第10話 産土神《ウブスナガミ》
最初に焼けるような熱。
次いで、殴りつけるような衝撃と耳をつんざく爆音。
その後に訪れたのは、奇妙な静寂だった。
《――ゆみ! ゆみは無事か!》
もうもうと立ちこめる土煙の中、アラハバキは自分を抱いていた少女の姿を探す。
ゆみは……無事だ。
その祖母も、擦り傷や火傷こそあれ、大怪我はない。
だが――。
「たけっち! しっかりしろ!」
雪子の悲痛な叫びが響く。
庭部武司が、埃にまみれ、地に伏していた。
武司は、とっさに二人を爆風から庇い、自らを犠牲にしたのだろう。
パイプ椅子の破片が背に突き刺さり、ジャケットに黒い染みがじわりと広がっていく。
小さな神棚で朽ち果てていた自分を見つけてくれた、あの男。
荒神の王を祀る、最後の巫女の末裔の血が、泥に混じって地面に染み込んでいく。
雪子が、親友の腕を抱えて立たせようとする。
武司は力なく、彼女の細い肩を押し返そうとする。
「……駄目だ、雪子。立ち上が、れない……早く、安全なところへ……」
「うっせーわ! アタシの筋肉がないのは知ってんだろ! 集中の邪魔すんな!」
「わ、私もお手伝いを!」
「ゆみちゃんも、ゆみちゃんも!」
爆発の衝撃で正気を取り戻した祖母がもう一方の腕をつかみ、幼女が顔を真っ赤にして武司の服を引っ張る。
三人がかりで青年の体を動かそうとした、その時――。
ドンッ。
腹にこたえる重い振動。地面が揺れる。
顔を上げた三人の目の前に、金属の足が突起を光らせ、大地を踏みしめていた。
【手間をかけたが、ようやく大人しくなりましたな……】
跡形もなく破壊された舞台の上に、五ツ星の少女たちが倒れていた。
斬魔士の剣も、魔法少女の杖も地に落ち、異星の皇女は意識を失っている。
イリアの回収へと、アルルカンが百剣の巨人を進ませる。
その進路には、武司たちがいた。
男爵は意に介さなかった。
未開の星の蛮人など、銀河帝国の貴族の前では虫けらに等しい。
虫を踏み潰すのを恐れて歩く貴族など、存在しない。
何かをしなければ、と思った。
だが、何をすればいいのか分からない。
血に塗れ、地に伏す武司を見たときから、アラハバキは古い記憶の檻に閉じ込められていた。
満月の祭りの夜。
血に染まり、倒れ伏すタケル王。
鬨の声を上げながら迫る敵兵。
彼女の名前を呼び、助けを求める、
多くの、あまりに多くの声たち。
頭は真っ白になり、思考は痺れ、ただ立ち尽くす。
《ワシは、この地の神じゃ。だが……神は無力じゃ。祈りも願いもなければ……》
人間たちは、大切な人を抱き締め、迫る終焉に備えるしかなかった。
――ただ一人を除いて。
ゆみが、アラハバキのぬいぐるみを抱き上げた。
地鳴りを立てて迫る巨影に向かい、小さな体を震わせながらも、真正面から立ち向かう。
大粒の涙を浮かべ、唇を噛み締め、それでも目を逸らさない。
その瞳に宿る、不動の意思。
その光が、アラハバキの遥か昔の記憶を、ゆっくりと、鮮やかに蘇らせていく。
あれは三万年、いや四万年ほど前であったか。
氷河期、日本列島が大陸と陸続きだった時代。
アラハバキが、まだ大神ではなく、名も無き地の御霊に過ぎなかった頃。
ある日、見慣れぬ生き物、人間たちが、彼女の宿る山の洞窟に辿り着いた。
荷を下ろすや否や、彼らは山の霊に捧げる祭りの支度を始めた。
当時、祭りはただの行事ではなかった。
歌は、恐怖を切り裂く刃。
楽は、絶望を防ぐ鎧。
神を祀るとは、命を奪う寒さと闇に抗う、戦そのものだった。
ゆえに人々は、全身全霊で歌い、命をかけて、毛皮を貼った粗末な楽器を打ち鳴らした。
それは、生きるための、魂の叫びだった。
その熱狂の中、一人の影が群れから離れ、洞窟の入口へと向かった。
名は、よく思い出せない。
ゆみと同じくらいの年頃だったと思う。
その子は、母を産声と引き換えに失い、
父は、吹雪の森へ狩りに出たまま、帰らなかった。
家族のぬくもりの名残は、手にある素焼きの人形だけ。
肉親を失った子にとって、祭りの歓喜は痛みでしかなかった。
少しでも心を冷まそうと、火の届かぬ入り口へ向かい――。
彼女は、異変に気づいた。
篝火の明かりが作り出した濃い闇の中、無数の光る目が蠢いていた。
見張りの若者の姿はなく、辺りに満ちるのは、生臭い血の匂い。
だが、部族の者たちは歌に酔い、踊りに夢中で、何一つ気づいていない。
声を上げれば、真っ先に裂かれるのは自分。
手には、武器となる石つぶて一つすらなかった。
それでも――
彼女は、毛皮をまとった死の群れと、愛する者たちの間に立った。
その姿が、今、アラハバキの目にはゆみと重なって見えた。
――吹きすさぶ雪風と、野獣の牙に立ち向かった少女。
――焦熱の爆風と、剣の巨人に立ち向かう少女。
――腕には、土で形作った神の人形を。
――腕には、布で縫い上げた神の人形を。
――曇りなき心で、口にする。
――惑わず、疑わず、ただ一つの言葉を。
ーー祈りを……
ーー願いを……
「「助けて、神さま!」」
そして神は、その声に応えた。
傷つき、倒れた者たちは見た。
四人の人間を踏み潰そうとした剣の巨人が、落雷のような衝撃とともに姿を消すのを。
逃げ疲れ、絶望に沈んだ者たちは見た。
自分たちを脅かした異星の貴族が、無様な悲鳴を上げながら、その機神ごと次元の壁に叩きつけられるのを。
そしてその夜ーー。
神社にいた全ての者たちが耳にした。
魂と骨を震わせる、その足音を!
ーーードンッ!!
「……うっそーん!」
天城あかりが口を開けたまま、自分たちを飛び越えた白い巨体を見上げる。
ーーードンッ!!
「ああ……歩いてる。動いてる!アタシのラース・スピリット……!」
白鳥雪子が、涙と鼻水とその他もろもろの体液を流しながら、感嘆の声を漏らす。
ーーードンッ!!
ゆみが全身全霊を込めて叫んだ。
「ーーアラバッキー!!」
ーーードンッ!!
身長二十メートル!
体重五十トン!
白い小山のような、巨大アラバッキー像が、大地を揺るがしながら進む。
超音速で殴り飛ばした、その敵に向かって。
見よ!
神殿の白柱のごとき腕が、顔を撫でる。
閉じられていた目が開かれ、灼熱の怒りがその奥に灯る!
【オ、オルゴン値、三十万だと!? 貴様、何者じゃあ!!】
狼狽しつつ機体を立て直すアルルカン男爵の問いに、
煮えたぎる溶岩のごとき怒声が返ってくる。
《ーーアラハバキ! この地の産土神なり!!》




