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第4章 その殺人、もう一度できますか?

【1】“一度きりの殺人”に、論理はあるか?


推理小説における“トリック”とは、奇跡でも魔法でもない。

それは、“理詰めで人を殺す”ために組み上げられた、冷静な構造物だ。


だから私は、物語を書くたびに、自分に問いかける。

「その殺人、もう一度できますか?」


もし、まったく同じ状況を再現したとして――

再び、同じように人が死ぬのか?

偶然ではなく、運でもなく、論理だけで死が成立するのか?


それに「YES」と答えられないなら、そのトリックはまだ甘い。

一度きりしか成立しない殺人なんて、**“偶然と演出のパフォーマンス”**に過ぎない。


もちろん、フィクションには“一度きりの奇跡”が映える瞬間がある。

だが、推理小説の本質は、そこにはない。


求められているのは、**「奇跡のように見えて、理屈で説明できる現実」**だ。

読者に、「ああ、そうか!」と息を呑ませる。

驚きと、困惑と、そして静かな納得をもたらす、構造としての殺人。


それこそが――

私が信じる、推理小説というジャンルの“美しさ”なのです。





たとえば、こんな設定の事件があったとしましょう。


・たまたま、その日だけ現場に来られた。

・たまたま、被害者の動きが予想通りだった。

・たまたま、誰も来なかった。

・たまたま、雨が降った。

・たまたま、監視カメラが壊れていて、たまたま、通報も遅れた。


……いやいやいや。“たまたま”多すぎじゃない?


読者の頭には、自然とこういうツッコミが浮かぶはずです。


「それ、犯人が運よかっただけじゃね?」


それはもう、“トリック”ではなく、ただの“まぐれ”の物語です。


幸運に支えられた犯行は、犯人の知性ではなく、作者の都合で成立しているだけ。

例えば、館で誰かが殺された直後に、ひとりで暗いトイレへ行くなんて――まず、やりません。

――そのとき、読者が見ているのは“犯人”ではなく、“作者”です。


私の理想のトリックとは、

**「犯人がいなくても、理屈だけで人を殺せてしまうもの」**です。


仮に別の誰かが、同じ装置、同じ手順、同じ条件で再現したとしても、

結果は同じ。――人は死ぬ。

逆に、もし偶然が入り込んだなら、犯人の想定から外れた“誤作動”が起きるはずです。つまり偶然とは、“成功の条件”ではなく、“失敗の原因”にもなるべきです。


それこそが、“本物のトリック”。

そしてそれを私は、**“ロジックの芸術”**と呼びたい。




もちろん、リアルな世界に偶然はつきものです。

誰かがほんの数秒早く部屋を出た、電車の中に傘を忘れてしまった――

そういう**「わずかなズレ」**は、逆にリアリティを増すし、私はむしろ好意的に受け取ります。


問題は、それが何重にも重なった時。


・偶然1つ → おお、絶妙だな

・偶然2つ → ん?少し偶然に頼りすぎじゃない?

・偶然3つ → はいはい、ご都合展開ですね~


読者というのは、実に鋭い。


「これは作者の都合であって、犯人の計画した結果じゃない」

そう見抜かれた瞬間に、トリックの魅力は音を立てて崩れ去ります。


だから私は、再三こう問いかけるのです。


「その殺人、何回でもできますか?」

「偶然が入り込んだとき、ちゃんと犯人の計画も崩れていますか?」


一度きり、奇跡のように成功した殺人――

それは「幸運な事故」であって、「緻密なトリック」ではありません。


トリックに求められるべきは、奇跡ではなく、

**積み重ねられた論理と構造によって生まれる“静かな必然”**です。


・何度でも成功する。

・誰がやっても、同じ結果になる。

・たとえ犯人が誰でも、同じ構造で、同じ死が成立する――


**それこそが、“本物のミステリーの技術”**なのです。

そしてそれこそが、読者の知性を刺激し、心を掴む“納得”の形だと、私は信じています。



ここまで語ってきたのは、以下の2つの軸でした。


・事件解明に“バディ”が必要な理由

・偶然ではなく“再現可能性”が命であること


いずれも、物語の中に“信頼できる構造”を築くための、美学です。


そして、次に語りたいのは――

**“論理の興奮”を、いかに“感情の余韻”に繋げるか。**

**構造の美しさが、どうすれば人の心を打つ“物語”になるのか。**


どれだけトリックが巧妙で、構造が洗練されていても、

それだけで「名作」と呼ばれるとは限りません。


推理のスリル、伏線の妙、ミスリードの巧さ……それらを超えて、

読者の心に残るのは、結局、“物語そのもの”です。


犯人が誰だったかよりも、

「登場人物がどんな顔をしていたか」「どんな言葉を遺したか」

そして、**その一言が誰の心を揺らしたのか――**


そんな感情の余韻こそが、物語の後味を決めるのです。

そしてそれは、推理小説に限らず、物語というものが持つ普遍的な力なのだと思います。



では、最終章で語るのは――


**「読後感の美学」と、「キャラクターが愛される物語」について。**


**“フェアな推理”のその先にある、心に残る一行のために。**

もう少しだけ、お付き合いください。

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