74 ラインハルト入試
「ジャスパーさん、なにをにやにやしているんです。気持ち悪い」
グラマリー・ウィステリア支部。
エトガー=リヒターは先ほどから終始ご機嫌な笑みを浮かべるグラマリー情報部最高司令官、ジャスパー=オースティンにそう言い放った。
普通、補佐であるエトガーがしていい発言ではなく、次第によっては首を斬られても文句は言えないのだが、『その気概が好ましい』とジャスパーが言うのでエトガーはそれに遠慮なく乗っかっている。
「うん? ああエトガーですか。おはようございます」
それに特に反応するでもなく、ジャスパーはいつもの生真面目そうな表情に戻って会釈する。
「実は昨日妻が私の好物の鶏もも肉を焼いてくれたんですがね。それがまあうまくてうまくて……」
「はいはい黙れ黙れ」
いつもの嫁自慢も、今日はいつにもましてキレがいい。それ以外にも絶対なにかあったなとエトガーは気づいたが、これ以上惚気を頂戴するのも面倒くさいので早々に話を打ち切る。
「もっと聞いてくれてもいいんですよ? そうだ。うちの妻の髪の毛がふわふわで触り心地がとてもいいという話を……」
「うーわ! やめろやめろやめろやめろ!」
なにが悲しくて、人の奥さんの髪の毛のさわり心地を知らなくてはいけないのか。
おいやめろ想像するな。するなったら!
「そうですか……。残念です。ではまたいずれ」
「今もいずれも聞かないです。そもそも自分が司令官の奥様の髪の毛に触れる機会などないのに聞く理由もないでしょう」
「……ドロシーの髪は触らせんぞ」
「ちがうそうじゃない」
先ほどの発言のどこをどうとったらエトガーがジャスパーの妻の髪に触れたいという話になるのだ。
そして突然敬語外さないでくださいお願いしますそれがなければあなたはただの怖い上官です。
「ふむ。まあいい、今回は見逃そう。だが二度目はない」
「だからちっげえよ!ゴホンゴホンゲフン」
エトガーは思わず口調を荒げたがすぐに咳払いでごまかした。
目の前の男は仮にも上官だ。
……そのはずだ。
そもそも今はこの人の惚気を聞くために声をかけたのではない。
「ところで、司令官推薦の二名ですが、どちらも本当に受験するんですか?」
「もちろんだ」
そう。今日はラインハルト学院の試験日なのである。
ジャスパーは今回グラマリーの上位職員の権限を使って二人の子供を推薦している。
一人はこのウィステリアの第二王子で、もう一人はどこぞの伯爵令嬢だったはずだ。
王子の方はエトガーも事情をよく知っている。
彼が王子として外に出るときの警護と、それによって毎度あぶりだされるウィザードの人間の始末、住んでいる場所の隠蔽等々。
第二王子の身辺に関する一切を陰ながら請け負っているのがグラマリーだからだ。
伯爵令嬢の方も存在を知ってはいる。第二王子の婚約者であり、討伐に着いていった少女。
しかし彼女のことは資料が少なくてよくわからない。
もともと彼女についてはノーマークだったということもある。
彼女が王子の婚約者になれるような器ではないと思われていたからだ。
以前は何かにつけわがままで横暴。自身の侍女に対する態度などひどいものだったらしい。
服装がどぎついピンクだったり、化粧が恐ろしく派手で濃かったという話もきく。魔力も少ない。
エトガーも人づてに聞いた話ではあるがそれらの情報を持っていたため、この上官がなぜその少女をラインハルトに推薦したのかまったくわからない。
「受けなくても上官の推薦なら合格なのにどうして……」
エトガーは首をひねった。
ジャスパーの地位からの推薦であればラインハルトの試験は普通受けない。
そもそもこの人が誰かをラインハルトに推薦するのも初めてである。
「私の推薦状は諸事情あって秘密裏に提出されているので、二人とも表向きは試験打診のみの状態なんですよ」
「諸事情ってなんです?」
「私はフィリップを除いた小隊の皆に『一般職員です』と伝えているので」
たったそれだけの理由で? もっと深刻な理由だと思っていたエトガーは拍子抜けする。
「言えばいいじゃないですか。みなさんに」
「いやです」
ジャスパーはさらりと首を振った。
「なぜです?」
「目立たない司令役の副隊長が実はグラマリー情報部最高司令官だった! なんて、最高にカッコいいからです」
「……」
子供のこねる駄々のような内容にエトガーはなにも言えず沈黙した。
そんなエトガーを尻目にジャスパーは続ける。
「それに、皆に二人の……特にミラの実力を見せつけるには、ラインハルトの試験はちょうど良い機会ですので」
「今年のあの試験は例年以上に突破が難しいものだと聞いています。しかも今年の五回生はあのジャン君の代でしょう? 魔力も少ないあの令嬢が突破できるとはどうしても思えませんが……」
エトガーは、かの伯爵令嬢の白粉で真っ白になった顔を思い浮かべる。
上官がここまで言うほどの存在であるようにはとても思えない。
「……やはりそう思いますか?」
ジャスパーは面白そうに口の端を持ち上げてエトガーを見る。
それはまるで、自ら罠へと向かっていく獲物を見ているような表情で、エトガーの背中に得体のしれない寒気が走った。
カメリア北部エンリッヒ。見渡す限り、山、山、山
夏は涼しく、代わりに冬は凍てつくほどの寒さとなり、すぐそばのファルファラ湖は一面が氷る。
そんな場所にラインハルト魔法学院はあった。
眼下に広がる広大な土地を見やれば放牧された家畜がゆっくりと歩いているさまや、雲の影がのっそりと流れ動いていくのが見える。
そんな清々しいほどの大自然の中に柔らかそうな髪をなびかせ仁王立ちをした少女が一人。
「ふっおおおお! 高い! 広い! でかい!」
かい かぃ ヵぃ とこだまする大声をあげたのは、伯爵令嬢、ミラ=スチュワートである。
「はい私語つつしむー。ここ一応崖の上だから。それ以上身を乗り出したら落ちるから。あと今実は試験中だから」
その横で呆れたような目をミラに向けるのは、ウィステリア王国第二王子、オリバー=ウィステリアだ。
やれやれと仕方なさそうな、それでいて愛おしそうな藍色の瞳をその少女に向け、こっそりと彼女に浮遊魔法を掛けている。
「魔法実技試験って言うから、てっきり人の前で魔法を披露するんだと思ってたのに違うんだね」
「魔法実技の方は実際の試験内容は公表されないからね。おれも初めて知った」
ラインハルト魔法学院の入試は二日かけて行われる。
一日目は魔法実技試験、二日目は学力筆記試験だ。
現在行われているのはその魔法実技試験。
その内容は驚くべきものだった。
「先輩方からできるだけ長く石を守れ……ねぇ……」
「一回生から五回生までしかいないって言っても……多すぎ……」
高学年である六回生から十回生を除いた在校生、計五百名。
受験者は全員『グレイシャー』と呼ばれる石を渡されている。
次々とやってくる在校生たちから逃げ切り、グレイシャーを守り切るのが試験の主旨である。
一見簡単なようにも思えるが、とんでもない。
グレイシャーは『魔法を選ぶ石』と言われるほど魔法反応性が高い石で、受験者の位置は在校生に簡単に割り出されてしまう。
在校生もこれが進級試験の一端を担っているらしいので本気だ。
双方に許されているのは、己の肉体と知識と魔法の使用のみ。
行動の一切は監視・記録され、リタイアはもちろん、違反行為も厳しく取られる。
石を奪われるまでの記録が試験の採点対象になる。もっとも点数配分が高いのは魔法の『精度・強さ・技術』の三要素であるが、それ以外の咄嗟の機転や判断も考慮される。
石を持っている時間が長ければ長いほど採点する範囲が広くなり、合格する確率が上がるというわけである。
さらに言えば、最後まで石を持っていたとしても合格するとは限らないし、一番最初にリタイアしても活躍があれば合格することはある。
試験受験者は在校生の1.5倍の七百五十名。合格してラインハルトに通うことができるのは、その中の百人だ。
『石を最後まで守った』という事実自体が大きな加点対象であることは試験前にすでに説明されているので、みな石を守ろうと必死だ。それはミラとノルも例に漏れずであるが。
「一時間が経過しました。残り時間は三十分です。前回のアナウンスからの、リタイアした受験者を報告いたします。二号校舎第二階段、十五番シュトファン=リトヴィッツ、三号校舎第四回廊、二十九番マティアス=ヴァーグナー、三十二番モナ=シュタインベルク、中庭噴水前、五十三番テオ=ルクセンブルク……」
魔法でのアナウンスが山に響き渡る。
リタイアした受験者はアナウンスの都度、名前と場所が呼ばれる。試験監督者であるラインハルトの教師たちがその場に赴いて待機部屋まで連れていくためだ。
在校生が魔法で狙っていいのは腰に括られたグレイシャーだけ。ケガを負わせた場合は在校生側の減点となり、そのケガの治療なども部屋で行われる。
「わー、やっぱやばいんだよ。ラインハルトの学生。前のアナウンスからもう四百人くらい減ってる……」
「おれたちのところに来たのは多分、下級生の人たちがほとんどなんだろうね」
「絶対そうだよ……あー、上級生の人たちと会うのやだよー……」
実際のところ、二人のもとに来ているのはほとんど四回生、あるいは五回生だったが、二人はそれをことごとく返り討ちにしていた。
「おいアイツら、まったく怖がってないぞ! どうすんだよ。去年までの連続残存者ゼロ記録、途切れっちまうぞ!」
「しょうがねえだろ! 火魔法投げつけたら『火の玉初めて見た!』ってはしゃいで、しかも正確すぎる水魔法で瞬時に消火して、氷の刃飛ばしたら『綺麗』とか感動しやがったあとに巨大火力で全部溶かすような奴らだぞ! どうしろっていうんだよ!」
茂みに隠れて二人の様子を見ていた五回生たちはため息をついた。
二人が今口にした魔法はどちらもそれなりに高難度な魔法である。
しかも五回生の精度と威力だ。八歳の受験者など、普通であればあっという間に蹴散らし、残ったグレイシャーを回収するだけ。簡単なお仕事である。
特にこの二名の在校生ユリウス=リンデマンとニコ=クリールは、校内でも名の知れた魔法の使い手であり、首席とまでは行かないものの次席、三席に収まっている。
毎年この試験で受験者を大いにビビらせ、先輩には逆らわない、と思わせるのは校内秩序を保つための成績上位者の責務でもあるのだ。
「ちっ、とりあえず真正面からやり合っても意味がなさそうだ。ちょっと難しそうだがここからグレイシャーを狙って風魔法の『鎌鼬』を……」
きゅいん
と音がして、二人の耳すれすれを一陣の風が通り抜けた。ユリウスとニコの知らない魔法だった。
遠かったからか、詠唱は聞こえない
(というかさっき、あいつらの口、動いたか……!?)
驚愕しながらユリウスは己の右側を見る。
茂みは鋭い風の刃でざっくりと伐採されており、あと数ミリでもズレていたなら真っ二つになっていたのは自分たちの耳だっただろうとユリウスは確信した。
「ありゃ、勘違いだったかな……」
「あれ、ほんと? おれも二人ぐらいそこにいるような気がしたんだけど…‥」
二人は咄嗟に自分たちの正面に茂みの景色を上書きした。幻影魔法である。
扱うのが難しいと言われるこの魔法をユリウスとニコは使えたからだ。
うろうろと自分たちの姿を探す受験者二名の姿を見て、二人は得体のしれない恐怖を感じていた。
なんだ、これは。
八歳では到底持ちえないほどの胆力。ありえないほどに戦略的な魔法。
学校で習うようなものとはわけが違うのだ。
普通、この年の子どもは生物に魔法を向けるのに慣れていない。
『傷つけるかもしれない』『殺してしまうかもしれない』この恐怖は誰もが当たり前のように持っているものであり、はじめて生物に向けて魔法を放つとき、それを強烈に認識させられる。
ゆえにほとんどの受験者はそれをすることができない。
覚悟のあるなし、ではなく『覚悟を決める機会の』あるなし、なのである。
その壁をこの二人には感じない。つまり、既にそれを経験したものであるということだ。
そして在校生と受験者の違いなど、その壁を越えたか越えていないか程度。
魔力量や精度の差などは微々たるものである。
その差がない今、自分たちよりも相手の方が実力が上なのは明白。
二人の反応は早かった。その判断はほとんど反射に近いものであったが、それも五回生の実力のうちである。
『敵わない』
「五回生の先輩だったらどうする!? 狙われたら勝てないよ!!」
「姿は見えないけど、とりあえず逃げとこうか」
しかし受験者はそう言うと、すたこらと逃げて行ってしまった。
どうやらユリウスたちの方が強いと思い込んでいて、勝てない相手に立ち向かわない、という生き残るうえでの基本原則を守ったようであったが、そうでなかったら今頃……
そこまででユリウスは考えるのをやめた。
あの二人は自分たちの手に負える相手ではない。そう思ったからである。
「やめだやめだ。あんな奴らがいたんじゃ連続記録は間違いなく途切れるな」
「いや、主席のアイツに負けるだろう。どちらにせよ俺はもうこの試験では関わりたくないけどな」
ニコもユリウスとほとんど同意見らしく、二人は顔を見合わせて頷き、ダッシュでその場を後にした。




