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第3章5話 静かな交融 (フィン in 日本) -2

あっという間に1週間が過ぎ去り、

ついに大会当日を迎えてしまった。


そして、こんな日に限って雪だ。


それも、積もるか積もらないか分からない、

細かく淡い雪だった。

空から落ちてくるというより、

山の空気そのものが白くほどけているような雪だ。


朝、玄関のドアを開けた瞬間、

フィンは思わず足を止めた。


白く濁った空。

音を吸い込むように静かな町。

遠くの山は輪郭をぼかされ、

現実と夢の境目のように霞んでいる。


(はぁ、このまま空に吸い込まれてしまいたい)


そう思いながら、

吐いた息が白く揺れるのをしばらく眺めていた。


「さ、行ってらっしゃい。頑張ってきて」


フィンとは対照的に、

なぜか気合の入っている早苗に背中を押されるように送り出され、

ため息しか聞こえない車内で、

大会会場へ向かった。



「あ、守山先生! おはようございます。

 良かった〜、来てくれて」


会場に着くなり、

佐伯が真っ先に声をかけてきた。

彼の周りには成人男性が三人。

みな胸板が厚く、

子どもがぶら下がれそうな太い腕をしている。


「こちら、今日のメンバーです。

 教員と刑務官と消防士。

 先鋒から副将までは僕らで行くので、

 守山先生は大将をお願いしますね」


……聞いていない。


大将?

一番最後の、大ボスみたいな役割じゃないか。

いやいやいや。

欠員の補填なら次鋒か副将でいいだろ。

大将は、さすがにない。


「いや、さすがに大将は無理ですよ。

 勝負が回ってきたら、負ける自信しかないです」


慌てて返すも、


「大丈夫ですって。

 なるべく僕らで勝負を決めますから。

 それに何度も言ってますけど、負けても大丈夫です!」


負けても大丈夫って。

俺が大丈夫じゃないんだよ。


個人戦ならまだしも、

団体の勝敗がかかった場面で負けて、

“あいつのせいで負けた”

そんな空気になるのが、何より嫌なんだ。


――と、心の中で毒づいたところで、

当然、相手には通じるはずもない。


「それじゃ、お願いしますぅ〜」


佐伯はさっさと行ってしまった。



納得しないまま準備運動を済ませ、

自分たちの試合を待つ。


この小さな町に、

これほど剣士が集まることに少し驚きはしたが、そんなことに感心している余裕はなかった。


次々と試合が進み、

ついに自分たちの番が来る。


大将が号令をかけるという通例は全力で拒否し、一番若いメンバーに任せた。


先鋒、次鋒と試合が進む。

幸い流れは良く、どちらも二本勝ち。

中堅は――

俺をこの試合という罠に引きずり込んだ佐伯だ。

彼は朝の言葉どおり、きっちり2本を取って勝ってきた。


チームの勝ちは、ここで決まった。


だが、副将と大将の試合も行われるのが剣道だ。

はたから見れば消化試合でも、

当人たちは本気でぶつかり合う。


副将も二本勝ち。

そして――

ついに、フィンの番が回ってきた。


全員が二本勝ちしているせいで、

妙なプレッシャーがのしかかる。

勝ちが決まっているはずなのに。


シドニーで企業の社長をしていたから、

大抵の重圧には慣れている。

だが、この種類のプレッシャーは初めてだった。


とにかく、思い切るしかない。


そう自分に言い聞かせ、

竹刀を強く握る。


「始めっ」


合図と同時に、面を打った。

この年齢層で最初から仕掛ける者は少ない。

相手は完全に虚を突かれ、

気持ちよく一本が決まった。


――これは、いける。


たった一本で、

さっきまでの重圧が嘘のように消えた。


その勢いのまま、もう一本。

チーム全勝の空気に呑まれることなく、

フィン自身も二本勝ちを収めた。


鮮烈すぎる試合デビューだった。


チームメンバーは口々に褒め、

褒められるほど、

心も身体も異様なほど高揚していった。


チームの勢いはそのまま続き、

順調に勝ちを重ねて、

いつの間にか決勝まで勝ち上がっていた。

幸い一度も大将に勝負がまわる試合はなかった。


「守山先生、次です。

 ここからが本番ですよ。

 相手は毎年優勝しているチームです。

 我々も去年負けてます」


……今までは何だったんだ。


そう思いながらも、

自然と相手に集中している自分に気づく。

剣道着が、やけに身体に馴染んでいた。


先鋒は引き分け。

次鋒は相手の一本勝ち。

中堅は佐伯が一本勝ち。

副将は、引き分け。


――ちょっと待て。


これは思い切り勝負がかかっているぞ。

しかも、不利でも有利でもない、

完全なイーブン。

おいおい、そりゃ聞いてないぜ。


いや、でも負けても関係ないか。

たとえこの試合に勝とうが負けようが、

俺の生活にはなんの影響もないはずだ。


仕事とはなんの関係もない。

これに勝ったから人生が変わるわけでもない。

なんならこれまでチームは負け越している。

みんなが思う1番の優勝候補。


なにより、これは他人の人生だ。

きっといつかは元に戻る日が来るはず。

だったら負けたっていいじゃないか。

どうせこいつの人生なんだから。


――そう、思っていた。


だが、立ち合いの礼をして顔を上げたとき、

観客席に早苗と、

謙一郎の娘――

今のフィンの娘が見えた。


不安そうだが、

祈るように手を組んでいる。


その姿を見た時、

余計な雑念が全て消えていくのを感じた。


「Easy, easy. Everything is fine.

 任せておけ」


面の中で自然とそう呟いていた。


「始めっ」


今度は開始と同時に飛び込み胴だった。

面を警戒していた相手の手が上がり、

胴が、驚くほど無防備になる。


乾いた音が、会場に響く。


「胴ありっ」


一本先取。

ここで終わりならどんなに良かったことか。

だが、まだ四分ある。


相手は一本取られた後も余裕をみせていた。

さすがは常勝チームの大将だ。

四分あれば取り返せる自信があるのだろう。


相手は機を狙って鋭く重い技を打ってくる。

どれも当たれば一本になる技だ。

フィンはかろうじて避け切ってみせる。


避けたあとも気を抜いて入られない。

すぐに体勢を立て直し、攻撃へと転じる。

だが相手もそれを分かっており、すぐに避けられ、さらには返し技まで打たれそうになった。


技術的な実力では相手が上だった。

だがそれでもフィンは、有効な一本をけっして打たせなかった。


時間の経過とともに相手に焦りが生じ始め、

荒い打ちを連続して繰り出してくる。

避け、しのぎ、隙を探す。


稽古以上の集中だった。

静かに、死に物狂いで戦っていた。


時計係がタイマーを気にし出した時、

業を煮やした相手が、

全力で体当たりしてきた。

力技で崩して一本を狙うつもりだ。


だが、フィンの身体は揺れなかった。

長年のサーフィンで鍛えた体幹が、

大木のように踏みとどまる。


体勢を崩した相手に打ち込もうとした瞬間、

ブザーが鳴った。


――勝った。


思わずガッツポーズをしそうになる。

だが、フィンの中の謙一郎が、

それを寸前で止めた。


アドレナリンが、

全身を駆け巡っているのが分かった。


この遠く離れた島国で、

日本人たちに囲まれ、

縁もゆかりもない人生を生きているはずなのに――


不思議と、

他人の人生を生きているという感覚は薄れてきていた。


面の中で荒く息をしながら、

フィンは思う。


この立ち位置も、

この人生も、

いつの間にか――

自分のものになり始めているのではないか、と。


会場内の大きな歓声とは対照的に

雪はまだ、静かに降り続いていた。


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