第13話 妹弟子にビビる探偵
19時30分。
守谷探偵事務所の前に着いた。
たぶんだけど、誰にもあとをつけられていない。
「さっき、誰に連絡していたんですか? 守谷さんですか?」
愛理に連絡をした。万美を変装させる為に。変装させないと、どこから犯人が狙っているか分からない。それに変装させたら自由に行動ができる。
誰に変装するかは画像を送ったから大丈夫なはず。
「違うよ。俺の義理の妹みたいなやつに連絡してたんだ」
俺と愛理の関係を説明するのは色々と面倒だ。
「義理の妹みたいなやつ?」
万美は不思議に訊ねてくる。
「君が自由に行動できるようにする為の道具を持って来てくれるんだよ」
「どんな道具なんですか?」
「それは説明するより体験する方が分かりやすいからそれまで待ってて」
「わ、分かりました」
俺はドアを開ける。そして、万美と一緒に事務所に入る。
「帰って来たか。その子は?」
守谷は俺達が帰ってきたのに気づき、執筆を中断して訊ねてきた。
「……表崎千尋さんの妹、万美です」
「表崎万美です」
万美は自己紹介をした。
「そうか。色々とあったんだな」
「あぁ、色々とあった」
「説明してくれ。お茶とかは私が淹れるからソファに掛けたまえ」
守谷はデスク前の椅子から立ち上がり、冷蔵庫の方へ向かう。
「あ、ありがとうございます」
気が遣えるのか。本当にお前は守谷か。守谷に変装した誰かか。いや、守谷に変装するのは俺の仕事か。まぁ、今はそんな事どうでもいい。
「ありがとうございます」
俺と万美はソファに座った。
「どうぞ」
守谷は俺と万美の前のテーブルの上にお茶が入ったコップを置いた。
「すみません」
「ど、どうも」
ど、毒は入っていないよな。なんでだろう。普段優しくない人に優しくされると怖い。
万美は何の疑いもせずにお茶を飲んだ。
毒は入っていないな。そりゃそうだよな。守谷が俺達を毒殺する必要はないもんな。俺ってば、何変な事を考えていたのだろう。
俺はコップを手に取り、お茶を飲んだ。
冷たい。身体中に染み渡る。数時間ずっと気を張っていたからお茶が普段より美味しく感じる。
俺はお茶を飲みきり、テーブルの上に空のコップを置いた。
「二人とも落ち着いたようだな。何があったか教えてくれ」
守谷は訊ねて来た。
「……表崎さんの自宅が何者かによって燃やされた」
「燃やされた……それは万美さんと千尋さんが追っていた事件に関わる資料などを消すためだろ」
「俺もそう思う。警察に万美の事は連絡するか?」
「いや、今はしない方がいいだろう。今回の事件に限っては信頼できるのはここに居る三人と石裏さんぐらいだ。犯人が分かるまでは連絡しないでおこう」
守谷はこの事件に警察が絡んでいるかもしれないと思っているのだろう。俺もそう思う。証拠はないが。直感が「そうだ」と言っている。
「……だな」
「他には何か分かった事はあるのか?」
「千尋さんが万美さんに変な事を言っていたみたいなんです」
「変な事?」
守谷の眉毛がぴくりと上がった。
「はい。『もし、私が死んでもお父さん達のお墓には入れないで。二人にしてあげたいの。そこに想い出も何もかも入ってるから。それに私は親不孝ものだから』と」
「……想い出も何もかも入ってるからか。何かありそうだな。万美さん。ご両親のお墓の場所は知ってるかい?」
「はい。毎年姉と行っているので」
「そうか。じゃあ、有瀬。明日、そのお墓を調べに行ってくれ。何かきっとあるはずだ」
「了解。俺も怪しいと思ってたんだ」
やはり、俺が思っていた違和感は間違いではなかった。
「わ、私も行きます」
「それは辞めた方がいい。いつ襲われるか分からない」
守谷は正論を言った。
万美は俺の方を見てくる。
「それは大丈夫です。変装させるので」
「変装させると言っても服とかはどうするんだ?」
「持って来てもらいます」
「誰に?」
「俺の妹弟子に」
「……妹弟子?」
守谷の声はどこか焦っているような気がする。
「はい。もうすぐしたらここに来ます」
「色々と不味くないか?」
守谷はちょっと嫌そうな顔をしている。それはそうだろ。愛理に嫌われる事をしているのだから。
「不味いでしょ。そりゃ。でも、仕方が無いじゃないですか。この状況は。ここに万美を泊まらせます?」
「えーっと、それは難しいな」
この数日で分かる。こいつに誰かと共同生活するのは難しい事が。
「でしょ」
「お前も私と同じぐらい性格悪いな」
「いいえ。貴方よりはマシだと思いますけどね」
「貴様」
「なんです?」
俺は満面の笑みで訊ねた。あー最高に気持ちいいな。守谷の困った顔を見るのが。
「有瀬さん。それぐらいにしておいた方が」
万美はおどおどしているように見える。
「大丈夫、大丈夫」
「覚えておけよ」
「覚えていても無駄なので覚えません」
「……何かいい方法を考えなくては」
守谷は腕を組んで何か考え始めた。
突然、チャイムが鳴った。きっと、愛理だろ。
「噂をすればってやつですね」
「え? ちょっと待って。心の準備がまだなんだ」
守谷はソファから立ち上がったり座ったりを繰り返して、慌てふためいている。こんな守谷を見るのは始めだ。
ただただ滑稽だ。これは俺以外の大怪盗ラウールの弟子には申し訳ない気持ちが少しあるのかもしれないな。俺に対しても申し訳ないと思ってくれていいんだけどな。
「時間と締め切りは待ってくれませんよ」
俺はソファから立ち上がって、ドアの方へ向かう。
「ちょっと、ちょっと待ってくれ」
守谷の裏返った声が背後から聞こえる。
俺は守谷のお願いを無視して、ドアを開けた。そこにはキャリーバックを持った不機嫌そうな顔をした愛理が立っていた。
「来たわよ」
「すまないな」
「いいわよ。その代わり、守谷にはガン飛ばしまくるから」
「ガンガンにしてくれていいぞ」
俺はニヤっと笑って言った。
「さすが兄弟子。気が合う」
愛理もニヤっと笑った。俺も性格の悪い方だが愛理も同じぐらい悪い。それも師匠の事が絡むと。
「じゃあ、入ってくれ」
俺は通れるように道を開ける。
「どうも。それじゃ、お邪魔します」
愛理はキャリーバックを引きながら、事務所の中に入った。
「は、初めてまして。守谷鍵です」
守谷はソファから立ち上がり、背筋を伸ばして、綺麗に頭を下げた。
「あ、どうも」
愛理は昭和のレディースみたいに守谷を睨んだ。
守谷は額に冷や汗をかいている。
これは傑作だ。普段あれだけ偉そうな奴がこんなふうに怯える姿は。
「初めまして。表崎万美です」
万美はソファから立ち上がった。
「安堂愛理よ。よろしくね。万美ちゃん」
愛理はとても優しい顔で言った。
「じゃあ、早速だけど変装頼んだ」
守谷をびびらせるために呼んだじゃないしな。
「了解。次からはアンタがやってよ」
「分かってる」
「ならいいけど。送ってきた写真の人にすればいいのね」
「おう。頼んだ」
「一応聞くけど、写真の女は誰?」
愛理は微笑んだまま訊ねて来た。
「えーっと、女友達だよ」
なんで俺の人間関係詮索してくるんだよ。誰とつるんでてもいいだろ別に。
「あ、そう。まぁ、どうでもいいけど。守谷さん。衣装部屋か何かあります?」
愛理は冷たい顔をしている。この視線だけで人を殺せそうだ。
「あのですね。そこの奥に衣装部屋があるのでご自由にお使いください」
守谷は怯えながら答えた。
「どうも。じゃあ、行こっか。万美ちゃん」
愛理の表情の変化を見ていて吹きそうになる。どれだけ守谷の事嫌いなんだよ。万美がびびるだろ。
「は、はい」
万美はどこか愛理に緊張しているようだ。仕方ないよな。有名人にこれだけの態度を取れる人ってあまりいないもんな。
愛理と万美は衣裳部屋へ入って行く。
「おい。貴様」
守谷は愛理達に聞こえないぐらい小さい声で怒鳴ってきた。
「なんだよ。びびり探偵」
これはおちょくりがいがあるな。
「彼女、無茶苦茶怖いじゃないか」
「そうか。女性の弟子の中でもかなりマシな方だと思うぞ」
聖母のような弟子も居るが、殆どの女性弟子は性格がきついと思う。愛理でびびってるなら他の人だったら失禁ものだな。
「……噓だろ。本当か?」
「おう。本当だ」
なんで、噓を言わないといけない。
「そ、そんな」
守谷は喧嘩を売る相手を間違えた事に気づいたようだ。
「アンタはそう言う恐ろしい連中に喧嘩を売ってるって事だ。その事を自覚しないとな」
これだけ脅せば、もう少し待遇はマシになるはず。
「……恐るべし怪盗ラウールの弟子達。私は舐めていたのか」
「そう言う事」
「まぁ、お前への対応は変わらないがな」
「なんでだよ」
意味が分かんねぇ。
「お前はお前だからな。他の有能の弟子達とは違うからな」
「なんだと。一応、師匠に全ての怪盗術を教えられたのは俺だけなんだからな」
「……理由が分からないな。その頃、ラウールは調子が悪かったんじゃないか」
この男はどれだけ、俺の事を過小評価しているんだ。
「喧嘩売ってるのか?」
「お前にはな」
「あーむかつくな。アンタって人は」
こいつが困る事を何か考えなくては。
「お前には言われたくないな」
「うんだと?」
契約、早く終わらないかな。
俺、こいつとずっと居たらストレスでどうにかなりそうだ。
「まぁ、この話は一旦置いておこう。これからどうするんだ?」
「いきなり話を変えるなよ」
こいつのペースに乗せられたくない。こいつは自分が優位に立たないと気がすまないやつなんだ。
「万美さんをどこで匿う気なんだ?」
「おい。人の話を聞けよ」
「どうするんだ?」
「人の話を聞かないやつだな。当てはあるさ。と言うか無理やりでも匿ってもらう」
何を言っても聞かないなら話を合わせるしかないな。
「誰なんだ? 信用できる人間なのか」
「あぁ、変な奴だけど。大丈夫さ」
「そうか。お前、思った以上に知り合い多いんだな」
守谷はどこか残念そうに言った。
「おう。アンタの思っている以上に知り合いはいるな」
「もっと外に出ないといけないな……」
「お、おう」
急にどうした? 何か思うことでもあるのか。これはなんだか、触れない方が良さそうだな。
――30分程が経った。
愛理が衣装部屋から出てきた。
「終わったのか?」
「うん。いい感じよ。万美ちゃん出てきて」
愛理は自信げに言った。
「……どうですか?」
衣装部屋から出てきた万美の姿は優奈そのものだ。
誰がどう見ても表崎万美ではなく優奈だ。
「その姿ならどこに行っても万美とはばれないよ」
「そ、そうですか」
「本当に凄いな。君達の変装技術は」
「当たり前でしょ。私の師匠は……」
「おい、こら。それは言っちゃ駄目だろ。万美の前で言ったら」
俺は愛理の口を手で塞いだ。
愛理は俺の手をつねった。
「痛って。何するんだよ。馬鹿」
痛すぎる。俺は愛理の口から手を離した。
「何すんだはアンタの方でしょ。もう変装を施してる時点で普通じゃないって万美ちゃんも気づいてるでしょ」
「そりゃ、そうだけどよ」
愛理の言っている事はごもっともだ。
「この子は信用できるよ。絶対に秘密は言わない。ねぇ」
「は、はい。何が何でも言いません」
万美はびびりながら答えた。その姿でびびられると変な感覚がする。こんな感じのリアクションを優奈がしてくれたらドキッと感じるんだけどな。まぁ、それは一生かかってもないだろうな。
「ほら」
「うーん。まぁ、そうだな」
「それにそこの探偵にはもう知られてるわけだし」
愛理は守谷を鋭い眼光で睨んだ。この二人はこれからもずっと仲良くなる事はないな。
「……あのーはい。すいません」
ここまでちゃんと謝罪する守谷を初めて見た。貴重な光景だ。ラッキー。
「そうだな。話すよ」
もう話すしかないな。
「私から話した方がいい?」
「いや、俺からする。あのさ、万美は大怪盗ラウールって知ってるかい?」
「えーっと、聞いた事があります。数十年前に世間を騒がした大怪盗が居たって」
「俺達はその大怪盗ラウールの弟子達なんだ」
「え? えぇ、えぇぇ! ほ、本当ですか?」
万美はお手本のような素晴らしい驚き方をした。
「あぁ。だから君を他人に変装させる事も出来る。そして、自分が他人に変装する事も」
「そ、そうだったんですか。信じられませんけど、自分のこの姿を見たら信じるしかありません」
「絶対に誰にも言わないでくれ。そうじゃないと、こいつみたいに俺達の技術を悪用しようとする奴が出てくるから」
俺は守谷を指差した。
「いや、それは……」
守谷はどう答えようか必死に搾りだそうとしているが言葉が出ていない。
「悪用。どんな事をしてるんですか。探偵なのに」
万美は眉間に皺を寄せて訊ねた。
この子はお姉さんと同じで正義感溢れる子だ。
「悪い事なんてしてないよ」
「してるじゃねぇか。俺にアンタの影武者。いや、探偵代行させているのに」
「へぇーずるいですね」
万美は守谷に冷たい視線を送る。
「やめてくれ。私をそんな冷たい目で見ないでくれ。仕方が無い事なんだ」
守谷は万美から視線を背ける。自分の中でも悪い事をしていると感じている節があるってわけだな。
「仕方ないって。ずるい大人の常套句ですよ」
万美は守谷を追い込んでいく。
「……申し訳ない。でも、必要な事なんだ。彼にはちゃんと給料も支払っているんだ」
「うーん。給料を支払っているならちょっとは許します」
ちょっとは許すって事は、完全に許してはないと言う事だ。
「あ、ありがとう」
「それじゃ、万美。泊めてくれる人の所に行こうか」
「は、はい」
「私もこれで帰るわ。怪盗の弟子が居る場所じゃないし」
「だな。ありがとうな」
「どう致しまして。あ、そうだ。変装道具は衣裳部屋に置いてあるキャリーバックに入ってるから」
「助かる」
「じゃあ、これでお邪魔します」
愛理はドアの方へ向かう。
「色々とありがとうございます」
万美は愛理に頭を下げる。
愛理は振り替えることはせず、右手を上げる。その後、ドアを開けて、外に出て行った。
妹弟子ながら、ちょっとかっこいいなと思ってしまった。
守谷は溜息を吐いてから「……寿命縮まった」と言った。
「自分のせいだろ」
自業自得ってやつだ。
「うるさい。ここまで嫌われるとは思っていなかったんだ」
「目論み違いですね。じゃあ、行こっか」
「はい。キャリーバック取ってきます」
「あ、ごめん」
「いいえ。大丈夫です」
万美は衣裳部屋の方へ向かう。
「なんだか、この数十分の間で痩せたな」
守谷の頬が少しこけたような気がする。
「痩せたじゃない。やつれたんだよ」
「そっか。明日は表崎家のお墓を調べにいくよ」
「……あぁ。頼んだ」
犯人はお墓については何も知らない。こっちがもしかしたら一枚上手かもしれない。
いや、お墓に何もないパターンだってある。その場合はどう犯人に繋がる手掛かりを探せばいいか分からない。
どっちにしても明日次第だ。