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潮風とサンドイッチ  作者: 京野 薫
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ジャスミンティーの香り

「でも、逃げてちゃいけないのは分かってるんです。でも・・・」

「逃げちゃダメなんですか?」

彼の静かで優しい、だけど毅然とした言葉に私の言葉はさえぎられた。

「あ、すいません。話しをさえぎちゃって。でも・・・どうしても言いたくて。ちょっとだけ僕の番にさせてもらってもいいです?」

私は無言で頷いた。

いきなりこんなめんどくさいことに巻き込んだんだ。

これでも全然、お返しには足りないくらい。

彼は私の目を真っ直ぐに見た。

その瞳はとても大きくて綺麗で・・・吸い込まれるみたい、なんて表現は安っぽいけどそうとしか言えなかった。

優しい光を持つ宝石のような瞳・・・

「その場にいないので、あなたの本当の苦しみや頑張りは分かりません。でも・・・聞く限り、あなたは出来る精一杯をしたと思います。それこそ泣いてしまうくらい。だったらいいです。逃げても。そもそも、犯罪をしたわけでも無いのになぜ逃げちゃダメなんです?だってその人の苦しみはその人しか分からない。その本人が無理だと思えば無理なんです」

「そう・・・なのかな?」

「はい。あと、差し出がましいかもですが、あなたは優しくて真面目な人なんですね。周りから見える自分を凄く大事にしている。でも・・・それを意識しすぎて、みんなの望む自分になることが目的になってる気がします。それって辛くないです?」

そう言われてみれば・・・

「そうかも・・・知れない。でも、よく分からない」

「無理に分かろうとしなくていいです。自分の心がすぐに分析できたら、心理学者やカウンセラーなんてみんな廃業ですから。ゆっくりでいいです。頑張りすぎると、僕の姉みたいになりますよ」

「お姉さん?何かあったの・・・」

「あなたに声をかけた理由でもあったんですが、僕の姉もあなたみたいな人でした。周囲に弱音を言わずに、いつも明るく笑顔で。口癖は『大丈夫。何とかなるから』でも・・・ある日、仕事に行ったきり帰って来なくて次に会ったときは病院でした。すでに息は無かったです。ビルから飛び降りたらしい」

そう話す彼は私を通り抜けて、後ろの誰かに話しているようだった。

「後で分かったのは、姉は仕事でかなり大きなトラブルの処理をやっていた事。そして、そのために周囲から酷いプレッシャーを受けていたことでした。無くなる日の朝も姉は僕に言ってました『大丈夫。何とかなるから』って。当時の僕はまだ高校生で、自分の事で精一杯だったから、そんな姉の言葉を真に受けて聞き流してました。今でも後悔してます」

「そう・・・だったんだ」

「はい。ずっと・・・今でも思います。なぜ逃げなかったんだ?なぜもっと僕らに話してくれなかったんだ?って。姉は料理の好きな人で、特にサンドイッチを作るのが大好きでした。僕が小さい頃から良く手作りで食べさせてくれました」

そうか、それでこの店は・・・

「あなたを見てると姉を見てるようです。だからここまで話しました。もう一度言います。逃げてもいいです。責任は僕が取る!なんて格好いいことは言えません。でも・・・僕は逃げて欲しい。泣くほど辛いなら」

そう伏し目がちに話す彼を見ていると、私はまた涙が溢れてくるのが分かった。

「私・・・やり直せるかな」

「無責任な事は言いたくないです。でも・・・素直に僕の気持ちを言うと『絶対にできます』です」

「やり直したい。もう一回」

彼は頷くと、少しの間何かを考えるように天井を見上げていたが、やがて意を決したように言った。

「良かったら、一緒にやりません?ここ」

「は?」

思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

え?何を?

「このお店を手伝ってもらえませんか?白状すると、まだオープン間もないせいか、正直売り上げは微妙です。なので、お給料は・・・ですけど、このお店の二階は部屋が多いので、あなたが良ければ下宿と言う形で、3食提供します。軌道に乗るまででもいいので。それに・・・男だけだと男性客を捕まえられないし、女性の店員が居てくれれば店も華やぎます」

「い、いや・・・私、顔もそんなに綺麗じゃないし、スタイルも・・・」

私は何を言ってるんだ。

焦って頭が上手く回らない。

マズい。

「大丈夫です。あなたは充分綺麗です」

えっ!

正直いってかなりのイケメンの部類に入る青年から、真っ直ぐな瞳で言われてしまうと・・・

「じゃ、じゃあよろしくお願いします」

あ。言っちゃった。

「マジで!やった!じゃあこれからよろしくお願いします。あ、僕の名前は神谷裕太かみや ゆうたって言います」

「わ、わたしは夏木愛なつき あい

「じゃあ夏木さん。よろしく。早速色々案内するので」

そう言って神谷さんはニッコリと微笑んだ。

ああ・・・相変わらずの笑顔。

これに乗せられた。

でも・・・それでもいいかもしれない。

「あ、神谷さん。ちょっと待ってください」

「どうしました?」

「あの・・・これだけ」

私はそう言うと、携帯を出して電源を入れた。

勇気を出そう。

ほんのちょっと。

逃げ出すためのほんの少しの勇気を出そう。

心地よい潮風の香りと、店内を満たす日の光。

そして甘いサンドイッチの卵の香りが背中を押してくれてるような気がした。



 

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