婚礼手袋を切り裂いて勘当され、婚約破棄されましたが、辺境伯が私の名で注文し直して求婚しました
「その赤い線は落書きだ」
カラドッグの親指が、ラスマの引いた裁ち印を唾でこすった。
赤は消えなかった。染料というものは、娘の立場より少しだけ強い。
「では、その線どおりに裂けたら、皮に絵心があったということで」
「口を動かすな。手を動かせ」
ラスマは半月刀を置いた。
「裂けやすい腹側です。ここへ指股の型を置けば、曲げたときに縫い目から開きます」
「皮を惜しんでいたら商売にならん」
「指が五本あるお客様を惜しむほうが先では?」
客前でなければ、父さんの声はよく通る。壁の向こうのグウィリムにも通ったらしく、彼は販売台から顔を出し、幼児へ匙の持ち方を教えるように微笑んだ。
「ラスマ。職人には経験というものがあるんだよ」
「二十三年分なら、私にも生えていると思います」
「父さんは四十八年だ」
「では、裂け目も二倍でしょうか」
その手袋は父の名で納められ、三日後、客の中指を曲げたところで開いた。
戻された品を前に、カラドッグは帳面を叩いた。
「娘が余計な印をつけましてな。銀面を傷めたのでしょう」
赤い線は、消しかけのまま残っていた。裂けた場所は、もっと律儀に覚えていた。
「修正はどうする」
客に問われたグウィリムは、ラスマが前夜に告げたとおり、背筋側から指股マチを取り直し、縫い代を半分だけ深くすると答えた。
「私なら最初からそうします。皮は腹ほど伸びますから」
主語だけが着替えていた。なかなか似合っている。ラスマの賃金で買った服ほどではないが。
「その判断をした者の名は?」
「もちろん、私です」
グウィリムは滑らかに答えた。ラスマのほうは見ない。見れば借り物だとばれる程度の良心は、まだ残っているらしい。ずいぶん小さい。親指マチにも使えない。
作り直しの費用はラスマの賃金から引かれた。
一枚革は裁ち直せない。
だから彼女は、赤い線を引く前によく見た。見て、触って、それから二本指で弾いた。
ぱん。
秋鞣しの山羊革は、冴えない返事をした。
「二本指で皮を弾くな。牛と会話しているように見える」
カラドッグが言った。
「これは山羊です」
「そういう話ではない」
「返事はします。中まで乾いていないそうです」
表面は乾いていた。だが床面に湿りが残り、折れば銀面が曇る。卵黄と油を入れたあと、風へ当てる日数が足りない。
ラスマは一枚を裏返した。
「今日裁てば縮みます。せめて二日」
「納期は明日だ」
「では明日、縮んだ手袋を納められます」
「使えるところだけ取れ」
「乾いてからなら、もっと取れます」
「言い訳するな」
命じられて刃を入れた。湿りの強い首と腹を外し、背筋側から小さめの型を組み直す。無駄を出さないよう、右手と左手を互い違いに置いた。
残ったのは、使えない皮ではない。今は使わないほうがよい皮だった。
ところが帳面では「ラスマ、不良箇所を増やす」となり、三週間分の賃金が消えた。皮は二日後に乾かされ、グウィリムが客へ見せた。
「私が使える部分を救いました」
「よく一枚を無駄にせず済ませたな」
「経験です」
牛でも山羊でもないものが、実によく喋る。
ラスマは裁ち台へ戻った。赤い印を引く。父が消す。グウィリムが説明する。代金袋は二人の間を往復し、ラスマの前だけ素通りした。
それでも皮は、弾けば返事をした。
人間より話が早い。給金はくれないが、少なくとも主語を盗まない。
* * *
三十六双。
注文書に並んだ数字を見て、カラドッグは代金袋より先に笑顔を磨いた。
「辺境伯様の冬の式典用だ。失敗は許されん」
「成功したときの製作者は誰ですか」
「工房主の私だ」
「失敗したときは?」
「お前に決まっている」
仕組みが明快で助かる。革なら欠陥品の印をつけるところだが、父親の額へ赤線を引くと、また賃金を引かれそうだった。
デクランから届いたのは、古い手袋と採寸表、それに柔らかな白鞣しの山羊革だった。
明礬と塩で鞣し、卵黄と油を入れた白は、冬晴れの光を吸って淡く光った。七十二枚の本体。七十二枚の親指。指股へ入る細いマチは、その倍では足りない。
ラスマは古手袋へ指を入れた。親指の付け根だけが深く沈み、人差し指の外側に薄い艶がある。
「デクラン様は剣を握られますね」
グウィリムが笑った。
「辺境伯なら当然だろう」
「剣の話ではなく、右手の型の話です。親指を少し前へ振ります」
「ではそうしろ。私の判断として帳面へ記しておく」
「主語の仕立て直しが早いですね」
古手袋から読めるのは寸法だけではない。手がどこで革を押し、どの指が遅れて曲がるか。会ったことのない注文主の手を、ラスマは擦れた銀面から一方的に測った。
許可を取る相手は、ここにはいない。
彼女は白革を背筋に沿って伸ばし、型を置いた。伸びの方向へ赤い線を引き、薄い腹側には小さな斜線を重ねる。
「また落書きか」
「切ってはいけない場所です」
「三十六双だぞ。足りなくなる」
「足りないなら、追加を頼んでください」
「縁故価格で受けた注文だ。皮を増やせば利益が減る」
なるほど。辺境伯の親指より、父さんの利益のほうが太いらしい。
カラドッグは不足分を数え、腹側の薄い革を細く裁った。完成後には見えない内側へ継げと、若い徒弟へ命じる。
「そこは赤い印が」
「娘の落書きだ。縫え」
徒弟の喉が上下した。
ラスマが裁ち台の端を二本指で弾く。
ぱん。
「何をしている」
「工房と会話を。いま、非常に嫌な返事がしました」
父は彼女を別の作業台へ追いやった。
帳面には、製作者カラドッグ、仕上げグウィリムと記された。ラスマの名は、材料を運んだ者の欄にさえない。
だが完成見本の内側には、消し切れなかった赤い裁ち印が一本だけ残った。ラスマはそれを見つけ、指でなぞった。
その向こうで、薄い革が本体の革へ潜り込んでいる。
弾くと、音が二つ重なった。
「父さん。この見本をほどいてください」
「納品前だぞ」
「だからです」
「余計なことをするな」
グウィリムが完成品を箱へ収めた。
「辺境伯様ご本人が試着なさる。お前は奥にいろ。愛想というものがないからね」
「革に愛想があれば、親指は守れますか」
「黙っていなさい」
ラスマは黙った。
半月刀だけを研いだ。
* * *
試着の日、冬晴れの光が裁ち台を白く切り分けていた。
デクランは黒い外套を脱ぎ、差し出された完成見本へ右手を入れた。三十一歳の辺境伯は、古手袋が教えたとおり、親指の付け根が深い。
ラスマの型は合っていた。
彼が親指を曲げる。
銀面の下が、わずかに浮いた。
ラスマは二本指で革を弾いた。
ぱん、ぺち。
二枚の音。
「お待ちください」
デクランが親指を止めた。
カラドッグの笑顔だけが先へ進む。
「娘が失礼を。下働きゆえ、上等な革を見るとはしゃぎまして」
はしゃいで二本指。ずいぶん地味な祝祭である。
ラスマはデクランの手首を見た。
「外していただけますか」
「理由を」
「親指の内側に継ぎがあります」
「ありません」
答えたのはグウィリムだった。
「一枚の白革から、私が裁ちました。筋に沿って型を置き、腹側を外しております」
また主語が着替えた。今日は辺境伯様の前なので金ボタンまで留めている。
「では、親指をもう一度曲げてください」
デクランは曲げた。
薄い浮きが走る。ほんの爪一枚分。だが縫い目へ力が集まれば、冬の式典で裂ける。運が悪ければ剣の柄へ引っかかる。
ラスマは徒弟を見た。
少年の指先に、白い蝋引き糸の粉が残っていた。父の背後で身を縮めている。少年は、白い糸の粉がついた指を握り込んだ。
「あなた。三歩、下がって」
「え」
「早く」
徒弟が一歩。
カラドッグが腕をつかもうとする。
ラスマはその間へ肩を入れた。
二歩。
グウィリムが箱を抱え込む。
「何をする気だ。ラスマ、落ち着きなさい」
三歩。
ラスマは半月刀を取った。
「外していただけますか、デクラン様」
「このままではいけないか」
「刃を入れます」
「私の手へ?」
「手袋へです。手のほうは注文に含まれておりません」
デクランは手袋を外し、裁ち台へ置いた。
カラドッグが飛びつく。
「やめろ! 三週間分の賃金が飛ぶぞ!」
「もう一度、同じ額ですね」
惜しくないわけがない。
赤い裁ち印をつけ、自分で型を直し、縫い順を渡し、仕上がるたびに触れた。帳面に名がなくても、この一双だけは内側へラスマの名を縫い込んである。
それでも彼女は、親指マチの際へ刃を当てた。
刃先を進める。
表の白革。
縫い糸。
内側の薄革。
乾いた裂け音が、工房の梁まで走った。
隠されていた継ぎが、白い腹を見せた。
「ラスマ!」
父の平手が裁ち台を打つ。
「完成品を切り裂くなど、正気か!」
グウィリムは辺境伯の顔を確かめてから、深く息を吐いた。
「僕も、もう庇いきれないよ。婚約は解消する。職人の妻が品物を壊すなんて、子供でもしない」
「子供に縫わせた品ですけれど」
「反省までできないのか」
ラスマは半月刀を置いた。白革の裂け目が口を開けている。やはり継ぎは薄い。見間違いではない。
デクランの指が、切断面へ触れた。
彼は赤い線を見た。
「彼女にはもう裁たせない」
低い声だった。
ああ。そういうことか。
辺境伯本人からの無能宣告なら、父さんの帳面より上等だ。少なくとも主語は盗まれていない。
「聞いたか!」
カラドッグがラスマの肩を戸口へ向けた。
「今日限りで勘当だ。道具にも皮にも触れるな。うちの名を使うことも許さん!」
「看板は要りません」
「古い型も持ち出すな」
「私の手には合いませんので」
「仕入れた皮にも手を出すなよ」
「代金を払っていない物まで欲しがるほど困ってはいません」
困ってはいる。大変困っている。宿代から夕食まで、すべて困っている。ただし父さんの皮よりは、自分の腹のほうがまだ説得できる。たぶん。
グウィリムが婚約の印として贈った革紐を差し出した。
「返してくれ」
ラスマは手首から外した。
「よろこんで」
「少しくらい惜しんだらどうだ」
「では、紐の丈夫さだけ惜しみます」
持ち出したのは、着ていた服と、指先に残った赤い染料だけだった。
背後で何か書面を引く音がしたが、振り返らない。
婚約者も家族も工房も、閉まった扉の向こうへ置いた。
冬の空気は薄い革より容赦なく、素手の指へ食い込んだ。
* * *
同じ冬晴れが、裁ち台を白く切り分けていた。
デクランは完成見本へ右手を入れた瞬間、以前の二双を思い出していた。
一双目は、中指のマチを取り直した品だった。修理前の裏には、消しかけの赤い線があった。
二双目は、背筋側から互い違いに型を取った山羊革だった。左右の縫い順が独特で、革を余らせず、指先だけが揃っていた。床面には同じ赤が残っていた。
説明したのは、どちらもグウィリム。
帳面の製作者は、どちらもカラドッグ。
だが今日、裁ち台の端にいるラスマの指だけが赤かった。
彼女は彼の古手袋を一度見ただけで、親指を前へ振った型を作っている。人差し指の外側には余計なたるみがない。革は手の動きへぴたりと沿った。
その親指を曲げた。
銀面の下が、わずかに浮いた。
ラスマが二本指で革を弾く。
ぱん、ぺち。
デクランには違いがわからない。わからないからこそ、彼女の顔を見た。
視線は裂けるはずの一点へ落ち、そのあと、若い徒弟へ移った。
先に徒弟を下げた。
自分が刃物を持つ場所から。
責任を押しつけられる場所から。
カラドッグが腕をつかむ前へ、彼女は肩を入れた。グウィリムが完成箱を守る間に、少年を三歩下げた。
ラスマが守ったのは、デクランの手だけではない。
刃を当てたのは、親指マチの際だった。継ぎがなければ、切っても証拠にならない。継ぎがあれば、最小の切断で全部が露出する。
ためらわなかったのではない。
半月刀を握る前、彼女の親指が柄を一度だけ撫でた。
内側に名を縫い込んだ、自分の一双。
三週間分の賃金。
それらを刃の下へ並べてから、彼女はデクランへ許可を求めた。
手袋を置く。
刃が進む。
表の白革。
縫い糸。
内側の薄革。
乾いた裂け音が、工房の梁まで走った。
デクランは切断面を開いた。
腹側の薄革が、本体の裏へ継がれている。その端に赤い斜線。裁ってはいけない場所を示す印だ。
ラスマが入れた印を、誰かが無視した。
ラスマが止めた縫製を、誰かが少年へ命じた。
そして裂ける前に止めた者だけが、完成品を壊した罪を引き受けた。
「彼女にはもう裁たせない」
カラドッグの頬が緩んだ。
グウィリムも胸を撫で下ろし、ラスマへ婚約解消を告げた。
違う。
言葉が足りなかった。
デクランが顔を上げたとき、ラスマはもう戸口の向こうへ押し出されていた。
「あなた方の名では、という意味だ」
カラドッグの手が止まる。
「……何を」
デクランは注文書を父親の指の下から抜いた。
「三十六双の契約を破棄する」
「お待ちください、デクラン様。見本の不備なら、すぐに直させます。娘の癇癪でございまして」
「癇癪は、継ぎ革を露出させる位置まで選ぶのか」
「それは私が以前から注意していた箇所で」
グウィリムの声だけが滑らかに割り込んだ。
「白革は腹側の伸びが強い。私は初めから背筋に沿って裁つべきだと申しておりました」
「一双目の中指マチも?」
「はい。私の判断です」
「二双目の左右を互い違いにした裁ち方も?」
「もちろんです」
デクランは切り裂かれた見本を裏返した。赤い印を指でなぞる。
「では、なぜ今日のあなたの指には赤がなく、追い出した職人の指にだけある」
グウィリムの口が開き、ちょうどよい言葉を見つけられないまま閉じた。借りる主語がいなくなると、ずいぶん静かになる。
若い徒弟が一歩進んだ。
「縫えと言われた場所を縫いました。止めたのはラスマさんです」
カラドッグが振り向く。
「お前は黙っていろ!」
客へ向けていた声より、よく響いた。
デクランが視線を上げると、その声は喉の途中で痩せた。
「注文書には、製作者としてあなたとグウィリムの名しかない」
「工房の仕事は工房主の仕事です」
「ならば不良も工房主の仕事だ」
「しかし三十六双分の材料は、すでに仕入れております。縁故価格までお認めいただいたのに」
「値切った分は慰謝料にも足りない」
工房の空気が一度だけ固まった。
デクランは俗な言葉を口にした自覚があったが、撤回しなかった。三十一年も生真面目に生きてきたのだ。一回くらいは元が取れていい。
カラドッグが代金袋へ手を伸ばす。
デクランはその手より先に袋を取り、切り裂かれた手袋の上へ置いた。
「これは製作者へ直接支払う」
「娘は勘当しました。もう工房の者ではありません」
「都合がいい。あなたを通さず契約できる」
「うちの型も道具も使わせませんぞ」
「彼女は何も持ち出していない」
看板も、古い裁ち型も、仕入れ済みの皮も。
あれほど自分の仕事を奪われて、ラスマが引き上げたのは自分の手だけだった。
デクランは注文書の製作者欄から二つの名を線で消した。三十六双。カラドッグが受け取るはずだった利益も、グウィリムが語るはずだった手柄も、その線の下へ沈む。
新しい紙を出す。
製作者名の欄に、ラスマと書いた。
「待ってください。娘一人では納期に間に合いません」
「それを判断するのは、注文を受ける本人だ」
「家族を路頭に迷わせる気かと、娘へお伝えください」
「自分で伝えればいい」
デクランは外套をつかんだ。
「もっとも、追いつければだが」
工房を出ると、ラスマは通りの角を曲がるところだった。素手を袖へ引っ込め、背筋だけは裁ち台の定規ほどまっすぐである。
「ラスマ」
彼女は止まった。
振り向いた顔には、追ってくる相手を一人も想定していなかった者の空白があった。
「デクラン様。手袋でしたら、父さんが作り直します」
「父親との契約は破棄した」
「では、グウィリムが」
「彼の名も消した」
ラスマの指が袖から出る。
「三十六双を、あなたの名で注文し直したい」
「私は勘当された職人です。工房も、型も、皮もありません」
「必要なものの代金を払う。製作者はあなた。受取人もあなた。裁ち方を決めるのもあなた」
「謝罪ですか」
「契約だ」
彼女は代金袋ではなく、デクランの右手を見た。
「親指は無事ですか」
「あなたが守った」
「手袋を切っただけです」
「徒弟も下げた」
ラスマの視線が動かなくなった。
デクランはようやく、自分が見たものを彼女も見返していると知った。癇癪ではない。破壊でもない。彼の手と、命じられたまま縫った少年。その両方を守るために選ばれた切断だった。
「あなたの仕事を、あなたの名で買いたい」
「三十六双も?」
「まずは」
「まずは?」
デクランは一度、息を吸った。
言葉を省けば、また大事な相手を戸口の外へ追いやる。
「そのあと、婚礼用を一双。私と作ってほしい」
ラスマの眉が上がる。
「注文ですか」
「求婚だ」
「手袋と妻を同じ注文書へ?」
「別紙にする」
「そこは分けるのですね」
「代金も別だ」
「妻に値段をつけたら、今度こそ切りますよ」
「注文書を?」
「何を切るかは、ご返答次第です」
デクランは右手を背後へ隠した。
ラスマの口元が、ほんの少しだけ曲がった。
返事はまだない。
それでよかった。求婚まで勝手に採寸するほど、彼は愚かではいたくなかった。
* * *
ラスマが新しい裁ち台へ置いたのは、一枚の請求書だった。
三週間分の未払い賃金。切り裂いた一双の代金。赤い染料と糸、半月刀を研ぎ直す費用。
父の看板も、古い裁ち型も、仕入れ済みの皮も、その紙には書かなかった。
デクランは一項ずつ読み、全額を置いた。値切らない。家族だから、元婚約者だから、今後も注文するからという便利な刃を、どこにも差し込まない。
「多くありませんか」
「請求どおりだ」
「一言くらい、まけろと仰るかと思いました」
「まけるのか」
「いいえ」
「では聞く必要がない」
生真面目とは、ときどき大変話が早い。
三十六双の材料も、ラスマ本人の名で届いた。白鞣しの山羊革には仕入れ先の明細が添えられ、帳面の製作者欄にも受取人欄にも、同じ名がある。
ラスマは最初の一枚を二本指で弾いた。
ぱん。
「何と?」
「よく乾いている、と」
「山羊が?」
「今回は革です」
「違いがわからない」
「そのままでいてください。私の商売が守られます」
デクランは右手を裁ち台へ差し出しかけ、止めた。
「触れても?」
ラスマはその手と、彼の顔を交互に見た。
「採寸の許可を取る辺境伯様は、たぶん大陸でお一人です」
「不足か」
「過剰です。でも、悪くありません」
「では」
「どうぞ」
ラスマは彼の手首へ細い革紐を巻いた。手のひらの幅。中指の長さ。親指の付け根。古手袋から一方的に読んだ寸法を、今度は本人へ問いながら確かめる。
「親指を曲げてください」
デクランが曲げる。
「痛みは?」
「ない」
「剣を握るときは、ここが先に動きますね」
「そうだ」
「冬は?」
「古傷が少し固くなる」
古手袋だけではわからなかった返事が、ひとつずつ裁ち型へ移った。
ラスマは赤い印を置く。
伸ばしてよい場所。
裁ってはいけない場所。
守るべき親指の深さ。
「右手を」
デクランが首を傾けた。
「もう測った」
「私の右手です」
ラスマは裁ち台の上へ、自分の手を差し出した。
赤い染料の残る指。半月刀を握る親指。三週間分の賃金を二度失っても、まだまっすぐ伸びる手。
デクランは触れずに待った。
「測っても?」
「はい」
彼の指が、ラスマの手首へ革紐を回す。強く締めすぎて、ラスマが片眉を上げた。
「家畜の荷札ではありません」
「すまない」
「謝罪より、二分緩めてください」
デクランはきっちり二分緩めた。
そこまで字義どおりにされると、怒りそびれる。ラスマは口を結んだ。笑えば寸法が狂うわけではないのに、なぜか悔しい。
「求婚の返事に採寸を?」
デクランが訊いた。
「逆です。採寸を任せる相手にしか、返事はしません」
彼の手が止まった。
ラスマは新しい裁ち型を一枚、二人の間へ置いた。片側へデクランの手を重ね、赤い印を取る。
反対側には、自分の手。
二人分の輪郭が、一枚の厚紙へ並んだ。
「婚礼用は、白革で?」
「汚れが目立ちます」
「では黒か」
「赤い印が見えません」
「何色がいい」
ラスマは、彼が選ばずに訊いたことを聞いた。
「二人で探しましょう」
デクランが顔を上げる。
「それは、返事と受け取っていいのか」
「採寸表に書いておきますか」
「別紙ではなかったのか」
「では、口頭で」
ラスマは自分の手を返した。
手のひらを上へ。
「お受けします。ただし、私の名を消さないこと。私の賃金を私へ払うこと。裁つ前に、私の判断を聞くこと」
「守る」
「謝罪では足りませんよ」
「行動で示す」
その答えなら、皮より信用できるかもしれない。
デクランが彼女の手を取る。
ラスマも彼の手を取った。
二人の親指が同時に曲がり、新しい裁ち型の赤い輪郭へ重なった。




