第7話 人か魔か、天使ナターサ!
憧れのアイドルが、目の前にいる!
その事実に、五歳のゆみの胸は興奮でいっぱいになり、周囲に響く爆発音さえ耳に入らなくなった。
「あのね! あかりちゃんがピカピカして、りんちゃんがビリビリになって、イリアちゃんはお姫さまだったの!」
「ああ、ボクも驚いたよ」
「ナターサちゃんは何ができるの?」
「世界で一番かわいいことかな?」
「一番はあかりちゃんだよ!」
「ははは……」
一見、無邪気なファンとアイドルのやり取り。
だが、アラハバキだけは異変に気づいていた。
《こいつ……ゆみではなく、ワシに話しかけておる……》
神気を鎮め、気配を消しているにも関わらず、ナターサには通じていない。
五ツ星の中で、こいつが最も得体が知れない。
「ここは危ないですよ。早く避難した方が……」
ゆみの祖母が、おずおずと声をかける。
ナターサはツインテールを軽く払うと、微笑んだ。
「大丈夫。ボクがいる限り、君たちに被害は及ばないよ」
その言葉に嘘はなかった。
戦場と化した舞台周辺。爆炎が躍り、鋭い破片が飛び交う。
それなのに、ナターサの周囲五メートルだけは、まるで異空間のように静寂に包まれ、チリひとつ落ちてこない。
だが、なおも躊躇う祖母の耳元で、ゴスロリ・アイドルが囁く。
「嫌なら……四十五年前、君と浅野優美が聖アリス女子学園の教会で何をしていたか……ゆみちゃんに洗いざらい話してあげようか? あの頃、君は学園の王子様だとちやほやされて、優美はまだ十五歳になったばかりだったよね?」
「ど、どうしてそれを! どうか、それだけはやめてください……お願いです!」
顔を真っ青にして座り込む老女。
ナターサは、満足そうに笑った。
「いい子だ。ご褒美に耳寄りな情報を教えてあげる。君が行方を知りたがっていた優美だけど……二年前に、ガンで死んだよ。あの子は最後まで、君との関係を後悔しなかったし、恨みもしなかった。君があーんなに酷いことをしたというのに、ねえ?」
「うそ……うそ、うそよ……そんな、優美! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
突然、老女は泣き崩れ、自らの髪を掴んで引き抜き始めた。
「おばあちゃん! どこが痛いの? ゆみちゃんがハグしてあげる!」
ゆみが祖母に駆け寄る。
その隙に、ぬいぐるみのアラバッキーを、細い指が拾い上げる。
黒く長いネイルが、静かに布地をなぞった。
「さて、これでようやく二人きりで話ができるね」
《お前……何者だ?》
「おや? まだ分からないの? ボクは隠してるつもりはないんだけど……そうだね。もう一度、ボクの名前に注意してみたらどうかな? 例えば、逆さに読んでみるとか?」
アラハバキは、訝しげに従う。
ナターサ。
ローマ字なら Natasa……いや、Natas!
それを逆に読めば――
《ーー貴様っ! 地獄の王か!!》
「ご名答。島原の乱以来だね。大地の闇と炎の女王よ」
天使ナターサの赤い唇が、耳まで裂ける。
ペロリと現れた舌が、異様な湿り気を帯びて蠢いた。
ーー寛永十四年。
西暦にして一六三七年。
当時の九州、島原半島で大規模な農民の反乱が勃発した。
島原藩の藩主、松倉親子は残虐非道の暴君だった。
豪奢な城を築き、さらにはフィリピン侵攻を計画。
その莫大な資金を賄うため、領民に過酷な年貢を課し、払えぬ者は生きながら焼き殺す、という苛烈な仕置きを行った。
この暴政に対し、島原の百姓たちはキリシタンの聖童、天草四郎時貞を旗頭に武装蜂起する。
本来、辺境の小さな火花で終わるはずだった騒乱。
だが、キリシタンへの弾圧に耐えてきた者たちの鬱積した怒りが、この反乱の火に油を注ぐ。
やがて、騒乱は江戸幕府の将軍と諸侯が討伐軍は派遣するほどの大乱へと発展した。
そして――
最終的に、一揆勢八千人は餓死寸前まで追い込まれた末に玉砕。
元凶となった藩主は、大名として異例の斬首刑に処された。
この戦いは、日本の表舞台からキリシタンを一掃する契機となった。
だが、その惨劇の裏で――
キリスト教伝来とともに、この国へ潜り込んだ魔性の王が暗躍していたことを知る者は、ほとんどいない。
島原の乱に先駆けること十年前。
松倉重政は、一人の美しい小姓を召し抱えた。
人ならざる妖艶さを持つ少年の名を、曙之助と言った。
古い資料の中には、重政がこの美童の色香に狂い、血に餓えた暴君と化したと記されたものもある。
それから四百年近くの時が流れ――
今、眼前で、あの時と寸分違わぬ美貌が笑っている。
アラハバキは、込み上げる苦い感情を噛みしめながら低く言った。
《……あの折は、ワシの縄張りをずいぶんと荒らしてくれたものよな》
「君もキリシタンたちには手を焼いてたじゃないか。それを始末してあげたんだ。感謝されど、怒られる筋合いはないよ」
ナターサは足を組み、流し目で艶やかに笑う。
「僕もあの後、大変だったんだよ。親父に呼び出されて、大目玉を食らった。『やりすぎだ、馬鹿者が!!』ってね。こっちは神の『告発者』として仕事をしただけなのに……酷い話だよね?」
《今度は何を企んでおる。あの宇宙人も貴様の仕業か?》
「まっさかーー!!」
ナターサは肩をすくめ、鼻で笑う。
「あの面白エイリアンどもには、こっちもビックリしてるさ。自称・世界の創造主の糞親父が、あの連中を見たらどんな顔をするやら……」
喉の奥で、くくく、と嗤う。
「今の僕はただのアイドル兼プロデューサー。君が言う大魔王の称号も、辞表と一緒に返上したよ。気にするのは、自分が企画したイベントの出来栄えくらいだ。その意味じゃあ……今回のお祭りは、予想外のアクシデントはあったけど、大成功だったね。お客さんは大いに楽しんでる」
《とても、そうは見えんがな……》
五ツ星の少女たちは奮闘していたが、周囲にはまだ数百体の円盤獸が残り、人々はその触手や杭のような足から逃げ惑い、悲鳴を上げていた。
「生と死の狭間でしか味わえないエンターテイメントってやつだよ。でも、僕が一つだけ気に食わないのはね……」
ナターサがするりと手を伸ばし、鋭いネイルをアラハバキの宿る人形の布地に突きつける。
「せっかくパーティが盛り上がってるのに、どうして祭りの主役が、壁の花を決め込んでるのかな?」
《余計なお世話だ。あのUFOどもの相手なら、お前の仲間たちだけで十分。ワシの出る幕はあるまい……》
アラハバキの声は固い。
侵略者に追われ、泣き叫んでいるのは、彼女を慕う参拝客たちだ。
なのに、この体は釘付けされたかのように、動かない。
誰よりも、そのふがいなさに苛立っているのは、荒御魂の王自身だった。
「なら、いいんだけどね……」
ナターサは意味深に口角を上げる。
「あかり達はよく頑張ってる。正直、僕も予想外だった。でも――
正しい奴が勝つとは限らないし、優しい者が生き残るとも限らない」
一瞬の沈黙。
「それは、君が一番よく知っているだろ、アラハバキ。」
《……どういう意味じゃ……!》
「そろそろ、あのお祭り男爵のかんしゃく袋の緒が切れて、切り札を出す頃だよ」
《なんじゃと!!》
その時、異様な金属音が、戦場の大気を震わせた!




