17 同じものに
寝室に入るとヴァイルがどこかに向かって「湯と布を持って来い」と口にした。宙に浮いていたドレスがパサリとベッドの上に落ち、しばらくすると浴室から水の音が聞こえ始める。椅子に下ろされたシュエシは、ドレスのボタンを外していく白い指を戸惑いながら見ていた。ヴァイルは無表情のままボタンを外し、続けて腰紐を解こうとしている。そんな二人の横を黒い霧に包まれた手桶と布がふよふよと通り過ぎた。
「あの、ヴァイルさま」
「なんだ?」
「その、汚れているので、自分でします」
「かまわん。花嫁の世話を焼くのには慣れている。忘れたか?」
花嫁という言葉に頬が熱くなった。そうこうしているうちに汚れたドレスはすっかり脱がされ、肌着だけになる。羞恥と困惑に言葉を失っているシュエシをよそに、ヴァイルは手桶の湯と布で汚れた顔や手を拭い始めた。
「じ、自分でできます、から」
「いい、じっとしていろ」
「でも」
「手間をかけさせるな」
強い言葉にシュエシの体が強張った。気分を害してしまったのだと思いギュッと目を瞑る。
「あぁいや、そうではない。怒っているわけではないから、そうビクビクするな。こういうことに慣れていないだけだ」
怒っているような声には聞こえない。そっと目を開けると不快そうな表情にも見えなかった。その証拠に頬や首筋を拭う手つきは優しい。
(ヴァイルさまは化け物かもしれないけど、でも、きっと優しい人だ)
つらく当たっていたのは土地の者たちに家族があんな目に遭わされたからに違いない。同じ立場なら自分もきっと似たような態度を取っただろう。
(それなのにヴァイルさまは僕を花嫁にしてくれた)
そして同じ化け物にしてくれると言った。シュエシの口元がゆるゆると緩んでいく。
「これから化け物になるというのに笑顔を浮かべるとはな」
呆れたような声に聞こえるが、美しい顔は穏やかなままだ。
「同じになれるのが、その、うれしくて……それにヴァイルさまは、優しいです」
「優しい? わたしがか?」
「はい」
「ふむ、人にそんなことを言われたのは初めてだな」
気のせいでなければ美しい唇が少しだけ笑っている。思わず見惚れてしまったシュエシだが、肌着を留めている紐にヴァイルの指が掛かるのを見てギョッとした。「あ、あの」と声をかけても一つ、二つと紐を外す指が止まることはない。
「服を着る必要はない」
つまり裸になれということだ。シュエシは「まさか」と想像し、顔を赤くした。もし思い浮かんだことをしようとしているのなら、もっと念入りに肌を拭わなくては。そうしなくては触れてもらうわけにはいかない。
「あの、それなら、ちゃんと肌を拭うので……」
消え入るような声でそうつぶやいた。視線をさまよわせながら「だから少しだけ時間をください」と訴えると、「勘違いするな」とヴァイルが答える。その言葉にシュエシはハッとした。
(ぼ、僕はなんてはしたない勘違いを……)
期待に満ちていた顔が一瞬にして真っ赤に変わる。
「あ、あの、す、すみません」
「おまえは本当におもしろいな」
呆れられたのかと思い、唇をキュッと噛む。
「交わるのは化け物になった後だ」
「え……?」
「期待したのだろう? わたしに抱かれると」
「そ、それは……」
耳まで真っ赤になったシュエシの肌着にヴァイルの手がかける。すぐに肌触りのいい肌着が右肩からスルンとすべり落ちた。
「まずは眷属にするためにおまえを噛む」
「け、けんぞく……」
「わたしにのみ隷属するもののことだ」
「れいぞく……?」
「わたしの命令に従い、わたしのためだけに生きる存在のことだ。そしてわたしの命が尽きるとき、眷属もまた命を失うことになる」
「それが、けんぞく」
「おまえは眷属となり、わたしと命を一つにする存在になる」
「ヴァイルさまと一つに……」
そうつぶやいたシュエシの体をビリッとしたものが駆け抜けた。強い痺れのようなものに驚いたのは一瞬で、すぐさま歓喜の笑みが広がる。体どころか命まで一緒になるのだという事実に全身が喜びに満ちあふれた。
「わたしと一つになるのがそれほどうれしいか?」
「は、はい」
「……なるほど、おまえの血も喜んでいる」
冷たい手がシュエシの黒髪をかき上げ、美しい顔が顕わになった首筋に近づく。
「感情だけでこれほどの香りを放つとは……さすがは我が花嫁だ」
「んっ」
「滾る血が巡り始めているのがよくわかる。香りもますます濃くなってきた」
「んぅ」
冷たい舌に首筋を舐められ吐息が漏れる。体中が喜びで満たされ、頭の芯がチカチカし始めた。すがるようにヴァイルの両腕を掴みながら、椅子に座ったまま太ももを擦り合わせるようにモゾモゾと動かす。
「敏感で淫乱なのは喜ばしいことだ。それだけ血を熱くし極上の味へと導いてくれる」
恍惚としたシュエシの首筋に唇を寄せたヴァイルが、官能的な指でツツッと下腹部を撫でた。途端に体が震え甘い吐息が漏れる。
「これまで化け物を眷属にした一族は誰もいない。どうなるのか楽しみだ。ただの従順な眷属になるか、それともわたしを惑わせる恐ろしい化け物になるか……どちらにしても興味深い」
冷たい唇が肌に吸いついた。ゾクゾクとしたものが背中をすべり落ち、呆気ないほど簡単に絶頂を迎えてしまう。その様子に小さく笑ったヴァイルが「よい香りだ」と囁き、柔い肌に牙を当てた。
「ぁっ」
期待に肌が震え、鼓動もかつてないほど忙しなくなった。たったいま果てたはずの下腹部に新たな熱が生まれ、肌が真っ赤になるほど全身が火照っていく。
(僕は、化け物になる)
興奮のあまり意識が朦朧としてきた。
(僕はヴァイルさまと同じものになる。そして、死ぬまでずっと一緒にいる)
その死さえもヴァイルと共有することになる。幸せな結末を想像したシュエシの顔がふわりと微笑んだ。そうして目尻から歓喜の涙が一筋頬を伝った次の瞬間、首筋を鋭いものが貫いた。
「……っ!」
最初に感じたのは耐えがたいほどの痛みだった。肌を突き破る痛みは初めて噛まれたときと同じ鋭さで、無意識に逃れようと体が動く。しかし動く前にさらに深く噛みつかれ、一瞬にして目の前が真っ赤になった。
(僕の、血、が……)
首筋に心臓があるかのようにドクドクと脈打っている。それに呼応するかのように血を啜る音が聞こえた。まるで鼓動ごと吸われているような感覚に、段々と意識が薄れていく。
気がつくと真っ暗な中にぽつんと立っていた。目を開いているのか閉じているのかよくわからない。その中で聞こえるのはドクドクという鼓動と喉を鳴らす音だけだ。音を聞いているうちに指先がジンジンと痺れ始めた。痺れは少しずつ全身に広がり、手足の先から体の内側へと広がっていく。そうして頭のてっぺんまで行き渡るのと同時に何かがプツンと途切れるような音がした。
シュエシはそのまま死んだように眠り続けた。




