84 ナオ=グレイの憂鬱
エドが魔力を感知できる領域に、リオンが入った瞬間。エドはミラが淹れた茶を飲んでいた。エドが魔法でノルの部屋に空間をつなげて、茶器やら何やらを持ってきたのである。
エドはそれをずずずとすすりながら、まずいのう、とそれはそれはのんびり言い放った。
「も、申し訳ありません。淹れなおしますね」
「ちがうぞ? マズいのはリオンたちの状況じゃ。茶は大変うまい。おかわり貰ってもいいかのう」
慌てふためいていたミラに、しれっとエドはカップを差し出す。
多分だが、リオンたちの状況も、そこまでまずいと思ってない気がナオはした。でも話を聞いてみればそこそこよくない展開にはなっているようだ。
追手の追手はラースで、そろそろ鉢合わせそうだというのである。
ここから先、ラースに通路さえ見つからなければリオンの勝ちだ。逆に見つかってしまったら、グラマリーの情報もあちらに渡すことになってしまう。秘密通路のことなんて、見つかったらことだ。
エドが使う空間と空間をつなげる魔法は非常に高度で難解なもので、彼以外に使うことのできる人間は今のところいない。
エドがその魔法でリオンを迎えに行けばいいのに、とナオは思ったが、どうやらあの魔法は到着先に多くの人間がいる場合には使うことができないらしい。あと、行ったことがない場所には使えない。エドに育てられていたころに一度理由を聞いてみたことがある。魔力のブレとかなんとか言っていたが、ナオには難しすぎた。
転移門について研究しているリオンとかならわかったかもしれないが、魔力が少なく、問題をことごとく筋肉で解決してきたナオには縁遠い話である。
「それにしてもまさか、お嬢に体術の素質があったとは……」
「ね! 私もびっくりだよ! 人間の足ってあんなに上がるんだねえ……」
ライラが言っているのは、さっきミラたちが地上数百メートルの高さから落とされる前に、ナオがミラに体術を教えたときの話である。
もともと身のこなしが軽く、体もしなやかでよく動く。ナオが使う武術もこなせるのではと思って教えたら、ものの数時間でナオから一本取ったのだ。
不思議な組み手を使われた気がしたが早すぎてよく見えなかった。油断を引っ込めてすぐに取り返し、その後負けはしなかったけれど、気づいたら地面に寝転がっている、という初めての体験をし、悔しくてちょっとムキになったのは内緒である。
「パンチも随分強力だったねー! 魔力乗せてるとはいえ……。拳で岩って割れるんだねえ……」
さきほどミラが大岩をかち割った話をしているのだろう。ライラが遠い目をする。ノルがエドから魔法の手ほどきを受けている間にライラが魔力の効果的な使い方を教えていたのだが、想定よりもはるかに出来が良かったらしい。
魔力を纏わせるというのは、魔力の少ないものにとっては大変効率よい戦い方であるが、その分習得が難しい。なにしろ、それに関するきちんとした記録もなにもない。論理だてた説明がほとんどないので、体で覚えるしかないのである。
だというのに、ミラはあっという間にコツを掴んだらしく、ライラに教わった十分後には完全に使いこなしていた。
「わたしでも一日はかかったんだけどなー。最短記録の自負があったのに……。教え方がよかったんかな?」
教員の素質ありだこれ、とライラは暢気に笑っているが、この子も相当だとナオは知っている。帯魔力法はラインハルトでも、普通は一年かけて覚える代物だ。
「いつもは本当に、ただのいいとこのお嬢さんって感じなんっすけどね……。八歳で、器用に魔法使う世話好きっすけど」
「その時点でただのいいとこのお嬢さんじゃあないわよ……」
「たしかに……」
ナオとライラは二人そろって嘆息した。あの天真爛漫な少女の手綱を握る王子様も、伊達に高い位にいない。
膨大な魔力と、それを制御する緻密な操作。知識も申し分ない。いくつか高難度な魔法も使いこなしているし、ミラとは別のベクトルの天才だろう。
そんな子がウィザードに狙われていたせいで今まで日の目を見てこなかったなんて非常にもったいない。エドも、ノルはアリアそっくりじゃのう、なんて言って久々の男児に頬を緩めていた。
それでも高い空から容赦なく戦闘地帯までぶん投げるのだから鬼畜だ。昔からそうなのだ。目をかけた子に対しては特別厳しくて、なかなか正解を教えてくれない。よく見ていなさい、とそれだけ言って、放置。できたらできたで、どれ見せてごらん、と修羅場に放り投げられるのだ。うまくできずに失敗しても、それはそれ。
ナオが育ててもらっていたころからエドはそういうところがある。困ったことに。
けれどそれで得られる技術は折り紙付きだ。魔法にせよ、帯魔力法にせよ。子供をよく見て、得意なところを伸ばせるだけ伸ばす。それに、なにがあっても弟子の命は守るのだ。師としてはこの上なくできた人間だと言えよう。
ノルとミラも、エドという後ろ盾があれば怖いものなしも同然だ。八歳でそれを自覚すればさぞ鼻も高かろうと思うのだが、もちろん二人そろってそんな傲慢の気配は少しもない。まあ、そんな子どもだったら、エドはそもそも何も教えないだろうけれど。
「とんでもない夫婦を見つけてきちゃったっすね」
「来月でやっと九歳なんだよね? たった一年で最強すぎる人脈と後ろ盾と力を手に入れちゃってるよー、あの子たち」
「ま、いいんじゃないっすか。今のところ二人とも無自覚っすし、何年かしてそれに気づいても、あの二人なら大丈夫っすよ」
「そう? 私は心配だよー……。特にお嬢は、なーんかパッと消えちゃいそうな気がするんだよなあ。今すぐってわけじゃなさそうだけどさあ。なんていうの? まぼろし、的な? たくましそうに見えて、どっか浮世離れしてるっていうか、ここを通して違う世界を見てるっていうか…………。ある日突然夢みたいにいなくなっちゃって、それで若は、壊れるかもしれない。若も若で、お嬢のおかげで立ってる感じ、あるし」
「…………」
珍しい。ライラがこんなことを言うなんて。でも、言いたいことは、ちょっとわかるかもしれないと思ってしまった。不思議なのだ。あの子は。
最初に会った時からそうだった。
ずば抜けて賢くて、細やかな気配りができて。でもそのことを、それを受け取る相手に微塵も感じさせないのだ。彼女の明るさや、強さや、一見何も考えてなさそうなところが、彼女が自分を気づかっているという事実を覆い隠してしまう。
以前彼女には、わがままで派手で愚かな娘という噂があった。ほとんど事実として出回っていた噂だ。だから彼女のことを何も知らない人間だと、つい、改心したんだなと思ってしまい、そこで考えるのをやめてしまいがちなのである。
もしかしたら、それも計算の上でやっているのかもしれない。以前の己の評判を、相手に負い目を感じさせないためのクッションにしているのかもしれない。
だから、見えない。ミラの素顔も、心の内も、背負っているものも。
それが、本当だとしたら。
「とんでもねえ八歳っす」
「今更。わかってたことじゃん」
ライラが苦笑する。けれどそれには、呆れより誇らしさの色が強い。
「おれは会ったときから既に、一本取られてたってわけっすね」
「わあ……。ナオにしては珍しく、うまいこと言うねー。体術の稽古で一本取られたこととかかってるんだねー」
「わー、ひどい棒読みー。傷ついたー。珍しくは余計ー。笑いを取ろうとした発言の説明するのは人でなしの所業っすー」
「はいはい」
「わーん、ライラがいじめるっすー。ちくちく言葉っすー。冷たいっすー」
「黙れウザいキモイ」
ナオは、しつこいヤツに使うんですよ、とミラに仕込まれていた謎の言葉(意味は分からないがグサっと刺さった)をライラから浴びせられながら、まとわりつくような嫌な予感を、振りほどけないままでいた。




