第1話 荒ぶる神の王、アラハバキ
夜ーー。
大輪の満月が、冴え冴えと咲き誇る。
檜の大舞台の上で、少女が舞う。
腕を振るえば、白い衣が群雲のようにたなびき、
長い脚を翻せば、足首の鈴が星のごとく金の音色を散らす。
眼下の群衆は、松明を振り、獣のように吠え、足を踏み鳴らしている。
千年、万年の昔から繰り返され、千年、万年の未来へ続くであろう光景。
ここは熊襲の国。
後の世に九州と呼ばれるこの地は、猛々しき戦闘民族・隼人の住処である。
舞台を囲む老若男女は、ことごとく我を忘れ、汗にまみれ、恍惚の渦に呑まれていた。
それも当然のこと。
舞う少女は、人にして人にあらず。
選ばれし巫女の肉の衣をまとい、神降ろしを果たした
熊襲の主神にして戦神たる アラハバキなのだから。
今宵は、めでたい祭りだ。
熊襲のタケル大王が、侵略者・大和の大軍を討ち果たした戦勝の宴。
御神を迎える新しき社と館も、ようやく完成した。
神を楽しませると書いて 神楽と呼ぶ。
また、神が楽しませると書いても 神楽と呼ぶ。
楽士たちの音が最高潮に達した刹那、アラハバキは跳んだ。
月へ届けとばかりに――。
地鳴りのような歓声が轟く。
戦神は、陶然としていた。
この 巫女 は良い。
若く、しなやかで、鋭く狼のように駆け、小鹿のように跳ねる!
己を敬い、信じる民の信仰を味わいながらも、
アラハバキの視線は、新しき社の闇に据えられていた。
そこにいるのは、腰を下ろし、杯を傾けている一人の男。
《タケル!ワシのタケルよ!いつまで待たせる気じゃ! 早うこっちへ来て、一緒に踊らぬか!》
戦神の寵愛を一身に受ける男こそ、 万夫不当、百戦不敗の豪傑、クマソタケルである。
彼が輪に加わるのは、いつも最後だ。
だが、一たび舞えば、その神楽は誰よりも見事。
今宵、熊襲の王と神は、
臣民と月の見守る中で舞い、社で褥を共にする。
――そのはずだった。
《タケルめ、このワシを捨て置いて、いつまで婢などと戯れておるのじゃ……》
篝火に隠された闇の中で、
クマソタケルの逞しき体と、若き婢のしなやかな肢体が重なって見えた。
英雄は、色を好む。
すでに幾人もの妻がいながら、また新たな婢に手を出すつもりらしい。
大神たる身で、人の娘のように妬くつもりはない。
……が、それにしても度が過ぎるのではないか?
アラハバキが僅かにへそを曲げた、その時――
《タケル? タケル、何事じゃ!》
突如、冷たい悪寒が、神の足を止めた。
信仰と信頼で結ばれた 大王との絆 が、激痛とともに断ち斬られた のだ。
絡まり合っていた二つの影が、ほどける。
熊襲の王の体が崩れ落ち、
黒き液体が、真新しき社の床を濡らした。
「くせ者!何をするか!」
隣に控えていた王の弟が、剣を抜く。
タケルには及ばぬものの、名の知れた勇者である。
だが、小さき婢は、血濡れの刃でその剣を受け、隠し持った短剣で一閃。
弟の心臓を貫いた。
まるで 雀蜂の一刺しのような、凄まじき早業。
ようやく、熊襲の民が異変に気づいた。
御神の目を追い、社の方へと顔を向ける。
無数の視線を浴びながら、篝火の中、婢が進み出た。
名刀のごとく鋭き美貌を持つ少女。
いや、これは――!
「熊襲のタケル王は、この大和の王子・オウスノミコトが討ち取った!死の間際、王は我にタケルの御名を授けた。よって、今より名乗る――ヤマトタケルとな!」
《ふざけるなああっ!》
アラハバキは 巫女の喉も裂けよと絶叫した。
舞台を囲む篝火が、神の怒りに煽られ天を突く火柱と化す。
《ワシのタケルを騙し討ちにしただけでなく、名まで奪う気か!サニワよ、我が蛇剣を持ち来たれ!》
審神者に手を伸ばし、武器を求める。
《大和の小ネズミめ、そこに直れ!その素っ首を切り落とし、薄汚い口と舌を縫って、父親へ送り返してくれる!》
神の激怒をまともに浴びながらも、若き王子は 不敵に笑う。
「残念ながら、荒御魂の王よ。御身の願いは叶うまい。父王が、かような死地に、私を一人で送り込んだとお思いか?」
《何だと!?》
その時、社と舞台を囲む森の中から、鬨の声が沸き起こった。
矛を構えた 大和の軍勢 が、篝火の光に照らされる。
何たる不覚!
森の戦に長けた熊襲の民が、祭りの熱狂に呑まれ、敵の接近を許すとは!
怒れる神が、王子の首を狩らんと舞台を飛び出した、その頭上で黑雲が渦巻き、雷が剣と化して炸裂した。
高天原最強の武神 、タケミカヅチの到来である!!




