3話 まずは食事から
「そうと決まれば、調理人に相談しましょう!」
勢いのまま、私はサロンを飛び出して、石造りの階段を駆け下り、地下の厨房へと向かった。バターと香辛料の香りが立ち込めるその場所は、まるで戦場のように騒がしく、鉄鍋がぶつかる音が響いていた。
「あっ、料理長!お願いがあるの」
厨房の奥で包丁を振るう料理長がこちらを振り返る。
私ははっきりと言った。
「野菜を中心とした料理を出してほしいのよ」
料理長の太い眉が跳ね上がり、手にしていた包丁がまな板を叩いた。
「野菜を中心とした料理、ですか?……とんでもない!そんなもの、平民の食べ物ですよ!」
返ってきたのは、酷い反発。
無理もない。貴族の食卓といえば、肉と乳製品が主役。それに、地を這う野菜など、下賤なものとして扱われてきたのだから。
「……分かったわ」
料理人の言うことはもっともだ。貴族の食卓に平民の料理なんて出せるはずもない。けど、ここで諦める訳にはいかない。今の食事を続けていたら痩せることはまず無理だ。
「……なら、お父様とお母様の食事は今まで通りで構わないわ。代わりに、私の分は――そこのあなたが作ってちょうだい!」
「へっ!? ぼ、僕ですか……!?」
料理長の背後で鍋を磨いていた見習いの少年を指した。顔に小麦粉の跡が残るその少年は、驚きのあまりスポンジを落としそうになる。
「で、でも、僕、そんな料理は……。野菜を使ったスープなんて、ポタージュぐらいしか知りません!」
「ポタージュ?じゃがいもを溶かして作る、あれ?」
「は、はい。平民の屋台でよく見かけるやつです……」
顔面蒼白の見習いの少年に、にっこりとほほ笑む。
「いいわ、私が教える。あなたにはその手を貸してほしいの」
「お、おおお嬢様が!?」
「ええ。まずは野菜を揃えてもらえるかしら?」
私が挙げたのは――朝採れのレタス、艶やかな赤かぶ、青い香りのセロリ、そして玉ねぎと人参。厨房の片隅にあった野菜籠から、見習いがせっせと運んでくる。
「まずはスープから。玉ねぎを薄く、薄く、ええ、透けるように刻んで欲しいの。私が求めているのは香ばしさではなく、甘やかで深い味わいだから。油はほんの少し、玉ねぎが焦げないように、弱火で――あっ、今すぐ火を弱めて!」
見習いの少年が冷や汗をぬぐう間に、すぐに次の指示に移る。
「次は人参とセロリね。人参も細切りにして、スープに溶け込むようにしてちょうだい。セロリは茎だけを使ってね。葉はサラダに回すわ」
そう、無駄など一切出さない。今世では公爵令嬢だけど、前世の庶民のもったいない精神はまだ残っているのだ。
鍋の中で玉ねぎがしっとりと透き通り、甘い香りが立ちのぼる頃には、厨房全体が静寂に包まれていた。
「ああ、にんにくは潰して、香りづけ程度に。一気にではなく、やさしく注いで。野菜たちが驚かないようにね。あとは火にかけて、あくを丁寧にすくいましょう。あくは料理の邪魔者。けれど、それを取り除くことで、味も心も澄み渡るのよ?」
そしてスープを煮立たせている間に、サラダの準備に取り掛かる。
「さて、レタスは手でちぎってね。ダメダメ、包丁なんて入れたらせっかくの歯触りが台無しになっちゃうじゃない」
「そ、それでは野蛮では……?」
「私がそうしてって言ってるの!それから、きゅうりは薄く斜めにスライス。赤かぶも同様に、美しく。見た目は味と同じほどに重要よ?」
見習いの少年がためらいがちにドレッシングの用意に取り掛かる。
「待って。酢は先に入れて、それから油を加えてほしいの。塩は最後に。順番を誤れば、乳化も心も、うまく繋がらないわ。丁寧に混ぜて――そう、それが気品ある味というものよ」
サラダが仕上がる頃には、鍋の中のスープも黄金色に輝いていた。いつの間にか、周囲の料理人たちも手を止めてこちらを見ていた。
「布で濾すのも良いのけれど、今日は具だくさんのままにしましょう」
その方がボリュームもあって、満腹感も得られるわ。お腹が空いてひもじい思いをする事もない。
そして一口、銀の匙ですくって味見をする。口の中に広がる優しい味に思わず笑みが綻ぶ。私が求めていた、身体に優しくて心にそっと寄り添う味。
見習いの少年も恐る恐る味見をすると、表情を明るくする。
「野菜だけなのに、ちゃんと味がする!それに……美味しい!」
スープと言えば、牛や豚の脂を使ったどろりとしたスープが一般的だものね。この透き通ったスープは新鮮なようで、見習いの少年は目を輝かせる。
「野菜だけでもこんな美味しいスープが出来るんですね。この味……まるで、身体に染み渡るようです」
「ふふっ、でしょう?これからはこの野菜スープを毎日お願いね。他のレシピも、順に教えてあげる」
肉は脂身の少ない鳥の胸肉を使うこと。バターの代わりにハーブオイルを使うこと。砂糖の代わりに果物や蜂蜜を使うこと。そういった細やかな指示も忘れない。
――こうして私は、美味しく、楽しく、でも確実に、美しくなるための食事を始めたのだった。
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