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【BL】吸血鬼の領主と身代わりの花嫁  作者: 朏猫


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21 再びの危機

 今日はシュエシの母親が死んだ日だ。ひと月後の同じ日に父親が死んだため、父親にとっても月命日になる。しかし両親の墓はない。当時六歳だったシュエシは二人がどこに運ばれどのように葬られたか知らなかった。それでも命日には道ばたで見つけた花を摘み、部屋で手を合わせていた。


(今年はそれが薔薇の花になるなんて、母様びっくりするんじゃないかな)


 シュエシは驚く両親の姿を思い描きながら温室に入った。

 庭の南側にある温室では、この土地では咲かないはずの薔薇が咲き誇っていた。薔薇が咲いていると知ったのは昨日のことで、最近ではヴァイルとそうした他愛もない話をする時間も増えてきた。


(少し前なら、ヴァイルさまと薔薇の話をするなんて想像もできなかった)


 手向けに薔薇はどうかとヴァイルが言い出したのは母親が好きな花だったと口にしたからだ。薔薇の話になったのもシュエシが温室には何があるのかと尋ねたからで、そうした話題を持ちかけたのはインヤンの助言があったからでもある。


「母は薔薇の花が好きだったので、温室を見たら、きっと喜んでいたと思います」

「おまえの母はいつ死んだのだ?」

「六歳のときで……明日が命日です」


 言葉尻が少しずつ小さくなっていく。眉尻を下げる顔に思うところがあったのか、ヴァイルが「死者への手向けに薔薇を使えばいい」と告げた。驚いて顔を上げると「母親が好きな花なのだろう?」と続ける。


「でも、」

「温室にはあふれるほど咲いている。好きなだけ切ればいい」

「い、いえ、少しで大丈夫です」

「おまえはわたしの花嫁だ。遠慮することはない」

「でも、薔薇はその、高価な花だから」

「おまえは欲がないな」


 そう言われ、心の中で「そんなことはない」と否定した。


(僕はヴァイルさまに僕の血だけを口にしてほしいと思ってる)


 それに自分以外の花嫁を迎えてほしくないとも思っていた。死ぬまでそばにいたいと思い、ずっとそばにいるために化け物になる決意をした。どれも人の身には過ぎたる欲望だ。

 ヴァイルが部屋を出て行くと、二人のやり取りを見ていたインヤンが『薔薇を切るなら朝がいいですよ』と教えてくれた。


『朝のほうが香りがよいですから』

『そうなんですね。じゃあ、明日の朝起きてから切りに行くことにします』

『そのときはこれを羽織ってください。朝は冷えますから』

『ありがとうございます』


 翌朝、シュエシはインヤンが用意してくれた上着を羽織って庭に出た。まだ朝日が昇り始めたばかりだからか草木が影のようにぼんやりと見える。少し冷たくも清々しい空気に「いい天気になりそうだな」と思いながら温室に入った。

 一歩入っただけで薔薇の香りに全身を包まれた気がした。スゥッと息を吸うと胸いっぱいに甘い香りが広がる。


(母様にも見せたかったな)


 押し花にした真っ赤な薔薇の花びらを見つめる母親の顔を思い出し、切ない気持ちになった。それを振り切るように大輪の薔薇が咲く一角へと向かう。


(やっぱり真っ赤な薔薇にしよう)


 温室には赤以外に白や桃色、だいだい色など様々な薔薇が咲いていた。その中でも圧巻なのは真紅の薔薇で、肉厚な花びらはビロードのように(つや)めかしい。

 母親は薔薇の中でも赤色が好きだった。東の国の家には赤い薔薇が咲いていたと一度だけ聞いたことがある。東の国でのことをよく思っていなかったであろう母親だが、赤い薔薇だけは忘れられなかったのだろう。そんな母親の姿を思い出しながら、真っ赤な薔薇を二本だけ切り取った。

 薔薇に鼻を近づけクンと嗅ぐ。甘い香りは毎晩ヴァイルが髪の手入れに使う香油を思い出させた。もしかしてこの温室の薔薇で作っているのだろうか。そんなことを思いながら温室の外に出る。

 外はすっかり日が昇り、庭の草木が朝露をまとってキラキラ光っていた。眩しさに目を細めつつ一歩踏み出したところでゾワリとしたものを感じて足が止まる。体の芯が凍えるような気配に体が強張った。早く立ち去ったほうがいいとわかっているのに足を動かすことができない。

 シュエシはゆっくりと振り返った。温室の反対側からこちらに向かってくる二人の男が見える。


「やっぱり薔薇があったな。ただの噂話かと思ってたが見に来て正解だった」


 一人が隣の男にそう話しかけた。


「だろう? これを売りゃあもっと金が手に入る。行商人たちが来るのに合わせて持って行けるだけ持ちだそうぜ。そうだな、あと数人いれば数日で根こそぎ……って、おい、あいつ……」


 男がシュエシに気づいた。もう一人の男も「シュウじゃねぇか」と目を見開く。

 男たちは土地の者だった。シュエシがそうだとわかったのは、パンや肉を買いに行くときに広場で何度も見かけたからだ。ただの土地の男なら記憶に残らなかっただろうが、彼らは柄が悪くほかの人たちに煙たがられていた。実際、若い娘にちょっかいをかけては騒ぎを起こしているのを見たことがある。


「なんだよ、花嫁は全員死んだって聞いてたけど生きてんじゃねぇか」

「いや、これまでの花嫁は死んでるって話だぞ。屋敷の様子を見に行ったやつが血に染まったドレスを見たって言ってただろ。それに生きてる花嫁を見たやつもいねぇ」

「それじゃあ、なんでシュウは生きてんだよ」

「そりゃあ、東の国のやつだからじゃねぇか?」

「領主様が東のものが好きだって話は本当だったのか」

「……いや、それだけじゃないかもな」


 男たちの目がじっとシュエシを見ている。途端にゾワリとした気配を感じブルッと震えた。


「前は棒切れみたいで血色も悪かったのに、別人みたいだ」

「ドレス姿ってのは笑えるが、貴族様に気に入られると贅沢させてもらえるってことか」

「いまのおまえなら、たしかに悪くねぇ」


 二人がゆっくりと近づいてくる。男たちの足が地面に触れると、そこから炭のような黒い靄がぶわっと立ち上るのが見えた。しかし男たちには見えていないのか、ニヤニヤした笑みを浮かべたまま一歩、また一歩と近づいてくる。


「これなら差し出す前に味見くらいしとくべきだったなぁ」

「おいおい、それじゃあ領主様がお怒りになるだろ」

「大丈夫だろ? そもそも領主様は相当な年寄りだって話だ。だから姿を見せねぇってもっぱらの噂だしな。そんな老人が使い古しかどうかなんて気にするかよ。そもそも勃つかどうかも怪しいだろ」


「違いねぇ!」と二人が下卑た笑い声を上げた。その声に反応するかのように、足元だけでなく体全体から黒い(もや)のようなものがユラユラと立ち上り始める。


「なぁ、薔薇よりシュウのほうが高値で売れるんじゃねぇか?」

「この見た目ならあり得るな。ここよりもっと西まで連れて行けば東のもんは相当な高値で売れるって言ってたしな」

「しかも貴族様にかわいがられてるんだ。それを言えばもっと金持ちの貴族様にも売れるんじゃねぇか? つまり、値もつり上げられるってことだ」

「こんな高価なドレスまで着せるくらいだ、きっとあっちの具合もいいんだろうよ?」


 二人はシュエシの全身を舐め回すように見ながらニヤニヤと笑っている。


「だがよ、花嫁が消えたら大変なことにならないか?」

「かまうこたねぇよ。領主様は花嫁に執着しないって話だ。こいつがいなくなっても新しい花嫁を差し出せって言ってくるだけだろ」

「おいおい、それじゃあ娘持ちの親は大変だなぁ」

「俺たちには関係ねぇけどな」


 男たちの周りに漂っていた黒い靄が一気に色を濃くした。まるで暗闇のようなどす黒いものがシュルシュルと渦を巻き、グルグルと男たちの体を包み込んでいく。


「じゃあ、このまま連れて行くか」

「あぁ。昼過ぎには西の国に向かう行商人が通る。そこで売っぱらえばいい」


「売っぱらう」という言葉に、シュエシの背中を嫌な汗が流れ落ちた。男たちは自分を屋敷から連れ出し売り払おうとしている。わかっているのに得体の知れない気配に体が動かない。早く逃げなくてはと思っているのに声すら出すことができなかった。


(逃げないと……早くここから離れないと……)


 薔薇を持つ手が震える。動かない足になんとか力を入れ、爪先で土を踏みしめたときだった。男たちの周りに漂っていた黒いものがぶわっと広がった。そうかと思えば今度は少しずつ縮まり、ドロドロとした泥水のような様子に変わる。

 ドロドロとした塊から一本、蔦のようなものが伸びた。それ(・・)は粘度の高いねっとりとした様子で、ヌメヌメ、ウネウネと動きながらこちらへ伸びてくる。そうして動けなくなっていたシュエシの腕に絡みついた。


「……っ!」


 声にならない悲鳴が漏れた。振り払おうにも(ぬめ)っている感覚に鳥肌が立ち、手を動かすことができない。実体がないはずなのに絡みつく力は強く、どうしてもそれ(・・)から逃れることができなかった。


(嫌だ……怖い、気持ち悪い……触らないで……来ないで……)


 いくら拒絶してもそれ(・・)は離れようとしなかった。シュエシの両足はガタガタと震え、立っているのもやっとの状態になる。


「ガリガリだったのがここまでになったってことは、よっぽどいいもん食わせてもらってんだな」

「っ」


 目の前まで来た男が髪の毛に触れた。途端に吐き気にも似たものが胸に広がる。


「すっかり肌つやもよくなりやがって。……って、なんかいい匂いがしねぇか?」

「たしかに……おい、髪も妙な色になってるぞ」

「なんだこれ……黒髪なのにところどころ赤っぽく見えるな」


 男たちの顔が頭に近づくのがわかり、慌てて目を閉じた。ギュッと閉じた目尻には涙が滲み、震える唇は真っ青になっている。そんなシュエシを気にすることなく男の一人が黒髪を力任せに引っ張った。


「こんな髪の色は見たことがねぇ。相当珍しいに違いねぇ」

「じゃあ、さらに値をつり上げられるってことか」


 男が触れたところからゾワリゾワリと嫌な気配が流れ込んでくる。ゾワリとしたそれ(・・)は髪の毛を伝って頭皮にたどり着き、そこからジワジワと体内に侵入し始めた。


「……っ!」


 息が止まった。腐臭のような嫌な匂いが鼻を刺激し、息を吸うことも吐き出すこともできなくなる。シュエシの手はますます震え、持っていた二本の薔薇を落としてしまった。

 パサリと落ちた真紅の花びらが数枚散った。黒くねっとりしたものが薔薇に触れたかと思えば、一瞬にして花びらの輪郭が崩れる。そのまま黒いそれ(・・)が地面を伝いシュエシの足に絡みついた。

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