。ゴキブリみてぇな奴だなぁ」

「わるいね。俺は、ここで、終われないんでね」

 そう宣言すると大きく息を吸った。回復には莫大なエーテルを消費する。今の肉体のダルさからあまり残されていない事は実感できた。対するレオは一見したところ、さして披露が見られない。こうなってくると、ユキミの忠告が真実であった事を実感できた。それは『常に僅かな緊張状態を保ち、精神の戦闘化を即座に切り替えられように』だった。事実、この戦闘でレオからもらった負傷の多くは、ハルカの対応の遅さからのものだった。

(過ぎたことを嘆いてもしかたねぇ、ヤル事をヤルだけだ)

「カクゴは決まったか? 顔つきだけはイッパシだな、オイ」

 レオは炎の鎖塊を消すと新たな創術を使った。

「形成:炎の剣、炎の翼」

 彼の両手から噴出した炎は螺旋状に収束し、その炎が爆ぜ散った時、二振りの剣と成った。加えて彼の背からは例の翼。成程。彼は勝負を決しようとしている。

「勘弁してくれよな……」

 ぼやきながらもハルカは銃を構えた、怖れが彼の体を戦慄かせる。しかし、戦わなければ生き残れないのだ。

 レオが炎を翼をはためかせると、彼のからだが一瞬ブレ、既にハルカの眼前。ハルカは後方へステップし、嵐のように繰り出される灼熱の刃を掻い潜りつつ反撃。それをレオも避けられるものは避け、防げるものは防いだ。互いに傷を増やしながらの進退。このままでは不利だと悟ったハルカは振り下ろされた炎剣をエーテルで強化した右手とその銃で押し留める。それでも防ぎきれず、肉の焦げる音と臭い。レオの腕力と炎の熱に耐えつつ、レオのドテッパラ目掛けて散弾を打ち込んだ。

「ゲヘハァ」近接様の弾丸を零距離で打ち込まれたレオは腹部に風穴を開けて吹き飛ばされた。しかし、タダで貰った訳ではない。その直前、レオは片方の炎剣を爆破し、ハルカを爆ぜ飛ばしたのだった。

「クソがァ!」「なめんな!」

 傷の再生よりも鎮痛を選んだ二人。僅かに立ちあがりが早いのはハルカ。まだ体勢を整えていないレオ目掛けて銃を連射する。しかし、朦朧とする意識によって命中精度は落ち、命中した弾丸もレオの張った炎の壁の前に融かされた。

「残念だったなァ!」

「そっちがな!」既に一振りとなった炎剣を携え、レオがハルカに斬りかかろうと足を踏み出した瞬間だった。突如、彼の周囲が爆発した。土砂を巻き上げ吹き上がる衝撃波、轟く大地。ハルカは弾丸が外れても良いように創術“陣雷”の弾丸を混ぜ設置。タイミングを見はからって地面に埋まっている弾丸を一斉に爆破したのだ。

「オイオイ、それで終わりかよォ?」

 しかし、本来一発に集中すべきエーテルを、弾丸をばら撒く事によって分散。結果、一発の威力が低くなっている。当然その結果は想定していた。故に、次の一撃がハルカにとって起死回生の機会であった。

「陣形成 エーテル収束」

 土煙が晴れた時にはハルカはレオへと向けている銃口の先に魔方陣が生み出していた。それはユキミに一矢報いるためにマーガレットに協力を仰いで生み出した創術。

「万壁穿て “雷槍ォォォォォ”!」

 銃創を引き、打ち出された伝導性弾は、魔方陣を潜った瞬間に通電、磁性を帯び、魔方陣によって生み出された磁性レールに沿ってプラズマの尾を引きながら打ち出される。それは電磁投射砲(レールガン)、瞬時に音速を彼方に凌駕した弾丸は雷光を纏い爆炎と爆音の尾を引きながら空を翔る。それは刹那にしてレオを打ち抜き、次いで炎の嵐が飲み込んだ。

 一直線に伸びた炎の道。轟を上げて燃え盛るその先に人影は存在しない。

「……勝ったか……?」

 戦闘による消耗に加え、大技を放った事によるエーテルの大量消費が、彼に多大な疲労感を抱かせた。しかし、精神には余裕が生まれていた。切り札が見事に命中したのだ、無事ではすまないだろう。或いは殺したかもしれない。その事が今までとは違う鈍い痛みをもたらした。

「デダ、まさかこれで終わりじゃネェよなァ?」

 嘲りけりがハルカの鼓膜を打った。目は驚愕で見開かれ、額から汗が流れ落ちた。炎上する大地に一つの影。それは紛れも無くレオだった。彼の上半身の服は無く、鍛えられた素肌を晒している。その肌をエーテルの反応光が稲妻の様に走っているところをみると、負ったダメージを再生したようだった。

「テメェ、舐めてるよな?」

「……な、何の話……だよ?」

 乾いた口が上手く言葉を繋げられない。思考も動かず、何に対して怒りを顕にしているのか検討がつかなかった。ただ、今の彼には己の終わりに対する恐怖しかなかった。

「イヤ、舐めてんだよ。今の一撃、よかったぜぇ。もう少しエーテルが、いや、殺気が籠ってたらオレは消しクズになっただろうよ。一撃で消え去ったかも、もしくは、行動不能になったかもな。様はテメェの勝利だ。な・の・に・だ。結果はこうだ」

「何が言いてえんだよ?」

「わかんね? テメェ、オレを消し炭にするつもりが無かったんだよ。で、結局、芯の籠ってない技のせいでオレはピンピンしてんだよ。クソがッ! 最高の一撃を退けてこその死線だってのによ」

「意味わかんねえよ! いいじゃねぇか生きてんだから! もう、いいじゃねぇか!」

「いや、全然良くねぇ。分ったよ。理解した。ああ、分ったよ」

「……何がだよ?」

「テメェはダメだ」

 鋭い刃のように冷たく閃くレオの視線。そこには眉を潜めるような汚物を見る侮蔑の限りが籠った蔑視の念が籠っていた。ハルカはそんな蔑みに耐えられず、後ずさる。

「スー、来い。もう終わりだ。一息に終わらせる」

 レオの呼びかけに応じて舞い降りてきたのは一羽の純白の鳩だった。その鳩は彼に撫でられると再び空に舞い、彼の周りを旋回し始めた。

「我、魂を開き、汝得る」「我、魂繋ぎて、汝得る」

 その言葉の後、その白い鳩が白光に変わると、その姿が人型へと変化していった。そして、その光が収まった時、丁度レオの背中で守護霊の様に浮く僅かに透通った女性となった。

「人になった? 浮いててるし? 透通ってる? なんだそりゃ……」

「驚くこたぁねぇ。こいつは元々人間だ。んで、この現象は共振だ。わかるだろ?」

 ハルカにも彼が言わんとする所が認識できた。彼から放たれる威圧感が強大になっている。ハルカはそれだけで勝利への手が完全に詰んだ気がした。

「エーテル力が大幅に増大してんのか?」

「正解だ。共振ってのはな、信頼によって強い絆を得た魂同士が一時的に繋がる事によって強大なエーテル力を得る、他モロモロだ」

「……何だよ他モロモロって。つーか、そんな事を俺にベラベラ喋っていいのかよ?」

「いいんだよ、別に。テメェは今、ここで、終わりだ。見せてやるよ。これがそのモロモロだよォ!」

 彼が左手を開くと、そこに風が渦巻き、それは一振りの長剣となった。間違いなくそれは心象武器であった。

「……おい待てよ。なんで二つ目の心象武器があんだよ?」

「心象武器ってのは一人一つが原則だ。だがな、共振状態なら相棒のモノを使用することができる。当然、その能力もなァ」

 レオが大雑把にその剣を横薙ぎに振るった。それに伴い疾風が駆け抜けた。

「は? ぐっ、が!」その疾り抜けた風は鋭いカマイタチだった。なす術もなくそれを受けた彼の体に横一文字の刀傷が刻まれ、そこから血がダクダクと零れ落ちる。

「この剣の名は“シルフィード”聞いたことがあるかもしれねぇが、風の精霊の名だ。ここまで言えば分るよな? またも、気の抜けていたお馬鹿さん」

 レオは口角を釣り上げ悪魔のような獰猛な笑みを浮かべると炎と風を纏って襲い掛かってきた。傷を修復したハルカは近寄らせまいと銃を撃って牽制するが、その攻撃の悉くがレオの周りで渦巻く風の鎧で防がれる。

「オイ、抵抗すんなよ。どうせ終わりなんだからよ」

 レオの指摘は当然のものだ。いまのハルカにはエーテルがほぼ残されていない。だがそれでも、抵抗する。死のトラウマの強迫観念も当然ながら、それは間違いなく彼自身の意志でもあった。

(終われない。このままじゃ終われない、終われない)

 呪詛のように反芻する言葉、それが彼に残されている全てであった。だが、その泥にまみれた願いもただ悠然と歩を進める風炎の悪魔の前では無意味だった。

 気がつけば彼の目の前にレオが立っていた。彼の背には悲しみに顔を歪めた聖女のような女性が浮かんでいる。レオの相棒ですらもハルカの無残な終わりを悲しんでいる。

(クソッ! おわりかよ……、しまんねぇな……)

 そして心が諦めを受け入れた。武器を構えていた腕では力を失いダラリと垂れた。気がつけば彼の全身から光の粒子が乖離し始めていた。

「エーテル崩壊。ハッ! 安心しろ。テメェが自然消滅する前にオレが止めを刺してやる」

 吹き荒ぶ灼熱の嵐。嬉々として止めを刺そうとするレオ。頭上で輝く太陽。こんなものが自分の見る最後の光景かと悟ると、ハルカの眼から一筋の涙が流れた。

 ボーナスステージのような世界だと初めは感じていた。しかし、青年との出会い、少女たちとの出会い、伝説との出会い、そしてここでの暮らしが彼に何かが出来るのではないかという確信を抱かせていた。一度失った人生(すべて)をココで再び始められると。

 その結末はコレである。闘争に対する覚悟の欠如か。誰かの命を奪ってでも生き抜くという覚悟の欠如か。それとも単純に、生きることに対するすらの覚悟の欠如か。

だが、後悔に既に意味は無い。

(俺は……終わり……なのか……)

 鮮やかな紅の炎が燃え上がっている剣。レオは振り上げたソレを断頭台の刃のようにただ無慈悲に振り下ろす。その刃が肉を裂き、その炎が身を焦がした時、アマナシ・ハルカは二度目の終焉を迎えるだろう。

「……そうはさせません」

 炎と陽炎を引いて落ちてくる凶刃を誰かが弾き飛ばした。護る様に彼の前に現れた少女は風に長いスカートの裾を翻しながら堂々と立っていた。その瞬間、ハルカの澱んだ景色が清風に洗い流された。とても天使とは呼べない漆黒のワンピースだが、たしかに彼女が彼にとっての舞い降りし守護天使だった。そう、彼の前にはユキミが居た。

「お姫……。来るかとは思ったけど、やっぱり来やがったか……。なあ、オレが用事があるのはソイツだけだ。大人しくしててくれねぇか?」

「……無理です」

 レオとて彼女の頑固さを良く知っている。説得が無理だと分っていながらも、割り切ることができない己を苦笑した。例え相手が誰であろうと自分の意志を貫くには戦いが要る。

「死んではくれんなよ? そうなっちゃ、ナンモカンモがまるで意味がなくなんからよ」

 ユキミはレオを一瞥すると、しゃがんで地面に倒れ伏しているハルカに何かを飲ませた。

「んっ……ぐっ! がはっ……体が動く……。ユキミ、助かった。何を飲ませたんだ? なんかエーテルが回復してるようだが?」

「……“生命の水”、レアものです。所長に借金が出来ましたね」

 どうやら、謎の回復アイテムはコジロウの計らいだったようだ。おそらく、レオの依頼を受けた時点でこうなる事を予見していたのだろう。どうも掌で踊らされた感があり、納得できないが、それでも死際を助けられた事に感謝した。

「……心が折れていなくて良かったです。もしそうなら、そのままでしたので」

「あたりまえさ。俺はまだ未練タラタラよ」

 万全とはいえないが、生命の水はハルカのエーテルをあと少し戦える程度には補った。だが、それ以上に先ほどまでの彼と今の彼では精神的に大きな違いがあった。今の彼には師であり、友であり、相棒であるユキミが隣にいるのだ。

「なあ、ユキミ。ちょっくらアイツを倒すのを手伝ってくんね? 俺一人じゃダメだったわ。どうやら、力も覚悟も不足してたみたいなんだ。情けねぇ」

「……帰ったら特訓ですね」

 冗談めかして言った言葉だが、相変わらずのボンヤリ顔。しかし、ハルカの眼には少し誇っているよう見えた。どうやら彼に頼られたのが嬉しいようだった。

「ところで質問なんだけどさ、俺たちも共振とやらできないか?」

「……無理ですね」

 短く断定的な物言いにハルカは少し肩を落とした。レオの説明によると親しい人間でないと行えない、という事はそれができれば確かな絆が証明されたようなものである。

 彼の落胆に気付きもせず、ユキミは戦闘態勢に入った。ハルカとユキミの仲良しトークに苛立ったレオが殺気を深めたのだ。 

「おい、そこの死にぞこない。何度、同じ失敗をすれば気が済むんだ? チョウシぶっこいてると、またデッドエンドだぜェ?」

「チッ! 分ってるよ。それが間違いだったてな。だが、今回は負けないぜ。俺たちは“二人“だからな」

 そのフレーズがレオに一線を越えさせた。レオは距離を詰めると、炎を纏った剣を振りかぶり、ハルカ目掛けて刃を落とした。だが数瞬後、吹き飛ばされる事となったのはレオの方だった。ハルカとレオの間に割りいったユキミはその刃が振るわれるよりも疾くレオを蹴り飛ばしたのだった。

大きく距離を開ける事となったレオ。それをハルカは見逃さなかった。空かさずに弾丸を叩き込んだが、それはやはり風の壁に妨げられる。だがそれで良かった。

 レオの懐に飛び込んだのはユキミ。彼女の手刀はその壁をいとも容易く切り裂いた。強力なエーテルを纏った手刀は本物の刃以上の切れ味を持ってあらゆる現象を断ち切る。

「お姫。すんません!」

 レオは剣の炎の火力を増大させると横に払った。その言葉とは裏腹に、彼の刃には一遍の躊躇も慈悲もなく、敵を切り捨てる無常さが宿っていた。彼とて一流の闘争者なのだ。

受け止めるが難しいと判断したユキミは後ろに下がり避けたが、薙いだ軌跡が炎の風となって彼女を飲み込む。だが、副次的な攻撃ゆえに防ぎきるのも容易い。その炎から逃れたユキミはハルカの近くまで跳躍してきた。

「……あの炎は厄介です。近接に持ち込みにくいです」

「ならヒット&アウェイだ」

 ユキミは同意するように首肯するとレオ目掛けて駆け出した。そんな彼女に対してレオは背中の翼を広げると、そこから無数の炎弾を放って近寄らせまいとする。ハルカはその行動を阻害するために銃を放ち気をこちら側に引かせた。

「うぜぇな、このリビンデッドォ!」

「うざくて結構。あんたに良い様に思われたくもなしな!」

 レオの気が逸れた一瞬を目ざとく見つけたユキミは最大加速で至近距離まで詰め寄ると、彼目掛けて拳打を放つ。絶妙な奇襲、その一撃はレオの腹部に減り込み、彼は血を吐き呻く。だが、タダでは貰わない。即座に剣を切り返しユキミを遠ざける。

 僅かに開いた距離でもレオに取っては有利。彼が剣を薙ぐと炎の嵐が吹き荒れ、ユキミはそれに飲まれ吹き飛ばされた。辛うじて着地するも全身が火傷と爆圧によってダメージを負った。仕留めるには絶好の機会だが、彼女を気にする間は無い。ハルカは彼女に注意が注がれた瞬間にエーテルを加速力に変えて地面を蹴り、レオへと肉薄していた。

「ハッ! ガンナーが前に出てくんなよ!」

「なめんな! 銃だって至近距離で撃ったほうが威力増すだろ!」

 ハルカが双銃をレオに構えると連射。嵐のように打ち出される散弾が次々と対象を穿つ。風の防御壁で防ぐも幾つかの弾丸はそれを越えてレオを撃ちぬいた。

「うぜぇ!」レオが唸り声と共に翼を羽ばたかせると、灼熱の炎が周囲に吹き荒れた。ハルカは溜まらず防御を固めたが、この炎はレオの味方である。彼はこの灼熱地獄の中を駆けると、亀のように蹲っているハルカ目掛けて刃を突き出した。敵の接近を感じ取ったハルカは全力で地面を蹴りその場を離脱した。しかし、レオの刃の先端が右腕を刺し貫いており、その方の銃を手放してしまった。

「逃げんなよ!」

「……逃げないで下さいね」

「ハァ?」思わず呆けたのレオ。その視線の先には魔方陣を展開したユキミの姿があった。

「響け絶唱 轟け龍吼 “叫雷”」

 その言霊と共に必殺が生み出されようとしていた。しかし、そんな状況でありながら、レオの口角が歓喜に釣り上がっていた。狂った獣は強者を欲する。

「いいぜ、射ち合うか! お姫ェェェェ!」

 レオが剣の切っ先をユキミへと向けると、その剣の周囲を炎が渦巻いた。そして切っ先で収束された炎がジェットエンジンの炎ように噴出した。

それは叫雷が打ち出されるのと同じ瞬間。強大なエーテルの本流が衝突を運命付けられて突き進む。両者がぶつかり合った瞬間、炎と雷光が大きく爆ぜ、絶叫が轟いた。激突の衝撃は地面を大きく抉り飛ばし、衝撃波が周りの建物を軋み上げる。

 強大なエーテルの相互反応は眩い光と雷光を盛大に放出しながら荒れ狂う。そして純粋な力比べはその反応光の収束と共に終わりを迎えた。

競り合っていた雷光を切り裂き、爆炎が一気呵成に流れ出る。怒涛の如き轟きと疾さを伴い、灼熱の奔流は競り負けたユキミを飲み込んだ。

「ユ……キミ……」

 紅炎のうねりが止んだ時、未だ炎が踊る地面に立ち尽くす彼女の姿があった。全身からエーテルの反応光、何とか人の形を保ったユキミは再生を行っている。

「ワリィが、お姫にはここで脱落してもらうぜ!」

 あれ程の攻撃を受けたユキミは再生に専念せざるを得ず、動く事すら儘ならない。その有様をレオが見逃す訳はなかった。

「あんたの相手は俺だよ、クソ野郎が!」

 だが、そのような蛮行をハルカもまた許すつもりはなかった。ユキミが灼熱の怒涛に飲まれた時、彼の心臓は己の死の瞬間と同じぐらいの早鐘を打ち、ただ傍らで立ち尽くすしかできなかった。それが許せなかった。それでは意味がないのだ。

 怒りと無力感が猛りと変わり、レオを砕けと吼え狂う。

「チッ! 三下が吼えてんじゃねェ!」

「中ボスが粋がってんじゃねぇよ!」

 一息で己の間合いに詰めたハルカは銃を連射、無数の弾丸をレオへと叩き込む。幾つかの弾丸を受けつつもレオはハルカへと肉薄、剣を逆袈裟に切り上げる。ハルカは僅かに後方へ距離をとって避けたが浅く切り裂かれる。されど、痛みなぞ無視し、敵に対して散弾を発砲。レオは至近距離で直撃を受けたが耐抜き、篭手で覆われた拳をハルカに向けた。

「形成:龍の顎」

 そこから生み出された炎は龍の頭を模し、それは大きく口を開けるとハルカを喰らいそのまま連れ去り、そして爆ぜた。

「ぐぉぉぉぉぉ」叫びと黒煙を引きながら転ぶハルカ。彼の体は再生を終えつつあるユキミの横で止まった。ハルカの直感がマズイと叫んでいる。二人の位置はレオにとって戦い終わらせるに実に都合に良い位置だった。

「どうやらこれで終わりのようだな? 楽しかったぜェ、そこそこなァァァァ!」

 レオが剣の切っ先をハルカたちへと向けると、炎が渦巻き始めた。それは先程の大技。先程と違うとすれば、最早防ぐ手段がないという事だけだ。

 収束された紅炎が有象無象を焼き殺す許可を求めて明滅する。

 ハルカは銃口を向けると魔方陣を展開。せめてもの抵抗を試みる。それは再びの雷槍にほかならない。しかし習熟の足りないこの創術は叫雷に比べて威力が低い。加えてエーテル不足により最大出力は見込めない。どう足掻いたところで最悪の結末が待っている。

「万壁穿て 雷槍ォォォォッ!」

 搾り出した最後の気力を雄叫びに乗せ、雷を纏った弾丸が爆炎を引いて空を奔る。

対するは、渦巻く紅炎。せめて僅かでも威力がそげるようにと切なる願いを込めた一発の弾丸が、今正に紅の災禍に呑まれようとしていた。

 ハルカは願った。神に。しかし、その一瞬ある光景が見えた。それは決して神ではなかった。だが、彼には確かに“何か”が力を貸していた。

 その一瞬で見えたものは、あの暗がりの部屋で一人本を読み続ける青年の姿。彼の言葉こそ届かなかったが、彼の口はこう紡いだ。『キミハマケナイ』と。

「なッ……なんだとォォォォォ!」

 驚愕をもらしたのはレオ。ハルカの雷槍が彼の放った紅炎の嵐を掻き消したのだ。その光景はモーセの海割りの如く、放たれた弾丸が紅炎を抉り飛ばしたのである。

 だが、それは相殺に過ぎず、両者の攻撃が消滅しただけ。二人同様の隙を縫ったのは再生を終えたユキミ。彼女こそ打ち出された弾丸の如き速力でレオに接近。それに反応したレオは迫り来る影に剣を払った。しかし、その閃きは彼女の僅か頭上を霞めた。

「……終わりです」

 死神の宣告めいた呟き。それと同時にレオは体内で衝撃が爆ぜたのを感じた。彼の腹部にはユキミの繊手が据えられていた。それはハルカを機械蜘蛛から守った一撃。“龍気滅点”。

エーテルを相手の体内に流し、内側から破壊する実にえげつない技である。

 それを受けたレオは体内へと続くあらゆる箇所から血を垂れ流してユキミにもたれ掛ると、彼女の耳もとに何かを囁き地面に崩れ落ちた。

レオが気を失った事によって共振が解け、彼の背後に存在していた守護霊は元の白鳩へと戻った。その鳩は地面に倒れ伏したレオの頭に止まると嘴で絶賛気絶中の彼の頭を執拗に突きまわしている。まるで彼の敗北を罵っているような突きぶりである。ハルカは彼と彼女の力関係を垣間見た気がした。

「……帰りましょう」と静かに告げるユキミ。

「いいのか、あのままほっといて?」

「……? 止めを刺したいんですか?」

「いや、そうじゃなくてだな……。まあ、いいか」

 地面で伸びきっているレオの髪の毛を鳩がブチブチと引き抜いている。あの調子でいくと彼が起きた頃には何とも居た堪れない事になっているだろうが、命を狙われたのだからそれぐらいの仕打ちは当然だろうと思い返した。何より疲れた。

「帰ろうか、我らが家に」

 コクリと静かに頷いたユキミが歩き出した。ふと訊ねたい事を思い出したハルカはその彼女の華奢な背中に声を掛けた。

「なあ、あいつ、最後に何て言ったんだ?」

「……ハルカさんへの伝言です。『ユキミが来た後のお前の殺気は悪くなかったぜ』だそうです」

「……そっか、そうか……」

 彼の伝言でようやく気が付いた。自分だけの命ではどうも熱くなれないという心を。

 誰かを、彼女を守る時だけに、彼の心は熱く燃え盛る。込み上げる激情が青年との契約による楔なのかは判然としないが、先を歩む少女の背中を護りたいと強く思うのは自分の感情だと彼は信じていた。不意にユキミが振りかってジッとこっちに視線を投げ掛ける。それの意味を察したハルカ応えた。

「わるい、今行くよ! 帰ろう! 一緒に!」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ