筑前煮
小説家になろう初投稿なのでよくわからないところあるけど許してね
筑前煮
終戦の報が入ったのは、十二月の暮れのことだった。
街頭には国旗をもってその知らせを祝い、人々は戦勝の高揚に酔っ払っていた。万歳三唱を叫んで
そのなかでもお式という女性は非常に冷静だった。いまだに夫の姿を見ていなかった為だった。
夫である正次郎が連れられた戦線がどこだかは分からなかった。最後に手紙が届いたのは二年前のことである。少なくとも死亡告知書とやらは来ていないから、死んではいないのだろう。だが、生きているとも分からなかった。ある戦線では人を人でなくする毒ガスが使われたとか、怪物どもがうごめき合っているだとか風説が飛び交っていた。そのことを不安に思おうとも、言えぬままに夫のいない台所を粛々と守っていた。
夫は極めて無口な性質だった。新聞社で記者として勤めていた。
仕事の疲れからか、家ではほとんど黙っていた。夜遅くに家へ戻って何も言わずに飯を食べ、風呂に入り、寝る。起きて適当な朝ご飯を無口で食べ、そのまま出社する。嫌になるほど規則正しい生活を繰り返していた。これでは、どうして学生の頃、彼に一目ぼれしてしまったのか、お見合いまで断ってまでわざわざその人を選んだのかよく分からなくなってしまいそうになる。
それでも、お式は夫を嫌いにはなれなかった。お式の特異な料理だった筑前煮だけは、必ず褒めてくれたのだ。
「しき……君のこの筑前煮は本当に好きだ。また早いうちに食わせてはくれないか」
異様なほどに寡黙な夫が、筑前煮を前にしては恋に燃える学生のように、月並みながらも誠実な言葉で褒めてくれるのが何よりもうれしかった。その時の誠実な瞳は、お式の
だから、もう一度だけ、会いたいのだ。
どんな姿になってでも、筑前煮を食べてもらいたかった。
夫が居なくなって以来、毎日毎日、夕食に筑前煮を作り続けていた。それが夫との精神のつながりの証そのものであった。統制下でぜいたく品が規制され、煮物の食材が芋ばかりになっても、作り続けた。
ただ、帰って来るのを待ち続けたのだ。
あくる日の朝、家の前に軍用トラックが止まった。
お式は何事かと思い表に出る。トラックは土煙を吐いて走り去っていた。
目の前に、一人の男が立っている。土だらけの軍服、ボロボロの軍靴。彼を見送った時の勇ましさはなかったが、それでもそれはお式の待ち望んでいた人だった。
熱い抱擁に、情熱的な接吻。ずっと待ち続け、貞淑で冷静であることを装い続けた、そんな彼女の糸が切れる音がした。
「ただいま、正次郎さん」
ぼろぼろと涙がこぼれる。何度も、何度も人目をはばからず接吻をする。淫らだと後ろ指を指されることも構わずに抱きしめ続ける。
夫は何も言わない。ただ、黙ってその愛を受け止め続ける。
「正次郎さん。ささ、筑前煮、筑前煮ですよ。今作りますからね。」
お式の華奢な腕は正次郎の腕に抱きつく。正次郎は軍帽を脱ぎ、静かに一礼した。そして、お式に連れて行かれるまま、静かに家の中に入った。
近所の人々の井戸端会議。
「――――あの人、気の毒よねぇ。あんな姿で帰ってきて」
「ヒロポンでもやってるのかしら。あの奥様。あんな怪物、愛せるなんてねぇ」
「狂ったのよ。あそこの奥様は。人ならざる人間かぶれになったのを正面から見られなかったのよ。南の方であんな目に遭った人の遺族にはムラサキ手紙、届くっていうからねぇ。やっぱきついのかしら」
「しわがれた腕、骸骨のような顔、死人の臭い……あらやだ、考えるだけでも吐き気がするわ……」
「いっそのこと、死んでくれてた方が、幸せだったのにねぇ――――」
めいめい勝手にしゃべる、そんなある冬の昼下がり。
二人が報われる日は来るのだろうか。
完
おしゃき様に謹んで志納する
令和六年十二月二十四日
追記
挿絵はキノ氏による