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罪の螺旋 罰の刹那

作者: 倉碕 尋

縊死を遂げた戦友は、平和を愛し戦争を憎んだ。

だが僕等には、銃を愛し名前さえも知らない敵兵を殺すしか生きる道はなかった。

飽きる程に銃弾を放ち、それに因り一体幾人の僕等と同じように争いを嫌う人間が地面に臥しただろう。

この手で感じ取ることのできない、けれど命を奪ったという確かな罪。

戦友はその罪を背負い切れなくなって自ら罰を下した。

しかし、それは本当に罰と為り得たのか。その死は逃避に過ぎなかったのではないか。

例え自分の意志ではなかろうと、理不尽に生を剥奪しておきながら、己の死期だけ自由に決めることができるなんて。

ようやく訪れた安らかな時の中で、僕は懊悩し未だに答えを導き出せないでいる‥‥―――








柔らかな風が広い草原を駆け抜け、僕の肌を滑っていく。

濁りのない青空の下、なだらかな陽射しがつくる木陰で、雲が油然と湧いて刻々と形を変えていくのを何の気なしに僕は見ていた。

丈の高い草がザァ・・っと靡き、揺れる音色が流されていく。


  「シュイトール!」


うとうとと意識を半分眠気に奪われていた僕の耳に、幼さのまだ残るよく響く声が届いた。

重い目蓋をどうにか開け上半身を起こし声のした方を見遣る。


  「あぁ‥‥ジェバンニか。どうしたんだ?」


元気よく駆けてきた年下の友は僕の横で仁王立ちになり、その問いに顔を顰める。


  「どうしたんだじゃないよ!今日は模型の飛行機の造り方を教えてくれるって言ってたのに、どっか消えちゃうから探したんだぞ!」


  「あぁ、そうだったな‥‥悪い。明日教えるからさ」


  「そう言っていつもいつも先延ばしになってるじゃんか。今日教えてよ!おれ、ちゃんと材料とか準備したんだぞ」


そう言ってジェバンニは僕の腕を引っ張り立たせようとする。

諦めなさそうなその様子に気付かれないようにそっと溜息をつき、僕は気怠るそうに立ち上がった。

おもむろに服に付いた土を払い、先刻まで読んでいた本を拾い上げる。


  「わかったよ。約束だったもんな」


  「ほんと?!じゃあおれの家に行こう!」


  「そう引っ張るなって。痛いだろ」


よっぽど楽しみにしていたのか、ジェバンニの顔は満面の笑みだ。

それを見て少し約束を先延ばしにしていた罪悪感が過ぎるが、それに勝る嫌悪感が心を渦巻く。

ジェバンニのことを嫌っているのではない。

若者の少ないヨーリヤールの村において、ジェバンニは僕と十一歳違いだが数少ない年の近い友だ。

時たま強引さに振り回され辟易することもあるが、弟のように可愛く思っている。



僕が嫌っているのは"飛行機"だ。

今でこそ交通の手段や郵便の配達手段としてその存在が確立されつつあるが、十年前は戦争の要だった。

飛行機の性能が良ければ良いほど爆弾を確実に多く敵陣に落とすことができ、食糧などの必要物資を迅速に運ぶことができた。

兵は誰しもが飛行機を求め、そして恐れていた。

飛行機のエンジン音を聞くだけで、未だにその時の緊張と恐怖が襲う。



より高性能な飛行機を、数多く所有した方が戦争に勝利する。そんな方程式が出来上がっていた時代だった。

その方程式に則って科学技術の遅れをとっていた我が国は終始苦戦を強いられた。

成人と認められる十五歳以上は勿論、それに満たない子供をも徴兵し戦ったが結局敗戦した。

局地戦だったため首都以外の国土はあまり荒らされずに済んだが、首都マラウィッツオは壊滅的な被害を浴びた。

敵か味方かももはや分からないほどに人間の形を為していない死体がそこら中に転がり、放射状に建物が連なった美しい町並みはみな跡形もない。

百メートル先が見渡せるようなその場景に、命からがら生き延びてきた僕と戦友であり親友のエドワルドは呆然と立ち尽くすしかなかった。

今まで僕等がしていた戦争というものは、こんなにも甚大な力を暴力的に振るうのだと。

それを止める術を持たないくせに、どうして人間は戦争をするのかと。

戦争ほど無意味で哀しいことはない。感情の無いただの破壊活動でしかないのだと。

様々な思いが躰中を駆け巡り眩暈を起こさせた。




発狂しそうだった。

いっそ狂ってしまいたかった。

正気でなんかいられない。




見知らぬ土地で倒れてそのまま野垂れ死にそうなのを、お互いに叱咤しながらやっと故郷に帰ってきた。

幸い僕とエドワルドの家族は無事で、一様にやつれてはいたがみな温かく僕等を迎えてくれた。生きて帰ってこれたことを喜んでくれた。

だが、まだ十二歳だった僕等の未熟な精神に戦争は重く重く圧し掛かり、それに耐える方法として口を固く閉ざし人目を避けた。

食事も摂らず一日中暗闇で過ごすことを好んだ。いや、明るい光の届く場所には出られなかった。

穢れた躰が、灼かれてしまいそうだったから。


そんな風に僕等が引き篭もっている間に、政府は着々と街を復興し国民は活気を取り戻しつつあった。

戦争の痛手を癒すかのように訪れた穏やかな春の気候が、人々の負の感情を払拭していくようだった。

僕等もやがて年月が経つにつれ心の傷が癒え、背負っていた負荷が軽くなるのを感じた。

少しずつではあったが、次第に笑えるようになっていった。

エドワルドと共に労働に精を出し、淡い恋を経験し、勉学に励み、食事が美味しいと感じられるまでに回復した。


けれど、それは僕だけだった。

心から笑えるようになったのは僕だけで、エドワルドは貼り付けたような作り笑いしかしていなかった。

それに気付いたのは、エドワルドが僕を避けるようになってから。

職場でも学校でも、家を訪ねていっても会おうとしてくれない彼に僕は困惑した。

何か怒らせるようなことをしただろうかと、散々考えを巡らせても結局わからないままだった。



そして、変に赤い月の夜。エドワルドは自室で首を吊って死んだ。

第一発見者はエドワルドの妹のレイチェルだった。

レイチェルはショックで後ずさった拍子に階段から落ちてしまい、頭を強く打ち骨に罅が入る重症を負った。

知らせを受けて僕がエドワルドの家に駆けつけた時には既にエドワルドの遺体は床に横たえられ、おばさんが寄り添うようにして静かに泣いていた。

警官が隣で事務的に喋る声が遠くに聞こえる。

今目の前にあるこの白い布で覆われた物体がこの世のものでないように思えた。

血の気が引いていくのを全身で感じながら動けないでいると、おばさんが僕に気付き何も言わずに一枚の封筒を差し出した。

宛名は僕になっていた。

僕も何も言わずに受け取った。何も聞かなくても、中身が何であるかは容易に察せた。

おばさんはそれを確認するとまた元の場所に戻り、じっと白い布を見詰めていた。

僕はエドワルドの顔を見ることができなかった。見たくなかった。見てはいけないような気がした。



結局、僕が最後に見たエドワルドの顔は棺の中だった。

異様に白い顔。

泣くことも言葉をかけてやることもできなかった。

葬儀のあと、二人のお気に入りの場所だったモミの木の下で、僕はあの封筒を開けた。

シンプルな便箋に短く、「もう耐えられない。重い。先にいく。」と、エドワルドの字で書かれていた。




‥‥‥どんな罪であろうと、年月を経たからといって軽くなる筈がない。

一度犯した過ちは、一生抱えていかなけれないけないものだ。それが例え強制されたものであったとしても。

あの時、戦争の後遺症が軽くなったと感じたのは、僕の大いなる勘違いだったのだ。

無意識に、僕は都合良くあの悲惨な場景と体験を忘れようとしていた。

そうしなければきっとエドワルドと同じような末路を辿っていたことだろう。

本能的に、生きる為に、僕は忘却を選んだ。

だがエドワルドはそうではなかった。

忘却することを拒み、多大な負荷を常に内に抱えていた。

それは、エドワルドが選んだ道。僕等はとうの昔に道を分かっていたんだ。




戦争を共有した戦友が死んだ。

その事実は中々僕の心には入ってこなかった。

エドワルドがもういない。とても哀しい。哀しい筈なのに、涙が出てこない。

後を追って死にたいとも思わない。ただ胸がキリキリと軋むだけ。

その時から、僕はずっと考えている。

エドワルドの死の意味は、一体何なのかと。

潔い罰なのか、苦し紛れの逃避なのか。





僕は十年経った今ものうのうと暮らしている。すっかり平和になったこの世界で。

僕も本当は死ぬべきなのだろうか。罰を受けるべきなのだろうか。罰とはどんなものだろう。

死は罰であるのか。背負いきれない罪の意識から自らを解放する手段ではないのか。死というものは。

僕は謂わば忘却という名の逃避をした。さすればエドワルドは死という名の逃避をしたに過ぎないのだろうか。




この懊悩は誰にも話していない。話したところで何人たりとも理解できないから。

問題提起し、答えを出すのは自分でしかないのだ。そこに手助けは必要ない。

だが好い加減堂々巡りのこの問題に、少々辟易する。

恐らく、あと何年かけても答えが導き出せる日は来ないだろう。それは薄々予感している。

今は、この束縛こそが罰なのかとも思い始めている。






エドワルドの葬儀から数週間後、レイチェルの意識が回復したと聞き見舞いに訪れた。

以前の快活な雰囲気はなくなっていたが、持ってきた花を差し出すとパッと変わらぬ笑顔を見せてくれた。

大好きな兄の自殺現場を意図せずして誰よりも先に目撃してしまったというショックを受け止め切れているかどうか心配していたが、どうやら杞憂だったとその時は安堵した。

だが後におばさんから真実を告げられる。

今のレイチェルには兄のエドワルドに関する記憶が全て消失してしまっているという事を。

医師の話では脳がショックを受け切れず一時パニックを起こし、階段から落ちた強い衝撃も相俟って回復する為に記憶を抹消することを選んだ‥‥ということだった。

エドワルドのことを一切忘れてしまったレイチェルは驚くほど早く回復し、二週間後には退院できるまでになった。

あんなにエドワルドに懐いていたのに、レイチェルはもう何も覚えていない。

その事実は新たに僕に哀しみを齎した。

間近で二人の仲睦まじい姿を見ていただけに、言い様のない遣り切れなさがあった。

面倒見の良い兄に可愛い妹。理想の兄妹だったというのに。



結局、戦争が僕に与えたものは苦しみと哀しみと、大切な人の死と、もう平穏に戻ることの出来ない心だ。








  「シュイトール!早く早く!」


ジェバンニの心地良い声が不意に聞こえる。


  「ほら、シュイトールに言われた材料は全部揃ってるよ。これなんか上等のブナの木片をサミュエルおじさんが分けてくれたんだ!」


嬉々として話すジェバンニを見ながら、小さく頭を振って先程までの考え事をしばし頭の隅に追いやる。


  「良い木だな。これならよく飛ぶ飛行機が造れるぞ」


  「ほんと?!」


  「あぁ。じゃ、まずこの木を削り出して‥‥ジェバンニ、お前はこの紙を型通りに切り抜いてくれ」


  「うん、わかった!」


次第に形を成していく飛行機に、トラウマは疼く。あの暗い記憶に引き摺り込まれそうになる。

だがジェバンニの明るく屈託のない声が、僕を現実に留めさせてくれる。

もし完成した飛行機が晴れ渡った空を高く舞ったら、少しは答えに近づけるだろうか。

そんな事を思いながら、僕は作業に勤しんだ。





罪や罰がどうあれ、出来上がった飛行機がどこまでもどこまでも飛ぶ姿が、たった一人で逝ってしまった僕の親友への餞になればいい。


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