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【BL】吸血鬼の領主と身代わりの花嫁  作者: 朏猫


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23 旅立ち

「おまえはまだ生まれたばかりの赤ん坊のようなものだ。そんな状態で人の邪念に触れるのはよくない」


 邪念と聞き、男たちのゾワリとした気配を思い出した。たしかにああいうものを何度も味わいたいとは思わない。


「まだ空腹を感じないか?」

「え?」


 ヴァイルの指がシュエシの唇をするりと撫でた。


「空腹を感じることはないかと問うている」


 急にどうしたのだろう。指の感触に頬を赤らめながら「と、とくには……」と答える。


「そうか」

「ヴァイルさま……?」

「いや、焦る必要はないな。だが、いまの状況でここに留まるのはやはりよくない」


 今度は頬を撫でられた。まるで慈しむような眼差しは初めて見るもので、期待と戸惑いにシュエシの黒目が揺れる。


「西の国には我らの故郷がある。もともとここに留まっていたのも気まぐれに過ぎなかった。領主として留まっても得があるわけでもない。ならば故郷に戻るほうがいい」

「ヴァイルさまの故郷、ですか?」

「わたしの母の故郷で、幼い頃わたしも過ごした場所だ。ここよりずっと美しく多くの同胞が住んでいる。人と関わることなく過ごせるという意味でも、おまえにとってよい場所になるだろう」


 故郷という言葉に、両親から聞いた東の国のことを思い浮かべた。シュエシは一度も両親の故郷を見たことがない。そもそも生まれたのは旅の途中で、その後も旅を続けていたシュエシに故郷と呼べる場所はなかった。

 シュエシにとって故郷という場所は憧れだった。そんな憧れの、しかも好きな人の故郷に連れて行ってもらえる。それだけで胸がいっぱいになる。


「わたしの故郷に興味はあるか?」

「はい。僕は故郷というものを知りません。その……好きな人の故郷というのはどういうところなのか、見てみたいです」


 言いながら貌が火照るのを感じた。


(好きな人の故郷に行って、好きな人のそばにずっといる……想像できないな)


 しかも同じ化け物として過ごすということだ。


(でも、周りも同じ化け物の人ばかりなら安心できるかもしれない)


 そういうところでなら、たとえ力が暴走してもヴァイルに迷惑をかけることはないだろう。シュエシの顔に安堵と喜びが入り混じったような笑みが広がる。それを見たヴァイルが「なるほど」と口にした。


「こういうのを愛しいというのかもしれんな」

「いとしい……?」


 頭の中で「愛しい」という言葉が浮かび、耳までカッと熱くなった。視線を右往左往させるシュエシにヴァイルが「ふっ」と小さく笑う。


「まさか、おまえを見て嫌悪感以外の感情を抱くことになるとは思わなかった。……いや、これも必然だったのかもしれない。はじめはただの興味だったが、興味を抱くこと自体あり得ないことだ。そもそも想いがなければ人を眷属になどするはずがない」


 美しい顔が近づいてくる。驚いている間に頬に口づけられ、黒目を見開いた。


「おまえを花嫁にしてよかったと心から思っている」

「ヴァイルさま」

「おまえはそのままでいろ。心まで化け物になる必要はない」

「でも、僕は同じ化け物になりたいと思、……っ」


 言い終わる前に唇を塞がれた。驚き体を強張らせたのは一瞬で、上唇を甘く噛まれて力が抜ける。愛しい人に縋りつくようにもたれかかりながら、シュエシは必死に口づけに応えた。

 これまでにも何度か口づけられたことはあったものの、こうして口内に舌を入れられたのは初めてだ。熱い舌が粘膜や舌に触れるたびに肌が震える。上の歯を何度も舐められ腰から力が抜けていく。


「まだ牙は出ていないな」

「……き、ば」

「血を得るための牙だ。その牙に初めて触れるのはわたしでありたい。いや、わたしでなければならない」

「ヴァ、ん……っ」


 再び口づけられ、上顎を舌先でくすぐられた。そのまま何かを探すように上の歯を何度も舐められる。シュエシはどうすればいいのかわからずギュッと目を閉じた。なんとか自力で立とうとするものの腰が砕け、両足もブルブル震えて力が入らない。


「んぅっ」


 縮こまっていた舌をヴァイルに甘噛みされ背中がゾクゾクと痺れた。思わず腰を擦りつけそうになったところでヴァイルの唇が離れる。


「ふ、ふっ、ふ」


 荒い息を吐くシュエシの首筋を白い指がひと撫でした。それだけで「んふ」と甘い声を漏らしてしまう。慌てて口を閉じながら俯くシュエシに「敏感なのはいいことだ」とヴァイルが囁いた。


「言っただろう? 昼は淑女でも夜は淫らなほうが好ましいと。そういう意味でもおまえは理想的な花嫁だ」


 もたれかかるシュエシをヴァイルが優しくも力強く抱きしめる。


「おまえを守ってやる。人からも同胞からも、おまえに害をなそうとするすべてのものから守ってやろう」

「ヴァイル、さま、」

「わたしはおまえを愛しいと思っている。いや、すでにそう思っていたのだろう。それに気づかず……わたしの感情に敏感な影たちは気づいていたのかもしれないが」


 頭のてっぺんあたりに口づけられ、シュエシは全身が火照るのを感じた。


「かすかにだが、おまえから甘い香りがしている……もう間もなくだ」


 最後のつぶやきをシュエシの耳が拾うことはなかった。自分が愛されているのだとわかり、あふれ出そうなほどの多幸感にうっとりと浸る。抱きしめている腕の感触やかすかに感じるヴァイルの鼓動に、まるで夢見心地のような感覚になっていた。


「故郷に帰るなら、この屋敷に用はないか」

「……え……?」


 ヴァイルの声にパチンと目が覚めた。


「用がないものはすべて消し去るのがいい」

「あの……?」

「ここは辺境の地ではあるが、わたしがいなくなってもすぐに新しい領主を名乗る者が現れるだろう。たとえ屋敷がなくとも自分好みの新しい屋敷を建てるはずだ。それに、化け物が住んでいた屋敷になど住みたくはないだろうからな」


 不安を滲ませた表情に変わるシュエシに、ヴァイルは美しい笑みを見せた。

 それからのことはあっという間だった。屋敷に戻るとヴァイルはすぐさま影たちに命じて荷物をまとめさせた。


「向こうで揃えられるものは持って行く必要はない。荷物は必要最低限でいい」


 ヴァイルの命令に忠実な影たちは、すぐさま荷造りを始めた。そうやっていくつかの鞄にまとめられた荷物は、どこからともなく現れた生きた(・・・)使用人たちが運び出した。彼らは荷物を馬車に載せると一足先に屋敷を後にする。影たちもユラユラとした霧のような状態で馬車に乗り込み一緒に旅立った。

 その様子を窓から見ていたシュエシは、初めて見る使用人たちの姿に驚いていた。じっと見つめるシュエシに「長い移動には影は向かない」とヴァイルが説明する。


「ここから故郷までは遠い。そのぶん人の中に長く留まることになる。人の中を移動するには人であるほうが便利だ」

「あの人たちはヴァイルさまのことを、その、知っているんですか?」

「あぁ。西の国には我らが吸血鬼だと知ったうえで仕えている者たちもいる」

「そう、ですか」

「彼らは非常時の糧でもある。労働や血の見返りに我らは彼らを庇護している」


 糧という言葉にドキッとした。ヴァイルもそういう存在から血をもらうのだろうか。自分以外の血を口にすることがあるのだろうか。遠ざかる馬車を見ながらシュエシの眉尻が少しだけ下がる。


「わたしがあれらの血を求めることはない」

「え?」

「わたしにはおまえがいる。喉が渇けばおまえの血をもらう」

「あ、りがとう、ございます」


 心を見透かされたようで恥ずかしい。顔を赤くするシュエシにヴァイルが「ありがとうとはな」と小さく笑った。


「血を奪われるというのに、礼を言うのはおまえくらいだろうな」

「そうかもしれないですけど、でも、やっぱりうれしいので……」

「そういうところも悪くない。いや、おまえらしくていい」

「ありがとう、ございます」


 首まで赤くしたシュエシの顎をヴァイルが掴む。そうしてクイッと持ち上げると、羞恥に赤くなった唇に触れるだけの口づけを落とした。

 日が落ちる頃にはすべての作業が終わっていた。屋敷の中はいつもと変わりなく、庭も手入れが行き届いた美しい姿を保っている。そこに火が放たれた。立派な屋敷はあっという間に火に呑み込まれ、庭にあった温室も炎に包まれる。

 温室の薔薇たちには可哀想だが、薔薇を残せば必ず土地の者たちの間で争いが生まれる。欲望を刺激された土地の者たちはどんな行動に出るか予想がつかず、土地の者同士で血を流す可能性もある。そう告げたヴァイルの言葉に、庭で遭遇した男たちを思い出したシュエシはこくりと小さく頷いた。

 気がつけば屋敷も温室も、美しかった庭も燃えさかる炎に包まれていた。ゴウゴウと燃える様子は夢で見た炎のように凄まじく、柱か何かが崩れ落ちる音が止めどなく聞こえてくる。


「そろそろ行くぞ」


 ヴァイルに声をかけられたが、シュエシはしばらく炎から目を離すことができなかった。


「なんだ、名残惜しいのか?」


 背後に立ったヴァイルの問いかけに、首を横に振りながら「わかりません」と口にする。


「名残惜しいというか……ここはヴァイルさまに出会って、花嫁にしてもらった場所だったから」


 そういう意味では思い出の場所と呼べるかもしれない。旅をしていたシュエシにはそうした場所があまりなかった。訪れた場所に留まるのはわずかな間で、次々と移動するためはっきりと思い出せるところはあまりない。この土地に留まって十年以上が経つが、住んでいた部屋や街並みを思い出だと感じることもないだろう。


「故郷に行けば、そうした場所はいくらでも作れる」

「楽しみです」

「それに旅の間も思い出の場所を作ることはできる」


 きっと幼い頃の旅とは大きく違うはずだ。両親との旅は大事な思い出ではあるものの、好きな人との旅と思うとやはり気持ちが違ってくる。それに旅の終着点はヴァイルの故郷だ。


「どんな旅になるのか楽しみです」

「体に負担がかからないよう、頑丈で広めの馬車を用意してある」


 少し離れたところに立派な馬車が止まっていた。シュエシが知っている乗合馬車とは違い、まさに貴族の乗り物といった雰囲気をしている。


「馬車にはカーテンもつけてある。寝泊まりができるように折りたためる台座も取りつけた。さすがにベッドのようにとはいかないが、それでも体がひどく痛くなることはないだろう」


 寝泊まりという言葉に驚いた。ヴァイルの故郷は遠いというから、時には馬車の中で寝ることもあるのだろう。ふと、小さい頃に野宿したときのことを思い出した。さすがにあれとは違うだろうが、そういう経験をヴァイルとできるのだと思うと不思議な気持ちになる。


「あの馬車は車輪に工夫が施されている。だから多少揺れたところでびくともしない。山道でもなめらかに走れるものを用意させた。西のほうでは最新式らしい」

「すごいですね」


 目を見開くシュエシの耳に美しい顔が近づく。


「中も最新式だ。多少揺らしたとしても走行に問題は起きない。あれならどこでも花嫁を十分に可愛がることができる」


 囁かれた言葉に「え?」と首を傾げた。


「まだ蜜月は始まったばかりだ」

「!」


 言われた意味に気づいたシュエシの顔がパッと赤くなる。


「初めてでもないというのに、初心な反応もおまえらしい」

「ヴァ、ヴァイルさま……!」


 掠めるように頬に口づけたヴァイルが、「さぁ、行こうか」と言って左手を差し出した。貴族然とした美しい姿に一瞬見惚れたシュエシはすぐにハッとし、おずおずといった様子で右手を伸ばす。


「我らの故郷に向けて出発だ」

「はい」


 その後、丘の上に建つ領主の屋敷は夜通し燃え続けた。土地の者たちは遠くに見える赤い色に驚き、それでもすぐに駆けつける者はいない。誰もが口を閉ざし、顔を歪めながら燃えさかる炎を家の窓から見つめた。

 そんな家々から少し離れた畑の間を黒光りする馬車が一台通り過ぎた。そのまま西へと続く街道に速度を緩めることなく進んでいくが、その馬車に気づく者は一人としていなかった。

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