第54話:作られた勇者
城塞都市ウラスレート。
その支配者である領主の城に、一人の男が足を踏み入れた。
音もなく、気配もなく。警備の兵士たちが気づくことすらできない幽霊のような歩調で、男――イシスは最上階の執務室へと到着した。
部屋に入ると、そこには異様な光景が広がっていた。
片方の手首を包帯でガチガチに固めた領主(市長)が、脂汗を流しながら椅子に沈み込んでいる。その傍らには、騎士団長のセシリアが青ざめた顔で直立不動の姿勢をとっていた。
「……何があった」
イシスの問いかけは、感情の起伏が乏しく、平坦だった。
領主がビクリと震え、何かを言おうと口を開く。
「あ、あう……あ……」
声が出ない。
セシリアも同様だ。何かを訴えかけようとするが、喉が痙攣したように言葉を詰まらせている。おそらく、セシリア達が、プログラムを仕込んだ人間が不利になるようなことを発言させないための、プログラムを実装させた…そんなところだろう。
「……なるほど。口封じか」
イシスは冷静に彼らに近づくと、虚空にコンソールを展開した。 緑色の文字列が瞳に映り込む。
[Check_Property (Target: Lord, Cecilia, All_Knights)] [Detected_Condition: Action_Restriction (Lock)]
「ほう……」
イシスは少しだけ眉を上げた。 そこには、精巧な条件式が組み込まれていた。 『カイ、フェン、ルナ、悠乃、スー、シルクを攻撃、または彼らに不利な情報を漏洩した場合、そのダメージおよびペナルティは200%となって術者に返る』。
物理的な攻撃だけでなく、情報伝達までトリガーにしている。 だがおろかだ。ツメが甘い。
敵に管理者がいる可能性を考えるのであれば、自分たちのIDを使用するべきではなかった。ダークの様な低能な管理者ばかりではないのだ。
イシスは流れるようなタイピングで解除コードを打ち込んだ。
[Command: Remove_Condition (Target: All)]
パシュン、という電子音と共に、領主たちの体が軽くなる。
「は、話せる……! 話せるぞ!」
領主がガバッと立ち上がった。
「イシス殿! 聞いてくれ! この腕は獣人族の女に折られたのだ! それに、あの男……少年の様な男だ! あいつもあなたやダークと同じような能力を持っていた! これを野放しにはできないだろ!?」
唾を飛ばして喚く領主。 だが、イシスは彼を一瞥もしなかった。 興味がないと言わんばかりに踵を返し、執務室を出ていく。
「ま、待て! どこへ行くのだ!」
イシスは領主なんて初めから居ないかのように扱い、姿を消した。
◇
地下牢獄。 そこには、かつてウラスレートの裏社会を牛耳っていた管理者、ダークが転がっていた。 彼は白目を剥いて気絶しており、その両手には黒いノイズのような手錠がかけられている。
イシスはしゃがみ込み、その手錠のコードを覗き込んだ。
[Object (Target: Dark_Hands, Type: Handcuffs_Code)] [Attribute: Encryption (RSA_4096bit + Quantum_Key)] [Condition: Loop_Bind (While: True)]
「……RSA4096ビットに、量子鍵暗号か。過剰なセキュリティだな」
イシスは感心したように呟いた。
この世界において、ここまで堅牢なセキュリティを組める人間は限られている。 イシスは指を走らせ、解読を始めた。
総当たりでは数千年かかる計算だが、コードの癖やバックドアを見つけ出し、論理的に構造を崩していく。
「正面から挑めば計算に宇宙の寿命ごとかかるが……実装がお粗末だな」
暗号アルゴリズムそのものは完璧だ。だが、それを記述した『人間』の思考には癖が出る。イシスは数万行のノイズの中から、管理者が緊急停止用に仕込んだ極小の論理矛盾を見つけ出した。数学の城壁を崩すのではない。城門の鍵穴を裏から回すのだ。
数分後。 カチャン、と音を立てて手錠のノイズが霧散した。
「最強の盾を用意したけど、盾の持ち手が滑りやすい油まみれだった。ってことだ。」
「う、ん……?」
拘束が解けたことで、ダークが意識を取り戻す。 薄ぼんやりと目を開け、目の前の男に気づいた。
「い、イシス……さん……? 助けに来てくれたんすか……?」
ダークが安堵の表情を浮かべる。 だが、イシスは無表情のまま、ダークの頭に手を置いた。
「ご苦労だった、ダーク」 「え……?」
[Command: Delete (Target: Dark)]
バシュッ。
ダークの首から下が、一瞬で消滅した。
痛みを感じる暇すらなかっただろう。残った頭部も、すぐにデータの藻屑となって空気に溶けた。
「何が仕掛けられているかわからんからな。ウイルスや追跡用のビーコンを埋め込まれているリスクを考えれば、消去するのが一番安全だ」
誰もいなくなった牢獄で、イシスは独り言ちた。 そして、一つの仮説に辿り着く。
「……アレクを煉獄の頂へ転送したやつと、同一人物か」
『黒い獣』率いる管理者連合に敵対している人間。 現状、確認されている人間は不明だった。 あの日、勇者アレクを煉獄の頂へ転送した実行犯。 組織の部下たちに確認したが、アレクをあそこへ送った者は一人もいなかった。ならば、外部犯の仕業だ。
「偶然か、それとも意図的か……。いや、恐らく奴は我々が煉獄の頂周辺を根城にしていることを知らない。そもそも、我々がどういう母体なのかもわかっていない可能性が高い」
もし知っていれば、もっと直接的な干渉をしてくるはずだ。
アレクという『駒』だけをピンポイントで排除し、あのような僻地に飛ばしたのは、戦略的というよりは感情的なものに見える。
「私怨か。……アレクの元パーティーメンバー、あるいはそれに近しい者。あいつは元々性格が破綻していた。大方、虐めていたパーティーの一人がキレて、能力に目覚めて転送させた……そんなところだろう」
辻褄は合う。
そして『カイ、フェン、ルナ、悠乃、スー、シルク』の中にいる。Xは。
イシスは思考を切り替えた。 神殿に戻り、神官に詳細を聞くこともできるが、今はそれよりも優先すべきことがある。
イシスは転移コマンドを入力した。
[Command: Teleport (Destination: Royal_Capital_Organ)]
◇
王都オルガン。 その地下深くに設けられた、一般には存在を知らされていない巨大な訓練場。 そこには、死臭と血の匂いが充満していた。
「うーん! コマンドを覚えるのって難しいね! 文字も早く打たないとダメだし! 頭がこんがらがっちゃうよ!」
無邪気な声が響く。
声の主は、金髪の少年。
教会の手によって新たに擁立された『勇者』、イデオムだ。
彼の周囲には、訓練用として連れてこられた死刑囚たちの死体が転がっていた。 ある者は燃やされ、ある者は凍りつき、ある者は物理的に圧壊している。
イデオムは、与えられた『管理者』としての能力を、まるで新しい玩具を与えられた赤子のように試していた。
「うーん、次の死刑囚はやつざきにしていいかな?それとも海に沈める?魚のえさにする?」
そこへ、イシスが現れる。
「お前は前世でエンジニアだったんだ。だからコマンドなんてすぐに使いこなせるはずだし、そもそも書き方を覚えているはずなんだが……」
イシスは呆れたように言った。
イデオムは、殺された転生者だ。
前世の記憶と技術を持ったまま、この世界に呼び寄せられた『適合者』であり『勇者』であり『管理者』。
「あ、イシスさん! だーってさぁ、キーボードがないんだもん! 空中に打つのって感覚違うし!あんまり覚えてないし!」
「……言い訳はいい」
イシスは冷徹に言い放つと、目にも留まらぬ速さでタイピングを行った。
[Command: Delete (Target: Area_Radius_20m, Center: Idiom)]
警告なし。
イデオムを中心とした半径20メートルの空間が、球状に抉り取られる。
「ッ!?」
イデオムは本能的な危機察知で、地面を蹴って飛び退いた。 だが、完全に範囲外へ逃れることはできなかった。
「ぎゃああああああああああああッ!!」
絶叫。 イデオムの右腕と左足が、空間ごと消失していた。 鮮血が噴き出し、少年は地面を転げ回る。
「い、たい! 痛い痛い痛い! なにするんだよおおおお!」
先ほどまでの軽口は消え、表情が怒りと恐怖に歪む。 イシスはその様子を見下ろしながら、淡々と修復コマンドを打ち込んだ。
[Command: Restore_Object (Target: Idiom)]
光が収束し、失われた手足が再生する。
「……反応速度は悪くない。今の不意打ちを、四肢の欠損だけで済ませたことは褒めてやる」 「ふ、ふざけんな……! 死ぬかと思っただろ……!」 「だが、甘い」
イシスは一振りの日本刀を取り出した。 ギラリと輝く刃を、再生したばかりの勇者に向ける。
「死んだらそれまで。また誰かがお前の代わりになるさ。だがお前は避けた。合格だ」
イデオムがイシスを睨む。
「しかし、今のままでは話にならないな。魔王どころか、奴の部下にも勝てはしないぞ」 「剣……? 僕は管理者だろ! コマンドがあれば――」 「剣を持て」
イシスの殺気に押され、イデオムは近くに落ちていた剣を拾い上げる。
「くそっ……やってやるよ!」
イデオムが剣を構え、同時に炎の魔法コマンドを展開して突っ込んでくる。 イシスは動かない。
イデオムの刃が届く寸前、イシスの周囲に不可視の障壁が展開され、同時に日本刀が閃いた。
ザンッ。
「あ……が……?」
イデオムの両腕と両足が、今度は物理的に切断され、宙を舞った。
ドサリと胴体だけが地面に落ちる。
「いいか、イデオム。魔王を倒すのはお前だ」
「それも、お前の剣で、だ。なぜならお前は勇者だからだ。」
イシスは血の海に沈む勇者を見下ろし、呪いのように告げた。
「他の誰でもない。我々管理者でもない。『勇者』が魔王を倒すんだ。それがこの世界のシナリオだ」
イシスは再び再生コマンドを入力する。
「立て。強くなるまで、何度でも繰り返すぞ」
再生。切断。再生。切断。 地下の訓練場に、勇者の悲鳴と、冷徹な管理者の打鍵音が響き渡る。
おまけ
フェンは勉強教えてそう
スーはなんか勉強できそう
悠乃は勉強苦手そう
ルナはそもそも授業とかでなさそう




