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第2章7話 交錯する職場 (フィン in 日本) -2

——フィン・モーガン in 長野

チェンジリング3日目・続き


「院長、午後はじめますよ」


午後の診療も、また早苗の一言で始まった。

午前中に流れ作業になっていると指摘されたばかりだ。

久々に人から注意されたフィンは、妙に懐かしい気分になりながら診療を再開した。


笑顔を絶やさず、自信に満ちた表情で、

一人ずつ対応していく。

すると、よく来るお年寄り患者の一人が、じっとこちらを見つめてから口を開いた。


「先生、今日はなんだか堂々としているね」


「そうですか? いつもこんな感じですよ」


「いぃや、違うよ。いつもはもっと自信なさそうで、不安そうでさ。あと、すごく心配性だ。

 今日はやけに堂々としていて、頼もしいね。人が違うみたいだ。何かあったのかい?」


——鋭い。

日本のお年寄り、なかなか慧眼だな。


だが説明したところで、信じてもらえるはずもない。


「少し休みをいただいて、リフレッシュしたからかもしれません。

 これからは、こんな感じでいきますよ!」


「そうかい。それはいいね。

 でも、何事もやりすぎは良くないからね。気をつけなね」


なぜか釘を刺されたが、何に気をつければいいのか分からなかったので、

とりあえず笑顔で話を終わらせた。


——その後も何人かに「いつもと違う」「今日は雰囲気が違う」と言われたが、

診療自体は特にトラブルもなく進んでいった。



そろそろ終わりが見えてきた、その時だ。

受付の方から、明らかにただならぬ大きな声が聞こえてきた。

誰かが怒鳴っている。


ちらりと早苗を見ると、姿を確認する前に、すでに受付の方へ歩き出していた。

あまりの素早さに、

(これが忍者か!)

と少し興奮したのは秘密だ。


診察中の患者に断りを入れて、受付へ向かう。

声の感じからすると、六十代から七十代くらいの男。

とにかく怒鳴っている。何に怒っているのかすら分からないほど、支離滅裂だ。


同時に、早苗の声も聞こえる。

恐ろしく冷静で、感情のこもっていない声。

宥めようとしているのか呆れているのか。

とりあえず怒鳴り声の元に辿り着く。


「おぉ。院長か、おまえ?」


いきなり〝おまえ〟呼ばわりだ。

日本語が母国語じゃないはずなのに、なぜかイラッとした。


「そうです。私がこのクリニックの院長です。どうしましたか?」


「あぁん? どうしたもこうもあるか!

 ここで出された薬を飲んだら、具合が悪くなったから来たんだよ!

 どうしてくれるんだ!」


怒鳴る男の顔に、見覚えはない。

もちろん、謙一郎の記憶にも。


ふと早苗を見ると、

明らかに怒っている顔だった。

状況が飲み込めず、そっと近づく。


「この人、うちにかかったことがない人よ。

 知人がうちのかかりつけ患者らしくて、

 その人に出した薬を勝手に飲んだらしいの」


……は?


医療の素人である俺ですら、それがダメだと一瞬で分かる。

他人に処方された薬を勝手に飲んで、体調が悪くなったから怒鳴り込む?


意味が分からなさすぎる。


「ちなみに症状は?」


「下痢ですって。

 栄養剤だと思って、緩下剤を大量に飲んだらしいの。

 しかも一週間前。今は何ともなくて、元気になったから来たみたい」


……はぁ。

聞けば聞くほど意味が分からない。


医者って、やっぱり大変だな。

午前中の俺に教えてやりたい。


「おい! なんとか言ったらどうだ!

 とんでもない薬を飲ませやがって!」


相変わらずピーチクパーチク吠えている。

まともにやり合う気は起きない。

ここからは、心の中で〝クレーマー爺さん〟と呼ばせてもらおう。


「えーと、はっきり言います。

 悪いのはあなたであって、我々は適切な診療をしています。

 人に出された薬を勝手に飲むなんて、言語道断です」


——おぉ。

〝言語道断〟って、かっこいいな。

勝手に口から出たけど、意味は合ってるよな?


「なぁにをぉ! 若造が!

 知ったような口をききおって!

 俺は〇〇病院の院長の知り合いなんだぞ!」


だれだ、そいつは。そんなやつ俺は知らない。


「ですから、こちらに落ち度はありません。

 まだ体調が悪いようでしたら、新患として診察は可能ですが、どうしますか?」


毅然とした態度を崩さない。

ビジネスでも、こういう相手にはこれが一番だ。


「もちろんタダで診るんだろうな!

 おたくの薬で具合が悪くなったんだぞ!」


さすがに、じわじわ腹が立ってきた。


「通常の診察になりますので、保険診療の範囲内でお支払いいただきます」


「なにぃ! 金を取るのか!

 信じられん!

 むしろ、こっちに金を払うべきじゃないのか!

 おい、いい加減に——」


クレーマー爺さんが、顔を真っ赤にして早苗の腕を掴もうとした。


「Stop it! ここまでです」


気づけば、大きな声が出ていた。


「それ以上何かするようなら、タダじゃおかない。

 私の大事な妻に、触らないでください」


素早く二人の間に割って入る。

爺さんは一瞬たじろぎ、何か言い返そうとしたが、

結局ぶつぶつ文句を垂れながら入口へ向かい、


「二度と来るかっ!」


と、まさに負け犬の遠吠えを残して出ていった。


「……大丈夫だった?

 早苗も、みんなも。

 患者さんたちも、すみませんでした」


慌てて声をかけたが、返ってきた反応がおかしい。

受付も、看護師も、待合室の患者たちも——

みんな、ぽかんとこちらを見ている。


(……俺、また何かやらかした?)


「……おーい、どうした?」


すると、受付の事務員が、ぽつりと言った。


「い、いえ……

 院長が、あんなふうに怒鳴ったり、前に出たりするの、初めて見たので……」


看護師も、小さくうなずく。


「いつもは、もっと遠慮がちで……

 でも、今日はすごく……頼もしかったです」


早苗は何も言わず、こちらをじっと見ていた。

その表情は、驚きと、少しだけ——

見直したような色が混じっている気がした。




その後の診療は、何事もなく終わった。

騒がしい一幕はあったものの、

仕事は滞りなく進み、

結果として、今日一日を無事にやり切ることができた。


おかしなトラブルに巻き込まれはしたが、

フィンの胸には、確かな手応えが残っている。


ここでのやり方も、

自分なりの振る舞い方も、

少しずつだが、掴めてきた気がした。


——このまま、この生活に溶け込んでいくのも、悪くないのかもしれない。


長野の静かな空気の中で、

そんな考えが、言葉になる前に、

そっと胸の奥に沈んでいった。



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