8話 新たな脅威
茶屋の暖簾をくぐると、外の春の光が目に眩しかった。店内の緊張がほどけ、世界が一段明るくなったようにさえ感じる。
胸の奥で、小さく拳を握る。
――うまくいった! 私の和菓子を認めてもらえた!
さきほど披露した寒天の菓子が大勢に受け入れられたことが、緩やかに嬉しさとして広がっていく。
それに、店主と交わした約束。勝負以上の収穫だった。
「……ふふ。大成功だったわ」
そんな私の背後では、ツキシマは悔しそうに眉間に皺を寄せたまま、黙ってついてくる。
その様子に、サクラは思わず小さく苦笑した。
「今回の和菓子も素晴らしかったよ。君の工夫には、いつも感心させられる」
隣を歩くカミルが、目元を和らげて言う。
「また僕の知らない世界を見せてくれたね。エリザベートは、本当にどこでそんな知識を手に入れてくるのか……不思議だよ」
穏やかな声音。けれどその奥には、純粋な驚きと、ほんの少しの探るような響きが混じっていた。
――そのとき、突然。
通りの奥で、何かが不自然に動いた。
人混みの中、笠を深くかぶった男たちが現れる。まるで狙いを定めたかのように滑るような足取りでこちらに近づき、私たちの前に立ちはだかった。
「――っ!」
胸が強く脈打つ。嫌な気配が、頸筋を伝って冷たく走った。
次の瞬間、乾いた叫びが響き渡る。
「外つ国の女を追い払え!」
叫びと同時に小さな火花がはぜ、焦げた布の匂いが鼻を刺す。
鋭い視線、殺気を孕んだ空気。ついさっきまで穏やかだった町の空気が、一瞬で塗り替えられていた。
私は思わずカミルの腕にしがみつく。手が震えて、心臓がうるさいほど跳ねた。
「カ、カミル! なにが起きたの!?」
「大丈夫。落ち着いて、エリィ」
カミルの声は低く、驚くほど静かだった。
そのまま周囲を見渡し、状況を瞬時に見極めている。
「きゃぁ!」
「姫様ッ!」
サクラの悲鳴が響いた。すかさずツキシマは前方に飛び出る。
襲いかかる影とサクラの間へ、迷いなく身を滑り込ませる。
刃が閃き、火花が散った。ツキシマの肩口に浅い傷が走るも、難なく男の一撃を受け止める。刀が鋭く弧を描き、相手の刃を弾いた。次の瞬間には体をひねり、男の勢いを利用して横へといなす。
「姫様ッ、俺から離れないでください。必ず、お守りしますゆえ」
ツキシマの動きには、一片の淀みもなかった。敵の刃を受け流し、体の重心をわずかに傾けて次の一手へ繋げるその姿は、まさに長年鍛え抜かれた剣士のそれだった。
私は息をのむ。冷静さの奥に潜む鋭い緊張、迷いなき足運び、気配すら断つような剣筋に目を離せない。
――だが。
路地の奥の闇から、別の男がぬっと姿を現した。その手から、黒い玉が放られる。
ぱん、と乾いた音とともに煙が弾ける。濃い灰色の煙が風に押され、一気にこちらへ押し寄せる。
咄嗟に息を吸った瞬間、喉が焼けつくように痛んだ。
「っ……!」
咳が込み上げ、視界が揺れる。
煙の向こうで、サクラのかすれた声が聞こえた。
「ツキシマ――!」
その瞬間、カミルが私の手首を掴み、そっと引き寄せる。
私の口元を覆うように、彼の手がすっと掲げられた。
「深く吸い込まないで! サクラ嬢も慌てず、浅く呼吸して――皆さん、風上に逃げてください!」
カミルの指示は、簡潔で明瞭だった。その指示に、混乱しかけていた町人たちも徐々に動き始める。咳き込みながらも歩幅を整え、煙の流れから遠ざかっていく。
私も浅く息を保ちながら、カミルに腕を引かれるまま煙の外へ抜けた。
視界がようやく晴れたころ――。
ツキシマは、私たちと敵との間に立っていた。その背は、まるでサクラを守るために立つ一枚の盾のようだった。どれほど刃が迫ろうとも、その背が退くことは決してない――そんな揺るぎない覚悟が滲んでいた。次々と刃を弾き、歩幅を乱すことなく相手の動きを封じていく。
私はただ心臓の高鳴りを感じながら、その光景を見守るしかなかった。
やがて、追い詰められた襲撃者たちは焦りを見せ、周囲の群衆へ紛れるように散り逃げていった。
私はまだ震える指先を握りしめたまま、肩を上下させていた。そんな私の背を、カミルの温かな手がやさしくさする。
ツキシマがゆっくりとこちらへ振り返る。刀を納め、深く息を吐く。
「もう大丈夫だ」
カミルも私の肩にそっと手を置き、安心させるように微笑む。
「エリザベート、怪我はないかい? めまいやしびれは?」
「だ、大丈夫よ」
私はゆっくり息を吐き出し、胸の奥に残る震えを落ち着かせる。まだ鼓動は速かったけれど、足元はしっかりしていた。
カミルはそんな私の様子を注意深く見つめながら、穏やかな声で続けた。
「ただの硝煙なら大事はないと思うけれど……念のため、あとで診察はしておこう」
「そうね。町の人たちの安全も確認した方が良いわ。それにしても……まさか異国で襲われるなんて。カミル、貴方がいてくれて本当に良かった」
絞りだすように出た言葉に、カミルは優しく頷いた。
そのすぐ近くでは、サクラがツキシマの腕を心配そうに見つめていた。
「ツキシマ、その傷……ッ」
「こんなの傷に入りません。ご心配には及びませぬ」
そっけなく言いながら、ツキシマはわずかに身を引く。まるで気に留める価値もないことだと言わんばかりだった。
だが、サクラの視線はなおも彼の肩口に注がれている。
「でも……、私を庇って負った傷よ」
「……姫様がご無事でしたら、それでよいのです」
その声音は淡々としていたが、サクラが怪我一つ負っていないことに心から安堵しているのが伝わってきた。
私はその様子を横目で見ながら、ふと口を開く。
「……一体、何だったの? あの人たち」
思わず漏れた問いに、サクラが唇を噛みしめながら答える。
「反発派、です」
「反発派? それはどういった集団なの?」
「ヒノモトは近年、ようやく開国しました。ですが……すべての者がそれを歓迎しているわけではありません。外の国との交流を快く思わぬ人々がいて、なかには武力ででも交流を止めようとする過激な者もおります」
「なんですって」
喉の奥がひやりとする。サクラは頭を下げた。
「今回のように、見せしめのような真似をして、外国人や交流に関わる者へ圧力をかけるのです。……危険な目に合わせてしまい、申し訳ありません」
艶やかな黒髪がさらりと前へ流れ、その小さな肩がわずかに震える。
ツキシマが落ち着いた声で続けた。
「心配はいらぬ。俺がいる限り、姫や客人が傷つくことはありませぬ」
低く落ち着いた声で告げられた声に、私はようやく肩の力を抜くことができた。
「……ツキシマの剣の腕は、素人の私の目から見ても見事だったわ。頼れる護衛がいて、心強かったわ」
そう言いながらも、言いようのない不安が胸の奥でじんわりと滲んでいく。
異国での文化交流。言葉も、価値観も、積み重ねてきた歴史さえ違う相手と心を通わせるのは簡単な話ではないのだと、思いらされた。
まさか、排他的な派閥まで存在するなんて……。
開国して間もないヒノモトでは、外国との取引はほとんど始まったばかりだ。私がどうしても欲しい米も、和菓子に欠かせない寒天も、輸入が安定する保証などどこにもない。
もし交流が滞ればーー、私の「お米を食べたい! 和菓子も食べたい!」という切実な夢も、ここであっけなく潰えてしまうかもしれない。
いや、それは困る。ものすごく困る。だからこそ、ここで退くわけにはいかない。
恐れと焦燥が胸の内で渦を巻く。けれどその中心に、ひとすじの熱が灯った。
「……絶対に、この国との交流を成功させてみせるわ」
ぎゅっと握りしめた手のひらに、爪が食い込む。
痛みが、覚悟を形にする。私は顔を上げ、花びらが舞う町道の先を見据えた。
次話ではツキシマとサクラの関係を深堀していく予定です。





