第三話 厄介な斥候
「あれが王国騎士さまか」
「やっぱりバレちゃったかぁ」
日の差し込まない山林の木陰にまぎれ、二人の人影はひっそりと佇んでいる。
視線の先、遠く離れた街の門から出た二頭の馬が尋常じゃない速度でこちらに駆けてきていた。
「どうする?ジャックポット狙っちゃう?」
「やめろバカ。今回は様子見だけだ」
「そういえばそんな話だったっけ」
まだ距離があるので逃げようと思えば余裕で逃げることができる。
それでも国有馬相手の鬼ごっこに持ち込まれると荷が重いが、今回の彼らの目標は自分たちではない。
それならわざわざこちらを追ってくることはないだろう。
まあもしかしたら、この後追ってくる動機ができるかもしれないが。
「置き土産は?」
「もちろん準備できてるよ。それで、見えた?」
「ああ。情報は正しかったようだ」
「そっかぁ……残念だなぁ」
数か月前にもたらされたとある特報。
その裏を取るために、彼らはわざわざこんな王国の中央部までやってきていた。
「もう一人は弓使いだ。引くぞ」
「あいよ~」
今も全速力で向かってきている二人の騎士に背を向け、二人の姿がブレる。
そして、その影は木々の合間に消えていった。
□□□
「逃げられましたね」
山にあった気配が消えたのを確認し、視線も無くなったので手綱を緩めて速度を落とす。
今はこれでいい。逃げられたが、被害を出さないのが最優先だ。
気付かないふりをしながらのんびり山へ向かえば捕まえることが出来ただろうが、その間にあの道を何も知らない民間人が通ってしまえば襲われる恐れがある。
最高より最善を。
これから先のリスクを増やしてしまうが、目の前にあるリスクを無視することはできない。
「引き際をわきまえてるわね。もう少し迷ってくれたら狙えたのに」
「さすが天才弓使い様」
「……」
照れるように頬を染めながら軽く睨みつけてくるエーレ。
その顔を和やかに眺めながら懐から瓶を取り出して、白い飴を一つ口へ放り込む。
仄かに甘い香りがするが、味は無い。
だからこそ良いのだが。
「……まだその飴にハマってるんだ?私もいい加減、一個くらい舐めてみたいんだけど」
「あげませんよ。これ、僕だけの大事な飴なんですから」
「ならどこで買ったかだけでも教えてくれない?」
「数量限定品なので内緒でーす」
「ケチ~」
笑いながらブーイングしてくるエーレ。
学園の頃から何度も繰り返してきた恒例のやり取りなので、どう頑張ってもダインの答えが変わらないことを彼女は分かりきっているはず。
それでもこうしてねだってくるということは、やはりどうしても味が気になるのだろう。
まあその気持ちはよく分かるので、今回もまた丁寧に拒否して馬を先に進ませる。
「ここからは気を抜かないでくださいね。今のところ気配はありませんが、襲われる可能性は十分ありますから」
「ええ。その時は捕まえてもいいのよね?」
「もちろんです。最悪殺してしまっても大丈夫なので、無理はしないでください」
「りょーかい」
警戒しながら木々に覆われた山へ入っていく。
目指すは山越え。そしてその先のターイズ地方だ。
順調にいけば国有馬の脚なら一日でたどり着ける距離だが、襲撃者たちの様子によっては野宿も視野に――
「あぶなっ」
少し先行していたエーレが急に上体を逸らし、矢が彼女の頭があった部分を通って横の木に突き刺さる。
よく見ると地面に細いロープが張られており、彼女の馬の後ろ足が引っかかっていた。
「これは……」
馬を止めてよく見ると、進路上に同じような縄があと二つある上に、まるで穴でも掘り起こして再び塞いだかのような妙に湿気の残っている地面があちらこちらにある。
さらに森の中に目を向けると、不自然に伸びきった蔦や違和感のある空き地が点在していていた。
(ダッッッル)
急激に殺意が湧いてくる。
やはり民間人の被害なんか気にせず捕まえに行けばよかった。
騎士として、危険な罠をこんな場所に大量に放置して先に進むことはできないのだ。
時間はかかるが、一つ一つ解除していくしかないだろう。
とりあえず落とし穴を避けながらエーレの横に並ぶ。
今ので怪我はしなかったようなので、このまま進んで問題なさそうだ。
「……街に戻って応援を呼ぶ?」
「いや、僕たちでパパッと終わらせましょう。僕はロープ罠を斬っていくので、先輩は落とし穴をお願いします」
剣を抜き、宙を斬る。するとその直線上にあった縄が切れ、少し離れた場所でガシャンと何かが落ちる音が聞こえた。
機械仕掛けの弓、ボウガンだ。
少し前から西方の国で盛んに作られ始めた、一般人を兵士に仕立て上げる近代兵器。
やけに仕掛け弓の精度がいいと思ったが、まさかこんな使い方もできたとは。
「イーリス帝国絡みかな」
我がローグ王国と隣接し、大陸最大の国土を誇っているイーリス帝国。
人材発掘・育成のノウハウで他国を圧倒するローグ王国とは異なり、技術力を磨き続けた工学の国だ。
最近では蒸気機関という新たな動力を得て、その勢いを増していると聞く。
あの帝国の皇帝たちは代々野心に満ちており、今代の皇帝もひっきりなしに他国をつついては侵略戦争を仕掛けようとしているのだ。
そのせいでダインも帝国絡みの因縁を抱えているが、もしや次の標的は——
「いや、邪推はよくない」
ボウガンを手に入れる方法なんていくらでもある。
あの襲撃者たちが直接帝国と繋がっている根拠としては薄すぎる。
というかいくら戦争を仕掛ける火種にするとしても、他国の要人を暗殺する際に自国の武器として有名なものを堂々と使うとは思えない。
トラップを斬りながら思考を巡らせるダイン。
その隣では、エーレがキョロキョロと周りを見回していた。
「落とし穴……アレか。とりあえず――」
「先輩!?」
「ぎゅえ」
馬を降りて落とし穴に落ちかけたエーレの首元を咄嗟に掴み、持ち上げる。
下を見ると、かなり深い落とし穴の底には木の杭が敷き詰められていた。
「ちょ、ほんとに気を付けてくださいよ!?」
「ごめんごめん、ありがと」
エーレが手綱を握って鐙にしっかり足をかけたことを確認し、手を離す。
エーレと自分の馬の間に落とし穴があることには気づいていたが、まさかこちら側に降りようとするとは思わなかったので言い忘れていた。
「君、落とし穴を避けて歩いてくれてたの~?嬉しいけど、お姉さんにも教えて欲しかったなぁ……」
馬に跨りなおし、猫撫で声を出しながら馬の首筋を撫でて軽く叩いたエーレは、背負っていた短弓を構える。
そして馬の背に立ち上がると、近くの木の枝を折り取って弓につがえた。
「あまり木を傷つけたくなかったのよ」
「それで落とし穴に落ちたら世話ないでしょうに」
「それもそうね……四、三か」
タタタタンッと前方の街道に木の枝が突き刺さり、表面の覆いが崩れて大きな穴が姿を現す。
そのまま体をひねってタタタンッと後方の路面にも木の枝を撃ち込んだエーレは、再度周囲を見回すと一つ頷き、身軽な動きで飛び降りた。
『悪弾撃ち』。
その辺の木の枝や石を矢として弓で撃つその技術は、ローグ王国の弓使いの代名詞と言ってもいい。
弓使いは矢が無ければ戦えない。
そんな常識を覆すローグ王国の弓使い達は、球数制限を解除されたことによるその万能さから、今日もあらゆる任務で重宝されているのである。
「スコップとか持ってる?」
「あ――忘れました」
「へへ、私も。じゃあ中の杭を潰して蓋をしておくわね」
石を拾って穴の中に向かって撃ち始めたエーレをよそに、ダインは周囲のロープを次々斬っていく。
悪弾撃ちとは違って、斬撃を飛ばすこの技には正式な名前が無い。なにせ、編み出したのはダイン自身であり、あまり周囲に広めていないからだ。
強いて名前の候補を上げるなら、以前エーレが考えてくれた『飛斬』だろうか。
「ソレ、いつ見ても魔法みたいね」
「ははは。これも技術の範疇ですよ、たぶん」
「でも他の王国騎士も真似できなかったのよね?」
「逆にそう簡単に真似できたら僕の立つ瀬がないですから」
見える範囲の縄系のトラップはすべて斬ったので剣を納め、ダインも馬を降りる。
「ちょっと辺りを見回ってきます」
「はーい」
森に入り、街道を俯瞰的に観察しながら山を登っていく。
相手の考えを推測するときには、まず相手の視点に立って考えなければならない。相手が何を狙っていたのか、その意図は何なのか、誰が計画したのか。
そういった謎の手がかりは、常に相手が意図せず残した痕跡から得られるものだ。
「にしても逃げるの早かったな」
新たに見つけたトラップを斬りながら思案する。
あれだけ罠を準備していたにも関わらず、彼らの撤退の判断はとても早かった。
目的が偵察だけだったのか、交戦前に怖気づいたのかと思っていたが、これだけ周到に用意していたのなら少し違和感がある。
まるで、別の計画をまだ残しているかのような――
「……風?」
突然山上の方から強めの風が吹き始めた。
別に不思議なことではない。しかしさっきまで全く風が無かったこととタイミングもあり、訝しむダイン。
変な香りはしない。肌や目にも異常は無いので、毒が混ぜられているわけでは無さそうだ。
そう判断した瞬間、ダインは突然手を胸に当てた。
「っ――まずい」
息を止め、元居た場所へ走りだす。
「エーレ!毒だ!馬を逃がせ!」
「っ――はい!」
エーレが二度手を叩き、王都の方向に指をさす。
それだけで意図を理解した馬たちは、踵を返して街道を駆け戻って行った。
まずこれで馬は保護できた。あとは自分たちの身を守りながら、あわよくば敵の手を潰すだけだ。
比較的高めの木のてっぺんに跳び乗り、山上の様子を見る。
木の葉の揺れ方からして、風は山頂付近から吹いてきているようだ。気配は感じられないが、まだ潜伏している可能性が残っている。
『山上へ。警戒せよ』
『了解』
木から降りてハンドサインを交わし、同時に森へ入——ろうとした、その瞬間。
辺り一帯が光り輝いた
「まずい――!」
「へ――?」
ダインは咄嗟にエーレを抱え、全身で庇いながら空中に跳ぶ。
間髪入れずにその背に向かって、轟音と爆撃が襲い掛かってきた。