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3 いけない熱

(こんなこと……駄目なのに……)


 駄目だとわかっていても伸ばす手を止めることができない。こんなことをしては駄目だとわかっているのに、つい昂ぶる下肢に触れてしまっていた。指先が触れた瞬間、布の上からだというのに痺れるような快感が背中を駆け上がった。同時に罪悪感に苛まれ頭を振る。すると手入れされたばかりの髪から薔薇の香りがふわりと漂い、嗅いだ途端に下着がじわりと濡れるのがわかった。

 執事の手に淫らな欲望を感じた夜以降、シュエシは頻繁に自分の手で体を慰めるようになった。シュエシも十八歳の男、これまでにも一人で慰めた経験はある。しかし元々性欲が薄いのか体がそういうことを欲しないのか、頻度はとても少なかった。

 それなのに、あの夜から毎晩ベッドに横たわると体が疼いて仕方がない。我慢しようとすればするほど淫らな熱に悩まされた。


「ん……、ん……っ」


 暗い部屋にシュエシの我慢するような声が響く。駄目だとわかっているのに脳裏に浮かぶのは美しい執事の姿、そして器用に髪を手入れする冷たく白い指だった。

 少女が着るような寝衣の裾は大きく乱れ、胸元までめくれ上がっている。身に着けているのは女性用の小さな下着だが、それを持ち上げているのは間違いなく男の証だった。荒ぶる熱が小柄なシュエシの体を駆け巡る。何度慰めても吐き出せないことに目尻が濡れた。どうにかしてほしくて、囁くように「ヴァイルさま」と口にした途端に腰がビクンと震える。


(ヴァイルさま、ヴァイルさま)


 シュエシの脳裏に美しく微笑む執事が何度も浮かんだ。冷たい指で首筋を撫でられ、耳たぶを摘まれたときの感触が蘇る。そこに髪に施された香油の香りが重なり、渦を巻いていた熱がようやく弾け飛んだ。荒い息を吐きながら、恍惚としたシュエシの瞳がぼんやりと天井を見る。


(……僕はまた……)


 欲望を吐き出した後、シュエシは決まって後悔した。


(僕は領主様の花嫁なのに……身代わりでも僕は領主様のもとに来たのに……)


 シュエシが屋敷に来てからひと月が過ぎようとしていた。しかし領主とはまだ会っていない。それでもシュエシが領主の花嫁であることに変わりはなく、領主に仕える執事に想いを寄せるのは許されないことだ。


(……それに、きっと遠くに売られることになる)


 いずれ執事とは離れ離れになるのはわかっている。それなのにこんなに想いを寄せていては別れがつらくなる。生贄にされるにしても、きっと命が惜しいと思ってしまう。


(それに、もし領主様に花嫁としての行為を求められたら……)


 自分の立場もわきまえず拒んでしまうかもしれない。そんなことをすれば土地の人たちに迷惑をかけてしまう。それどころか原因が執事だとわかれば執事にも迷惑をかけることになる。

 火照っていた体が一気に冷たくなった。冷えた汗に体を震わせながら粗相の後始末をすると、掛布を頭から被る。


(あの人への想いは消さないといけない)


 翌日から、シュエシは執事への想いを忘れようと努力した。姿を目で追わないようにし、言葉もできるだけ交わさないように心がける。しかし執事とは毎日顔を合わせるわけで、駄目だと思えば思うほど想いが募った。許されないことなのだと何度言い聞かせても、気がつけば目で姿を追ってしまう。そんな自分に気づくたびに逃げるように寝室にこもった。

 それでも髪の手入れのときは逃げられない。善意の行為を断るのは忍びなく、それに「このときだけでも触れてほしい」という浅ましい気持ちも捨てきれなかった。この日の夜もシュエシは執事に髪の手入れをしてもらっていた。美しい指が髪を梳くたびに肩が震え、体が強張る。首筋や頬に指先がほんの少し当たるだけで淫らな熱が上がりそうになる。


「奥様、いかがされましたか?」

「えっ? あ、いえ、なんでも……」


 瞑っていた目を開けると、鏡越しに黄金色の瞳が自分を見ていることに気がついた。すぐに視線を外さなくてはと思ったものの、つい見惚れてしまい返事も上の空になってしまう。


「そうでございますか? なにやら随分と体が硬くなっていらっしゃるようにお見受けいたしますが」


 どうしよう、なんて答えればいいのだろう。シュエシは頬を赤くしながら必死に考えた。緊張している理由を執事に知られるわけにはいかない。想いを寄せていると知られれば、領主の花嫁なのにと呆れられるに決まっている。それとも気持ち悪がられるだろうか。


(貴族に仕えるヴァイルさまに、僕みたいなよそ者の男が……駄目だ。知られるわけにはいかない)


 好かれることはなくても、せめて嫌われたくない。


「あの……少し寒くなってきたので、それでというか、でも、大丈夫ですから」

「これは気づかずに申し訳ございませんでした。羽織るものをお持ちしましょう」


 上着を取りに行く後ろ姿を鏡越しに見送ったシュエシは、うまく言い訳ができたとホッとした。そう思いながら遠ざかる背中に寂しさを覚える。


(いつまで近くにいられるだろう)


 領主は気まぐれな人だと土地の人たちは話していた。こうしてひと月以上会わないのも気まぐれに違いない。視線を膝に落としながら、このまま放置してくれないだろうかと叶わぬ願いを抱く。


(そんなこと、あるわけないのに)


 視線を上げると、いつの間にか背後に戻って来ていた執事と目が合った。黄金色の瞳が自分をじっと見ている。気づいた途端に体がカッと熱くなった。顔は真っ赤になり鼓動が一気に速くなる。慌てて顔を伏せたものの、体中が心臓にでもなったかのようにあちこちがドクドクと音を立てた。

 どうしよう、鼓動が聞こえてしまうかもしれない。想いを寄せていると悟られてしまうかもしれない。シュエシが膝に置いた手をギュッと握りしめたときだった。

 薄手の上着をふわりと肩にかけられドキッとした。喜んでは駄目だと握り締めた手にますます力が入る。おかしな反応をしないように目を瞑ったところで首筋に冷たいものが触れてビクッと体が震えた。


「首筋がまた硬くなってしまわれたようでございますね。これでは眠れないのではございませんか? 今宵もよく眠れるように揉んで差し上げましょう」

「いえ、それは、……っ」


 断る前に冷たい手に触れられ言葉が詰まった。肌をクッと押す感触に背中がゾクッと痺れる。思わず漏れそうになった声をなんとか呑み込んだものの、執事の指が耳たぶあたりから首筋を何度も往復するため「ふっ、ふっ」と息を漏らしてしまった。

 毎晩のように指の感触を思い出しながら自慰に耽っていたからか、あっという間に下半身に熱が集まった。それを隠すように膝に置いた両手をギュッと握り締め、早くこの状況から解放されるようにと必死に願う。そんな思いも虚しく、不意に耳たぶを摘まれ「あっ」と高い声を上げてしまった。


(どうしよう、どうしよう)


 焦るあまり、必死に我慢していた声が次々に漏れ始めた。首筋に冷たい指を感じるだけで上半身が震え、甘く淫らな吐息が閉じきれない口から出てしまう。


「ぁ……ぁっ、あ……」


 声が漏れるたびに目が潤んだ。情けなさと気持ちよさが入り混じり、頭がぼんやりし始める。

 気がつけば下半身を隠していたはずの両手は膝のあたりの寝衣を握っているだけになっていた。震える体は背もたれにクタリと寄りかかり、そのせいで股間を覆う薄い寝衣が持ち上がっているのがよく見える。当然、背後に立つ執事にも見えてしまっていが、そのことにシュエシが気づくことはなく執事の揉む手も止まることはない。


「ん……ん、ぁ、ぁ……」


 シュエシの口から漏れる吐息は、いつしか甘い声に変わっていた。明らかに様子がおかしいというのに執事の手は止まらない。それどころかますます首筋を撫でるように揉み、敏感になった耳たぶをかすめるように動く。

 気がつけばシュエシの目は閉じ、悩ましげに眉尻を下げていた。だらしなく座ったまま頬を真っ赤にしている自分の姿に気づくこともなく、ハァハァと熱い息を吐き出している。そんな夢うつつのシュエシの耳元で執事の(つや)やかな声が響いた。


「このように乱れてしまわれるとは、奥様はいけない人でございますね」


 脳天を貫くような声にシュエシの体がビクンと跳ねた。慌てて目を開くと、微笑む執事の指が首筋から鎖骨へとすべり落ちていくのが鏡に映る。


(駄目……!)


 そう思ったものの、口を開く前に鎖骨を撫でられ慌てて唇を噛み締めた。そうしなければとんでもない声が出そうで、奥歯にグッと力を入れる。そんなシュエシの様子に小さく笑った執事は、鎖骨を撫でていた手をするりと下へ動かした。指先が胸に触れ、たまらずシュエシが小さく「あっ」と声を上げる。

 寝衣はとても薄く上等な生地で仕立てられていた。そのせいか執事の手の動きが驚くほどはっきり感じられる。甘い痺れに体を震わせていたシュエシは、冷たい指に胸の先端をピンと弾かれ再び声を上げた。


「あっ!」

「こんなにもツンと尖らせて、なんといやらしい様子でございましょう」

「ひぅっ」

「もしや奥様は、こうしたことをされるのがお好きなのでしょうか?」

「ちが、っ、ちがい、ます……っ。ぁ、ぁっ!」

「それでは、なぜこうも淫らな反応をするのでしょうか。ほら、体もこんなに震わせて、それに胸を突き出していらっしゃる。まるで触れてほしいと主張しているようではございませんか」


 冷たい指先がかすめるたびにシュエシの体がビクビクと跳ねた。ただの刺激に対する反応にしては激しく、顔も悩ましげな表情を浮かべている。必死に耐えていると、ようやく執事の手が胸から離れた。それにホッとしたのも束の間、今度は反対側の胸を撫でられ「ひんっ!」と情けない声が上がる。


「まだ触っていないというのに、こちらもこんな状態に……。もしやこうされることを期待していらっしゃいましたか?」

「ちが、んっ!」


 冷たい指が左の先端をきつく摘み上げた。そうかと思えばこねるように押し潰され、痛いのか気持ちいいのかわからなくなる。

 初めて感じる強い刺激に耐えられなくなったシュエシは、指から逃れようと体を動かした。そのせいでずるりと尻がすべり浅く腰掛けるような格好になる。そのせいで持ち上がった股間の布がますます目立ち、浅ましく腰が揺れ動いているのもはっきりと見えてしまっていた。そのことにシュエシは気づかないまま与えられる初めての感覚に翻弄され続けた。


「奥様はとんだ淫乱でございますね」


 耳たぶに冷たい唇が触れた。死者を思い起こさせるような冷たい手に首筋を撫でられ、「ひぃっ」と恐怖を滲ませた声が漏れる。それを嘲笑うかのように執事が耳たぶを噛んだ瞬間、はしたなくも腰がグンと跳ね上がり粗相したことにシュエシは気づいた。


(僕は……なんてことを……)


 荒い息を吐きながら、シュエシの目尻から涙がぽろっとこぼれ落ちた。真っ赤になった耳に執事の冷たい唇が触れる。


「明日、旦那様がお会いになるとのことでございます。乱れた跡は湯浴みで綺麗になさっておかれますように」


 執事の冷たい言葉に、シュエシの意識が一気に現実へと引き戻された。体を巡っていた淫らな熱もすぅっと冷める。

 いつもどおり頭を下げ「おやすみなさいませ、奥様」と告げた執事は、何事もなかったかのように部屋から出て行った。それを見送ることもできず、シュエシは凍りついたように動けなくなっていた。

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