真実の愛? そこになければないですね
「俺は真実の愛を見つけた! お前との離縁を申し立てる!」
と、元夫が言ったのはわずか一月前のこと。なのになんで、実家に出戻った私の目の前に、元夫がいるのでしょう。
「俺が間違っていた、マリアンヌ。俺と復縁してくれ。本当の真実の愛はお前との元にあったのだ」
そんな寝ぼけたセリフを吐かれても、私にはどうすることもできない。資産家である伯爵家の私と、侯爵家でありながら放蕩三昧で家計が苦しい元夫の家。私と離縁したことで元夫はお金に窮するようになったようだ。
今までは私の後ろ盾があったから、ツケで通っていた支払いも、離縁したならば通らなくなる。侯爵家は領地経営もうまくいっていないようだから、これ以上領民から税を搾り取るのも厳しいだろう。ただでさえ他領と比べたら税負担が重いことで有名なのだから。
「真実の愛を見つけたのでしょう? それならばその真実の愛とやらを貫き通して見せてくださいませ。わたくしにはもう関係ありませんわ」
すげなく追い払って、私は玄関の扉をバタンと閉めた。
さて、元夫のことより、私には考えなければならないことがある。
真実の愛を見つけた、と言っていた際に、隣に寄り添っていた少女のことだ。
あの怯えた表情、身分の低い男爵家の出身。極端に男好きのするグラマラスな体型と美しい顔立ち。どう考えても、合意の上での不倫とは思えない。
私は手のものに指示を出して、男爵家のご令嬢の行方を探らせた。
「も、申し訳ありませんでした……!」
行方を掴んで、ご令嬢の元を訪ねていくと、元夫に捨てられた貧乏男爵家のご令嬢は、とある商家で奉公の仕事についていた。貴族令嬢の職場とは思えない働き口である。
私が顔を出すと、元夫の不倫相手であるアイリーン嬢は、地面に頭を擦り付けて平伏した。まだわずか十六歳の少女にそのようなことをさせるのはあまりにも外聞が悪く、私は慌ててアイリーン嬢を立ち上がらせる。
「謝らなくていいわ。それより事情を聞かせて。元夫と真実の愛を見つけたというのは、あなたも同意していたの?」
「ええっと……。言い訳になってしまいますが、病の母の治療費が欲しくて、アルノルド様と関係を持てば治療費の面倒を見ていただけると……。それに、身分の違いから逆らうことができず……」
「そう……。確かに言い訳ね」
私がそういうと、アイリーン嬢はびくりと身を震わせた。
「立場が弱く、身分の低い女の弱さにつけ込まれたのよ。強くなりなさい。誰にも食い物にされないくらい、強く」
その言葉に、アイリーン嬢の目に力が宿った。
我がティンバー伯爵家がお金に余裕があるのはそれなりの理由がある。祖父の代に、美しかった大叔母が非常に悪評高い公爵家に無理やり嫁として連れ去られ、そして若くして亡くなったことが原因であった。それ以来、祖父は妹の無念に報いるため、誰よりも強くなるために領地経営に勤しみ、投資と商売で力をつけてきた。
放漫財政だった仇の公爵家に借金を背負わせ、叩き潰せるくらいの力を。
伯爵令嬢の私が、復縁を迫ってきた侯爵である元夫を追い払うことができたのも、我がティンバー伯爵家に力があるからこそである。
力こそ全て。そして、お金は力だ。そんな考えの伯爵家で育った私もまた、その価値観に基づいて生きている。
だからこそ、わずか十六歳とはいえ、元夫に良いように弄ばれてしまったアイリーン嬢を見ていると苛立ちが湧いてきた。
「ついてきなさい。あなたに、力とは何たるかを教えてあげるわ」
私はアイリーン嬢を実家で引き取ることにした。元夫の浮気相手の面倒を見るだなんて、正気の沙汰とも思えないけれど。
私は私の生きたいように生きる。常識だとかなんだとか、そんなのは関係がないのだ。
まずは、アイリーン嬢の病気の母親の治療を行なった。当家お抱えの医師に見せ、薬で治る病気だったのでさっさと治してもらう。
この時点で何を勘違いしたのかアイリーン嬢は、私のことを恩人のように慕うようになっていたけれど、私はそんなに甘くない。
これ以上元夫のような連中に好き勝手されないように、アイリーン嬢に投資のイロハから領地経営の心得、商売で財を築く方法まで徹底的に叩き込んだ。
アイリーン嬢の実家の男爵家も、領地経営を抜本的に見直して、領の名産品も作り、傾いた財政を立て直す。
そうなる頃に、私は気づいた。
アイリーン嬢のお腹が大きくなっている。
「アルノルドの子?」
「……はい」
アイリーン嬢は申し訳なさそうに頷いた。
私と元夫の間には子供に恵まれなかった。元夫に知られれば、侯爵家の跡取りとしてアイリーン嬢の子供は連れ去られてしまうだろう。流石に貴族の血統に基づくやり取りまではこっちで横入りできない。
私はアイリーン嬢を屋敷の奥深くに閉じ込め、外に出ないように厳命した。そして数ヶ月が経つ頃、赤子の産声が屋敷の奥深くで響くようになった。
「この子は当家の使用人が産んだ子よ、それで良いわね」
アイリーン嬢の子供、ヴィドーと名付けられたその子は、使用人の子だという名目で当家で面倒を見ることになった。
ヴィドーは使用人の子であり今後当家で使用人として活用するため、読み書きそろばんなども含めてきちんと教育を与える。
まだ幼いヴィドーは絵本などを読みながら、世話係という名目のアイリーン嬢と共に過ごしていた。
「子供と赤の他人のふりをさせて、私のことを恨んでいるかしら」
ふと、ヴィドーを抱っこしながら絵本を読み聞かせているアイリーン嬢に尋ねてみた。我ながら感傷的な問いだ。本来の私らしくもない。
「いいえ。あの日、確かに私は真実の愛を見つけたのだと思います。……敬愛しています、マリアンヌ様」
アイリーン嬢は、随分と力強くなった瞳を輝かせながら、微笑んだ。