第八話 北の賢者
「ず、随分と激しい訓練だったようで……部下たちが青ざめていましたよ」
「少し熱が入ってしまいまして。お恥ずかしい限りです」
騎士の詰所の会議室の一つで、ダインは若干引いている老齢の男性の言葉に苦笑いしながら頭を搔く。
あの後、エーレが意外に動けるものだからついつい負荷を上げてしまったのだ。
それでも訓練が終わった後、自分から街の様子の確認を買って出るくらいには体力が残っていたようなので問題ないはずだ。
それを見ていたこの街の騎士たちの心を折ってしまった可能性はあるが……まあ、いい刺激になっていることを願おう。
「それで、今の状況は?」
「犯人は確定し、目下調査中です。これを」
男性——伯爵付き騎士の部隊長から渡されたのは、顔写真の載った分厚い資料。
犯人の情報をまとめたものとしては見たことがないほどに分厚い。辞書以上だ。
そんなに情報があるのかと驚きながら表紙を見て、さらに驚いた。
「これ……たしか、伯爵殿の相談役では?」
「『元』相談役です。事件が起きる一年前に既に解雇されていました」
ダングル・コーエン。『北の賢者』の異名を持つ有名な万能人であり、この地方を管理するミズイ伯爵の友人として知られていたはずだ。
その縁で相談役になったという噂を聞いていたが、まさか既に解雇されていたとは。
「ミズイ伯爵の騎士を五人も倒したんですよね?協力者は?」
「まだ協力者かどうか分かっていませんが、ダングルには弟子が一人います。年若い少女ですが、現在行方不明になっているので裏で動いている可能性は高いかと」
「その弟子と、ダングル本人の強さはどのくらいですか?」
「弟子はベテランの傭兵程度の実力で、ダングルはおそらく一般の老人と同程度です。特段体を鍛えていたような記録もありませんから」
「……他に協力者や内通組織は?」
「調査中ですが、今のところは判明していません」
資料の分厚さのわりに判明していることが少ない。というかこれ、数枚めくるとダングルの研究をまとめたものにぶち当たった
大した情報は載っていないと悟り、紙をめくる手を止める。
弟子の実力の指標として出されたベテランの傭兵は、基本的に中級騎士に一騎打ちで勝てるかどうかというレベルの強さだ。
一人で伯爵付きの騎士を五人も倒せるはずが無い。
弟子が護衛についていたとしても、絶対にその他の協力者がいる。
というかあの山の奴らがそうだろ、とダインは我に返った。
「ここに来る途中、不審者が数人山に罠を張って待ち構えていました。襲ってくる前に逃げていきましたが、おそらくアレもダングルの手の者でしょう」
「何か正体の手がかりになる特徴はありませんでしたか?」
「手がかり……落とし穴やボウガンを使った罠を仕掛けてきたのと、心拍数を異常に上昇させる毒ガスを使ってきました。あ、いや、今思うと可燃性のガスだったのかも……」
「可燃性のガス?」
あの時は毒だと思ったが、よく考えると心拍数を上昇させるだけでは大して害はない。
他には特に毒を受けたような症状もないので、あの爆発を起こすためのガスだったと考えるほうが自然だ。
しかしあんな開けた場所でガスを流してあんなに上手く引火するのか?という疑問も残るが。
「急に変な風が吹いてきたと思ったら、辺り一帯が大爆発してですね。周囲の木はすべて全滅でしたよ。ハハハ」
「な、なるほど……?大丈夫でしたか?」
「ちょっと火傷しちゃいました」
そう言って笑うと、部隊長の顔が引きつった。これはあれだ、化け物を見る目だ。
もちろんそれだけではなく全身打撲も負っているが、わざわざ言う必要も無いので黙っておく。
どこに耳があるか分からないし、味方を不安にさせるわけにもいかない。
王国騎士としての意地の張りどころだ。
「そ、それなら良かったです。」
「ちなみに、倒された方の遺体の状態ってどこに――」
「ああ、それならその資料の裏側一枚目ですよ」
資料をひっくり返し一枚めくる。
直近につけられた傷はなし。
脳出血もなく内臓にも異常なし。
骨も折れておらず、死に至るような病歴も病巣もなし。
その上毒反応もなかったことから、最終的に死因不明、変死と結論付けられていた。
「……捕縛作戦は敵の拠点に突入したんですよね?」
「はい。ダングルが日課の散歩から帰宅したタイミングで自宅に突入しました。一階建ての小さな住宅だったのでその五人が先行し、周囲を私含めた十人で囲んでフォローする態勢ですね」
「それで逃げられたんですか?」
「お恥ずかしながら。事前調査通り抜け道も無かったのですが、しばらくして突入すると五人の死体だけを残して跡形もなく……」
そこまで万全な状態で逃げられるとは。というか周りを囲まれている状況で視認情報を残さず逃げ去ったとはどうやったのか。
話を聞けば聞くほど、ダングルが本当に魔法を使ったように思えてくる。
(いや、そんなわけない)
これはあれだ。考えるより動いた方がいい。
思考を切り替えたダインは、資料をペラペラと捲り始めた。
「トール卿?いかがしましたか?」
「ちょっと一回現場見てきます。ここですよね?」
開いたのはこの街の地図が載っているページ。
赤い丸がついているのがダングルの家だろう。
部隊長が地図を見て頷いたのを確認してから部屋をでる。
魔法の存在を否定しようと意地になり、頭が固くなっている部分があるのは認める。
しかしダインはよく知っているのだ。
魔法なんて存在しないと、かつて身をもって実感したから。