第九話 無人の家に響く声
「ここかな」
地図で示されていた場所にあったのは、小さな一軒家だった。
外観からして一階建て。資料の通りだ。
ドアには立ち入りを警告する張り紙が張られており、家の所々が少し崩れている。
そして気になるのが、妙に人の気配が無いことだ。
べつにこの区画が立ち入り禁止にされている様子もなかったので、この場所が避けられているのか、そもそも周りの家に人が住んでいないのかのどちらかだろう。
「とりあえず……」
ドアの取っ手に手をかけ、ひねる。
鍵はかけられておらず、家の大きさのわりに重厚感のある扉は簡単に開いた。
薄暗く、湿気の少ない室内にはこれとって不審な物はない。
というか何もない。家具などは全て騎士たちが回収したのだろう。
ところどころの床板が剝がされているのは、おそらく隠し通路を探した跡だ。
床板を踏み抜かないように慎重に近づき穴をのぞき込む。
何もない。
空気の流れも感じられないので、たしかに抜け道はないようだ。
「それにしても綺麗だな」
壁や床に傷がほとんどない。
戦闘に入っていたのならこんなに家の状態がいいわけないので、五人の騎士は不意を突かれてやられたのかもしれない。
そうなるとここに居たのはダングルだけだった可能性が高いだろう。
もし他に一人でも協力者らしい人物がここにいたのなら、たった五人で突入した騎士たちはすぐに拘束しにかかるか、念のために応援を呼んでいたはずだからだ。
しかし、それならそれで疑問が残る。
「……罠みたいなものは残ってない。いや当たり前か」
不意を突いて複数の敵を抵抗させず倒すには、全員同時に一瞬で無力化するか殺害する必要がある。
しかし戦闘訓練を受けていない老人がそんなことをできるはずがない。何かカラクリがあるはずだ。
部屋を歩き回り、壁や窓をじっくり調べる。
一見何もないように見える。
しかし相手は北の賢者。こちらが考えもしなかったような罠を——
『空気が停滞していると思いませんか?』
「っ――」
突然、少女の声が響いた。
剣の柄に手をかけながら振り向くが、そこには誰もいない。
上も、左右にも。まさかと思ったが床下にもそれらしい人物はいなかった。
でも声が聞こえたのは確かだ。ナニカがいる。
『知っていますか?人は密閉された場所で生きることができません。古い空気ばかり吸っていると、意識を失って死に至ることもあるからです』
「……科学の話かな?確かに学園ではそう習ったけど、それは古い空気の濃度も関係していたはずだ。この家の大きさなら、そうすぐには気絶しない」
長く喋ってくれたおかげで声の方向は分かった。西側の窓付近だ。
まだ敵意は感じられないので剣は抜かず、声を掛けながらゆっくりと距離を詰めていく。
『じゃあもしマス――ダングル様が魔法で古い空気を操れるとしたら?』
「ありえない。魔法なんて存在しない」
抜剣する。
マスターと言いかけた。ダングルに敬称をつけた。ダングルの弟子は少女。
ピースが揃った。
『……魔法は存在しま――』
反転してドアへ向かい、開いたままのドアの裏側に剣先を突き付ける。
目視では誰もいない。
小指の先ほどのサイズの小さなビー玉のようなものが転がっているだけ。しかしダインが剣を抜いた瞬間に僅かに動揺したのか、ここから気配が一瞬漏れたのだ。
それに、声が黙り込んだ。
「大人しく姿を現しなよ」
『……………………分かりました』
数秒の沈黙。しかし最終的に声が折れると、突然黒髪の少女の姿が現れた。
身長がかなり低い。
外見年齢は十歳をギリギリ越えたくらいだろうか。
ダングルの弟子のプロフィールはまだ確認していなかったが、こんなに若いとは思わなかった。
というか――
「なんで浮いているんだい?」
『それはほら、死んでいるからですよ』
「面白い冗談だね」
同じ目線の高さまで浮かび上がりにこやかに笑う少女に笑い返す。
上を見るが、少女を吊っている紐はない。
次いで下を見る。透明な足場があったりもしない。
というか姿を現してもまるで実体がないかのように気配が希薄だ。
その上さっきまで透明だったことも加味すると、だ。
「……教会へ案内しようか?」
『結構です。無神論者なので』
彼女はホンモノの幽霊かもしれない。
魔法は信じていないものの、神や超常現象や怪異は少し信じているダインは、随分と話の通じる推定幽霊に笑顔を向けたまま顔を引きつらせるのだった。