第2話 え、ちょっと待て!!
『――ご覧の通り、現在都心ではUFOの目撃が相次ぎ、発光して飛行する少女の姿も動画サイトに投稿されております……』
隣家のテレビの音で、アラハバキは目を覚ました。
しばしの混乱の後、自分がどこにいるのかを思い出す。
古びた民家に飾られた、小さな神棚。
それが、かつて 荒御魂の王として恐れられた戦神の終の棲家。
神棚の中に祭られた素焼きの人形が、今のアラハバキの依代であった。
そして、つい一週間前、最後の巫女が、この世を去った。
窓から差し込む夕陽が、またうたた寝をしていたことを知らせる。
最近では、起きている時間より、眠っている時間の方が長くなった。
見るのは、いつも同じ夢。
己が最も煌びやかで、強かったあの夜の宴。
そして 、クマソタケルの死。
あの日を境に、アラハバキの神生は凋落の一途をたどった。
熊襲の国は、大和の不意打ちから立ち直ることなく滅びた。
生き残った民を率い、南九州の海辺へと退いたアラハバキは、万策尽き、大和王朝と天津神の軍門に下る道を選ぶほかなかった。
降伏した敵の主神への仕打ちは、無惨なものだった。
社と祠は破壊され、御神体は砕かれた。
信者は捕らわれ、追放され、ついにはごく一部の隠れ信者を除き、九州の地から アラハバキの名を知る者すら消えた。
それだけではない。
彼女はセオリツヒメという名を押し付けられ、 天津神の首魁 アマテラスに嫁ぐことを強要された
力を奪われ、家を壊され、名を捨てさせられ、
怨敵の妻に身を落とす。
凄まじい苦痛だった。
耐えがたい屈辱だった。
それでも、アラハバキは すべてを呑んだ。
愛するタケルが遺した熊襲の民と大地を守るために。
《……だが、大和の王も神も、ワシらを慮ったことなど一度もなかった。》
アラハバキが望んだのは、
地方の気風を保った 緩やかな封建社会だった。
だが、高天原が目指したのは、
大和王朝を中心とした中央集権の律令国家。
"拒む者" はどうなったか。
彼らは、新たな移住者のために 、鉄の武器で脅され、土地を追われた。
山の闇をさまよい、
獣とも鬼とも蔑まれる、末路わぬ流浪の民となった。
臣民への仕打ちに耐えかね、
アラハバキが 夫と子を置いて高天ヶ原を飛び出したのは、千年前のこと。
それからは一介の荒神に戻り、
大和に叛く者たちに 力を貸し続けた。
藤原純友の乱に一枚噛み、
崇徳上皇が魔界へ転生するのを手伝い、
戊辰戦争では薩摩軍に惜しげもなく 加護を与えた。
――そして、太平洋戦争末期。
日本と帝都東京の破滅を願う、謎の魔人、佐伯晴明の流言に乗せられ、
アラハバキは妖怪や怪異に身を落とした荒神たちを率いて、高天原へ攻め込んだ。
最後の悪あがきだった。
アマテラスの首まで、あと一歩迫りながら、またしても 武神タケミカヅチに阻まれた。
敗北し、傷ついたアラハバキは九州へと逃げ帰り、
わずかに残った信者の信仰を啜りながら、今日まで生き長らえた。
そして先週、神代から受け継がれる伝統を守り続け、アラハバキ神の祭事を律儀に執り行ってきた八戸神順子――最後の巫女が、静かに息を引き取った。
もはや、この故郷で、荒ぶる神の王の真名を知る者は誰一人いなくなった。
人の信仰がある限り、神は容易に死なぬ。
それは同時に、信じ敬う者を失った神が、生き延びるのは不可能なことを意味する。
今のアラハバキは、まるで風前の灯。
順子が遺した残留思念のおかげで、辛うじてこの世にしがみついているに過ぎない。
『合い続く都市伝説と怪異の衝撃報告!目撃者を救ったとされる謎の剣客の正体とは? 今回は超常民俗学の権威・新井先生にお越しいただき……』
何と、胡散臭い報道だ。
近頃のマスコミは、現実と夢の区別もできなくなったのか?
そういえば、「浪速の事は夢のまた夢」と詠んだ戦国武将は誰だったか。
思えば、我が千年にわたる復讐譚も、まるで浮世の一抹の夢のようであった。
そして、夢ならば、いずれ必ず醒めなければならぬ時が来る。
順子が遺した念も、今やほとんど燃え尽きた。
次に目を閉じれば、二度と醒めることはないかもしれない。
願わくば――
黄泉比良坂を降り、根の国へ向かう時に、またあの愛しく、懐かしい人々に再会できるように……。
アラハバキの意識は、少しずつ泥のような闇に沈み行く。
その時、突然、部屋に灯った明かりが、消えかけた神を強引に現世へと引き戻した。
《無粋者め!せっかく良い感じに神生を締め括ろうとしていたのに、邪魔をしおって……おや?》
二人の男が部屋に入ってきた。
一人はアラハバキにも見覚えのある、近所の駐在。
もう一人は背が高く、すらりとした体つきの、大学生ぐらいの若い男だった。
《あれは確か、東京に嫁いだ順子の妹の孫の……》
「ああ、武司くん。ここが順子さんの寝室だ。全部手付かずのままにしてある」
《おお、そうじゃ! タケシじゃ、タケシ! すっかり大きくなったのう。この前見たときは、まだ小学生じゃったのに……》
さっきまで消えかけていたことも忘れ、親戚のおばさんと化す戦神さま。
もし実体があれば、飴ちゃんのひとつでも渡していたことだろう。
「それじゃ、鍵は渡しておくから、遺品の整理、頑張ってね」
「ありがとうございます。パトロール、頑張ってください。俺はーー」
突然、武司と目が合った。
アラハバキは飛び上がりそうになった。
《まさか、こやつワシが見えるのか!》
期待と恐れが同時に胸に湧き上がる。
だが、すぐに違うと気づいた。
武司の視線の先にあったのは、アラハバキの 神棚そのもの だった。
「武くん? 神棚がどうかしたか?」
「神棚というのは普通、南向きか東向きに設置されるものです。なのに、この神棚は西向きに置かれている……」
《ほう、鋭いのう。ワシは、東の方向にある、アマテラスも伊勢神宮も見たくないから、西向きに置かせておるのじゃ》
武司は拝礼すると、神棚の扉を開け、中にあるものを取り出した。
「ちょっと止めなさい! 罰当たりな! 順子さんが単に向きを間違えただけじゃないのか?」
「位置だけじゃないんですよ。普通、神棚には神社から頒布された神札が祀られているはずです。ですが、この神棚の御神体は……」
武司は宮形の中から、 持ち出した素焼きの人形を明かりに掲げた。
《こ、これ! 神とはいえ、ワシも乙女ぞ! そんなにジロジロ見るでない!》
「これは……遮光器土偶、なのか?」
「土偶? 古墳から出てくる、あの?」
「はい。遮光器土偶は北海道から東北、関東、近畿と日本各地で発見されますが、不思議なことに、九州だけには出土しないんです」
「へえ、そんなもんなのか?」
「一説では、古代の女神を象ったものだとも言われていますが、何の神なのかは未だに不明。ただ、通常は 手足が欠けた状態で発見 されるのに、これは完全な形で残ってますね……」
「詳しいね……ていうか、君、すごい早口で話すねえ」
「すみません。大学院で考古学を学んでいるものでーー」
武司は恭しく御神体を神棚に戻すと、今度は押し入れに向かい、襖を開けた。
中の荷物をすべて引っ張り出すと、床下に隠された 金庫 が現れた。
《あれーー! 破廉恥な! それはワシの大事な祭具と儀式の巻物ぞ! 置け! 置かぬか!》
慌てたアラハバキ、霊体の拳で武司の頭をポカポカと殴る。
――が、当然ながら手応えはない。
《こやつ、巫女の血を引きながら、ワシの声が聞こえぬのか!》
よほど武司に霊感がないのか、それともアラハバキ自身が弱りすぎているのか。
恐らくは、両方だろう。
かつて 大地を揺るがし、火山をも操った大神の、この体たらく。
アラハバキは、思わず泣きそうになった。
だが、そんな祖霊の嘆きも知らず、武司は 祭具を調べ、巻物を開き、読むは読むは、外が真っ暗になるまで読み続けた。
しびれを切らした駐在が、おずおずと口を開く。
「武司くん? そろそろパトロールに戻らなきゃいけないから、失礼するよ」
「あっ、申し訳ない! お茶のひとつも出さずに……!」
武司は顔を赤らめ、頭を下げた。
駐在は苦笑し、首を振る。
「いやいや、お構いなく。しかしそんなに熱心に読み込むとはな。宝の地図でもあったのかね?」
「ええ、ありましたよ」
武司の目が、興奮に輝いた。
「日本の歴史を揺るがすような、お宝の山が!」
――まさか、そんな大げさな。
その場にいた 武司以外の全員 が、そう思った。
しかし、それは決して 大げさではなかった、 のである。
熊襲王国に関する、未知の詳細な記録。
その 主神がアラハバキであり、遮光器土偶のモデルとなった という衝撃の事実。
考古学会は騒然となり、異を唱える者も多かった。
しかし、鹿児島県の 長波木神社をはじめ、他の神社からも、
その由来すら忘れ去られた 祭具や古文書が大量に発見され、
巻物の内容や 放射性炭素年代測定の結果が完全に一致したことで、
反論の声は 、瞬く間に興奮の歓声へと変わった 。
やがて、考古学界を越え、世間の関心をも巻き込み、
とうとう テレビで特集番組が組まれることとなる。
出演の白羽の矢が立ったのは――
この発見を世に知らしめた張本人であり、 顔だけは良い庭部武司であった。
「…と、このように、高天原系と出雲系の二大神話以前に存在し、日本全土で信仰されていた可能性のある、アラハバキ系とも言うべき新たな巨大神話群の存在が、今回の発見によって明らかになったのです」
武司は、知識のない視聴者にも分かりやすいように、大きめのフォントとイラストを多用したバーチャル掲示板を使いながら説明した。
すっきりと髪を整え、髭を剃り、新調した眼鏡をかけた彼の姿は、テレビ映えする美青年そのものだ。
元お笑い芸人の司会者は、薄笑いを浮かべながら問いかけた。
「大変、面白いお話をありがとうございました。ところで、今回の発見で邪馬台国について何か分かったことは?」
「え、なんでここで邪馬台国の話が?」
司会者は、まるで「しょうがないなぁ」とでも言いたげに肩をすくめる。
「古代日本史と言えば、邪馬台国でしょう? その巻物の中に、場所のヒントか何かありませんでしたか?」
「……ふっ」
「庭部さん?」
「ふっざけんじゃねぇぇぇ!!!」
「ぎゃあああああ!!!」
突如としてちゃぶ台返し!
やる気も知識もない司会者を、容赦なく襲う歴史オタクの怒り!!
「てめぇ、俺の話聞いてたか!? 邪馬台国は三国時代の魏の歴史書に出てくる国だろうが! こっちが見つけたのは、日本で書かれた日本の資料だ! しかも邪馬台国は二世紀頃の話で、熊襲の国の話は四世紀頃! 時代が掠りもしねぇよ!! もし分からねぇなら、身体に教えてやらぁ!!」
「ひえええええ!!!」
「ご乱心! 出演者ご乱心!!」
撮影スタッフが飛びかかるが、その程度で武司は止まらない! 止められない!!
「よく聞けぇ!! アラハバキは荒覇吐とも書き、日本全土で道祖神として信仰されていた痕跡がありながら、いまだ謎多き神だった!その正体については、神武天皇と戦ったナガスネヒコや、アマテラスの分身にして妃でもあるセオリツヒメとの関連が指摘されていた!」
襲いかかるスタッフを右に左に叩き伏せ、なおもマイクを握って喋り続ける。
「それが! 今回の研究で、熊襲の主神であり、踊りと歌を司る戦神でもあったことが判明したんだ!しかも巻物には、太古から伝わる舞の型まで記されていた! 今から見せてやる!!」
武司は、不思議な踊りを踊った!
番組を見ていたアラハバキは、混乱した。
テレビの前の視聴者も混乱した。
しかし、視聴率は爆上がりした!
その後、番組の一部を切り取った映像が、アイチューブなどの動画サイトに本人の許可なくアップされ、再生数は瞬く間に一千万を突破。
まだまだ増え続けーー
ーーそして、一ヶ月が過ぎた。




