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第3章3話 静かな交融 (謙一郎 in オーストラリア) -2

グラスの中の氷が、

かすかに音を立てて溶けていく。

謙一郎は薄まったアルコールを、

なかば投げやりに飲み干した。


ディビッドはひと通り話し終えると、

肩をすくめ、いつもの調子で言った。


「まあ、急ぐなよ。

 あいつら、頭は固いが、悪いやつじゃない。

 なんせ、おまえの息子たちだからな」


それが慰めになっているのかどうかは、分からなかった。


自宅に戻り、ソファに腰を下ろす。

しばらく、何もせず天井を見上げていた。


――どうする?


先に妻のジョディとの関係をどうにかするべきか。

それとも、息子たちを先に。


いくつも考えは浮かんだが、

結局、行き着く先はひとつだった。


まずは、とにかく連絡を取る。

それしか今の自分にできることはない。


携帯を手に取り、連絡先をスクロールする。

息子たちの名前は、すぐに見つかった。

連絡先が変わっていないことを祈りながら、新規メールを開く。


ここでいきなり電話をしないのが、

謙一郎のいいところでもあり、悪いところでもある。


文字を打とうとして、指が止まった。


どんな言葉で始めればいいのか。

謝るのか。

説明するのか。

弁解するのか。


――いや、そもそも。


なんで俺は、こんなに必死なんだ。

俺の本当の妻でも、子どもでもないだろう。


謙一郎は、深く息を吸った。


そのとき、胸の奥で、

フィンの記憶や感情が「なんとかしてくれ」と

語りかけてくるような気がした。


そして同時に、

謙一郎自身も「なんとかしたい」と思っていることに気づく。


少しずつ、フィンの人生が、

自分の中に溶け込んできている――

そんな感覚が、確かにあった。


(……とにかく、やってみよう)


必要なのは、正しさでも合理性でもない。

ただ、人と向き合うことだ。


謙一郎は、短いメッセージを打った。


《久しぶりだ。

 突然で悪い。

 話がしたい。

 もし時間があれば、会えないだろうか》


送信ボタンを押すまでに、数秒かかった。


それから、返事はすぐには来なかった。


一日。

二日。


その間、謙一郎は普段通りに仕事をし、

普段通りに海を眺め、

普段通りに眠った。


だが、どこかでずっと、

携帯の振動を待っていた。


三日目の夜。

ようやく、通知が鳴った。


《正直、いまさら会う理由が分からない》

上の息子からだった。


すぐに返事を打ちそうになり、

謙一郎は一度、手を止める。


そして、こう返した。


《理由は、謝りたいからだ》

《それ以外に、用はない》


しばらくして、

もう一通、短いメッセージが届いた。


《……15分だけなら》


謙一郎は、思わず小さくガッツポーズをした。

もはや他人の人生という感覚はなく、

完全に自分のことのように感じていた。


うまくいくかは分からない。

それでも、確かに一歩は踏み出せた。


当日、

謙一郎は待ち合わせの一時間も前に店に着いていた。


自分の心配性な性格に、少し苦笑いしながら、

コーヒーを注文し、窓際の席で待つ。


もちろん、すぐに来るはずもない。

コーヒーは二杯目に入っていた。


三杯目を頼もうかと思案していた、そのとき。

ドアが開き、二人の若い男が入ってきた。


――息子たちだ。

(フィンの……いや、オレの?)


背格好も、目の形も、

自分とは似ても似つかない。

それでも、不思議と分かった。


だが、その表情には、

警戒と嫌悪がはっきりと刻まれていた。


「……久しぶり」


上の息子が言った。

感情を抑えた、平坦な声だった。


「来てくれて、ありがとう」


それだけ言って、席に座るよう促す。

言い訳は、しなかった。


「……で、何の話だ」


「謝りたい。

 それから、おまえたちが今まで、

 俺に対して何を感じてきたのか、聞きたい」


謙一郎は、静かに言った。


「本当に、すまなかった。

 母さんや、おまえたちの気持ちを考えず、

 自分の意見ばかり押し付けていた。

 ……今さらだが、ようやく気づいた」


(これで、いいんだよな。

いまは俺がフィン、俺がフィン・モーガンだ。俺の思う通りにやるしかない)

息子たちに語りつつも、まだ心の声を消せない謙一郎であった。


二人は驚いたような表情を浮かべたが、

すぐには何も答えなかった。


沈黙が落ちる。


謙一郎は耐え、

ただ待った。


最初に口を開いたのは、下の息子だった。


「……ほんとに、今さらだな」


「そうだと思う(俺だってそう思ってる)」


否定しない。

反論もしない。


それが、二人には意外だったらしい。


ぽつり、ぽつりと、言葉がこぼれ始める。


高圧的だったこと。

意見を聞いてもらえなかったこと。

進路を否定されたこと。

存在を、認めてもらえなかったと感じたこと。


謙一郎は、ただ聞いた。

遮らず、否定せず、

時折、うなずくだけだった。


話が一段落したところで、

彼はゆっくりと口を開く。


「……おまえたちが、そう感じたのは当然だ」


二人が顔を上げる。


「俺は、父親として、完全に間違っていた

 (俺というか、フィンが、な)」


その言葉に、二人は息をのんだ。


「今すぐ許してほしいとは言わない。

 取り返しがつかないことも、分かっている」


謙一郎は、再び頭を下げた。


「それでも……

 もう一度、話ができる関係にはなりたい」


長い沈黙のあと、

上の息子が、ため息をついた。


「……変わったな」


「そうかもしれない」


「前なら、絶対にこんな言い方はしなかった」


「その通りだ」


ほんの一瞬、苦笑が交わされる。


「……いきなり昔みたいには無理だけど」


下の息子が言った。


「連絡くらいは、取ってもいい」


それだけで、十分だった。


別れ際、

謙一郎は言った。


「今日は、ありがとう。

 また会える日が来たら、うれしい」


謙一郎の心の声は消えており、すっかりフィンとして本音を喋っているようだった。



帰り道、

夜の海が静かに広がっていた。


波の音を聞きながら、

謙一郎は胸の奥にあった重石が、

ほんの少しだけ軽くなったのを感じていた。


完全な和解ではない。

だが、確かに道はつながった。


それが、

この借り物の人生で得たものだとしても。


――それでも、無駄ではなかった。


謙一郎はそう思いながら、

自分がすでにフィンの人生と融けて交わり始めていることから目を逸らすように、

ゆっくりと歩き出した。


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