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76 エスターライヒ兄弟



「「「『はあああああああ!?』」」」


 教職員待機部屋と試験会場の心がひとつになった瞬間だったと後にエトガーは語る。

 マルクスという少年。彼はどうしてこうも的確に第二王子の地雷を踏み抜いていくのだ。


 待機部屋では『あいつ、終わったな……』という含みを持った憐れみの視線がマルクスに向けられた。


 はくはくと口を開け閉めするノルそっちのけでマルクスはにこにこと笑っている。


「そうしたら、このふわふわの髪も、まんまるの瞳も、すべておれのものだろう?」


 ノルに掴まれていない方のミラの手をキュッと引っ張り、耳元で囁くように言う。

 ミラは咄嗟にマルクスをドンと突き飛ばした。

 そのことにさして驚いたような様子もなく、マルクスはまた笑む。


 でも先ほどとは少し違うとエトガーは思った。

 なんだろう。爆笑をこらえるための笑みとでも言おうか。

 隠しきれない面白そうという感情が表情に滲み、ぷるぷると震えている。


 いったいどういうつもりなのだと画面の前ではみんなじりじりと焦らされるような思いだった。

 なにを隠そう、この部屋の教職員のほとんどは、生徒同士の色恋沙汰が大好物なのだ。


 きらめき! 自分たちが失ってしまった青春! 日々ラインハルトの切り盛りに忙殺された教職員の癒し、それが学生の色恋話なのである!

 しかし彼らが学生の色恋を見守るにおいて、絶対に破ってはいけない大原則というものが存在する。

 それが『絶対に邪魔しない』である。


 なにか助言や相談事を持ちかけられたら答えるが、学生たちから何か言われない限り彼らは座して待つのみ。


 その何もできないじれったさがたまらないとラインハルトの学生の恋愛模様をモデルに小説を執筆して出版した職員もいる。

 大ベストセラーになった。


 つまるところ、野次馬である。


 もはや教員たちは他の受験者の画面などそっちのけでその三人のいる場所ばかりを画面に映してみていた。


「……ノル」

「……なに」


 ミラに呼ばれ、ノルは不機嫌そうな声を返した。


「ごめん」


 ノルが絶望したように目を見開いた。

 『なんで』というように口を動かしたが、声にはならずに消える。


 それはこっちのセリフだよ、とミラは思った。

 今から大変申し訳なくも、ノルに恥ずかしい思いをしてもらうことになるのだ。

 謝る以外に何ができよう。そしてそんなに落胆するようなことだろうか。

 ちょっとショックだ。


 ミラはマルクスに掴まれた左手をそっと振り払い、ノルの方を振り向いた。


「……ん」


 そのままシャツをくいっと引っ張り、ノルの唇にキスする。

 触れるだけでは物足りなくなく感じたが、さすがにこれ以上はマズい気がしてすぐ離れた。


「ごめんなさい、マルクス。私の好きな人、この人だから」


 ほお、と待機部屋に感嘆のため息が響いた。

 なるほど。いやこれはなかなか。などという評価が漏らされ、職員らは完全に試験の主旨を忘れ去ったようである。


 ノルはといえば、真っ赤な顔のまま口元を手で覆い、固まっていた。


「……な、にを……」

「……そんなに絶望的な顔しないでよ……ウチからキスしただけじゃん」

「そ、の、ちょっと待って。うれしいのとうれしいのとうれしいので今頭が真っ白で」


 待機部屋ではみんなが『うれしいだけかーい!』と喝采を送っているのだが、それを知るものはこの場にいない。


 マルクスは相当ダメージを負ったように見え、俯いてふるふると肩を震わせている。


 しかし顔をあげた彼の顔を見て、一同はまたもや驚愕することになる。

 マルクスはの顔は何とも満ち足りた喜びの色に染まっていたからだ。


「……さいっこう」

「……はい?」


 ミラは思わず聞き返した。


「両思い同士だったらちょっと焚きつければうまい事行くかなと思ってたんだ! それにしても最高だね。八歳でこんな熟年夫婦みたいな空気感出せるカップルもそういない!」


 何について褒められているんだろうか。

 マルクスが一体何をしたかったのかまったく分からない。


「えーと、つまり、おれたちの仲を取り持ちたかったと、そういうこと?」

「うん!」


 ノルの問いに満面の笑みで頷き返され、ミラは空を仰いだ。

 八歳ってこんな感じだっただろうか。


 ひとまずややこしいことにはならずに済んでよかったとため息をつくミラのとなりでノルの雰囲気がすっと据わった。


「……ミラ」


 その声音になんだか嫌な予感がして、ミラはおそるおそる横を向く。

 ノルはミラの頬の横に手を伸ばし、髪をそっと掬い取った。先ほどのマルクスの行動を上書きするように。


「もう、触らせちゃだめだよ」


 少し拗ねた目でこちらを見つめながらミラの髪に口づけるミラ。

 マルクスの時には感じなかった胸の締め付けがミラを襲う。


 当のマルクスはといえば、ひゃーと顔を覆い(覆ってない)きらきらした目でばっちり見ていた。




 ずっがーん!


 物凄い速さで光が飛んできて、先ほどまでミラたちが座っていた木にぶつかる。木は倒れ、パラパラと破片が落ちた。


「なんだよなんだよ!」


 ギョッと身を縮ませて光を避けたマルクスは、それが飛んできた方向を見る。

 そこには少年が一人立っていた。彼はミラたち全員のグレイシャーが無事なのを見、チッと舌打ちをした。


「外したじゃねえか。ぎゃあぎゃあぴぃぴぃうるさいんだよさっきから。さっさとリタイアしろよ受験者(ルーザー)


 黒茶の髪を後ろに撫でつけ、少年は神経質そうな顔をさらにゆがめる。


「ったく。おまえらみたいな弱いやつ相手にするほど俺暇じゃねえんだけどなー!」


 やれやれと首を振る少年をよくよく見て、ミラたち一同は唖然とした。

 彼の腰にもグレイシャーがついていたからである。

 グレイシャーを持っているということは、彼もミラたちと同じ受験者であるということだ。


「おまえ! なんでおれたちを狙うんだ! おんなじ受験者だろ!?」


 食ってかかったマルクスをバカにしたようにちらりと見ると、少年はひょいと肩をすくめた。

 いちいち鼻につく態度をとるやつである。


「もっと頭使えよ? これは受験だ。戦いだ。ライバルが先に落ちれば俺の順位が上がる。なにかまちがってるか?」


 マルクスはグッと言葉に詰まった。たしかに受験者同士でグレイシャーの取り合いは明確に禁止されていない。

 バシュッと、少年の手からまた魔法が放たれた。

 しかし彼はそこまで精度の良い使い手ではないようである。

 その魔法はグレイシャーではなくノルの顔面めがけて飛んできた。


 パキンと音がして、魔法が跳ね返る。

 障壁魔法。土魔法の中で唯一の、色のない魔法だ。


 透明なガラスの壁を大地に要求する。急速な結晶化に莫大な魔力を消費する、上級魔法である。

 ミラはてっきりノルが魔法を使ったのだと思ったが、ノルはノルで結界魔法を張っていた。


 つまり。


「おれの友達に向けて魔法ぶっぱなしやがって! 怒るぞ!」


 まったく怖くない憤怒の表情で障壁魔法を使ったのは他ならぬマルクスであった。

 腕を組み仁王立ちで、少年を睨みつけている。


「くそっ! なんで壊せねえんだよあの障壁!」


 受験生レベルではまず使うことはできないマルクスの魔法を見て、少年はさすがに焦ったようで、何度も何度も続けざまに攻撃魔法を放っていた。

 しかしマルクスの魔法は崩れる気配すらなく、少年の方はだんだんと魔力を消費し、疲弊していく。


 ミラからしてみれば向こうの少年の方がはるかに分が悪く、他の先輩たちもいるだろうからさっさとあきらめた方が身のためだと思うのだが、攻撃が届かず視野が狭くなってしまった少年はそれがわからないようだった。


「見苦しいぞ。ゲオルク」


 そこに、ぽつんと落ち着いた声が届いた。

 普通であれば、激昂する心を鎮静する作用がありそうなものだが、その声を聞いてその場の全員がぞっと身を震わせた。


 同じ声が『野分(のわき)』と呟く。

 ミラたち三人は反射的に飛びのいた。

 びゅんっと強い風が吹き、規格外の風量が一点に集中する。


 それは先ほどゲオルクと呼ばれた少年のもとに向かい、彼の持つグレイシャーの紐をかき切った。


「な、な……! ジャン兄さん!」


 吹きすさぶ風の中から現れたのは、長い赤銅色の髪を一つにくくった背の高い青年だった。

 否、()()()()()()と言うべきだろうか。


 この試験には五回生までしか出ていない。

 この人は、大きく見積っても十三歳だ。




「おー、出てきましたねー、ジャン=エスターライヒ。残り三分。目の前に五回生首席。さてさて、三人は生き残れるのかな」


 画面の前でジャスパーはにやりと笑った。

 マルクス=オルトマンは防御にたけた天才。戦闘部司令官の推薦である彼がここまで残るのは想定内だったし、もちろん自分の推薦した二人が残ることも想定していた。


 他の受験者はもれなく脱落(リタイア)。ジャンの弟、ゲオルクもよく健闘した。同じ受験者にちょっかいをかけたのには少し驚いたが、勝ちに執着する姿勢は悪くない。将来拗らせなければではあるが。


 ほかにも粒ぞろいだった今回の試験。合格者はこの時点ですでに決定している。しかしジャン=エスターライヒは規格外だ。次席と三席を打ち負かした受験者二人とずっと防御だけして逃げ残ったマルクス以外全員を蹴散らした。


 三人が残るかどうかはさておき、彼相手にどれだけ活躍するのかジャスパーは楽しみだった。


『禍』の中身のでくのぼうとは違い、頭を使う相手というのはやりづらい。どちらがより深く戦況を読み対策を立てるかで勝敗が決まる。

 三対一だがおそらく実力はやっと互角。


「……だと、思ったんですけど……」


 ジャスパーは画面を見て苦笑いした。




『試験時間終了となりました。残存者は三名。五番、マルクス=オルトマン。二十二番、オリバー=ウィステリア。百一番、ミラ=スチュワート。以上です』


 試験終了のアナウンスが流れる。目の前には「あー、油断した」と悔しげな顔をする先輩が一人。

 ミラが彼の足だけ狙って『旋風(つむじかぜ)』を使ったら、足をもつれさせてしまったのだ。

 ちなみに防御魔法に関しては、ミラは何も展開していない。魔力消費がおかしなことになるからだ。先に充電切れしてしまう。

 この人の攻撃魔法をどうしたかというと、全部避けたのである。

 なんてことはない。前世のユキナも反復横跳びの成績はいつも良かったのだ。


 そんなこんなで、地面に手をついてしまった先輩に小さめで陰険な魔法をケガしない程度にいくつかお見舞いしてからダッシュで逃げた。本気でやりあったら絶対に勝てないのは目に見えている。


「ミラと言ったね? ぼくはジャン=エスターライヒ。五回生。すごいね君。完敗だよ。来年からよろしく」

「いやいや、私がやったのはしょぼい魔法出しただけですから。合格するかもあやしいところというか……」

「はははっ。それはないよ。面白いね君」


 甘く見ていた、すまないと申し訳なさそうに眉を下げるジャンからはさっきの覇気はすっかり消え失せ、なんならむしろ気弱そうな優男である。

 このギャップが教師陣にはめっぽう人気なのだ。


「ほら、ゲオルクも謝って」


 弟のゲオルクはといえばふてくされたようにそっぽを向き、ぼそぼそと文句を言っていたが、ジャンにもう一度念を押すように名を呼ばれ、渋々頭を下げた。


「さーせんでしたー。これでい?」

「おーまーえ―!!」


 やはりまったく怖くない顔でマルクスが怒り、ポカポカと可愛らしいげんこつでゲオルクを殴る。

 ゲオルクはうっせーよ、とか、いてーよ、と言いながらも後ろめたさからか反撃はしない。


 なんだか楽しそうなメンツだな、と微笑ましく思いながら、ミラは残る記述試験へと気持ちを切り替えた。





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