12 身も心も
「あの、領主様、」
「領主様と呼ばれるのは好きじゃない。我が名はヴァイルだと教えたはずだが？」
そう言いながらシュエシを横抱きに抱えた領主――ヴァイルが寝室へと歩き出した。抱きかかえられたことに驚いたシュエシは、すぐそばにある美しい顔に一瞬見惚れ、すぐに緊張から体を固くする。
「ヴァイルさま、何を……」
おそるおそるそう尋ねると「身も心も花嫁にしてやると言っただろう」と返ってきた。
（まさか、本当に……？）
「身も心も」という意味がわからないほど子どもではない。だが、そんなことを言われるはずがないとすぐに否定した。そもそも自分は男でこの土地の者でもない。「あり得ない」、「まさか」と戸惑っている間にベッドに到着し、やや乱暴に下ろされて息を呑んだ。慌てて上半身を起こそうとするが、それより先にヴァイルが覆い被さり起き上がることができなくなる。
「なんだ、花嫁になりたいと言ったのは嘘だったのか？」
「う、嘘じゃありません」
「花嫁になることがおまえの望みなのだろう？」
「でも……僕はその、男、ですから」
「知っている。以前ここを滾らせていたのを見たからな。それにわたしの足に擦りつけて達したこともあっただろう？」
「……っ」
ドレスの上から股間を撫でられ息を呑んだ。みっともないことになったのを思い出し、顔や首を真っ赤にする。
「おまえは感じやすいな。たったひと撫ででこの有り様だ」
「そ、なこと、は、っ」
まるで体の線をなぞるかのように冷たい手が膝から太ももにかけてを撫で上げた。その手が腰や腹を撫で、そうかと思えば胸をくすぐるように撫でる。
「胸もすぐにこうだ」
胸の先端を押し潰されて上半身がビクッと大きく震えた。
「こ、れは、触られた、からで、っ」
「嘘はよくない。触れる前から興奮していただろう？」
ドレスは薄く肌触りがよいためか冷たい手の感触がよくわかった。そのせいでほんの少し指が掠めるだけで触れられたような気がして肌が粟立つ。声まで出そうになり、慌てて唇を噛み締めた。
「別に感じることが悪いとは言っていない。むしろわたしの花嫁なら敏感なほうが好ましい」
「っ」
「声を抑える必要もない」
「……っ」
シュエシはふるふると頭を振った。そもそも男の声など聞き苦しいだけだ。想いを寄せている相手に不快だと思われるのが怖くて必死に唇を噛み締める。
（それに、こんなに明るい部屋でなんて……）
窓からはこれでもかと日の光が差し込んでいる。これでは些細な表情もはっきり見えるはずで、みっともない姿を見られているのだと思うだけで恥ずかしかった。自分がどんな顔をしているのか想像し、早く隠さなくてはと必死に顔を背ける。そんなシュエシの耳に冷たい唇が触れた。
「恥ずかしがる必要はございませんよ、奥様」
久しぶりに耳にした執事らしい口調にシュエシの体がビクッと震えた。
「気持ちがよいのなら悦ぶ姿を素直にお見せください」
そう囁かれた途端に腰に甘い痺れが走った。そのまま大きく二度震え、身に着けている女性用の下着がじわりと濡れるのを感じて目を見開く。
（こ、声だけで……僕は……）
いくら想いを寄せている相手とはいえ、まさか声だけで果てるとは思わなかった。自分はなんてみっともないのだろう。消え入りたいほど恥ずかしい状況に閉じた目尻に涙が浮かぶ。
「おまえが花嫁になりたい相手は執事のわたしということか？」
羞恥に体を硬くしていたシュエシは、ヴァイルのため息混じりの声に慌てて目を開いた。すぐ近くにある顔はとても美しいが呆れているように見える。
「ちがい、ます」
それは違う。たしかに最初に好きになったのは執事のほうだが、領主とわかってからもその想いが消えることはなかった。たとえ化け物でもそばにいたいと思ったのはヴァイルだからで、執事か領主かは関係ない。
シュエシは違うのだと必死に目で訴えた。しかし青ざめるシュエシを見下ろす瞳は冷たく何を考えているのかわからない。
「領主様、」
「それは好かんと言っただろう」
「ヴァ、ヴァイルさま」
慌てて言い直したもののヴァイルの表情が変わることはない。それが怒っているように見えたシュエシは、知らず知らずのうちにシーツを掴む手に力を入れていた。
「執事の振りをしたのは単なる戯れ事だったが、まさかそれで好かれるとは思わなかったな」
シュエシに頬が引きつった。ところが蔑むような言葉は聞こえてこない。おそるおそる見たヴァイルの表情は淡々としたもので、口元に手を当てている姿も思案しているように見えた。
「それはそれで興味深い……だが、微妙な気持ちにはなる」
やはり不快に思っているのかもしれない。咎められるに違いないと考えたシュエシはギュッと目を閉じた。ところが聞こえてきたのは「まぁいい」という言葉で、どういう意味だろうと思いながらそっと目を開ける。
「どちらを好いていようが、おまえがわたしに気持ちを寄せてさえいればいい」
「き、気持ち」
「そうだ。好意があればすぐに体は熱くなる。そうなれば血も滾る。興奮で熱くなった血は味も香りもぐっと良くなる」
冷たい手がドレスの裾をたくし上げた。直接足を撫でられ、思わず「ひっ」と悲鳴のような声が漏れる。
「敏感な花嫁でなによりだ」
「そ、なことは、」
淫乱だと笑われたのだと思った。慌てて否定すると「褒めているのだ」と囁きながら美しい顔が近づいてくる。
「敏感な体は火照りやすい。興奮し、淫らになればなるほど血は熟成され味わい深くなる。そのうえおまえは極上の血の持ち主だ。年代物のワインのような味わいになることだろう」
「っ」
首筋に口づけられ肌が粟立った。あまりにも冷たい感触に鳥肌まで立つ。まるで噛む場所を探っているかのような動きに体は硬直し、それなのに心の中では噛んでもらえるのだという期待で満ちていた。噛まれる激痛と、その後訪れる途方もない快感を思い出した体がブルブルと震え出す。
「なんだ、恐ろしいのか？」
「ち、ちが……」
「最初は皆恐ろしがる。だが、すぐに慣れる。我らに噛まれるのは、人の世にあっては得られないほどの快感だ。おまえもすぐさま溺れることだろう。そうしてますます体を熱くし極上の血を捧げることになる」
冷たい手が下腹部をくるりと撫でた。冬の井戸水のような冷たさに心臓がギュッと縮こまる。そんなシュエシにかまうことなくヴァイルの手はすべるように上へと移動した。その間も美しい顔は首筋に埋もれたままで、時々触れる唇は冷たいものの吐息は温かく、それが余計に肌をざわつかせる。
漏れかけた声を慌てて呑み込んだ。唇を噛み締めると、代わりに吐息が荒い息となって漏れる。
「声を我慢するな。先ほども言ったが、敏感で淫乱なほうが我が花嫁としては好ましい」
耳たぶの下あたりをちろっと舐められ「んっ」と吐息混じりの声が出た。のど仏に吸いつかれて顎が上がる。そのせいで必死に口を閉じていた力が抜け、「ふぁ」と鼻から抜けるような声が漏れてしまった。
「そうやって声を出したほうが体はより熱くなる」
「あ、あっ、あ！」
首の敏感なところを吸われるたびに声が出た。自分のものとは思えない甘ったるい声に体がカッと熱くなり、羞恥のあまり目が潤み始める。
（恥ずかしい……それなのに、もっと触れてほしいなんて……）
気がつけば覆い被さっているヴァイルの足に腰を擦りつけていた。一度粗相をしているというのに下腹部はますます熱くなり、切なすぎて痛みさえ感じる。この熱をどうにかしてほしい。解放してくれるのはこの人しかいない。その一心で二度、三度と擦りつけていた腰がブルッと大きく震えた。
「なんだ、勝手に果てたのか」
「な、んで……ど、して……」
自慰とはほど遠い稚拙な接触だったというのに果ててしまった。戸惑いと羞恥に顔を真っ赤にするシュエシを黄金色の瞳が見下ろす。
「我らを見るだけで人は自我を失い興奮状態に陥る。こうして勝手に果てるのもよくあることだ。だが、おまえには力を使っていない。それなのにこの状態だ……やはり興味深いな」
ヴァイルの声は聞こえるものの、自分の状況が衝撃的すぎて意味を理解することができない。シュエシはただただ困惑していた。同時に淫乱な自分では美しいヴァイルの花嫁にはふさわしくないと考え、目尻からポロポロと涙をこぼす。
「なぜ泣く？ 淫らなことはおまえにとって喜ぶべきことだと言っただろう？ 昼は貞淑でも夜は淫らなほうがわたしの花嫁にはふさわしい」
ヴァイルの顔に初めてわずかな笑みが浮かんだ。
「さて、熱くなった花嫁の体を味わうことにしようか」
ヴァイルの顔が美しく淫靡なものに変わった。
それからのことはあっという間だった。耳や首筋を甘噛みされて体から力が抜ける。どこもかしこもトロトロに蕩けていたシュエシは、自分がどうなっているのかわからなくなっていた。温い川に漂っているかのような感覚がしたかと思えば、時々鋭い光が目の前で弾けるような刺激が体を突き抜ける。
気がつけば体の奥深くをヴァイルに暴かれていた。ところが痛みは一切感じることがなく、あまりの快感に「もっと」と自らヴァイルの首に腕を絡める。
「ヴァイルさま……ヴァイルさま……」
夢うつつの口からは愛しい人の名前しか出てこない。体の奥深くが切なくて、目の前の美しい体に力いっぱいしがみついた。すると触れたところから快感が生まれ、ますますシュエシを追い詰めていく。何もかもが気持ちよくてますます意識が朦朧とした。
「そろそろいいか」
声が聞こえるだけでうなじがゾクッと震えた。背中の上から下に向かってピリピリと痺れにも似た快感がすべり落ち、最後にお腹の奥をジクジクと熱くさせる。
「熱くなったおまえからは極上の香りがする」
体のどこにも力が入らない。それでも離れたくなくて必死に目の前の体に縋りつく。
「あぁ……なんとかぐわしいのだろうな。これほどの香りは祖国でも嗅いだことがない。嗅げば嗅ぐほど酔ってしまいそうな……牙がこれほど疼くのも初めてだ」
しがみついていた体をベッドに押さえつけられた。首筋を冷たい手に撫でられ「あっ」と吐息のような声が漏れる。くすぐるようにうなじから鎖骨にかけてを撫でられたかと思えば、再び柔らかく冷たいものを感じて一気に熱が上がった。
（……ヴァイルさまの唇が……あぁ、早く……早く……）
早く血を啜ってほしい。シュエシの頭はそのことでいっぱいだった。早くと訴えるように顎を上げ、首筋をさらし、冷たい唇に押しつけるように体を動かす。
「なんという蠱惑的な香りだ。……本当に酔ってしまったかのような気分になる……」
クンと鼻を鳴らすような音に目眩がした。だが、シュエシが願っているような痛みはいつまで経ってもやってこない。それが不満で「どうして」とつぶやくと、「そう急かさずともいずれ啜ってやる」と返された。
「おまえの血はまだ完全に熟していない。だが、これならすぐに最高の状態になるだろう。そのときおまえは花嫁としてわたしに血を捧げることになる」
冷たい舌にべろりと舐められ、「あぁ」と甘い悲鳴が漏れた。自分の声にさえ体が熱くなり、あちこちが切なくなる。思わず首に絡めた両手で背中を引っ掻いた。早く早くと爪を立てる。
「そう急かすな。牙が疼いて仕方がないのはわたしも同じだ。だが、花嫁への接吻は血がもっとも熟したときと決まっている。……あぁ、だがこの香りは……たまらなくわたしを魅了する……まるでおまえのほうが化け物のようだな」
冷たい唇に何度も吸いつかれ、うなじがゾクゾクと痺れた。全身が粟立ち体が何度も小刻みに震える。
「なるほど、これが花嫁という存在か。これまで興味はなかったが……たしかに抗いがたいものを感じる」
この日、シュエシは求められるままヴァイルと交わった。終始夢うつつのような状態で、自分がどんなことを口にし、どんなことをしたのかはっきりしない。それでも心の底から歓喜したことと体の奥深くが燃えるように熱くなったことだけはわかった。触れる冷たい肌に何度も甘く鳴いたシュエシは、気がつけば縋りつくようにヴァイルを抱きしめていた。
