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第1話「出会いの音色はガトリング

第1話「出会いの音色はガトリング」

ハルカの覚醒はやはり聴覚からだった。薄ぼんやりとした意識の中で彼が耳にしたのは、餓えた獣の吐息じみたトルク音の轟き、次いで土砂降りのスコールが地面を叩く如き謎の連続音。それはまるで映画やゲームの中で聞き覚えのあるガトリング砲の掃射音。

「って! 命の危機じゃねぇかっ!」

 我が身に迫りつつある絶命の危機に瞬時にして意識が覚醒、ハルカは自分の置かれた状況を確かめる為に、仰向けの状態から勢い良く上半身を起こした。

 その過程で一つの違和感を抱き、即座に空を見上げた。

 まるでレースをあしらった傘を広げたような円状の布が頭上を舞っていたのだ。それは何かと眼を凝らしたところ、その傘モドキの真ん中に靴の底のような物が見える。

 この間、思考1秒ほど。彼は結論に達した。つまり、頭上に存在するソレは今正に落下中の人間であり、それは高い確立でハルカの上に振ってくるだろう事。

「俺、再びの死」

 彼がぼやいた瞬間、彼の顔面に硬質ラバーの靴底が減り込み、重力加速度で増大したソレの重量が彼の頭蓋骨を地面に押し潰した。

 はずだった。しかし、彼は顔面こそ踏まれはし、その衝撃で地面に後頭部を打ちつけはしたが、致死性の衝撃を味わったわけではなかった。

 恐怖で眼を瞑っていたハルカだったが、予想より軽い衝撃と未だに轟く銃声に驚き眼を開いた。そこには彼にとっての楽園が広がっていた。まず、彼の頭を跨ぐ様に広がった足。ロングブーツの上には白く滑らかでキレイな肌の太もも。そして、当然その上にはオトコの楽園パンツ。清潔で穢れない白パンである。彼は、欠片も把握できていない現状よりも男の楽園に夢中だった。ふと、彼の顔に何かが垂れてきたが、その事に気を割く余裕は皆無だった。まったく男とは助平な生き物である。

 だがそれも束の間、彼はその彼女?に首根っこを掴まれるや否や、声を上げる間も無く彼の体は空中を舞っていた。その高さは、優に5メートルを越えていただろう。

 それは正に瞬く間の出来事であった為、彼は悲鳴を上げる事さえなく地面に着地し、そこでようやく今までの音の正体を確認する事ができた。

 ここはまるで洋画の西部劇に出てきそうな赤茶けた大地が広がる荒野。

 相対する“敵”は、某ロボット映画に出てきそうな、陽光を受けて眩く輝く銀色のメタルボディをした蜘蛛型ロボット。その大きさは大型トラック程。本来牙が付いているはずの口には実に見事なガトリング砲が装着されていた。

「ココハドコ、アレハナンダ」

 あまりに予想斜め上の展開に思わず言葉がカタコトになってしまった。そんな彼を一人の小柄な少女が黙したまま一瞥した。そう、彼女こそがハルカの顔面に見事な着地を決め、雨あられと降りそそぐ弾丸から守っていたのだ。

「……おい、あんた。……血……血が出てんぞ……」

 彼女が着ている丈長の黒いワンピース。そこの脇腹辺りに百円玉ほどの穴が開いており、生地の黒とはちがう濡れた黒色が滲んでいた。

 それを見たハルカは全身から血の気が引く音を聞いた。夢のような状況で浮ついていた頭が、冷水を浴びせられたように凍りつき、全身が実感のある恐怖で震えていた。

 彼はそこで漸く顔に何かついている事に気が付いた。それは血だった。自分の馬鹿さ加減に全身の血流が勢い良く流れ出し、彼女に何かを言おうと口を開こうとする。

「……居てください」

 彼女は振り返りもしないでそれだけを告げると、軽く地面を蹴った。ただそれだけで、彼女の身体は遥かに高い空まで大跳躍した。

 だが、空中にその身があるという事は、動けない事と同義である。そんな分りやすい的を見送るほど機械蜘蛛も優しくは無かった。膨らんだ腹の部分、そこの6つの発射口が開くとマイクロミサイルが次々に打ち上げられていく。当然ながら目標は彼女である。

 白い煙の尾を引きながら突き進むミサイル群。だが、彼女に焦りは見えない。彼女はまるで見えない足場でもあるかのように、空中で何かを蹴ると、まるで流星のような勢いで機会蜘蛛目掛けて突き進む。その勢いは槍か矢か流星か。

交錯する線と線。されど1対無数。彼女は臆することなく迫り来るそれに突っ込んだ。時に紙一重ギリギリですれ違い、時にミサイルを蹴って自身の軌道をずらし、危険な落下を続け、終には切り抜けた。この間はまさに一瞬。

彼女の背後で轟く爆音と吹き荒れる爆風。それらすらも追い風にしてただ急降下を行う。そして、敵にあと少しで届く距離。彼女は身体を捻り、靴底を蜘蛛に向けると、落下の勢いそのままにソレを蹴りつぶした。鋼鉄のひしゃげる鈍い音が轟き、蜘蛛は八つの足を間抜けな感じに投げ出して地面に減り込んだ。だが、彼女の攻勢はそれで終わらなかった。

彼女は蜘蛛から跳んで地面に降りると、両手を僅かに広げ胸を反り、そのままの姿勢で動き止めた。それは大きな隙であるが、同時に何かを行う初動でもあった。

一方、蜘蛛の方も頑丈らしく、ぎこちない動きで起き上がると、全身から火花を散らしながらもガトリング砲の照準を彼女へと向けつつあった。

だが、それの一斉射が唸りを上げるよりも速く、彼女が動いた。蜘蛛までの間20メートル。その距離を地面一蹴りで埋めると、両掌を蜘蛛の顔面に押し付けた。それは両手掌底。だが、ただのではない。その威力は瞬時にして蜘蛛を爆散たらしめたのだ。爆音が周囲に響き渡り、紅の炎が天へと突き上がり、破片が霰のように降り注ぐ。

 圧倒的な破壊の一撃。それを小柄な少女が生み出したのだ。

 そして、彼女は鮮やかな真紅を背後にハルカの方に歩き出した。それは映画のワンシーンのように鮮烈な光景で、その現実離れした美しさにハルカはただ見とれていた。 

 そして気がつけば口をあけて呆然としているハルカの前に彼女が立っていた。

 お互いに立ってみれば少女は驚くほどに小柄だった。17歳の平均身長ほどだったハルカの胸高さが彼女の頭の天辺であった。

 ハルカは例を言おうととしたが、それよりも早く少女の美しさに声を失ってしまった。

 くせのかかった長髪は冬の木漏れ日のように暖かなプラチナブロンド。陶磁器のようにくすみ一つない透通る白皙の肌、トロンと少し眠そうな瞳には烈火の如く燃える紅と、湖畔のように澄んだ蒼の瞳。その全てが黄金比で設計されたと思われる仏蘭西人形。その美しさは秘宝と呼んでも過言ではないだろう。

「ん? 今の例えどこかで使ったような……。ああ! あの兄さんっ!」

 ふとハルカはあの青年のことを思い出した。彼女の立ち姿がどことなく彼に似ていたのだ。てっきり夢とばかり思っていたあの出来事。だが、彼は“少女を守るように”と頼み、彼女の元に送るとも言っていた。つまり、この少女との出会いは彼によって導かれた物だろう。ハルカはそう結論付けた。

「俺の名前はアマナシ・ハルカ。危ないところを助けてもらってありがとう。ホント助かった。君は俺の命の恩人だ」

 ハルカは深く頭を下げた。実際に助けてもらった事もそうだが、青年と約束したというのに、いざその状況になってみれば立場が逆だった事に恥ずかしさを覚え、その事が彼の頭の下げ具合を深くしていた。

「って、そういや、腹の傷は大丈夫なのかよっ!」

 彼女の足元に垂れた血を見て、ようやくその事を思い出し少女に詰め寄った。彼は自分の愚かしさに己を捻り殺したくなった。

だが、彼の傷口を見ようとした動作は眼前に差し出された少女の掌によって止められた。

「……大丈夫です」

 彼女はボソリと呟くとコクリと頷いた。そして、ゆったりと歩き出した。確かな歩調が彼女にとって大事でない事を示している。

 しかし、無口ここに極まる。ハルカは彼女との会話を如何にして引き出せばいいのかという悩みと、どこかへ歩き出した彼女に果たして付いていってもいいのかという2つの悩みで、脳の回路を高速回転させていた。

「ここはついていくべきか、でも見知らぬ少女の後を追いまわすみたいで何とも。うぬうぬ。そもそも、あの子から短文しか聞いてないような……」

 ハルカは唸っていると、例の少女が少し離れた場所で立ち止まり、こちら側をジッと見詰めている事に気がついた。

(ん? これはひょっとして付いて来いと言ってるのか?)

 ハルカも判断しあぐねて彼女を見詰め返す形となった。それから3分ほどが過ぎ、両者ノーモーション睨めっこの様相を呈して漸く、ハルカは自分の考えが正しい事を確信した。

(メンドウクサイナ。それならそうと言いやがれってんだよ……)

 確かに命の恩人であるが、ここまで見事なディスコミュニケーションっぷりに早くも彼女に対する感謝の念と彼のフェミニスト思想が音を立てて崩壊を始めていた。

 ハルカは盛大な溜息を吐くと、ただボンヤリと佇む少女の下へと急いだ。

 彼が内心で自身の堪え性の無さと言い訳がましさを競り合わせている内に、どうやら少女の目的の場所まで着いたようだった。景色は相変わらずの荒野だが、その地面に得体の知れない魔方陣が描かれていた。それは漫画などでよく見る円と幾何学模様、謎の言語を組み合わせた物で誰がどう見ても魔術的何かであった。

 少女はその魔方陣中心にポケットから取り出したビー玉を置くと、それが何なのか理解できずに立ち尽くすハルカの手を引き陣の中へと引き入れた。

「うおっ!」急にハルカが大声出したので、少女はビクリと肩を震わせると何か?という視線をハルカにおくりつける。

「いやー、はは。ところでこれ何だ? テレポーテーション的何か?」

「……転位術です」

「あっ、そう? はは。大丈夫! 俺は大丈夫だからどこへなりとも連れてってよ」

 普段、軟派に振舞っているハルカだがその内は意外にもウブな奴で、急に美少女に手を握られただけだというのに焦ってしまったのだ。そんな情けない内心を悟らせまいと早口で捲し立てる。

少女はそれで納得したのか術の発動を始めた。のだが、ハルカにはその行動の意味を理解できなかった。彼女は左手親指と人差し指で輪を作ると、それを口に宛がい一生懸命に吹いている。しかし、如何せん下手くそなのか空気の吐き出される音が虚しく繰り返されるだけで、一向にいい音が響かない

(口笛ってやつか? まったく行動の意味がわかんねえけどな)。

 だが、無心に指笛に勤しむ姿を見て、ハルカは彼女に対する苛立ちが霧のように薄れ、何とも朗らかな気持ちになった。それはまるで保護者になったかのような心持。

 そして何十回目かの挑戦の後漸く成功し、ピーという高い音色が乾いた大地に響き渡った。すると、魔方陣の中心に置かれたビー玉に光が灯ったのだ。

「術者:キヨキ・ユキミ。転位先:0号。パス:物干し竿」

『承認。10秒後に転位します。ユーザー様、くれぐれも円の外にはみ出ないようにお気お付けください。グッド・ジャーニー』

 そして10秒後、二人の姿は光に包まれ、そして消えた。


 彼らが移動した先は何処かの庭先だった。高い塀と厳しい作りの門。そして長い蔓の伝わった赤レンガ造りの古めかしいアパートのような建物。その間にあるこの庭は良く手入れが行き届いており、芝生は丁寧にカットされ、花壇には虹の様に色とりどりの花が咲き乱れていた。白いガーデンテーブルとチェアが置かれている。ここでアフタヌーンティーでも飲めば、さぞ優雅な気分になるだろう。

 ハルカが建物の持つ雰囲気に呑まれている内にユキミは建物の中へと入っていった。彼は慌てて彼女を追ったが、玄関の前でふと足を止めた。その扉にある文字が刻まれてあったのだ。

『Lasciate(汝ら) ogne(ここに) speranza(入るもの), voi(一切の) ch'intrate(希望を棄てよ)』

 生前のハルカはイタリア語が理解できたわけではない。だというのに、今の彼はその文字が理解できた。彼は薄気味悪くなり、急いで先に入った少女を追った。彼はその言葉を読みはしたが、意味するところまでを理解したわけではなかった。

扉を潜るとそこはオフィスだった。室内はアンティーク系統の家具で統一されており、木張りの床は歩くたびに軋み鳴る。ランプの形状を模した照明は点けられておらず、真昼の陽光が窓から降り注ぐ。僅かに舞ったホコリがそれに照らし出され、微かに香る煙草の臭いと相俟って、時代がかった如何にもな空気を醸し出していた。

 ユキミは革張りのソファーに腰掛け、机の上に置かれた紙に何かを書き込んでいた。

 ハルカはこれからの身の振り方を初め、胸中からあふれ出す様々な質問をぶつけるべく話しかけようとした。だが、彼の行動は男性の声によって遮られた。

「ユキミ君。私の知らない少年が迷い込んでいるが、これが誰か心当たりがあるか?」

 そう訊ねたのは、この部屋の一番奥に配置された書斎机の上に足を放り出し。大統領が座るような豪奢なリクライニングシートに身体を預けている一人の青年だった。

そんな彼にハルカは眼を剥いた。格好は些か奇抜だったからだ。顔こそ女性に見紛う美男子の容貌に、これまた同様の長く艶やか長髪の黒髪という性別不明ぶりを発揮しているが、彼はロングのレザーコートを痩身ながら鍛えられた裸身の上に着て、レザーパンツにロングレザーブーツ、そしてどれも黒色というどこかのパンクロッカーのような井出達だった。ハルカの頭には某RPGのライバルキャラが想起された。

 そんな彼の問いにユキミはゆらりと顔を挙げハルカの顔を1秒ほどじっと見詰めた。

「……知らない人です」

「えええっ! そりゃないんじゃね! 確かにそうだけど、そりゃないんじゃねぇぇ!」

 ハルカの抗議に軽く首を傾げると追加した。

「……仕事中に助けました」

「成程な。つまりは再誕者か。成程、成程。君、名前は?」

 その青年は、椅子を軋ませて立ち上がると悠然とした足取りでハルカの前に立った。自分よりも身長の高い彼にビビリながらも応えた。

「俺はアマナシ・ハルカです。彼女には危ないところを助けてもらいました」

「そうか。私の名前はササキ・コジロウだ。日本人のようだから知っているだろ? なに、気軽にコジロウさんと呼んでくれ。所長でもいいぞ。何といっても今日から君もここの社員なんだからな」

「…………へっ?」 

 二重の驚愕で口を鯉か金魚のように開けて忘我すること数秒。その間もコジロウは人当たりの良さそうな笑みを浮かべて彼が我に返るのを待っていた。

「って! どいう事ですか! 何であんたがこんな所に! 社員って! えええ!」

「まあまあ、君の驚きもよく分る。まずは、そこに座って落ち着け」

 コジロウが椅子に座ると、促されるままにミユキとは反対のソファに体を埋めた。

「まず、言っておこう。君は既に死んでいる。そして、ここは生前で言うところのあの世だ。分るな?」

「ええ。それについてはもう受け入れています」

「そうか。君は変な奴だな。大半は慌てふためくものだがな。まあいい。そしてここが何処かというと天国でも地獄でもない」

 コジロウはもったいぶってそこで区切った。天国でも地獄でもない。ならばここはどこだというのだ。ハルカは逸る気持ちで先を促した。

「天国よりも楽園に近い場所、地獄よりも狂乱渦巻く場所。可能性の地。失われた楽園の地。ここは煉獄。天国と地獄の狭間。人はここを天国よりも素晴らしいと歓喜し、人はここを地獄よりも惨い世界だと嘆く。さて、君はどちらだ?」

 コジロウは机に肘を立てて手を組むと、怖気も走るような美しい笑みを浮かべた。それはまるで、アダムとイブを甘言に囁いた蛇の様な眼だった。それに見詰められたハルカは全身が金縛りにあったように硬直した。

「……所長。苛めない」

 緊張で縮み上がったハルカに助け舟を出したのは意外にもユキミだった。その事に軽く驚かされたハルカは金縛りから回復していた。

「ここがどこかは分りました。それじゃ、ここで働くってのはどういう意味ですか?」

「なに、ここは所謂便利屋をやっている。まあ、基本は賞金首を狩ってるんだがな。つい最近、トラブルで社員が激減してしまって、今は求人募集中。そこに、君が現れたというわけだ。まさに渡りに船。天より垂れ下がった蜘蛛の糸」

「えっと、俺に自由意志は無いんですか?」

「……そうだな。ない。もし君が断ればここで消す。逃げ出せばそこで消す。さあ、どうする? 一度死んだ身だ、生きてるというのは素晴らしいだろ?」

 そう言って彼が笑みを深めた瞬間だった。ハルカの全身が凍り付いたように動きを止めた。自由意志で身体を動かそうにも、指の一本もその動作を拒否した。ただ破裂するかと思えるぐらいに暴れる心臓の鼓動が脳裏に響く。冷や汗の一滴すら出ず、瞬きすら行えない。先程とはまったく質の違う威圧感を受けて只管に黙することしか出来ない。

 彼はそれが何によってもたらされているかこの時はまだ知らなかった。それは、現代日本で穏やかに暮らしていた少年が決して触れ合う事のないモノ。それは死線を幾度も潜った者にしか放つ事のできない、純粋にして金剛石のように磨き上げられた、一級の殺気だった。それは只それだけで人を殺すことも出来る。

「分ったか? 君に選択肢はない。なに、質の悪い詐欺師に引っかかったと思って諦めてくれ。それに悪い話ではない。食うには困らせないし、君が簡単に死なないように訓練もしよう。ここは、かつての地球上のどこよりも危険に満ちているからな」

 ようやく致死性の殺気から解放されたハルカはグッタリとソファに身を任せた。恐ろしい所に来たという後悔ばかりが内心に渦巻く。彼は自身を魔の巣窟に招き入れた少女に恨みがましい視線を送ったが、当の彼女は黙々と書類に向かっていた。

「……。分りましたよ、ここで働かせていただきますよ」

「それは何より。因みに住居もここだ。この建物の二階だな。外出は自由だ。ただし逃げると殺すけどな。フッ」

「さらりと怖い事を言わないで下さい」

「この程度で根を上げていたら一ヶ月ももたないぞ。……そうだな。最低限の説明をしてやろう。根本的なルールが違うからな」

 コジロウは机に足を投げ、高級そうな葉巻に火を点けると話し始めた。

「まず、ここでの死についてだ。現在、我々の肉体はエーテルという最小粒子によって構成されている。物質界(アッシャー)との違いは、肉体においてアチラが段階を踏んで結合を確固たる物にしているのに対して、コチラ側はエーテルによって直に構成されている比較的緩い状態にあるという事だ。問題はエーテルが私たちの意志によって結合されている点にある」

「その結合が分解すると、コチラ側での死になるとうことっすか?」

「正解だ。コチラ側では寿命はない。病死もほぼ存在しない。死因は他殺、事故死、そして消滅だ」

 “消滅”それの持つ嫌な響きにハルカは息を飲んだ。

「コチラ側での死は、結合の分解によって起こる。それはエーテル力の低下によって引き起こされ、原因は二通りだ。一つは外部からの攻撃によってエーテル力を低下される。二つ目は、己の意志が自己を保てないほどに磨耗することによって起こるらしい」

 らしいというその曖昧な物言いにハルカは違和感を覚えた。

「らしいってなんですか? はっきりしてないんですか?」

「その通りだ。内的要因で消滅する理由ははっきりとは解明できていない。ただ言える事は、精神が弱っていると消滅しやすいという事だ。コチラ側では餓死はしない。だが人々は働き、上手い飯を食べる。理由は分かるか?」

「腹が減ってると、やる気がなくなるって事ですか?」

「またも正解だ。私たちはその意志だけで存在を保っている。故に、コチラ側でも人々は何かしらの役割や、生きる意味を見出しているんだな。つまり、労働は大事だという事だ」

(それにしたって職業選択の自由ぐらいはあるだろ……)

 内心毒づいたが極度に震え上がる事態に遭遇したので表に出さなかった。しかし、この青年はそれすらも察しているかのように、意味深は笑みを向けるばかりだった。

「そういや、なんであんたはジジィになってないんッスか? そもそも何でまだ存在してるんですか? 死んだのが江戸時代の初期なのにドンだけ長生きなんですか」

「その質問の答えは簡単だ。この世界に細胞の劣化という概念は存在しない。確かにコチラ側でもあらゆる物質の内部構造は精確に模倣されており、子供すら生むことはできる。その子供もある程度まで成長はするが、それは適合であって、老化ではない。それどころか、我々は自分の肉体を自在に変化させ、仕舞には人の姿すら棄てる事が出来る」

 そしてコジロウはアレを見ろと指差した。暖かい陽光が降り注ぐ窓際に一つバスケットが置かれ、中で一匹の猫が気持ち良さそうに寝ていた。

「あれは、ミヤモト・ムサシだ」

「……嘘だあ! 何でかの最強の剣豪が猫で、しかも日向ぼっこして寝て――」

 ハルカはそれ以上口を動かす事ができなかった。先程コジロウから感じた殺気、それと同様の殺気を可愛らしい三毛猫が放っているからだ。

「気をつけろハルカ君。あの姿でも君の頭蓋をかち割るには十分な力をもっているぞ」

「……以後……気をつけ……ます」

 その殺気から解放されたハルカは激しく咳き込んだ。それを放った当の本人はユキミの膝の上に移動して甘えるようにゴロゴロしている。

(……あのクソ猫。本当はただの猫じゃねぇのかよ……)

「以上がこの世界での最低限の情報だ。あとはおいおいだな」

 コジロウは吹かしていた煙草を灰皿に押し付けて揉み消すと、机の引き出しを開けて“何か”を取り出すと、それをユキミへと放り投げた。彼女はそれを見もしないでキャッチすると、静かに立ち上がった。

「早速だが君の訓練に入る。一息も付かせないで悪いが、どんな物事も先んじて動いたほうが益になるというのが持論でね。ちなみに君を鍛えるのは彼女の役目だ。励め」

 訓練の役を任されたユキミはハルカを一瞥すると玄関へと歩き出した。だが、扉に手を掛けたところで動きを止めるとコジロウに視線を向けた。

「……マギは?」

「マーガレット君か? 彼女は当分戻らないな。何か用か?」

「……口笛が吹けないので」

「まったく。彼女にも困ったものだ。優秀だが悪戯が過ぎる。帰るのを待つ事だな」

 それで納得したのか、彼女はそのまま外へと出て行った。ハルカもそんな彼女を追うべく玄関からでようとしたが、一つの疑問が涌き上がった。

「ちなみにここって、そんなに治安が悪いんですか?」

「まずは外に出ろ。聞くよりも体験するほうが脳に焼きつくぞ」

 そう言ったコジロウは口角を釣り上げ怜悧な笑みを作った。


 ストーンフロウ事務所という名の魔窟を出てから早20分。ハルカの精神状態は何とかこの世界への適合を見せ、彼の早鐘の鼓動は徐々に落ち着きを取り戻し始めた。というのも、彼が件の事務所を出た瞬間事が起こったのだ。

 彼が表門を潜った瞬間、彼はユキミによって強引に引き倒された。彼は抗議をしようとした。が、その数瞬後、正面の道路に紅の光線が走ったかと思うと、次いで巻き起こった爆炎が走り抜けていった車を飲み込んだ。爆ぜる炎と吹き付ける熱風。粉々に粉砕されたコンクリや金属の破片が降り注いだ。危うく丸焦げにされそうになったハルカは阿呆のように口を大開けにする事しかできなかった。

その現象を生み出したのは戦闘機大のSFにでてきそうな飛行兵器。翼の無いそれはまるでUFOのようにユラユラと浮遊していた。だが、ハルカが驚いたのはそこだけではなかった。炎上どころか溶岩と化した車から、所々火傷を負った男女がそれぞれ大型の剣を携えてビーバックすると、その飛行物体目掛けて跳躍。SF映画のような超次元的戦闘を始めたのである。しかも、次々とその戦闘に参加する喧嘩馬鹿が増え、某世紀末とドッコイな混沌ワールドと化したのである。まさにタフボーイである。

そんな騒ぎにも気を止めた様子も無く、ユキミは未だに地面に腹ばいなハルカに手を差し出し立たせると、完全無視を決め込んで歩き出したのだった。

突発的に起きた衝撃映像に自失すること20分。彼はようやく意識を取り戻したという運びである。

「なあ、ここはいつもこんな感じなのか?」

 自分が放り出された場所が弩エライ所だという実感を確かなものにした彼であったが、一縷の希望を託し訊ねてみた。しかし。

「……珍しくないです」

 返った答えは実に当然なものだった。この街の治安が悪いのか、それともこの世界自体の治安が悪いのかは気になったが、当面ここで暮らさなければ成らないという確定事項が彼の言葉を押し留めた。無駄な希望を抱くのはいいが、あの凶刃が人型になったような所長が安々と逃がすとは思えないので、そっちへの思考は停止することにした。

(しっかし、ここは凄い場所だな……)

 ファーストインプレッションこそ最悪だったが、この街自体は彼に興味を抱かせた。古今東西ありとあらゆる建築物をチャンポンした町並みは何とも物珍しかったのだ。煉瓦作りの中世ヨーロッパ風なアパートメントの横に、日本の現代家屋が建ち、彼方に白亜に輝く西洋の城が聳えるかと思えば、その横には競うように威風堂々と日本の城がドンとある。

 可笑しいのは建物ばかりではない。まず乗り物。明治初期にあったような古めかしい馬車が信号待ちをしている横には、フェラーリが止まり、さらにその横には空跳ぶボードの上に人が乗りやはり信号待ちをしている。空ではF22を頂点に竜としか形容できない生物の編隊がデルタフォーメションを組んで飛んでいった。

 そして人。中世騎士のような甲冑で全身を覆った人間が闊歩しているかと思えば、まるで未来人のような奇抜な全身タイツを着た男性がおり、果てはモザイクをかけてしかるべきな裸族のお姉さんが身の丈もあるハンマーだけを背負って駆けていった。

 奇妙奇天烈摩訶不思議、奇想天外四捨五入。とは国民的アニメの旧OPだが、まるで別々のピースを填め込んだようにチグハグで雑多に入り組んだ街を、これまた人類史を跨いで適当に捕まえてきたような千差万別の人物が蠢く。実に不可思議な世界であった。

「なあ、なんでこの世界はこんなに妙な程にごちゃ混ぜなんだ?」

「……理由は簡単です。寿命や文化的社会的束縛から解放された人々が自分の価値観のままに生きた結果が今この世界です。おそらく、他の街に行っても同じです。加えて、この世界では物理法則こそ存在しますが、それを超える力を有意識生物は持っています。それにより、土くれから他の無機物を生み出し、物理法則を越えた現象を確定させます。この世界で何よりも力を持つのは己の意識なのです」

 可愛い小声の平坦な口調で訥々(とつとつ)と語られたこの世界の理。己の意識、意志、創造力こそがこの世界での確固たる存在証明。だが、ハルカはそんな内容よりも遥に大きな驚きを抱いていた。出会ってから今までマトモな会話が成立しなかった少女が、長々と喋ったのである。しかも、聞いているだけでこそばゆくなるようなキュートボイスで。

(つまり、必要ならばその程度は喋るって訳かいお嬢ちゃん)

 自称何軟派なハルカの血が疼きだし、彼女の本音トークを引き出したいという欲求が真夏の雑草のように成長した。

「ところで、あんたって享年何歳なんだ? 所長の話じゃ外見なんていじれるらしいけど」

「……享年16歳。死んだのは二ヶ月前です」

(マジかよっ! 俺より一個下? 見えねえ。もっと下かと思った……)

「しっかしあんた、メチャ可愛いね。生前はモデルか何かしてたのか? テレビか雑誌に出れるレベルじゃね? 俺はさえない高校生だったけどね」

 とりあえず外見を褒めてみた。ハルカの経験則上、外見を褒められて悪い気を起こす女子はそう多くは無かった。これがハルカが生前女たらしという称号を預かった所以であるが、その効果は彼の印象をそう関連付けても、喋る足がかりぐらいには成功していた。

 しかし、今回ばかりは不発だったようだ。先を行くユキミは無言を貫いていた。

 ハルカが次なる一手を探しているうちに、二人は目的の場所へと辿り着いた。


 二人が辿り着いた場所。そこは四方を大きなビルに囲まれた空き地であった。猫の通り道のような小道を抜けた先にあるここは、体育館が入りそうな程のスペースを有していた。

 おそらくはここで訓練なるモノをするのだろう。そう理解したハルカは先ほどから機会を狙っていた行動を起こす時と踏んで実行した。

「俺の名前はアマナシ・ハルカ。今後ともよろしく!」

 そう言って手を差し出したのだった。一度名乗った身ではあったが、その時は違う事に気を取られていた為に彼女の口から名前を聞く事ができなかったのである。健全な関係を築く為に、ハルカはこのタイミングで仕切りなおしたのだ。

 差し出されたハルカの手をまじまじと見詰めるユキミ。彼はそんな彼女の様子を伺っていた。まどろむ座敷犬のようにどこか眠たげな顔。そう見えるのは彼女の大きな瞳がすこしタレているからなのだろうか? 彼がそんな事を考えていたら、彼の手に柔らかく暖かい感触があった。

「……私の名前はキヨキ・ユキミです。よろしくお願いします」

 小声でポツポツと語られた名前。耳を立てて聞き及んでいたとはいえ、直接教えられるのは信頼関係の構築上、大いなる一歩といえる。

 なんとも歯がゆい言動で多少の苦手意識が残ってはいるものの、ハルカは自身が助けられた事、荒野に放り出さずに事情通な人のところまで連れてきてくれた事、聞いた事には結構答えてくれる事から、この少女は決して嫌な奴ではなく、会話の苦手な人見知り少女と認識したのであった。

「おう。よろしく、よろしく」

「……早速ですが、これを飲んで下さい」

 ハルカが渡されたのはオハジキのような赤透明の物体だった。飲めと言われてそうですかと飲み込むには抵抗を禁じえない物体である。

「ナンデスカ、コレハ」

「……心象武器の素材です」

「心象武器?」ナンジャそりゃと首を傾げるハルカ。

「…そう。武器です」

 心象武器が何であるかは欠片も理解できなかったが、武器だと言われた以上はそうなのであろう。ハルカは街を通って得た経験から、生前過ごした大平の日本に比べ、RPGのようなこの世界では、より自分の戦闘力なるモノが物を言うどころか必須なパラメーターであることまざまざと理解していた。ならば、それの基礎らしき物を拒むという選択肢は存在しない。ハルカはこの世界で生きていくための選択を行った。即ち謎物体X丸呑みである。

「げえっ! マズっ! マズぅぅぅぅぅっ!」

 飲み込んだ物体は食べ物では決してなく、むしろ鉱石的な何かであった。

「……武器の形をイメージして下さい」

「ゲェ! グゥエ! ゴホゴホ……。ハアハア……。イメージね」

 急に言われて戸惑ったが、そこはサブカル慣れした現代っ子。つい先日までしていたゲームの好きな武器を思い浮かべた。それは重厚で獰猛な鉄の双銃。そして、それは彼の創造力を以って彼の掌に具現化した。彼の頭部ほどはある漆黒のデュアル・ウィールド。側面にはそれぞれ天使と悪魔の翼が刻み込まれている。

「ほんとに出てきやがった……」

 想像と実感は違う。確かな質量を持って手に馴染んでいるソレらにハルカは興奮した。

「うおっ! まじで本物の銃じゃねーかっ! こぇぇぇぇぇ」

 興奮冷めやらぬ彼は銃を構えてポージングを取るなどして悦に浸っている。そんな彼をユキミは何時も通りのボンヤリとした瞳で眺めていた。

「……それでは訓練します。その前に少し説明です。アマナシさんに覚えてもらう事が3つあります。まずは、心象武器の取り扱いと特性。これは、おいおいです。次に、戦闘における基礎です。例えば、肉体強化や治癒強化、移動術などです。これは実践を通して学んでもらいます。そして、3つ目が創術です」

 ユキミは地面に落ちていた空き缶を拾うとハルカに見せた。

「……創術というのは、エーテル力を使用して、物質、現象の創造及び改変を行う術の事です。行使は自分の感覚なので教えられる事はありません。自分の感覚が全てです。これが実演です」

 彼女の手に持った缶が白光に包まれ、それが収まった時には既に一振りのナイフに変化していた。その現象にハルカは眼を見張った。

「おいおい。こりゃすげえな! なんでも出来るじゃねぇかっ!」

「……そういう訳ではありません。時間の可逆的移動、完全な生命の創造は不可能とされています。また、万能ではありますが、汎用という訳ではありません。ですので、これの使用にはそれ相応の修練が必要です」

 そうユキミは説明したが、ハルカにしてみればそれはほぼ神の如き創造が出来るのと同意であった。修練というフレーズがごっそり抜け落ちてはいるが、今の彼はえも言えぬ高揚感に包まれていた。

「……訓練を始めます」

 その言葉でハルカのフィーバータイムは突如終了した。ユキミの姿が消失したと思った瞬間、彼の腹に違和感が生まれた。肉を割かれた感触に、まるで焼きごてを押し付けられたような灼熱の痛み。ふと視線を下ろすと、自分のすぐ手前にユキミの姿があり、彼女は彼の脇腹に先程変化させたナイフを突き立てていた。

「えっ! まじで? いてぇ。ちょ、まじ、いてぇぇぇぇぇぇ!」

 視覚で状況を認識した瞬間、せき止めていた水を吐き出したような勢いで激痛が全身の神経を駆け巡り暴れまわった。

「……落ちついてください。まずはそのナイフを自力で抜いて下さい」

「お、おまっ! くそっ!」

 悪態をつきながらナイフを引き抜いくと、その傷口から血が溢れ出し、学校指定の夏服の白を紅に染め上げていく。呼吸が荒く、額には脂汗が滲んでいる。

「……傷口の痛みに集中して下さい。痛みをコントロールするんです」

「そう、言われても……な……」

 治療を望めそうに無いと感じたハルカは彼女の言葉に従って、焼け付くような痛みに全感覚を集中した。するとどうだ、その激痛が引き波のようにスッと薄くなっていった。それだけではない。彼がその傷口を確認すると、服の切れ目からは綺麗な肌色が見えていた。

「まじかよ……治っちまった」

 疲労感が身体に圧し掛かってはいるが、深く裂かれた傷が完治している事に彼は我が目を疑った。しかし、それは彼に限った事ではなかった。

「……驚きました。痛覚のコントロールだけではなく、治癒まで覚えてしまうとは。いいセンスだ。……なんて」

 どうやら誰か真似たようだが、不意に我に返って顔を紅くすると、俯いてしまった。それが誰の真似であったはっきりと思い出せないハルカは顔を下に向けてプルプル震えるユキミを見守る事しかできなかった。

 不意に顔を上げた彼女は、いつも通りの顔色を取り戻していた。

「……では、次いで実戦形式に入ります」

 そう静かに告げると、彼女の両手に黒い風の様なものが渦巻き、それが止んだ時には既に漆黒の手套が填められていた。

「それが、あんたの……なんだっけ? 心象武器ってわけか?」

「……大まかにはそうです」

 突如、黒い風が吹きぬけた。だが、ハルカが眼窩から目玉が落ちそうなぐらいに見開いたのはそれが理由ではない。なんと、今しがたユキミの身に付けていた黒のノースリーブワンピース、手套、ブーツ、その全てが風と消え。今の彼女は、薄い胸を覆う白いスポーツブラとこれまた白いショーツだけになっていた。

「ぬぉぉぉぉぉぉぉっ! 何が起きたっ! 眼福かっ! スケベエ神の光臨かぁ!」

「……私の心象武器は服そのものです。通常心象武器は具現化にエーテル力を使いますが、そのまま維持するには使用しません。また、破壊されたのを修復するのには具現化よりも多量の力がいります」

「いいから服を着てくれ! 鼻血がでそうだ! むしろもう出た!」

 と言いつつ、しっかりとほぼ裸であるユキミの姿を恥じる事なくガン見する辺り、生粋のエロ男には違いない。彼は紳士を名乗れそうに無かった。

 一方のユキミは彼が何でそんなに焦っているのか理解できない風ながらも、従って衣服を再度具現化した。

「……では、アマナシさん。私に銃を撃ってみて下さい」

「へっ? いや危ないだろ?」

 沈黙を通した瞳が早くしろと言っている。彼女の放つプレッシャーに飲まれ、半ばやけくそ気味にトリガーを引いた。加えて彼にも打算があった。あそこまで泰然とした態度でいるのだから、何かしら防ぐ術があるのだと考えたのだ。

 それは見事に考え違いであったのだが。

 彼の放った弾丸は物質界同様の速度で直進し、吹けば折れそうな小枝のように細いユキミの身体をいとも容易く打ち抜いた。銃創は左肩と腹部右側。そこから血が流れ出すと服に染み込んだ。

「おいっ! 何してんだよ! 意味わかんねぇよ!」

 自分の引き起こした事態を認める事が出来ず恐慌状態に陥るハルカ。一方、撃たれたユキミは顔色を僅かも変えることは無かった。

「……落ち着いてください。先ほども述べたように、痛覚の操作、傷の治療は難しくありません。加えて、今のアマナシさんの攻撃は私の死に至らしめるほど強力なものではありません。アチラの致命傷がコチラでも同じではないのです」

 そう説明されはしても、すんなりと飲み込めるほどハルカはまだ達観していなかった。

今までの事柄と異なり、彼女に傷を負わせたという罪は彼自身がしでかした事であると  

自責しているからである。

「……では実戦に入ります」

 それは彼女の経験則だったのであろうか。呼吸を整えられず青い顔のままのハルカにた 

だそれだけを述べて、訓練の次の段階に入った。

 故に、彼の憂鬱は即座に終了となった。端的にいえば、彼はその瞬間にそれどころで

なくなったのだ。研ぎ澄ました刀のように鋭意な殺気が彼に突き刺さった。それはコジロ

ウやムサシから感じ取った警告としてのソレではなく。明確に命を獲るという意志が込め

られた純粋無垢で混じりけの無い殺気。

「はっ? ちょっと。えっ?」

 急に獣の檻に放り込まれた事を自覚できず、おろおろとするハルカ。だが、彼のそん

な浮ついた時間はとうに過ぎていた。

「これが移動術の基本、空縮です。原理はエーテル力を推進力に変換するだけです。これにより空中での移動も可能です」

「へっ?」

 距離にして5メートル程を刹那に詰め、その原理を滔々(とうとう)と語る少女。ハルカは一瞬にし

て眼前に現れた驚きにただアホ面を浮かべ事しか出来なかった。

 次の瞬間、彼の体が空中に浮かび上がっても、そのままであり、その面構えが変化した

のは、彼の体が万有引力の法則に従って地面に叩きつけられた時だった。

「ぐえ!」

 腹部に砲弾でも叩きつけられた鈍痛が響き、悶える。それでようやく、自分が彼女に攻

撃されたという事を理解できた。

「……な、なんでだ?」

「……実戦です。人間が成長するのは命に危機に瀕した時らしいです。安心して下さい。

今の私たちはそう簡単に死にはしませんから」

 ユキミは地面を軽く蹴って後方に跳躍すると、ハルカが生まれ立ての子羊のようにプル

プルと震えながら立ち上がるのを待った。彼とて今の状況にあって思考を停止するような

愚者ではない。先程習った痛覚操作と治癒で何とか“支度”だけは整えた。

「……2つ程忠告です。1つ、治癒はエーテルを結構消費します。致命傷で無い限りは

使用を控える事をオススメします。2つ、避けてください」

 ゾワリと背筋を駆け上る悪寒。ハルカは彼女の忠告に従ってガムシャラに横へ跳び退い

た。その数瞬前まで彼のいた場所を人の丈はある光刃が奔り、後にはその刃が裂いた一筋

の線だけが残った。ハルカは自分がその場に立っていたらと想像し青くなった。

「ちょっ! 今のはシャレになんねーだろ!」

「……大丈夫です。直ぐに私が治癒を施せば蘇生できます」

 サラリと恐ろしい事を言うと手刀を構える。そして彼女の手に光が宿る。ハルカはソレ

が先ほどの刃の出所である事を確信した。次の瞬間だった。

 彼女は一片の躊躇もなく、その手刀を縦横無尽に振ると、その軌跡が刃となって空間を

飛翔し、ハルカを寸断せんと煌く。

 戦闘LV1のハルカにはまさにオバーキル気味の必殺技である。

(マ・ジ・カ・YO! こりゃ俺、終わったね)

 真っ先に諦めたのは彼自身だった。基本ヘタレの彼に映画や漫画のような瞬間的閃きの

発生や打開的な行動が起こせない事を一番知っているのは己であること自覚しているのだ。

故に早々に観念というか放棄したのである。彼にはまだ、生き残る事への確固たる執着と

それを掴むためのガムシャラな行動力が備わっていなかったのだ。

 だからか。まるで空に雷光が走ったようにして打開策が脳神経を駆け抜け、無意識にそ

れを実行していた時、一番驚いたのは彼自身だった。

 殺到する光刃。ハルカは手に持った双銃を構えると連射。飛来する標的を速やかに叩き

落したのだ。何故そんな行動をしたのかは分らないが、どうしてその行動をとったのかは

理解できる。まるで他人に身体を乗っ取られたかのような気持ち悪さが残っている。

「……凄いですね。驚きました。では次ぎ行きます」

 ユキミの姿がハルカの視界から消失した。何が起きたか把握するよりも早く、彼の体が

敵の行動に対応していた。

ユキミは得物を前にした豹のように身を屈めると、地面を蹴って加速。低姿勢の状態で

ハルカの懐まで刹那にして詰めると、全身をバネにして彼の顎目掛けて掌底を放ったのである。それをハルカは首を僅かにそらして回避。だが、ユキミの攻勢は終わっていない。 

掌底が避けられるや否や、腕が伸びきっ姿勢から流れるような回し蹴りを彼の腹目掛けて放つ。それすらもハルカは半身を引いて避けた。しかし、ユキミもその行動を想定していなかった訳ではない。回し蹴りを放った状態から、軸足一本で身体を更に捻り、浅く避けたハルカを強引に蹴り飛ばしたのである。

後方に流れる体を踏ん張って押し留めるハルカ。絶好の機会であったがユキミは追撃をして来なかった。

「……やりますね」「俺、すげぇぇぇぇっ!」

 賞賛の声と自賛の声が重なり、どこか白けた空気が二人の間に漂った。

「……なんで攻撃して来ないんですか」

 想定外の近接戦を行った彼に対して、ユキミの覚えた感想は不可解の3文字だった。自分に対応できるほどの体術を会得しているならば、反撃もあってしかるべきだと想定していたからである。しかし、どうだ。彼は一向にその素振りを見せない。

「いやあ、今の動きんなんつーか。俺の意志じゃないんだわ。なんてーの。こう、身体がかってに動いてるっていうか? だからさ、俺はあんたに攻撃するなんて度胸も持ち合わせてないんだわ」

 あっけらかんと意味不明な事を言った彼に対して、ユキミはこう解釈した。

「……つまり、自発的に動くほど本気になれないと」

 ハルカは彼女から放たれる剣呑な空気を機敏に察した。

(あれ? なんか怒ってるのか?)

 当然である。彼の発言は彼女と激しい格闘戦を繰り広げた者としてあまりにも浮ついたものであり、この世界に既に適合し独力で生き抜けるほどの能力を有している彼女にしてみれば、本気を出すまでもないと言われたと感じるのも無理は無い。

 不意にユキミから感じていたプレッシャーが消失した事に、ハルカは得体の知れない不気味さを覚えた。それが間違いではないと確信したのはその直後だった。

 彼女の身体から陽炎のような大気の揺らめきが放たれているのだ。

「え……。おい? もしもし? ユキミさん?」

 ユキミがゆらりと掌をハルカへと向けると、そこに蒼く輝く魔方陣が展開された。彼はその光景によく見覚えがある。漫画などで、そういったモノが展開されると十中八九、大技が吐き出されて、大爆発が起こるのがお約束だからである。

 勿論、コレもそうである。

「待て! 待てって! それはマズイって!」

「響け絶唱 轟け龍吼 “叫雷”」

 それが如何なる現象をもたらしたのかハルカは分らなかった。ただ彼に言えることは、目の前が蒼く光ったという事だけであり。その直後、彼の意識は吹き飛んだ。


「すまないね。どうやら調子に乗りすぎたようだ」

 墨をぶちまけた様な一面の闇の中、どこかで聞いた青年の声が響く。

「でも分っただろう? これが君の才能とそれがもたらした結果だよ」

(笑わせるなよ。身体が勝手に動くなんて嬉しくないだろ。そんなの自分のモノじゃねぇ)

「はは。君も青いな。他人に与えられた物であれ、それが既に自分の物ならば使わなければ損だろう? なに、安心するんだ。アレは言わば情報を身体に慣らすための、言わばフィードバックさ。これ以降は記憶された情報をどう使うかは君次第だよ」

(そもそも、何でこの世界はこうも世紀末なんだよ? 死んだんだから後は、面白愉快に暮らせてもいいじゃねぇか)

「そういう生き方も可能だよ。生前の世界だって、自分身を自分で守る事ぐらい当たりまえだっただろ? まあ、君の居た場所は恵まれていたのだろうね。おっと、君の言いたい事とは少し違ったね。何故、戦うのか? それはね……」

 対話はそこで途切れた。彼が目覚めたからだ。


 彼の意識の覚醒を促したのは、鳩時計が時を告げる音だった。視線を巡らせると、仕掛けの鳩が出たり入ったりを繰り返しながら、午後7時を告げていた。

「やあ。目覚めたか? どうやら彼女を怒らしたようだな? アレは見た目の割に短気で頑固だから気をつけた方がいい」

 コジロウは仕事机に足を投げて本を読んでいる。どうやら気を失った後、事務所に運ばれてソファに寝かされたようだ。そして、彼は意識が失われる直前の映像を思い出した。

「やっぱり怒ってたんっすか? 原因は分りますかね?」

「私がそんな事知るわけないだろ。自分で聞け」

「彼女は?」

「今は厨房で晩飯を作っている。彼女は我が事務所のシェフだからな。彼女は何にしても飲み込みが早く、才能を発揮する。もし生前、彼女が自由に動けたのならば一角の人物になっていただろうに残念だな」

「コミュニケーション能力は低いですけどね」

 そこでふと気付いた。どうやらコジロウは生前の彼女がどのような生き方をしてきたか知っている口ぶりだった。良くはないと思いながらも彼女とより親しくなるために、聞いてみたいという欲求がムクムクと膨れ上がった。

「彼女はどんな風な人生だったんですか?」

「それを私が話すと思うか? 聞きたければ自分で聞く事だな」

「ですよねー」

 当然の返答に特に気落ちした風でもない。だが、彼には別に聞いておきたいことがあった。それはこの世界の事。それはあの対話で聞けなった答えの事だった。

「ここは死後の世界ですよね? なら、なんでこんなに殺伐としてるんですかね? こう、人生を全うした俺たちに与えられた、いわばボーナスステージみたいなとこじゃないんですかココ?」

 まさか、死後の世界でも勤労に励み、“死ぬ事”に恐怖するハメになるとは露も思っていなかった。ならば、どんな世界を想像していたのかと問われても困りはするが。

「まだコチラに来て一日足らずだからそんな考えを抱くのだろうが、別に戦いだけがこの世界の全てではないぞ。様々な生き方がある。ただ、自分や誰かの身を守るのに必要な力がかつてより必要だというだけだ」

 どこかで聞いた台詞だと嘆息しながらも、新たな疑問が生まれていた。

「アチラだったら、日本の法律とか警察が守ってくれてたじゃないですか? コチラにはそういった組織とかはないんですか?」

「ない事はない。その前に言っておく必要があるな。この世界には、かつての国という概念はほぼない。あっても都市程度の大きさで、法律はほぼ有名無実と捉えていい。何故かわかるか?」

 それはハルカに驚きをもたらせていた。人間とは群れる動物であり、その人間という群れを統率するには法という秩序が必要だと浅薄ながら理解していたからである。

「簡単な話だ。この世界では、個が集団を凌駕することが往々にしてありえるからだ。かつての人は個体としての力が弱く、そのために群れる必要があった。しかし、コチラは違う。ならば、そんな人間が今猶、秩序という不自由に縛られる事を是とするか? 答えは否だ。群れを必要としなくなった人間に秩序の正当性を強いても反逆されるだけだ。仮に優れた王を頂点として王国を作るとする。圧倒的な力で国を作ったとしても、王の血統がまた王を生み出すのは難しい。故に維持できない。そして残ったのは、利益関係だけであり、企業や最低限の都市という単位だけだ」

「人の狭間たる人間から、ヒトになったのだ」とコジロウは呟いた。ハルカは彼の話を完全に理解したわけではないが、大まかにはできた。この世界では、かつて人間を縛っていた集団の契約たる法律が、信号機程度の意味合いしか持たなくなった結果、この世界はこんなにも殺伐としてしまったのである。

「こんな危ない世界で暮らしたいという人ってそんなに多いんでしょうかね……」

「そう思った人間は片っ端から消滅していく。とはいえ、この世界に生きている人間、特に我々のような再誕者はそうだが、消滅を忌避する感情を持っている。故に人は足掻き続けるのだろう」

「なんで再誕者は特になんですか?」

 その問いにコジロウは幽鬼のように昏い笑みを浮かべた。

「我々、再誕者は一度確実な死を味わっている。それが魂に刻まれ、決して消えることの無いトラウマとなっているんだ。この私ですらな」

 コジロウは己の心の弱さに憤っているように見え、ハルカは超然とし高圧的だった彼から同じ人間臭さを感じて初めて親近感を覚えた。

「確かに力が必要なのは分りました。つまり、俺が他の職業に就くことだって可能って事ですよね? その、いつかは?」

「そうだな。私も鬼ではない。君が私の満足のいく仕事を果たしてくれれば、いずれ自由にしてやろう。だが、君は何かしたい事があるのか?」

 そう問われてハルカは困惑した。強制された事に対する反発や血生臭そうな雰囲気から、どうにか抜け出せないかと考えてはいたが、別段したい事があるわけではなかった。

「ふっ、まあいいさ。ただな、闘争というのはこの世界での最終的な目的に辿り着くために最も合致した選択ではあるぞ」

 世界における最終的な目的。それは人生の答えに等しい意味であり、哲学における究極の答えがこの世界には予め存在しているというのだ。ハルカはその言葉を鵜呑みに出来なかった。

「……なんですかそれ?」

「この世界での我々、有意識生物の到達点とは――神になることだよ」

 その瞬間、ハルカの目は点となり、口はモアイ像のように微妙に開き、全身は動作を忘れたかのように停止。その後、沸点が限界突破しての爆発的大爆笑。

「ぶ、はははははは! 神って? 神様? 目指すんですか神様? 今時の小学生でも多分言いませんよ、ソレ? ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハン!」

「まあ、聞け」コジロウ、予想通りの反応に爽やかな笑み。

「ぶはははははははははははははははは」

「おい」コジロウ、眉間に若干の青筋。

「ぶはははははははははははははははは」

「黙って聞け」コジロウ、切れる。

「はい」

瞬時に何かが閃き、馬鹿笑いを続けるハルカの首に一筋の紅い線が走った。薄く斬られたそこからツッと血が垂れる。ハルカは顔を凍らせて瞬間沈黙した。閃いたモノがコジロウの手にしている長刀だという事は明白だったからだ。

「確かにお前が馬鹿笑いしたい気持ちも分る。だがな、何かの頂に立つ者は感じるものがある。それは境界線のようなモノで、それを越える事ができたならば世界が一変するだろう。そんな確信を抱いている」

 そしてコジロウはハルカに立ち上がるよう促し、心象武器を構えさせた。

「えっと、何するんですか?」

「今から、君にその一端を垣間見せてやる。撃ってこい」

 そしてコジロウに変化が起きた。彼の背中から一対の白い羽が広がったのである。

「あの……それは何ですか?」

「これは創翼だ。今からする事に必要なモノだ。今の君には関係のない知識だから気にする必要は無い」

そう告げると撃ってこいと催促した。ユキミとのやりとりで手加減不要を覚えた彼は躊躇無く発砲し、撃ちだされた弾丸はいとも容易くコジロウを撃ちぬいた。その刹那。

ハルカはソファに寝ころがった状態になっていた。

「は? あれ? 俺は今、所長を銃を撃ったような……」

 銃弾を放った対象であるコジロウも、先程会話していた状態と同じ机の上に足を置き高級椅子に座ってくつろいでいる。

 それはまるでコマ戻しの機能を使ったように場面が巻き戻っていた。

「……いったい何をしたんですか?」

「これが私の創世“時よ止まれ(ファウスト)”だ。その効果は、一定空間内で指定時間の空間情報を再構築する事。つまりはデータロードだな」

「創世ってなんですか?」

「それこそが先程私が話したことの証の一つだ。創世とは術者の意志で世界の法則を改変することだ。これを使用できる人間はそう多くは無い。これが使用できたのなら私は君を一級の戦士と認めよう」

 人の意思で強制的に時間を巻き戻す。確かにそれは世界の支配者の特権だろう。ハルカはコジロウの言が真実の一端を有している事を認めざるを得なかった。

「神様を目指すッスか……途方もないですね……」

「それは当然だ。何しろ有史以来誰も到達していないのだからな。まあ、君の場合はそれよりも先に一人前になることが優先だがな。なに、そうなれば、学校に通うのを許可するのもやぶさかではない」

 ハルカはこんな世界に学校というフレーズが存在するとは思っていなかった。彼が連想したこの世界の学校は、授業が武術とサイバルばかりの軍隊であった。

「君、変な想像をしているだろ? それは間違いだ。この都市はどういう訳か日本の再誕者が生まれてくるのが割合多い土地だ。故に学校とやらも現代日本の特色を受け継いでいる。君は生前高校生だっただろ? ならそこに通うといいさ」

「見た目も自由自在で年齢も意味無いのに高校生とかいう区切りがいるんすか?」

「そうだな。意味はないだろう。別にそういう風を謳っているだけだからな。嫌なら大学でも専門でも中学でも小学でも好きなところに通うがいいさ」

 確かに、ハルカにとって高校生活というのは未練ではあった。死んだ後でもそういった場所があるならば通うだけ通って気分だけでも味わうのも悪くない。彼はそう思った。


 夕食はつつがなく終わった。ユキミはコジロウが手放しで賞賛するのも納得な店屋と比肩できる腕前であり、ハルカは存分に料理に舌鼓を打った。

だが、彼の心を満たしたのはそれだけではなかった。生前は仕事でほぼ家に居ない両親、受験戦争で毎日外食の妹。つまり、いつも夕食は彼ひとりきりだった。

それが今はどうだ。意外にしょうもない話が好きなコジロウ、律儀に無言の相槌を打つユキミ、ツッコミを入れるハルカ自身。まるで過去に失った団欒での食事が蘇ったかの様だった。彼の心は得がたい充足感を確かに感じていた。

そして夜、ハルカは共用と教えられた風呂でラッキースケベ的ハプニングを期待して向かったがそういったイベントは特に無く、入浴が終わり、あの世でもラインナップの充実しているテレビ番組を見ながら自室でくつろぎ、明日への英気を養っていた。そこで、煉獄生活初日最後の出来事が起こった。事の始まりはノックの音。

「アマナシさん居る?」

 それは紛れも無くユキミの声音だった。しかし、ハルカは違和感を覚えた。今日一日の大半行動を共にして彼女という像をある程度確立していた。しかし、今の彼女の声はおそるおそるといった感じのする彼女の声音とは違い、どことなく傲慢な響きを孕んでいたし何よりにハッキリとした口調であった。

「どうぞ、入っていいよ」

 とは言え夜更けに訊ねてくれた美少女を追い返す理由には全くならなかった。今日一日で嫌というほど異常事態を体験した。その為、この時間帯で何が起きても不思議ではない。     という勝手な妄想を膨らませながら、ハルカは扉を開けたのだった。

「どうもこんばんは。今日は美しい月ね。どう? 私と月見でもしないかしら?」

「……いいぜ」

 ハルカの疑惑は確信に変わった。むしろ、これほどまでの豹変を目の当りにして同一人物だと考えるのがまず不自然である。少々の不信はあるが、それもお誘いを断るにたる程ではなかった。火遊びは火傷をする覚悟が無くてはいけない。

 

このストーンリバー事務所の建物は一階が事務所と台所などの共用スペースであり、ニ、三階が個室、そして屋上があり、そこでは洗濯物を干したり、日光浴を楽しんだり出来る。夜になれば空に月が輝き、月光浴に洒落込むも良し。ただ、地上の輝きが夜空の星を飲み込んでしまうため楽しめるのは月の輝きだけである。

「ねえ、知ってる? この世界では、宇宙なんて存在しないわ。宇宙を目指して空を飛んだ人間はある高度で海に飛び込んだそうよ。そして、その人は地上の海から飛び出してきた。なら、あそこで輝いている月や星は何なのかしらね?」

「さあね。映像か何かじゃないのか?」

「そうは言っても太陽光は確かに降り注いでいるのよ? 不思議でしょ?」

「なら、その海みたいなのは結界でその向こうには宇宙が広がってるんじゃないか?」

 そうかもねと呟いて、彼女は柵に背中を預け、真上で涼やかに輝く月を見上げた。

 風に棚引く白金の髪、猫柄のパジャマ、月の輝き。有り触れたピースでも完成すれば美しい絵となる。彼の目の前の景色もそのように感じていた。

(流石にそれは言い過ぎかもな)

 この土地はかつての日本の気候に近く、四季もある。今は5月。日中は大分暖かいとはいえ、夜は未だに冷える。とくに今宵は冷え込んでいる。しかし、そんな寒さの中でも彼女と会話がしたい。不思議とそう思えた。

 そして、どのくらい無為に月を眺めていただろうか。不意に彼女の視線がハルカを射ていた。いつものどこか眠そうに見える眼ではない。それは龍や虎でも捻り殺さんといわんばかりの強い我を宿し、あらゆる外界からの侵略にも屈しないと宣言していそうな冷たさを宿しているようだった。

(何とも我が強そうな感じだな。人ってのは雰囲気でこんなに変わるのかよ)

「あなたも気付いているでしょ? 今の私がいつもと違うって」

 彼女は薄く笑った。それは氷でできた薔薇の様に綺麗で凍える魔性の笑みだった。

「……ああ、今のあんたは、なんつーか怖い」

「あら、正直者ね? あなたは言葉をもっと選人で、どんな女性も勇んで口説くものと思ったんだけれど」

「ご期待に応えられなくて残念だけど、俺は小心者でね」

「ふーん。まあ、いいわ。あなたが自己をどう位置づけていようと、私にとって大事な大事な駒で、あの子の大切な盾であることに違いないものね」

 その物言いに思い当たる節があった。それはあの部屋での青年との契約。やはりユキミとの出会いは偶然ではない。ハルカは今、確信を得た。

「あんた、あの青年の何なんだ」

「そうね。私たちの父親?っていうのかしら。そんな感じね」

 コジロウを初め、この世界の住人はかつての人間と明らかに単体の持つ力という点で異なる。どんな驚天動地の神秘を手中に修めていてもおかしくは無い。だが、あの不可思議な部屋で感じた得体の知れない存在感は人間とは違う何かであった気がした。ハルカはソレを父と呼ぶ彼女の正体が何なのか、興味は多少あるが知りたくは無かった。

「……って私たち?」

「今さらそこに疑問を抱くところかしら? まあ、いいわ。自己紹介をしましょう。私の名前はコナタ。ユキミの体に宿るもう一つの人格よ。よろしくね、アマナシ君」

 彼女は芝居がかった優雅な一礼すると、薄い笑みを作った。ハルカは全身に糸のようなナニカが絡まった錯覚を覚えたがそれも一瞬の幻影。彼もまた、オドロオドロと挨拶に応えた。

「えっと、よろしく。あんたの親父さんに守ってくれって頼まれたけど、その必要もなさそうだな……。まっ、力は貸すさ……」

「フフフ。そうね。約束は守らないとね。謙遜しなくていいのよ。私はあなたの事、見所はあると思ってるの」

 どこまでも見透かしたような透明な瞳が自分を写していると思うと、ハルカ自分の前に鏡を置いてその射る様な視線を返したいという気分にかられた。

「いやいや、俺なんてメッキで金ぴかになったオモチャみたいなもんだよ」

「あら? 拾った伝説の剣でも使いこなせれば英雄よ。あなたの場合はそれが具体的な形をしていなかったってだけ。それをどう使いこなすか、それがあなた自身に求められている事よ。安心しなさい。その手助けはユキミがしてくれるわ。あの子はこの世界で生き残る術をよく知っているもの。きっと立派な戦士に育ててくれるわよ」

「なんで彼女がそんな事を知っているんだ?」

 コナタは愛おしそうに自分の心臓に手を当てた。彼女の表情には優しさが溢れ、それがユキミに対して向けられているものだと、ハルカにも容易く察しが着いた。

「ねぇ? 不思議に思わない? この世界では執着心が弱い人間は消えていくそうよ。なら、ユキミは真っ先に消えそうじゃない?」

 ハルカは返答に困った。一日しか行動を共にしていないとはいえ、ユキミから何かに対する執着心が感じられたかといえば、否だ。彼女から強い自我が垣間見れたのは唯一、怒らせた時だけだった。

「確かにそうだな。だがさ、そんなに直ぐに消滅するってわけでもないだろ? それに、俺が彼女をあんたが言うように感じたとしても、正しいとは限らないだろ?」

「そうよ。それが答え。怒らせたくないからこれは内緒よ。ユキミはね、誰よりもこの世界で生きる事に固執しているのよ。目的のためにね」

 彼女の言はハルカに鈍器でぶん殴られたような衝撃をもたらした。一見ボンヤリとして何を考えているのか読みづらい少女。その内面では煮えたぎるマグマのような強い願いがあったというのだ。

(俺もまだまだ精進が足りないって事かい)

 享年17歳が言い端の台詞を吐いたなと彼は急に恥ずかしくなった。

「あの子はね。今ある自由を愛してるの。どんな事でも出来る自分を失いたくないの。だから、あの子は誰よりも直向(ひたむ)きなのよ」

 ハルカはコジロウとの会話を思い出していた。彼はユキミにもハルカ同様の修行を行ったのだ。しかも、コジロウのそれは、ハルカに課しているよりも遥に険しいものだったそうだ。しかし、ユキミは正真正銘の地獄を耐え抜いたのだ。コジロウの彼女に対する信頼はそういった所から来ているそうだった。

(話のオチが、だから君も頑張れだったけどな)

「フフフ。これであなたもあの子に対する評価を改めるでしょ? 不思議少女の意外な一面なんて実に萌えるでしょ? そうなのよ、あの子ったらホントに可愛いんだからっ!」

 それまで順調に築き上げてきたイメージをバベルの塔のように一瞬で台無しにしたトロけた表情を浮かべ、ユキミの萌えポイントの講釈を始めようとしたコナタ。だが、その過ちに気付き、何も無かったかのように取繕う。

「ともかく。あなたは可及的速やかに強くなって、ユキミを守らなくてはならないのよ。分かった?」

 どう反応していいのか判断に困ったハルカはとりあえず愛想笑いをすることにした。

「それはいいけど、あんたの方が好戦的そうで強そうだが、あんたは表に出ないのかい?」

「そうね。私はあくまで仮初の存在よ。この体はあの子の物。それは絶対に覆らない真理なの。だから、私はあんまり表にでないのよ。あの子を守るために」

 ハルカは理解でききなかった。ユキミのほうが戦闘に向いているという可能性は否定できないにしても、コナタが表に出ない事がユキミを守る事に通ずるとはどういう意味なのだろうか。それに、自分の存在をここまで頑なに否定するのは何故なのか。彼にはそこの所がどう頭を巡らせても納得できなかった。

「さて、長話になったわね。これはお願いなんだけど、私と話したとは言ってもいいけどその内容は教えないでね。あなたもあの子のへそを曲げたくは無いでしょ? コジロウさんも言っていたけど、あの子は怒らせると面倒よ。そこが可愛い所なんだけどね。それじゃあ、よろしく」

 そう言ってコナタは微笑を湛えながら手を差し出した。ハルカはそれが悪魔の契約に思えたが、僅かの躊躇いの後その手を握り返した。彼が感じたのは予感だった。青年の部屋に招かれた時、コチラに来てユキミであった時、そして今、その全てに感じた予感。青年が自分に語った言葉、何者かになれる、そういった予感。

「こちらこそよろしく」

 彼らの物語の行き着く先、それは誰にも分らない。


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