第59話:おっぱいがいっぱい
一方その頃。
スライムの肉山から少し離れた場所で、悠乃とスーは別の戦いを強いられていた。
戦いの相手は、気絶しているカイだ。
「カイ! 起きんさい! 敵じゃ、敵が来たんじゃぞ!」
ドゴッ! バキッ!
悠乃がカイの頬を容赦なく張っ倒している。 牛人族によるビンタだ。普通なら首がもげてもおかしくない威力だが、カイはピクリともしない。
ただ、頬がみるみるうちに赤く腫れ上がっていく。
「あへぇ……おっぱい…が…いっぱい……♡」
カイは幸せそうなアホ面で寝言を呟いている。
永続発情状態の呪いは、物理的な痛みすら快楽に変換してしまうようだ。
「だめじゃ!こいつ、完全にイッてしまっとる!起きる気配がないわ!」
悠乃が手の方が痛いと言わんばかりに手を振る。
このままでは、フェンとルナがジリ貧になってしまう。
すると、スーがおずおずと手を挙げた。
「あの……悠乃さん。提案があるんですけど」
「なんじゃスーちゃん!いい案があるんか?」
「はい。生物は、快楽よりも『生存本能』を優先するはずです。つまり……命の危機を感じさせれば、強制的に覚醒するのではないでしょうか?」
「命の危機……? 具体的にはどうするんじゃ?」
スーは真顔で言った。
「窒息させます!!」「は?」 「スライムの体で顔を覆って、酸素を遮断します。死ぬ寸前まで追い込めば、さすがのカイさんも起きるはずです」
悠乃はドン引きした。
「そ、それは荒療治すぎんか!?もし死んだらどうするんじゃ!」
「大丈夫です。ギリギリで止めますから。……今はこれしかありません!」
スーが決意を秘めた瞳でカイを見下ろす。 そして、自身の体を液状化させ、カイの顔面へと覆いかぶさった。
「んぐっ!?むぐぐぐッ!?」
カイの体がビクンと跳ねる。
端から見れば、スライムの美少女が顔面にまたがり、顔騎をしているようなご褒美タイムに見える。
だが実際は、高粘度の粘液が鼻と口を完全に塞ぎ、気道まで入り込もうとするガチの暗殺現場だ。
「カイ! カイーッ! 死ぬなーッ!!起きてー!でも窒息しそうになってー!でも死ぬなー!」
悠乃がパニックになって叫ぶ中、カイの顔色は赤から青、そして土気色へと変わっていく。
◇
カイの意識の中。
そこは桃源郷だった。
見渡す限りのπ。おっぱいの海。
⋯
AカップにBカップ。
あそこにはCカップにDカップもある。
お空を見て!
あれはEカップ座にGカップ座だ。
心を覗いて…
ほら…HカップとIカップは君のもの…
やめて!二人とも!
JカップとKカップが喧嘩しているよ…
それをLカップとMカップが微笑みを浮かべて見守っている⋯
みんなでほら⋯仲直りしよう⋯お手々を繋いで⋯
⋯
俺はおっぱいの海でプカプカと浮かびながら、永遠の安らぎを感じていた。
(ああ……幸せだ……。もう戦いとかどうでもいいや……)
だが、次第に雲行きが怪しくなってきた。 おっぱいの海の水位が上がり、息ができなくなってきたのだ。
苦しい。
重い。
何かが、俺の呼吸を奪おうとしている。
(……なんか、これヤバくない?)
快楽の向こう側に、鎌を持った死神の姿が見えた。
その死神は、なぜかスライムのようなプルプルしたFカップの形をしていた。
(死ぬ。これ、マジで死ぬやつだ)
本能が警鐘を鳴らす。
おっぱいで死ぬなら本望……いや、違う! まだ死ねない!
俺にはやるべきことがあるはずだ!
「ん、が……ッ!!」
俺は渾身の力で、意識の底から這い上がった。
◇
「ぷはぁぁぁッ!!」
現実世界。
カイが水面から顔を出すように、勢いよく上半身を起こした。
顔を覆っていたスーが、ボヨンと弾き飛ばされる。
「はぁ、はぁ、はぁ……! し、死ぬかと思った……!」
カイは肩で息をしながら、大量の酸素を肺に取り込む。
心臓が早鐘を打っている。
視界がチカチカするが、意識ははっきりとしていた。発情の熱も、死の恐怖によって霧散している。
「お、起きた!起きたぞカイ!」 「よ、よかったですぅ……!人殺しにならずに済みました……」
悠乃とスーが抱き合って喜んでいる。
カイは何が起きたのか状況を把握しようと、自分の顔に手をやった。
「いっ……!?」
激痛が走った。 頬が熱い。なんだこれ?触ってみると、アンパンのようにパンパンに腫れ上がっている。
「なんだこれ……?俺の顔、どうなって……?」
「あ、それは……えっと……」
悠乃が視線を泳がせる。 自分が全力で往復ビンタをした痕跡だとは、口が裂けても言えない。 彼女はとっさに嘘をついた。
「そ、そそそそうじゃよ!あのスライム型の敵が!気絶してるカイの顔面を往復ビンタしてたんじゃ!ひどい奴じゃろ!?」
スーもコクコクと頷いて話を合わせる。
「そ、そうです! 『このイケメンめ! 起きろ!』って、すごい勢いで!」
「……そうか」
カイは眉間に皺を寄せ、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「敵の仕業か……! 寝ている人間にビンタとは、いい度胸だ」
カイは立ち上がった。 その目には、理不尽な暴力に対する怒りの炎が宿っていた。
「あとなんか、窒息死するくらい苦しかったんだけど……まさかこれも……?」
「そ、そそそうです!それも敵の精神攻撃です!それよりカイさん!早くこの発情霧をなんとかして!」
スーが話題を逸らすように叫ぶ。 カイは周囲を見渡した。 ピンク色の霧。
そして、その奥で戦うフェンとルナの姿。
「……なるほど。状況は把握した」
カイはまだ顔が腫れていて、呼吸も整っていない。 だが、彼はスッと右手を掲げ、管理者としての威厳を纏った。
「俺の庭で、好き勝手やってくれたな」
パチン。 カイが指を鳴らす。
[Command: Clear_Weather (Target: Area_Radius_100m)] [Option: Remove_Status_Effect (Target: All_Allies and slimes]
一瞬にして、広場を覆っていたピンク色の霧が晴れた。 同時に、スライム娘たち、フェンやルナ、そしてカイ自身に残っていた微かな熱も浄化される。
爽やかな風が吹き抜ける中、腫れ上がった顔のカイが、ビシッとポーズを決めた。
「待たせたな。……ここからは、俺のターンだ」
何が起きたか全く把握していないが、とりあえずカッコつけることだけは忘れない。
それがカイという男だった。
(お前のせいでピンチになったんじゃろうが!)
(そうです!何が「おっぱいがいっぱい♡」ですか!?)
二人の苦労も尻目に、カイは無駄に格好をつけて敵を見据える。
その先の「管理者」を。
だが、カイが見据えた時にはもう、3人のバトルは終わっていた。
おまけ




