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第2章3話 交錯する日常 (フィン in 日本) -2

——フィン・モーガン in 長野

チェンジリング2日目続き。


夕暮れの長野は、光を失うほどに静けさを深めていく。

冷えた空気が肺の奥まで染み込み、夜がすぐそこまで来ていることを知らせていた。


フィンは、早苗が用意してくれた剣道着を身に着け、鏡の前で何度も自分の姿をみた。

(意外とイケてる。)


剣道は日本の伝統的なスポーツ、というか武道らしい。

金髪青眼の容姿が似合うイメージはなかったが、存外、似合っている。

体格の良さがさらに剣道着の魅力を引き出しているのは言うまでもなかった。


フィンは鏡の前で異文化体験をしばらく楽しみ、またもいぶかしげな視線を送ってくる早苗に押し出されるようにして道場へむかった。


道場にはすでに中年男性が数名きていた。

今日は大人の稽古会だ。

長野の小さな町で、剣道を趣味というか生涯スポーツとして楽しんでいる、

いわゆる剣道好きなおじさんたちの集まりだ。

職業は、自営業、サラリーマン、公務員、警察官、消防士、弁護士、、、etc.と様々だ。

全部で10~15人くらいで細々とやっている。


「こんばんは、守山先生。奥さんから聞きましたけど、大丈夫ですか?」

佐伯進という剣道仲間だ。

たしか、彼も同年代で市役所職員だったか。


「こんばんは。佐伯先生。ちょっとストレスで混乱しちゃったみたいで。でも大丈夫です。今日もほら、剣道にきましたし。」


道場では、『先生』と呼び合うことが多いんだったな。

仕事でも先生だし、道場でも先生って呼ばれるのか。ややこしいな。


会話をしながらなんとなく防具をつけていく。勝手に指が動くのが怖い。


それにしても寒い。

暖房器具はないのか。

外と同じか外より寒くないか?

こんな環境でこれから運動をするのが信じられない。


「素振りしまーす」


突然号令がかかった。

周りの動きとあわせて円になってみる。


「あれ、守山先生。靴下履いたままですよ?」


ふとみんなの足元をみる。いつの間にか全員裸足になっていた。


いやいやいや、無理だから。

寒すぎて無理だから。


フィンにとって、道場の床はまるで氷でもはっているかのような冷たさであった。

苦笑いしながらみんなの顔をみたが、不思議そうな顔をしてこちらを見ている。


「あぁ、すみません。まだ本調子じゃなくて。すっかり忘れていました。」


実を言うと剣道が裸足で行うことは知っていた。

だが脱げなかった。このまま誤魔化せると思った。


渋々靴下を脱ぐ。

冷たい。

足がもげそうだ。立っていられない。


「どうしました?さぁ、いつも通り素振りをしましょう。」


他のメンバーは平然と裸足で床の上に立っている。

どうなっているんだ。足の裏にカイロでも仕込んでいるのか?

それとも足の皮膚が特別分厚い仕様になってるのか?

これは人種の違いなのか?どうなんだ?


フィンの心の叫びは誰にも届くことはなかった。

周囲からの視線に耐え切れず、いそいそと円陣の一部になり素振りを始めた。



なんとか素振りを乗り越え、面をつけての練習が始まった。

まずは打ち手だったので、記憶をたよりに精いっぱい打ち込んだ。


「守山先生。なんか変な打ち方ですけど、いつもより迫力がありますね。」



ぎこちなさは自分でもわかった。相手にも伝わった。

でも気持ちよかった。思い切り棒を振って打ち込むのがこんなに気持ちいいとは。

これだけなら楽勝だな、とこっそり思った。


次は元立ちだった。同じように切り返しを受ける番だ。

記憶の通りに面をあけて打たせる。


閃光が走った。

何が起きたのか分からなかった。

目から何かが出そうだった。

面の中で視界が揺れ、世界が一瞬だけ傾いた。


(……え? 今、殴られた?)


いや、正確には“打たれた”のだろう。

竹刀越しとはいえ、想像していたより、はるかに重い。


「あ、ちょっ——」


止めてほしいと言う前に、体当たりされた。

考える時間は与えられない。

とにかくがむしゃらに竹刀を受けた。

いや、受けたというより、避けた。


切り返しを一往復して、もう一度面を打たせる場面がきた。

次はしっかり覚悟をした。

覚悟をすれば、多少は耐えられるだろうと思った。


……甘かった。


脳天をかち割られたような衝撃。

気が遠くなりそうなのを必死にこらえ、一礼する。


すぐに稽古の列から抜けた。

やってられない。

これじゃ、逆に記憶を失ってしまう。

いや、記憶どころじゃすまないかもしれない。


とりあえず今日は体調不良ということで、見学にとどめよう——

そう思った矢先だった。


「あれ、守山先生。どうしました?」

「やっぱり調子悪いんですかね。でも奥さんから、無理矢理にでも稽古させるように言われているんですよ……。僕も早苗さんにはかなわないからな」


佐伯によって、あっという間に稽古の列に戻された。


足は冷たい。

身体は寒い。

頭は痛い。

とにかく、つらい。


周りのおじさんたちは、何事もなかったかのように、淡々と打ち合っていた。


(無理無理無理。これ、サーフィンとはジャンルが違う)


だが、いまの俺は守山謙一郎だ。

剣道をやったことがない、などと言えば、

またストレス扱いされるか、最悪変人扱いで終わるだけだ。

しかも早苗によって、逃げ場はすでに塞がれている。


とにかく、この地獄の時間を乗り切るしかない。


神よ。

この俺に、せめてヘルメットを与えてくれ。

そんな願いもむなしく稽古の輪に吸い込まれていった。



その後は、無我夢中だった。

痛すぎて、何度か失神しそうになった。


ヘルメットを神に所望したが、小手も痛くて、骨が折れたと思った。

もちろん、折れてはいなかった。


次は鋼鉄の防具を神に所望した。

当然、そんなものが与えられるはずもなく、ただ耐えるしかなかった。


足の裏は、もはや何も感じなくなっていた。

というか、足がないような感覚だった。


とにかく大きな声を出して、自分を奮い立たせた。今の自分にできることはそれだけしかなかった。



何が何だか分からないうちに、稽古は終わっていた。

面を外すと、自分の身体から湯気が立ち上っているのが見えた。


「いやぁ、守山先生。今日はすごい気合でしたね。ちょっと動きはヘンでしたけど」


「ありがとうございます。寒かったので、とにかく気合を入れてみました」

(違う。とにかく必死だっただけだ...。)


心の声はそっと隠して、なんとか作り笑いで返答してその場を流れた。


剣道は、精神修行だと聞いたことがある。

だがフィンは、このとき確信していた。


これはまず、物理的な修行だ。


……オーストラリア人は、たしかに打たれ強い。だが、物理的に打たれると、普通に泣きそうになる。


その事実を、フィン・モーガンは、

氷のように冷えた長野の道場で、全身で学んだのだった。



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