歴史に学ぶマーケティング
第1話 商の国
商の国は、殷賑の府であった。
※ 殷賑 ※ 賑やかに繁盛している様子
天高く聳え立つ城壁に広々と囲まれた都城の大門をくぐると、道という道の両脇に露店が隙間なく立ち並び、売り声に応えるように買う声が、風雨に揺れ騒ぐ木々のような喧噪となって街じゅうに響き渡っていた。
行き交う人々で立錐の余地もない往来を、牛馬が背に荷物を積み、かき分けるように進む。荷物は金銀に変わる。その金銀も、別の店で品物へ変わる。
交錯する金銀の光芒が、街の色を黄色に光り輝かせているようだった。
商の国は富み、民は豊かで、兵は強い。
兵士は専業で、富裕な経済力を背景に開発した最新の武器を装備し、堀は深く、壁は高く、城は堅固で、何者の侵略も許さない金城湯池が都城の平和を約束していた。
その国を、不思議そうな目で眺めている二人の王がいた。工の国の王と農の国の王あった。
第2 話工の国
工の国は、職人の街であった。馬具職人、農具職人、工具職人、刀鍛冶などが軒を連ねていた。船大工もいた。
酒造業もいた。機を織る女工も多い。
老若男女が何の不足も無く暮らす工の国は、貧しくはなかった。工の民は製品を作って暮らすだけで充分だった。が、豊かでもなかった。
出来あがった製品は、商の国の商人達が片っ端から買いつけ、商の国へ持って行って、10倍の値段をつけて売りさばく。
「10倍とは……魔法じゃ」
工の国の王は、どうすれば商の国のように富めるか知りたかった。王は、軍師に尋ねた。「どうすればよい?」
軍師は片膝をつき、うやうやしく両手を捧げつつ答えた。
「我が君に申し上げます。成功している者を真似することこそ、成功への近道です」
「マネせよ、と?」
「御意」
「我が国の民が作った製品を、我が国の民自身で、10倍の値段で売るのか?」
「御意。さすれば大もうけ間違いありません」
工の民は、自ら作った製品を商の国へ持ち込み、店を立てた。
しかし、なぜか全く売れなかった。工王は、軍師をクビにした。
第3話 農の国
農の国は、貧しい。民が少なく、人影もまばらで、田も畑も荒れ果てていた。
朽ち果てた木造家屋には、人ではなく、狐や狸が棲みついている。
税収のない王宮には、官吏か乞食か見分けのつかないな破れ放題の制服を着た栄養状態の悪そうな老人が幾人か佇んでいるだけで、煌びやかな後宮も、女官の姿も無かった。
そもそも、王宮という呼び名が滑稽なほどうらぶれている。
農の王は毎日のように呟いていた。「ナゼだ?ナゼこうも違うのだ?」
善政を布いているつもりだが民は寄りつかず、商業を振興しているつもりだが市は立たず、倹約に努めているつもりだが国庫はカラで、王でさえ今日の食事に事欠く日々が続くほどであった。
農の王は、商の国が繁盛する秘密を、喉から手が出るほど知りたかった。
農王は奇策に打って出た。奇策というより愚策に近い。なんと、商の国の王へ宛てて、その秘密を教えてくれるように手紙を出した。
第4話 商の和尚
農王からの手紙を受け取った商王は、一読すると、さも可笑しそうに大笑いし、「和尚を呼べ」と側近の者へ命じた。
和尚とは、商の国の中に庵を結ぶ、商寺という小さな寺の和尚である。和尚は商王の軍師であった。
和尚には逸話がある。商王が「国を富国強兵にするために手伝ってほしい」と差し向けた使いに、居留守を使って会わなかった。王の使いを蹴ったのである。
二度目は、商王自ら和尚の庵に出向いた。
王の来訪を知ると和尚は、そそくさと裏山へ出かけ、そのまま帰ってこなかった。王に対して無礼きわまりない。
それでも商王は諦めず、三たび庵を訪ねた。
和尚は「それほどまでに」と感激し、丁重に出迎え「我が君の御為に、全身全霊を傾けお手伝いします」と深々と頭を下げた。
のちの世でいう三顧の礼である。
その和尚が、商王の前に現れた。商王は、農王からの手紙を手渡した。和尚は読んで破顔し、「我が君のお考えや如何に?」と訊ねた。
商王は「すべてを和尚に任せる」と再び哄笑し、立ち去ろうとしたが、不意に立ち止り、「工の民が、売れずに苦心しているそうな」と振り返った。
和尚は笑った。「かの民たちは職人。職人が商人の真似をして上手くいくはずありますまい」
商王も笑った。「なにやら、工の民の店先で、客が「1.5倍払うから、1.5倍の量にしてくれ」と言ったら、工の民は「できません」と断ったそうな」
可笑しそうに和尚は笑い「客の要望に応えるという考え方が存在しないのが工の国のしきたりとのこと」
商王は失笑し「商人は、売るのが仕事。もちろん、売ろうとする。が、職人は作るのが仕事。売ろうとしない。売ろうとしないのに売れないのは当然じゃ」
といって去っていった。「作るのも技術であれば、売るのも技術じゃ」と。
第5話 誰のための一国一城の主
商の和尚は旅立った。
農の国を訪れた和尚は、農王に拝謁を求めた。
つんのめるように小走りに登場した農王は喜び、「おお!そちが商の和尚か。よう来た。ささ、近う。近う!」と和尚を差し招いた。
和尚は手の平で制し、「一つ二つ、お訊ね申したき儀がございます」と言った。
「おお!何でも問うてくれ!我が親兄弟のように、腹蔵なく話そうぞ」
「では」と和尚は農王に背を向け「王は一国一城の主や否や?」と問うた。
王は、玉座に座りながら答えた。
「はははは。何を問うかといえば笑止な。やせても予は一国一城の主じゃ」
「一国一城の主とは、誰にとっての?」
「誰も何も、この国は、予の国じゃ」
「王が勝手に一人で一国一城の主を名乗っておられるのであれば良し。しかしそれは児戯に等しい。王様ゴッコのようなもの」
農王は眉をしかめた。
「しかし」と和尚は続け、
「民あっての一国一城主であるならば、民に苦労させるのが城主であろうか?それとも、民を幸せに導くのが城主であろうか?」
和尚は窓の外を指差し、
「農地は荒れ、民は疲れ、次々と去り、誰も入ってこない。王の私服を肥やすための国だから…ではありますまいか?」
「むう…」
「民は正直。民を客とすれば、客のためにならない商品を誰が買いましょう?それと同じで、民の利にならない国に、どうして定住しましょうか?それ即ち脱国あるのみ。王の国に民がいないのは、それゆえ也」
こめかみに怒りの血管を浮きたたせた農王は、刀を引き寄せた。
「王に問う。一国一城主の宝は何ぞや?民は顧客、臣は従業員。民臣あっての一国一城主と心得候や?」
第6話 誰にとっての一国一城の主
農王は左手に刀を持ち立ち上がった。柄に右手をかけている。
「お、おのれ、言わせておけば」
和尚は、振り向いて大喝した。「プライドでメシは食えませんぞ!」
たじろいで王は、ニ三歩、引き下がった。和尚は語気を荒げ、
「王に富を運んでくれるのが民ならば、民は客と同義。その民から、税を取るだけで苦しめ、民が富めるようにしない王など、王に非ず!」
一変、仁王立ちの農王の前で、和尚は膝を折り、両手を捧げて言った。
「数々のご無礼、まことに申し訳ありませぬ。しかし、ここで奮起し、ご自分の利ではなく、いま、民の利に目覚めれば、この国の行く末は危うからず」
よろけるように王は玉座に座り、ふっと短いため息を吐いて、
「わざと怒らせよったか」
と、大きく息を吸い込んだ。富と権力を掌握したくて建国したが、富も権力も自分一人の力で何とかなるものではない。
自分以外の誰かが自分を認めてこその権力であり、自分以外の誰かが自分の許へ運んできての富である。一から十まで自分でやるなら、小作人と変わらない。
「和尚。わかった。では、どうすれば良いか、教えて頂きたい」
和尚は笑顔で「では」と具体策を授け、その日のうちに商の国へ帰っていった。
第7話 百害あって一利なし
商の国では商王が待っていた。「どうじゃ?農の国を侵略できそうか?」
和尚は答えた。
「わざと怒らせて、それを口実に戦端を開くきっかけとなるか試してみましたが、農王は軽率にあらず、理解力に富み、なかなかの仁とお見受けしました」
商王はカラカラと笑い「そうか。では、あの国を攻略するのは難しいか?」
和尚は微笑みながら首を振り「さにあらず。策は授けてきましたが、実行力が伴うかどうか、これからが見モノといえましょう」
「実行力がなかったら?」
「我が君の精鋭を率い、千軍万里を駆け、踏み潰すまで!民を苦しめる国など百害あって一利なし」
商王は「そのときは和尚、頼むぞ」と笑い、急に真顔になって、声をひそめて、
「ところで和尚、どのような策を授けてきたのじゃ?」
「それは、読者さんからのリクエストがあった時のお楽しみということで」
「リクエスト?」
「いや、ナニ、こちらの話。ははははは」
「そうか。よく分らんが、そうか。はははははは」
商の国の賑わいの空の彼方に、王と軍師の笑い声が溶け込んでは消えていった。




