第13話:勇者のワープ先
「ふふふ…なんだか私も気持ちよくなっちゃった…♡」「…カイ、あんた絶対変なもん混ぜてたでしょ…さっきのオイルに…」「いや…!断じてそんなことはない!」「あんたのその口調の時嘘くさいのよ!」
修羅場(という名のマッサージの言い訳)をなんとか乗り切った(乗り切ってない)、その直後のことだった。 屋敷で朝食の準備をしていると、里の入り口にある結界の警報がけたたましく鳴り響いた。
「侵入者だ! 人間たちが結界を破ろうとしているぞ!」
見張りの獣人が叫ぶ。 俺とフェン、そしてルナは顔を見合わせ、入り口へと走った。
◇
里の入り口。 そこには、かつて見たことのないほど薄汚れた集団がいた。 泥にまみれ、鎧はひしゃげ、目は血走っている。 勇者アレクと、その取り巻きたちだ。
「はぁ、はぁ……! やっと見つけたぞ、カイ……ッ!!」
アレクが俺を見つけ、狂喜と憎悪の混じった声を上げる。 だが、その視線はすぐに、俺の隣にいるフェンとルナに吸い寄せられた。
「な……ッ!?」
アレクが絶句する。 無理もない。俺たちは温泉に入ったばかりで、肌はツヤツヤ、清潔な服を着て、良い匂いをさせている。 対する彼らは、数日間風呂にも入らず、野宿で疲弊しきった浮浪者のような有様だ。 天国と地獄ほどの「生活格差」が、そこにはあった。
「き、貴様……! 俺たちがこんなに苦労しているのに、なんだその贅沢な暮らしは! しかも、そんな極上の女を二人も侍らせて……!」
「……うわ、臭っ」
ルナが鼻をつまみ、露骨に嫌悪感を露わにした。 その一言が、アレクのプライドを逆撫でする。
「黙れ獣風情が! おいカイ! その女たちを俺に寄越せ! それと食い物だ! あとポーションも出せ! これは勇者命令だぞ! お前みたいな無能な荷物持ちは、俺たちに尽くせばいいんだ!」
アレクが唾を飛ばしながら喚き散らす。 そのあまりに身勝手な暴言が響いた、次の瞬間だった。
「……殺す」
ドォォォォォンッ!!
大気が凍りつき、地面から鋭利な氷柱が噴出した。 アレクの足元ギリギリを氷の刃が貫く。
「ひっ!?」
「私の主様を……無能と呼んだな……?」
そこには、琥珀色の瞳を怒りで染め上げ、全身から猛吹雪のような魔力を立ち昇らせるフェンの姿があった。 さっきまでの甘えん坊な雰囲気は微塵もない。 彼女は神話の怪物『フェンリル』そのものとして、明確な殺意を勇者に叩きつけていた。
「万死に値するぞ、下等生物。主様への侮辱、その薄汚い魂ごと氷砕してくれようか……ッ!」
「フェ、フェン! 落ち着け!」
俺は慌ててフェンの肩を抱いた。このままだと勇者パーティが文字通り「物理消去」されてしまう。
「で、ですが主様! こいつらは主様をゴミのように……!」 「いいんだ。ゴミに言葉は通じないからな」
俺はフェンを宥め、震えるアレクを見下ろした。 怒りすら湧かない。ただの事務処理だ。
「……悪いが、ここは会員制なんだ。部外者は帰ってくれ」
俺は虚空にウィンドウを展開した。
「な、なんだその魔法は!? ふざけるな! 俺は勇者だぞ!」
アレクが剣を抜き、俺に向かって突進してくる。 だが、俺は動かない。 ただ、淡々とキーボードを叩くだけだ。
「勘違いしてるみたいだから教えてやるけど」
俺は迫りくる切っ先を見据え、最後のキーに指をかけた。
「お前らが強かったんじゃない。俺が『接待プレイ』をしてやってただけだ。……もう、サービス終了だけどな」
アレクの足が、ピタリと止まった。 俺の言葉に反応したのではない。 俺が空中のキーボードを叩く、その「指の動き」を見て、何かが引っかかったような顔をしたのだ。
「……ッ!? なんだ、その指の動きは……!?」
アレクの瞳が小刻みに揺れる。 剣を握る手が震え出す。 初めて見る魔法のはずなのに、なぜか吐き気がするほど見覚えがある。そんな生理的な嫌悪感と焦燥感。
「お前……まさか……?」
彼が何かを問いかけようとした、その瞬間。
ターンッ!
『 Command : Teleport [ User : Hero_Party ] 』 『 Destination : [ Area : Ignis_Peak (Volcano) ] 』
俺がエンターキーを叩き切った。
「ま、待てカイ! 今の動きは――ッ!?」
シュンッ!!
アレクの叫びは完結することなく、光の粒子となって掻き消された。 後に残ったのは、静寂と、彼らが落としていった泥汚れだけだ。
「…………」
俺は、アレクが消えた空間を少しの間だけ見つめていた。 今の、あいつの最後の言葉。
(……動き?)
俺は自分の手を見た。 ただコマンドを入力しただけだ。この世界の魔法使いにはない独特な指使いだが、アレクがあんなに驚愕するようなことか? まるで、「知っているもの」を見たような反応だった。
(……考えすぎか)
俺は頭を振って、その違和感を意識の隅へと追いやった。今はそれよりも優先すべきことがある。
「……消えた?」
ルナが目を丸くしている声で、俺は我に返った。
「ああ。あいつらの大好きな『ドラゴンの住処』に送っておいたよ。ここから数百キロ離れた火山の火口にな」
もう、二度と会うことはないだろう。 俺はウィンドウを閉じ、踵を返した。
◇ ◇ ◇
――転送先:活火山『煉獄の頂』
「うわあああああああッ!?」
勇者アレクたちは、灼熱の岩場に放り出された。 鼻をつく硫黄の臭い。肌を焦がす熱気。視界の全てが溶岩の赤で埋め尽くされている。
「あ、熱い! なんだここは!?」 「火山……!? まさか、一瞬で転移させられたのか!?」
パニックに陥るパーティメンバーたち。 だが、魔法使いの女が、震える指で前方を指差した。
「アレク……! あ、あれ……ッ!」
アレクが顔を上げる。 そこは、巨大なすり鉢状の火口だった。 伝説によれば、ここはこの世で最も危険な生物――『エンシェント・レッドドラゴン』の巣だ。
「ひっ……!」
アレクは死を覚悟した。 だが。 そこにドラゴンの姿はなかった。 ドラゴンの死体すら、骨一本落ちていない。 ただ、不自然なほどに「何もない」空間が広がっているだけだ。
いや。 一つだけ、動くものがあった。
溶岩の海の中心。 ゆらりと揺らめく、漆黒の毛皮を纏った人型の影。 そいつは、空中の何かを操作するような仕草をして、ゆっくりと振り返った。
「……グルルッ?」
赤い瞳と目が合った。 心臓が凍りつくような威圧感。 本能が警鐘を鳴らす。これはドラゴンよりヤバい。カイどころではない、真の「死」そのものだと。
だが。 アレクはその恐怖の中で、奇妙な既視感を覚えていた。 その立ち姿。 無機質で冷徹な、他人をゴミとしか見ていないような目つき。 そして、黒い毛皮の隙間から覗く、その眼光。
まさか。 そんなはずはない。ここは異世界だぞ。 だが、その底冷えするような威圧感は、アレクが「前の世界」で決して逆らえなかった、ある種のトラウマを刺激するものだった。
「……あ、あなたは……!?」
黒い獣が、ニィッと口角を吊り上げる。 それは肯定の笑みか、それとも獲物を見つけた捕食者の笑みか。
獣がゆっくりと、アレクたちに向かって手をかざした。 その指先には、カイと同じ『デリート』の光が灯っていた。
(続く)




