第6話:デバッグ開始と猫じゃらしの聖剣
ザリ……ザリザリッ……。
目の前の蛇人は、不気味なノイズを撒き散らしながら一歩ずつ距離を詰めてくる。フェンは膝をついたまま、自分の震える手を見つめて絶望していた。
「主様……逃げて……ください……。私の魔法が、効かない……守れない……っ」
最強の神獣としての誇りが、属性無効の鎧という絶望的な仕様を前に砕け散ろうとしている。俺は焦る気持ちを抑え、視界の隅で明滅するウィンドウを必死に操作した。
「逃げるったって、どこにだよ。……落ち着け、俺。こういう時はまずログ(履歴)を確認して、現状を分析するんだ」
俺は敵を凝視し、プロパティを深掘りする。
対象:グリッチ・サーペント 状態:属性無効の鎧(全属性ダメージを0として処理)
「なるほど、道理でフェンの氷が効かないわけだ。……じゃあ、俺が直接デリート(削除)を叩き込めば――」
俺は指先を敵に向けてコマンドを実行しようとした。だが、敵の輪郭がノイズのようにブレて定まらない。放った削除命令は、敵の数センチ横を虚しく通り抜けて背後の大岩を消滅させた。
「くそっ、当たらない! 対象を固定できてないのか。……だったら、こっちが当てるんじゃなくて、あっちが外せない状況を作ればいい」
俺は周囲の環境データを見渡し、足元に生えている何の変哲もない雑草に目をつけた。
「これ、書き換えられるか? えーと……」
オブジェクト編集:草 > 強化トラばさみ オプション:座標ロック(対象の移動を論理的に禁止)
「よし、これでどうだ!」
カチッ、という確定音が響くと同時に、蛇人の足元に巨大な鉄の顎が出現した。
「ガァ……ッ!?」
蛇人が飛び退こうとするが、鉄の顎は物理的な捕獲ではなく、システム的な座標の固定を強制している。鎧で属性を無効化していようと、この世界の理の外側にある論理的な拘束からは逃げられない。
「グルルゥゥッ!!」
動きを封じられた蛇人が逆上し、禍々しい漆黒の奔流を纏った鋭い尾を俺に向けて叩きつけてきた。まともに受ければ死ぬ。そう直感した俺は、咄嗟に自分の身を守る手段を考える。
「あいつが属性無効なら、俺だって……!」
俺は自分が着ているボロい防寒コートに指を這わせた。
オブジェクト編集:防寒コート > 属性無効の鎧 属性:属性ダメージ無効化(Null)
ドォォォンッ!!
激しい衝撃が走り、周囲の土が舞い上がる。だが、俺は一歩も動かずに立っていた。蛇人が放った腐食の属性攻撃は、俺のコートに触れた瞬間にただの不完全な文字列へと分解され、風に流されて消えた。
「いける……! これならダメージは通らない。あとは、どうやってあいつを削り切るかだ」
俺は腰を落とし、周囲を見渡す。武器になるようなものはない。唯一手元にあるのは、戦いの衝撃でも抜けずに残っていた、穂の部分が子供の腕ほどもある巨大な猫じゃらし――ダンシング・グラスだった。
「これ、聖剣って名前にすれば聖剣になるのか? ……やってみる価値はあるな」
俺は半分やけくそで、引き抜いた猫じゃらしに管理者権限を上書きした。
オブジェクト編集:ダンシング・グラス > 管理者専用聖剣 属性:接触時データ削除
瞬間、手に持ったフワフワの草が銀色の極光を放った。見た目は猫じゃらしのままだが、ウィンドウに表示される数値は、この世界のあらゆる神話を一瞬でゴミ箱に放り込むほどの質量を示している。
「これでおしまいだ」
俺は全力で踏み込み、猫じゃらしの聖剣を横一文字に振るった。
「ア……ガ…………」
最強を誇った属性無効の鎧すら、管理者専用の削除属性の前では薄紙に等しかった。悲鳴すらノイズに消え、蛇人の体は切り裂かれた箇所からポリゴン状の破片となって砕け散る。
コマンド実行:全削除(Delete_All)
俺が最後にエンターキーを叩くようなイメージで指を弾くと、空間を埋め尽くしていたノイズは一瞬で消え去った。最初からそこに何もいなかったかのような、静寂が戻る。
◇
「……終わったぞ」
俺は聖剣のデータを書き換え、元のフワフワした猫じゃらしに戻した。フェンはまだ信じられないものを見るような目で俺を見つめている。
「主様……今のは……。あんな恐ろしい鎧を、草一本で……」
俺がふと、手に持ったままの猫じゃらしを無意識に動かした。 シュッ。シュッ。 風を切るかすかな音。それと、穂先がゆらりと揺れる。
「――ッ!?」
フェンの琥珀色の瞳孔が、一瞬で極限まで開いた。先ほどまでの悲壮感はどこへやら、視線は俺の手元にある猫じゃらしに一点集中し、釘付けになっている。
「主様……その、フワフワしたやつ……また、動いて……」
ゴクリ、と彼女が喉を鳴らす。
「フェン?」
俺が首をかしげると、それに合わせて猫じゃらしがまた小さく揺れた。 その瞬間、彼女の理性が崩壊した。
「わふぅぅぅぅぅッ!! 待てぇぇぇぇッ!!」
フェンが四つん這いになり、猛然と飛びかかってきた。しなやかな獣のような動き。四肢をついて地面を蹴るたび、ムチムチとした太ももが平たく押し潰され、魅力的な肉の厚みを晒す。お尻を高く突き出し、尻尾を回転させながら、彼女は俺の周りを跳ね回る。
「主様! そこです! 左! 右! ああっ、上に逃げました!」
重力を無視するかのような跳躍。空中に舞うたび、メロンのように巨大なバストが着地の衝撃でドスンッと凄まじい勢いで波打つ。全身の脂肪と筋肉が、まるで生き物のように躍動していた。
「はぁ、はぁ……捕まえました……♡」
俺の上に馬乗りになったフェンが、勝利の笑顔で猫じゃらしを握りしめている。至近距離にある彼女の顔。俺の腰を挟み込むようにがっちりとロックしている極太の太もも。その上では、重力に従って垂れ下がった圧倒的な質量を誇る胸が、俺の鼻先に触れんばかりの距離でぶら下がっている。
「あ……」
そこでようやく、フェンは正気に戻ったらしい。一気に顔を沸騰させた。
「も、申し訳ありませんっ! 私としたことが、つい本能が……っ! わ、忘れてくださいぃぃ!」
◇
ハプニングはあったものの、その日の夜。俺たちはいつものようにログハウスを展開し、豪華な夕食を済ませることにした。
「今日は冷えるな。温かいものでも食うか」
俺はキッチンに立ち、石ころをデータ変換して呼び出した新鮮な牛乳、バター、小麦粉、そしてたっぷりの根菜類と鶏肉を並べた。
「……あ、主様。その瓶、ゴミが混ざってますよ?」
瓶を覗き込んでいたフェンが、不思議そうな顔で指差した。中には塩漬けにされた黄色のレモンと、一緒に漬け込まれて琥珀色に変色したローリエが数枚入っている。
「違う違う、これはローリエだ。レモンを塩漬けにする時、この葉っぱも一緒に瓶に詰めて、一ヶ月間じっくり寝かせてあるんだよ。そうすることで、発酵が進む間にローリエの香りがレモンの皮に完全移るんだ。後から足すのとは馴染みが全然違うんだよ」
俺は瓶からレモンを取り出し、ペースト状にしてグツグツと煮立つホワイトソースの中に溶かし込んだ。仕上げにチーズを入れ、軽くひと煮立ちさせる。
「よし、完成だ。特製・ローリエ塩レモンのクリームシチュー」
一口食べたフェンが、頬を押さえて悶絶した。
「んんっ!? これ、すごいですっ!! 酸っぱくないのに、レモンの爽やかさと、森のようなイイ香りが口いっぱいに広がります! うぅぅ、飲み込むのが勿体ないですぅ!」
一緒に漬け込むことで角が取れ、旨味と香りの爆弾と化したレモン。フェンは夢中でパンをシチューに浸し、口の周りを白くしながら平らげていく。
「体がポカポカします……幸せです……」
管理者の力で敵を蹂躙し、神獣を猫じゃらしで手懐け、至高の料理で胃袋を掴む。俺たちの旅は、まだ始まったばかりだ。
(続く)
阿保の子たまらん
諸事情により服を着ています




