71 入学準備2
コンコンコン
普段滅多に人の訪れない、離宮にあるノルの部屋。
そこに響いたどことなく明るい音色のノックを聞いて、ノルは扉を振り返った。
「はい」
「オーウェンだ」
「へっ!?」
聞こえた声はたしかに自分の兄のもので、ノルは驚きのあまり持っていた魔法書を落としそうになった。
声の主はノルの返事を待たずに、じいやが気合を入れて磨いたと言っていたドアノブを回す。
「よっ」
いたずらが成功したみたいな顔でオーウェンが片手をあげた。
「どうしたのさ兄さん。なにか用事?」
「薄情な弟だな。用事がなきゃ来ちゃいけないのか?」
いつも通りの落ち着いた表情でオーウェンが拗ねている。
オーウェンは基本表情が変わらない。不愛想というよりは、誰にも文句を言われない表情を作っているのだ。
しかしそれが次期国王としての訓練の成果であることもノルは知っていた。
国が有事に陥ったとき、王が動揺した表情をするわけにはいかない。
だからオーウェンがどんな表情をしていても(たとえ笑っていたとしても)、彼を良く知るものが見れば根底にある感情はどれも同じものだと気づく。
しかしノルは最近知ったのだが、この兄は、感情が動くときむしろ表情を固めがちである。
そう、例えばソフィア嬢と居るときとか。
「ううん。来てくれてありがとう。うれしいよ兄さん」
オーウェンはなにかをこらえるように唇を引き締めた。
しかしなにが琴線に触れたのかいまいちノルにはわからなかった。
離宮初訪問が楽しいのだろうか。
「どうやってここまで来たの?」
お茶を淹れながらノルは尋ねた。
もともとノルはこのまま旅に出てウィザードの捜索を攪乱させる予定だったので、王宮事情は出発前と何も変わっていないのだ。
相変わらずウィザードの王宮への監視の目はついていると思うので、離宮には堅牢な目隠しの結界がいまだ張られているはずである。
そしてそれを正面突破するとウィザードにノルの所在がバレてしまうこともオーウェンは承知済みのはずなのだが。
「これだ」
オーウェンが取り出したのは、径の小さい腕輪だった。
それ自体は金色で、そこに青く透き通る小ぶりの宝石がひとつはめ込まれている。
その石は綺麗な立方体で、ノルが見たことの無いものだ。
「持ち運びのできる転移門でな。ミラ嬢のお父上のカイ=スチュワート伯爵が最近開発した魔具だ。こうやって……」
オーウェンがリングを嵌めた腕を胸の前に持ってきて『転移』と呪文を唱えた。
すると、しゃん、と音がしてオーウェンの姿が消えた。
「え?」
「ただいま」
瞬きする間にまた現れる兄。
「わあお……」
「まだ狭い範囲しか使えないから王宮と離宮を行ったり来たりくらいしかできないんだが、わが王家はそれだけで大喜びなわけ」
転移門の縮小というのは大変難しい。
『ラウルオの火まつり』の一件からもわかる通り、転移門はどうしても膨張しがちだ。
転移門の大きさは魔力を付与する空間の大きさに比例する。
つまり、付与された空間が大きければ大きいほど、転移門も大きくなるのだ。
これがなぜかというと、転移門は他の魔法と違って空間に魔力の『書き込み』という作業を必要とするからだ。
転移門を縮小するには小さな空間にチマチマと魔力を書き込まなければならないのである。
それができる道具が存在しないのと、書きこめる魔法が少なすぎるのとで、転移門は文字通り、家の門サイズからが普通である。
それをこんな腕輪サイズなど、正気の沙汰ではないのでは……。
「お前が離宮で暮らすようになってからずっと、父上がカイ殿に頼んでいたんだそうだ。ようやく短距離用が完成したからって、少し前に渡してくれた」
「なるほどそれで……」
「これなら怪しまれずにここに来ることができるだろう?」
「うん! あ! そしたら今夜はここに泊っていく?」
「いいのか?」
「夜のおやつにクッキー焼いてたんだ。あったかいミルクもあるし、たしかここに面白い本が……」
オーウェンと何の心配もせずに一夜を明かせるなんて楽しいに決まっている。
「いった!」
そわそわしすぎて棚に小指の角をぶつけ、ノルはしゃがみ込む。大変痛い。
「おい大丈夫か?」
「……うん。なんとか……」
「というか、ラインハルトの試験に行く準備は終わったのか? 一週間後なんだろう?」
「魔法練習はここじゃできないから、筆記の方を固めてた。思ったより忘れてなくてよかったよ。荷造りは済んでる」
「そうか。じゃあ遠慮なく」
オーウェンはノルが使っているベッドにぽすんと座り、そのまま大の字に寝そべる。
初訪問の弟の部屋にいるとは思えないくつろいだ表情である。
「ノルと一緒に寝るなんて、アリア様が生きていたころ以来だな……」
「そういえばそうだね。うれしいなあ」
オーウェンがまた口元を引き締めた。
やっぱりなにで感情が動いたのかわからない。
ベッドがふかふか仕上げだからかもしれない。
オーウェンがうらやましくなって、ノルもその隣に寝そべる。
いつも通り、ふんわり心地よい。お日様の下で干しておいてよかった。
「兄さん」
「なんだ」
「ありがとう。今日もそうだし、普段も」
「変なものでも食ったのか? 落ちてるものは食べちゃダメだぞノル」
「……兄さんはおれをなんだと思ってるの……」
兄の中ではノルはまだ赤ちゃんなのかもしれない。いや、幼いことは否定できないのだけれども。
「そうじゃない。旅の件にしても留学のことにしても、国のことは全部兄さんに押し付けているようなものだから……」
ノルはオーウェンを尊敬している。政務をこなし、国王とすでに対等に意見を交わし、国のことを一番に考え、尽力する兄を。ノルはウィザードに狙われているお荷物というだけで何の役にも立っていないのに。
以前自分は、家族はノルのことなどどうでもいいのだと思っていた。
実際は異なったわけだが、今の自分のお荷物具合を俯瞰して見てみると、そうでなかったことはほとんど奇跡に近い。
それぐらい、ノルは国に何の貢献もしていないのだ。
「おれには魔法しかないし、それも下手したら誰かを傷つけるかもしれない。でも兄さんは誰よりも努力して、誰よりも国を見てて、おれの憧れなんだ」
「……」
光を見るように目を細めたノルを見て、オーウェンはまた口元を引き締めた。
先ほどからなんなのだ、この弟は。オーウェンを褒め殺すつもりなのだろうか。
なるほどこれが『キュン死』かとオーウェンはソフィア経由で教わったミラ語を思い出した。
「……それは、ぼくのセリフでもある。ぼくはノルにずっと憧れてた。魔法じゃ絶対敵わないってわかってても、追いかけずにはいられなかった。前はこうして話す機会もなかったから、いけ好かないやつだって思ってたこともある。ノルが期待されているのを、ずるいとも思っていた。勝手な話だが」
「……」
「でも、あの日、おまえが騎士団部隊長と宮廷魔法使いを倒した日、わかったんだ。『役割が違う』って」
ノルは魔法でも、それに関する知識でも、ついでに言えば剣の腕でも、常にオーウェンの一歩先にいた。
どうにかして追いつきたかったし、負けたくないと張り合っていたこともある。
けれどオーウェンが憧れたその場所にいるノルは、少しも楽しそうではなかった。
「天から与えられる試練も、持ってる苦悩も、何もかもが違う。ぼくとおまえは違う人間で、やるべきことも違う」
自分より実力が上のはずのノルは褒められることすらなかった。(事情があったとはいえ)国王である父がなにも言わずにその場を離れ、勝ったノルではなく健闘したオーウェンが褒められた。まわりの人間も、そうするしかなかったから。
「ならぼくは、ぼくがやるべきことをやるべきだ。いわれのないことで褒められるのも、おまえの手柄で褒められるのも、おれのやるべきことではないだろう? おれはおれのやったことで褒められるべきだし、そっちの方が嬉しい」
オーウェンが魔法に執着しないのは、それで褒められるべきがノルだからだ。
どちらかを比べ、より優秀なほうを称えるのは間違っていることではないとオーウェンは思っている。
それは正当な評価だ。
「おれは、国を治める守る、ということにおまえよりは向いていたというだけだ。二人を比べて、得意なことを得意な方がやる。なにもおかしなところはない」
それもまた、正当な評価だ。
「お前は魔法を扱うのが上手い。体も強い。知識もある。だからそれを伸ばして、いずれ国に貢献するために旅に出、留学をする。なにも間違っていない」
なにより、ノルが無事に大人になれるなら、オーウェンにとっては僥倖である。
「この国は魔法への関心が薄い。魔法使いも少ない。だから濃い髪色のものを必要以上に恐れる」
「……」
「おまえが変えるんだノル。この国の魔法技術の発展にはお前の力が欠かせない。おまえが必要だ。ウィザードに渡すわけにはいかないんだ」
ひとたらしな兄だとノルは思った。『お前が必要だ』なんて言われたら、がんばるしかないじゃないか。
「頼むぞ」
「うん」
「よし」
オーウェンは笑ってノルの頭を撫でた。兄の手がなんだかとても大きく頼もしく感じて、ノルは目を細めた。
「ところでノルおまえ、ミラ嬢とはその後どうなんだ」
「ん゛っ! えっほごほっ」
「大丈夫か」
「……う、うん多分」
「そ、そうか。で、どうなんだ?」
オーウェンがそわそわとノルを見ている。弟の恋愛の話を聞いて一体どうするというんだこの兄は。
うずうずとした顔が父と義母のそれと全く同じである。
「言ってもいいけど兄さんが先ね」
「ぼ、ぼくか?」
「うん」
夜空に浮かぶ星々は、今日もウィステリアをやさしく見守る。
しんしんと夜は更け、風が木々の葉を揺らしていた。
ふかふかのベッドの上でかわされる兄弟の内緒話は、まだ終わらない。




