第3章 その相棒、事件を動かせますか?
――無自覚な“ひと言”が、奇跡を呼び寄せる。
【1】“推理の神様”は、ポンコツのひと言から降りてくる
推理小説において、探偵と並んで事件に関わる“バディ”という存在がいます。
警察モノなら相棒、私立探偵なら助手、学生探偵なら親友ポジション。
気難しい探偵の隣で、要領が悪かったり、よく喋ったり、「なんで殺したんですかぁ〜?」と空気を読まずに質問するような、あの“うるさいけど憎めない”系の人。
――いますよね。そして、めちゃくちゃ大事なんです、こういう人。
一見すると、事件解決にまったく貢献していないように見える。
むしろ足を引っ張ってすらいる。
だけど私は、こう信じています。
「本当に良いバディとは、“推理の神様”を呼び出す存在である」
たとえば、主人公が悩みに悩んで、壁に向かって沈黙している。
そこへバディがチュッパチャプスを舐めながら近づいてきて、こう言う。
「え? 先輩、プリンって混ぜて食べる派なんですか? うわ、変わってますねぇ~」
――その何気ない一言が、「混ぜてない=底に沈んだ毒」という着想に繋がり、
ロジックが一気に駆け出す……!
こういうの、たまりませんよね。
バディの言葉や行動が、探偵の思考を“ブースト”する。
それが“相棒もの”の醍醐味であり、美学です。
そして大事なのは、バディ本人がそのことに気づいていないこと。
「オレのおかげで解決したな!」なんて自覚されると、急にダサくなる。
本人はただのほほんと、「え? 僕、なんか言った?」という顔でいてくれた方が、
読者はこう思うのです。
「このポンコツがいなかったら、事件は解けてなかったんだ」
──この“片想い的な相棒関係”、私は本当に好きなんです。
◇
【2】ただ隣にいるだけでは、“バディ”とは呼べない
……と、ここまでバディ愛を語ってきた私ですが、ちょっとだけ厳しいことも言わせてください。
推理小説に登場する“バディ”には、いろんなパターンがあります。
・ドジっ子で場を和ませる存在
・ギャグ担当として笑いを担う存在
・暴走しがちな探偵を止めるブレーキ役
・あるいは、読者を惑わす“ミスリード要員”
それらの役割ももちろん意味はあります。
でも、それだけじゃ足りないんです。
重要なのは――
バディが、「事件解決の決定打」を与えているか?
そこが、ただ“隣に立ってる人”と、“物語を動かす存在”との決定的な違いです。
どれほど愛されキャラでも、事件のロジックに関与できていないのなら、
「このコンビ、必要だった?」と読者に思われてしまう。
さらに言えば――
有能な探偵になればなるほど、
ポンコツなバディが事件に貢献する余地は、ほとんどなくなる。
それでも、その“たったひと言”の居場所を、物語の中に用意できるか?
それが問われるんです。
バディの何気ない言葉や行動が、探偵の視点を切り替える。
その瞬間を、いかに自然に、そして説得力をもって描けるか?
もし読者が「いや、それくらい探偵が気づけよ」と思ってしまったら――
そのコンビは、作者の“独りよがり”に見えてしまうかもしれません。
だったら、最初からバディなんて出さずに、
金田一耕助やコロンボのように、探偵ひとりで事件を解けばいい。
それでも、あえてバディを出すというのなら――
そこには、「他者の視点が必要だ」という物語上の必然性と、
推理の本線とは異なる**“創作のひと捻り”に、労力を注ぐ覚悟**が求められます。
だから私は、こう考えます。
バディとは、“奇跡の必然”を呼び込む存在である。
そして、有能な探偵とは――
その奇跡の舞台を、ちゃんとバディに用意してあげられる存在なのだ。
◇
【3】“自然なヒント”を書くのは、ミステリ界の錬金術
……そして、最後にひとつ、創り手としての本音を言わせてください。
この“無自覚なヒント”を考えて、ポンコツなバディに自然に言わせることが、もう本当に難しい。
・探偵がスルーしそうな盲点で
・読者は「おおっ」と思える絶妙さで
・バディが自然に言いそうなセリフで
・伏線っぽすぎず、でも効果的で……
……って、どこの神業ですか。
一歩間違えれば、「いや探偵、そこ気づけよ」ってツッコまれ、
逆にわかりやすすぎると「作者の駒でしょ」とバレる。
そのギリギリのラインで、“自然”と“伏線”を両立させるって――
もう、読者との神経戦なんですよ。
つまりこれは、
読者にとっては何気ないバディのひと言なのに、探偵だけがそこから閃く――
そんな状況をいかに“自然に”描くかという、
まさに、ミステリ界の錬金術のような作業なんです。
――ここで、正直に告白します。
・思いついたときは、ひとりでガッツポーズ。
・浮かばないときは、冷蔵庫を開けてプリンの蓋をそっと開け、
下に皿もないのに、逆さにして振り続けます。
……もちろん、やっぱり落ちてきませんが。(笑)
でも、それでも書きたいんです。
なぜなら、そんな“奇跡のような作品”が書けたとき、
「ああ、このバディ、生きてる……」って、実感できるし、
それが、読者の心に最も深く刺さる瞬間になると、信じているから……。
バディの何気ないひと言が、事件を、探偵を、そして物語を動かす。
その瞬間こそが、作り手としての自分自身が、物語に救われる瞬間なのです。
◇
さて――
ここまで“バディという存在”の意味を語ってきましたが、
どれほどキャラが活きていても、事件そのものが偶然の積み重ねでできていたら、すべてが台無しです。
次の章では、ついに本題の核心へ。
**「偶然ではなく、必然で成立する殺人事件とは何か?」**という、物語構造の“核”に迫ります。